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王都が平和なのは魔王が倒されて以来、一四五年以上の間戦火に曝されたことがないからだった。しかし一昨年まで、約一六年もの間ヴァロワール帝国と戦争は続いていた。従って未だに戦時体制の名残が王都には残っている。
当然、学園のカリキュラムも同様である。『実戦訓練』、刀剣類や弓などの武器を選択して行う『術技訓練』、『魔法訓練』や『馬術』、『医術』などがそうだ。これらをある程度まで熟せないと、卒業はできない。中には親の権力を笠に着て免除された者もいるが、そんな人間は片手の指一本で足りる。
オズとハインツが現在対峙している、この円形闘技場がまさにその戦時体制時の代名詞といえるだろう。対人戦の実戦訓練にはもってこいの場所だ。
円形闘技場は下層が闘技場、上層が観客席となっていて、オズとハインツを観客と化した生徒たちが見下ろしている。
決闘は特別な許可が下りない限り、通常は禁止となっている。しかし今回は公爵家の次男である男子生徒が、学園側に働きかけたことによって黙認された。
彼曰く、『礼には及ばん。せいぜい俺を楽しませろ。そして、ぜひとも共倒れしてくれ。……ああ、ラウラはもちろん俺の隣に座れ』、とのことだった。
「……まだ臍曲げてるの?」
ラウラの隣に腰かけた噂好きの女生徒が彼女の顔を窺った。
女生徒を真っ直ぐ見返したラウラの顔は、抗い切れない権力への怒りと恥辱で塗れていた。
「……当たり前でしょ」
「おいおい。この俺の隣に座っておいて、その態度はないだろう。もっと嬉しそうにしたらどうなんだ?」
物怖じしないといえば聞こえはいいが、彼の場合は家の力を己個人の力量と勘違いしたものだ。
ラウラは公爵家の次男を横目で一瞥すると、鼻を鳴らした。その態度が彼の不興を買う。
「なんだ、その態度は! 俺にそんな目を向けてただで済むと――」
顔を真っ赤にして立ち上がる。
瞬間――彼の足元から氷柱が生い茂った。茨のように両足に巻きつき、無数に突き出た棘が、彼の喉仏を捉える。
「ひぃっ――!」
しゃがれた悲鳴が上がる。
ラウラが氷柱を消し去ると、どさりという音が隣から聞こえた。
――つまらない男。口をきく価値もない。
「うひゃあ……すごっ。でもさぁ、あんまり脅し過ぎると後が怖いよ?」
「大丈夫よ。口だけの者にいったい何ができるというのかしら?」
「まあまあ」
女生徒はラウラを宥めると、公爵家の次男を見やった。
「……君もさ、これに懲りたら軽率な言葉は控えよ? せっかく私ら、同級生の美人ツートップを侍らせてるんだからさぁ」
「お……おまえらああ…………」
涙目になり、公爵家の次男が抗議の視線を二人に向ける。
だがラウラは彼に一切の視線を向けない。取りつく島もなかった。
――くそっ、くそっ! バカにしやがって。いつかぶち犯してやる! 這い蹲らせて、泣き喚かせて、その面をグチャグチャにしてやる!
公爵家の次男が、よくありがちな負け犬の妄想をしていると、闘技場の方で動きがあった。
立会人を務めることになった教員の男が登場したのだ。
「決闘の試合条件は正々堂々とした一対一の実戦形式で行う。勝敗条件はどちらかが戦闘不能の傷を負うか、降参の意を示した場合に限る! 危険と判断した場合は私の裁量で決闘は止めさせてもらう!」
教員が宣言を行った。
そろそろ決闘が始まる。会場に熱が段々と立ち込め始めた。
「ロッティ、ここにいたのね」
突如背後から掛けられた声。ラウラが振り向くと、胸元を軽くはだけさせたナディアがいた。胸元にできた縦の『一』の文字に目を吸い寄せられ、公爵家の次男がだらしなく鼻の下を伸ばしている。
昼間の事を思い出し、嫉妬と怒りでラウラの頬がさっと赤みを帯びる。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
噂好きの女生徒が頭を思いっきり後ろに仰け反らせて訊いた。その際、胸元から十字状のネックレスが零れ、じゃらりと音を立てた。
ネックレスにつられて見ると、彼女も中々艶麗な体つきをしている。姉妹揃っていやらしい限りだ。
「オズワルドが心配で見に来たのよ」
(オズワルドォ? ファーストネームを呼び捨て?)
「へぇ、やっぱり気になる? お姉ちゃん隣に座ったら?」
そういって女生徒はラウラとは反対側の席を指した。
「そうしようかしら」
ナディアは無遠慮にその隣に腰かけた。妹を挟んだ隣に、自分と噂になった生徒の婚約者がいるにも関わらずだ。あまりにも面の皮が厚い。
まるで、ラウラなど歯牙にもかけていないように見えた。
「あれ? お姉ちゃん、そのアクセサリーどうしたの?」
女生徒がナディアが左手に持っている一つのアンクレットに目をやった。
「これのこと? オズワルドから預かったの。壊れたら大変だからって」
(オズのですって? なに、この女……っ!)
ラウラから激情が噴き出す。だがそれは一瞬だった。内に湧いたどす黒い感情に気付き、戸惑う。
彼女はかぶりを振ってため息をついた。
――駄目ね。こんな醜い女だって知られたら、きっと嫌われてしまうわ……。
気持ちを落ち着け、膝に落とした視線を階下に向ける。
オズが気になった。苛々を誤魔化すために、期待しないでモノクル型の魔導具を左目に掛ける。
そして、はあっ、という落胆のため息。審判が中空に手を上げたのは同時だった。