前編
ゲルト・リッテンマイヤーは深夜3時の電話で叩き起こされた。懸命に眠気と闘うリッテンマイヤーの耳に部下であるザルツ・ファーレンホートの声が甲高く響いた。
『警部!大変です!!
今夜、ルードヴィヒ美術館所蔵の《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》が何者かに盗まれました』
ファーレンホートの報告は、ケルン大聖堂の鐘の音のごとく鳴り響き、リッテンマイヤーの頭の霧を忽ちにふきはらった。
「なんだって?
君は、かの世界的画家であるサルバトール・ダリ氏が描いた《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》が盗まれたと言うのかね!?」
『はい、ダリ氏が描いた《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》が深夜、何者かに盗まれたのです』
「ううむ、それは一大事だ。
すぐに現場に向かう。悪いが君、僕のところまで車で向かえに来てくれたまえ」
『了解いたしました。30分で迎えにまいります』
ゲルト・リッテンマイヤーは、電話を置くと隣で寝ている妻のマリアンヌ・リッテンマイヤーを揺り起こした。
「んぐぅぁ」
だが、妻のマリアンヌは大いなるイビキでゲルトに応える。さながらジークフリートが来るのを眠って待つブリュンヒルダの如くだ。少なくともウエストラインはオペラハウスの歌姫たちをも凌駕する。
こうなっては、哀しいかなジークフリートではないゲルトは愛妻を起こすのを諦めるしかなかった。ゲルトは小さく舌打ちをするとベッドを出てキッチンに向かう。とりあえずはコーヒーを飲もうと思ったのだ。
インスタントコーヒーにお湯を注ぎながら、ゲルトは今回の事件について思いをめぐらす。
(何ゆえ《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》が盗まれねばならなかったのだ。よりにもよって、《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》が盗まれるなんて!
何よりもめんどくさいではないか!!
このままずっと《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》と言い続けないといけないのだろうか。いっそのこと《ペルピニャン駅》と略してしまおうか。当の美術館ですらそうしてるのだからそれで良いではないか?
いや、待て。
卑しくも私は精密かつ厳格なドイツ警察の警部だ。その私が世界的な名画を略式呼称するなど断じてするわけにはいかん。
ここは誰にどうクレームをつけられたとしても私は、《"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである》と言い続けなくてはならない)
決意を固めたゲルト・リッテンマイアーは、うむと力強く一人頷くとコーヒーを口に含む。
次の瞬間、ケルンはコーヒーを盛大に吹き出した。
コーヒーはすっかり冷めていた。
2018/11/29 初稿
後編は来週位を予定しております