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ハインツ・ヴァイルは幼い頃から英雄譚が大好きだった。とくに主人公たるヒーローは豪快で勇ましく、ヒロインは美しく儚い方が燃えた。
五年前。王宮で行われた勇者たちの初顔合わせで、ラウラ・レーゲンと初めて出会った時、まさに彼女は理想のヒロインだった。雪のように儚げで、綺麗な容姿は彼の心を容易く射止めた。
蓋を開けてみれば、実際の彼女は自分では足元にも及ばないほど強く、痛烈な性格をしていたのだが、そんなことはもはやどうでもよかった。
軍に入るのを引き延ばして、この学園に入学したのも彼女と親しくなりたいという一心からだった。
オズと出会ったのはこの学園に入ってから。
最初はラウラが彼に向けている視線に嫉妬したこともあった。しかし、彼はラウラを見ているようで見ていなかった。
幸い、オズは意外にも面倒見がよく、ハインツは随分可愛がられている……と勝手に思っている。そして、オズがラウラに向けている瞳はハインツへのそれと同じであった。
おや? これはもしかして、自分にもチャンスがあるんじゃないか?
そう思った。だが現実は非情だった。
オズとラウラの婚約の話を聞いたハインツは、頭が真っ白になった。気付いたらオズに決闘を申し込んでいた。
そして、現在に至る。
ハインツは訓練用の皮の鎧を着込んだオズを睨んだ。
「オズ先輩。俺、手加減しないっすから」
「ああ、わかってる」
どこか不敵な笑みを浮かべるオズに、ハインツは顔を顰める。
見立てでは、オズの戦闘能力は部隊長級だろう。勇者級まではまだ遠く及んでいないというところだ。
彼のすぐ下、現役兵士の中で王国六番目の強者である騎士団長が同じランクということを鑑みれば、途轍もなく強いが……。
戦時体制時のカリキュラムを全て熟しているとはいえ、オズは聞いた話では野盗や山賊などの掃討、魔獣の討伐などは経験あるらしいが、従軍の経験はないらしい。
だが戦闘の経験自体は積んでいるし、詳細な能力が分からない以上は油断できない。
「でも、びっくりしましたよ。オズ先輩ってこういうのは断ると思ってましたから」
「……まあ、普段なら断っていただろうな」
「なら、どうして受けてくれたんすか?」
「男の意地ってやつだよ」
「なるほど」
オズは尤もらしいことをいってハインツを納得させた。
さて――。と呟き、オズは刀身の反った片刃の剣……刀を鞘から抜き放った。
それに合わせ、ハインツは特製のブロードソードとカイトシールドを構える。
二人の闘志を察した立会人の教員が、手を上げた。
決闘開始だ。
先に仕掛けたのはハインツだった。
左手に構えた盾を前に突き出して、オズの攻撃を封じる。振り抜かれた横薙ぎの一刀が、大きな音を立てて弾かれる。
(シールドバッシュか!)
