第4話
陸軍基地にはカウンターのセルフサービス形式の大きな食堂が存在していて、普段、私達はここでお昼を取っている。
メインディッシュやサイドメニューが何種類か置いてあり、好きなものを選んで皿に盛り最後に精算するのだか、ここのランチはどんなに取っても値段は一律だ。だから、体力勝負で食事が基本の陸軍隊員の兵士達も皆ここで食事をする。
ナーシャとして基地入口近くの一般食堂で働いていたときは無かったように思うから、きっとここ数年で出来たのだろう。
その日、食堂で座る席を探していた私は先に同僚達と食事を始めていたロンを発見したので迷わず隣に席をとった。
「ロンバートさん、こんにちは!」
「やあ、オリヴィエ。こんにちは」
ロンは私がなにかと話し掛けることに慣れたのか、突然隣に座ってももう驚きもせずに普通にしている。後から来たリタさんと同期採用のノアは私が陸軍の隊員と一緒に食べようとしているのを見て少し迷ったようだが、結局はおずおずと同じテーブルの席についた。
「まだ成長期だろ。たくさん食えよ」
私のトレーを見てそう言ったロンにちょっとムッとしてしまう。私のトレーにはコッペパンと野菜炒め、チキンスープにバナナがのっていた。これは成人女性としては普通の量だ。人を子供扱いして酷いと思うわ。
「子供扱いしないで下さい。もうすぐ16歳です」
「まだまだ若いな。俺から見たら子供みたいなもんだ」
ロンは私をからかうように笑った。ロンの同僚さん達も私がロンに懐いているのは周知の事実のようで、テーブルに同席した皆さんも笑っていた。
「太尉とオリヴィエさんは本当に親子みたいですよね」
ロンの前に座っていたダニエルさんが笑顔で言った言葉に私は目を瞠った。笑顔で流したけれど、軽く、いや、結構ショックだったわ。
──私はロンの子供みたいに見える?
──妻には見えない??
ナーシャが亡くなったときロンは23歳だった。どうやったって今の私とロンには20歳以上の年の差があり、それを縮めることは出来ない。
オリヴィエはナーシャじゃない。記憶があるだけで全くの別人だ。そんな当たり前のことを再認識させられて私は酷く打ちのめされた。
もう結構な期間をロンのまわりに纏わり付いて過ごしているけれど、ロンがナーシャに向けたような眼差しを私が見たことは一度も無い。
オリヴィエである私は今もロンを愛しているのに、ロンがオリヴィエである私を愛してくれることはないのだろうか。
──私が大好きだったあの笑顔はもう見られないの?
私の気持ちは重りが付いたかのように重く沈み込んだ。
食堂から病院までは歩いて5分程だ。リタさんは食堂で元患者さんに会って話を咲かせていたので、私とノアは先に戻る事にした。
「オリヴィエってさぁ、おじさん趣味なの?」
食堂から病院へ戻る途中、気分が沈んでいた私をノアは遠慮がちに見つめた。予想外の質問に気分が沈んでいたのも忘れて私は呆気にとられた。
「え?」
「だって、オリヴィエが好きな人ってあの太尉なんでしょ?やめた方がいいよ。だって、傍から見ても女として見られないのが明らかだもの。もっと歳が近い独身の隊員が沢山いるのに、なんであの人なの?」
私を見つめるノアの目は真剣だった。私はノアにロンのことを話しては無いけれど、ノアは私の様子から私の好きな人がロンだと予想を付けたようだ。ノアは本気で私の心配をしてくれている。私は力無く首を横に振った。
「理屈じゃないのよ」
「そりゃ、そうだけど。でも、不毛だわ」
ノアは私の返事が不服だったらしく、不満げにに口を尖らせた。私はぎゅっと唇をかんだ。
確かに私のやっていることは不毛なのかもしれない。
もし、私がロンに自分がナーシャの生まれ変わりだと打ち明けて、その証拠に2人しか知らない秘め事を話したら?責任感の強いロンはこの非現実的な前世の記憶と私の想いを受け入れた上で、きっとそれに応えようと努力してくれるだろう。