オズは刀を弾かれた勢いを利用し、バックステップ。距離を離す。
「甘ぇっすよ! 《宙爆発》」
オズの眼前で轟音を伴った爆発が起きる。瞬時に魔力による障壁を展開。
だが障壁はガラスの如く砕け散ると、爆風の侵入を許した。
「――ぐっ!」
吹き飛ばされたオズは二、三回転がると、手をついて立ち上がる。
頬がじくじくと痛む。少し焼かれたようだ。
だが休む暇はない。
オズとの距離をすぐさま詰めたハインツが、剣を横薙ぎに振るってきた。
「ちっ」
オズは鞘を剣にかち合わせて防ぎ、次の一手に備えた。
今度は大上段からの振り下ろしが左肩へと迫る。それを刀と交差した瞬間から、刃先から滑らせるようにして受け流す。
標的を逸らされた剣が、闘技盤を砕いた。
さきほどの一撃は速く、そして何よりも重かった。一歩でも間違えれば、刀ごと両断されていただろう。
「へえ。やりますね、先輩!」
即座に剣先が浮き、その牙がオズへと向けられる。
直進してきた剣を鞘で受ける。しかし受け止めきれず、左肩に赤い一筋が走った。
「……」
だが、オズは掠り傷程度では怯まない。
攻撃後の硬直を狙い、刀で救い上げる様な一撃。
それに対してハインツは盾でその一刀を防ぎ――
続け様に翻った一太刀が迫った。
「なっ――!」
慌てて顔を傾け、頸に迫った凶刃を魔力障壁を纏った頬で受ける。
「いっ、今のは……」
赤の一線と驚愕を顔に張りつかせ、ハインツはオズを見た。
一瞬でも回避と防御が遅れていたら、今頃首から血飛沫が舞っていた。
(なんだ? さっきの一撃……)
鞘を用いた疑似二刀の闘い方といい、優れた受け流しの技術に、相手の間隙を縫った正確な一刀。今まで見たことのない、この国にはないタイプの剣術だった。
オズの放った返し刃。身体能力差を覆すほどの鋭さと剣速だった。
ハインツは警戒し、盾を前に構えてカウンターの姿勢を取る。
それに対してオズは躊躇せず、盾には鞘を、剣には刀をぶつけて狙いを潰す。
鞘と盾が鈍い音を響かせ、刀と剣が鋭い音を鳴らした。
(なかなかやるっ! だけど、それでも白兵戦はこっちが上だ!)
鉄靴を履いた足でフロントキックを鞘に見舞う。
鞘に衝撃が走り、オズの左手が大きく後ろに仰け反った。
オズの表情が驚愕に染まる。
(なにっ!?)
大きな隙だ。
「はああああぁぁっっ!」
ハインツはブロードソードによる鋭い横薙ぎの一撃を放つ。
決まった!
勝利を確信する。しかし――
仰け反らされた勢いを利用し、オズは刀をそのまま振り抜いてきた。
刀と剣がぶつかり合い、甲高い音を鳴り響かせる。
オズがハインツから距離を取り、両者は再び睨み合った。
『おおおおお!』
『ハインツ、押せ押せ!』
『オズすげえな! 勇者にも負けてないぞ!』
人同士の決闘という最上の催しに、初めて見る勇者とそれに近い力を持つ者の戦いに、観客と化した生徒たちは熱狂する。
ハインツが接近を仕掛け、シールドバッシュが顔に向けて放たれる。オズは刀を叩きつけるようにして、その一撃を防御する。
その一方で、ハインツはブロードソードに数千度にも及ぶ熱を放つ、炎の付与魔法を掛け、鞘に向けて上段から斬りかかった。
ジュウゥ……、という音を立て、鞘が両断される。
赤熱したハインツの剣が、勢いそのままに振り下ろされ、オズの皮の鎧を焦がした。
(耐熱性最高の、ヒルジス樹皮で作った鞘だぞ! それをこうも簡単に……)
カリオストロにグロウリンクで連絡を入れ、ホムンクルスに持ってこさせた逸品が無残な姿に変わる。
両断された鞘を苦し紛れにハインツに投げつけると、それは彼の眼前で小爆発を起こし、木端微塵となった。
ハインツの魔力障壁だろうか。障壁が反撃をしてくるなど、随分と攻撃的だ。
(これが人に力を向ける勇者の強さか。現状で相手取るのは、やはり厳しいな)
ハインツは明らかに対人、対剣士の戦いに慣れている。勇者として従軍した際、帝国人を殺めたこともあるのだろう。
オズは盾に蹴りを入れて、跳躍。再びハインツから離れる。
どうにかして、誘導しなくては――
しかしハインツは本気だ。こちらの思ったようには動いてくれない。
「《豪炎鞭》!」
剣先から蛇のようにくねる炎の鞭が出現し、オズに迫った。
刀を振るって炎の鞭を迎撃――できない!
それは刀が触れると陽炎のように揺らぎ、触れた刀身を熔解した。
慌てて体を地面と平行に寝かせ、難を逃れる。
ごうっという音と共に、灼熱が頭上を通り過ぎた。
「くそっ! 熔かされたか……」
刀身の中ほどが溶岩の如く熔け、凹みができた刀を見やる。
「うおおおぉぉっ!!」
雄叫びと共にハインツが数メートルの距離を一跳びで詰めてきた。
瞬きすら許さない速さだ。疲弊した獲物に襲い掛かる四足獣を髣髴とさせる。
剣を突き出すハインツに、オズは片膝着いた体勢で刀を薙ぐ。
瞬間、火花を散らす二振り。
しかし交差は一瞬。鍔迫り合いはなかった。
刀身を熔かされた刀が両断される。
迫る赤熱した刃を、上体を後ろに反らすことで回避。オズはその勢いのまま後ろに跳ぶ。
バック転で体勢を立て直し、ハインツを双眸に納めるが……。しかし、ハインツは瞬く間に再び距離を詰めてきた。
「《風衝撃》!」
オズは風の中位魔法を牽制に放ち、逃げるように再度距離を取りに掛かる。
それをハインツは盾で弾くと、
「効かないっすよ、先輩!」
余裕の表情を浮かべ、赤熱した剣を振り抜いてきた。
それを半分の長さになった刀の根元で受け、一瞬の停滞時間を作る。
再び耳朶を打つ、金属の熔ける不快な音。そして、焼き切られる。
オズは上体を後ろに反らし、灼熱の剣先を躱す。
しかし、根元から刃をもって行かれ、今度こそ刀は使い物にならなくなった。
「ちっ!」
残った柄に上位の炎魔法、《爆弾化》を仕込み、ハインツに向けて投げ捨てる。
「そんなものっ!」
柄が盾に着弾した瞬間、轟音を立てて爆風と黒煙が周囲に撒き散る。
だが――
「これでも無傷か……」
戦う前と何一つ変わっていないハインツが、黒煙の中から姿を現した。
前傾姿勢になると、ハインツは盾を突き出して突っこんでくる。
壁を背にしていたオズがその一撃を躱すと、闘技場の壁にクレーターができた。まるで竜の突進だ。
舞い上がった砂埃に紛れ、逃げるようにして距離を取る。
すると、その姿を見たハインツは額に皺を刻んで、
「先輩、逃げてばっかりっすね!」
「お前が本気出すからだ。それに、もう武器がないんだが……。取ってきてもいいか?」
「……情けないこと言わないでくれないっすか? これは決闘っすよ!」
怒気の籠った声だった。
「《豪炎弾》!」
人間大ほどの大きさの火球が発射される。直撃でもしたら、火葬を省略された棺桶直行コースだろう。
横っ飛びでそれを避けると、ハインツは苛々を爆発させた。
「さっきから逃げてばっかりじゃないすか!」
「……突然どうした?」
「決闘だというのに、何を考えてるんですか!? 逃げてばっかりで、情けない!」
「武器が壊されたんだ、仕方ないだろう。で、何が言いたい?」
急に戦闘を中断した二人に、観客席から戸惑いの声やブーイングが飛ぶ。
ハインツは彼らを無視して続けた。
「先輩は、ラウラ先輩の婚約者でしょう! なら、あんたはヒーローでなくちゃならない」
「ヒーロー?」
オズが訊くとハインツは頷いた。
「弱く、情けなく無様に逃げる人に、ラウラ先輩は任せられない」
最初は巧みな剣裁きに、オズは自分よりも強いのではないかと期待していた。しかし最初だけだった。
武器を失ってからは逃げてばかりで、泥臭くとも輝かしい勝利を勝ち取ろう、という気概が見受けられない。
そんな男に好きな女を譲るなんてまっぴらだ。
「真正面から叩き伏せに来たらどうっすか!」
ハインツの挑発に、オズは呆れたようにこめかみを押さえた。
「安い挑発だな。乗る気にすらならない」
その言葉を聞いたハインツは無意識に唇を噛んだ。