でも、ロンはナーシャを愛したのであって、それはオリヴィエでは無い。
私はロンには幸せになって欲しい。愛情を強要したくないのだ。
仕事である程度出世しているロンはもしかしたらある意味幸せなのかもしれない。でも、ロンのあの愛情溢れる笑顔を知っている私はもう一度彼にあの笑顔を見せて欲しかった。そして、出来ればその笑顔を向けられて愛情を受ける相手は自分でありたい。今はその努力を諦めたくなかった。
私の曖昧な微笑みにノアは哀しげに瞳を揺らした。私はそれに気付いたのに、気付かないふりをして目を逸らした。
病院に戻ると、入院病棟が何やら騒がしかった。男性の怒鳴り声と宥めるような複数人の声に何かがぶつかって倒れるような音がまじり合っている。
聞き覚えのある声に私は嫌な予感がして、音の方向に走った。病院関係者と患者さんの人垣を掻き分けて行くと、案の定、そこは通い慣れた病室。怒鳴っているのはビリーさんだった。彼の受け持ち担当者である私とリタさんが2人とも昼食で外していたので、別の看護師が必死に宥めようとしている。
ビリーさんは真っ赤になって怒っていて、「この嘘つきめ」とか「詐欺師が」とか、普段の穏やかな彼からは想像もつかないような口汚い言葉を私の同僚に投げかけていた。
「ビリーさん、どうしましたか?」
私がビリーさんの前に飛び出していくと、宥めていた2人の看護師はホッとしたような顔をして2人で顔を見合わせるといそいそと後ろに下がっていった。
「オリヴィエ。なんで俺に嘘をついたんだ!」
「嘘?何のことですか?」
ビリーさんの尋常では無い怒りように私は恐怖心を抱いたが、何とか気持を奮い立たせて持ちこたえた。
目の前の彼は今にも掴み掛かってきそうなほど目が血走っている。元々軍人なので体格も良く、もし殴られでもしたら私の骨は砕けるだろう。
「俺の……、俺の足はすぐに元通りになるって言ったじゃ無いか!」
ビリーさんはそれだけ叫ぶと顔を歪めた。
私は彼の言葉に目を見開いた。彼は怒っているのに、私には彼が泣いているようにみえた。
騒ぎを聞きつけて医師がきて男性職員がビリーさんを抑えつける。鎮静剤を注入されたビリーさんは気を失う寸前まで、私から目を離さずに睨み付けていた。私はその瞳から最後まで目を逸らすことが出来なかった。
騒ぎのあと、私は看護師長に呼び出しを食らった。重い足を引きずりながら看護師長室のドアをノックすると、中から「どうぞ」と声がしたので恐る恐るドアを開けた。
そっと看護師長室の中を覗くと、看護師長の机の前にリタさんが立っているのが見えた。ドアの方を振り向いたリタさんは私と目が合うと、隣に来るようにと促した。
「さて、クルーニーさん。何故ここに呼ばれたかはわかるかしら?」
「……はい」
看護師長の落ち着き払った声がかえって怖かった。おずおずと顔を上げて看護師長をみると、その人を見透かすような琥珀色の瞳と目が合った。
「患者さんにとって自分の状態と言うのはとてもデリケートな問題なのよ。なんの根拠もなく治ると言ったりしたら、それが叶わないとわかったときにどれだけショックを受けるか想像出来るかしら?」
私はなにも答えることが出来ず、俯いた。私はただビリーさんを励ますだけのつもりだったのだ。でも、ビリーさんは看護師である私の『すぐに元通りになる』という言葉を医療関係者の言葉として受け取った。非があるとすれば完全に私だ。
なにも言わない私に看護師長はハァっと深いため息をついた。
「クルーニーさん。今回のことは反省して、同じ間違いは繰り返さないように気をつけて。ウェルターさんにはきちんと謝罪に行きなさい。わかったわね。ウェルターさんの担当をクルーニーさんにこのまま任せるかは様子を見て考えましょう」
「はい。申し訳ありませんでした」
私は唇をぐっと噛み締めた。ウェルターと言うのはビリーさんの苗字だ。ビリーさんには誠意をもって謝罪しなければならない。
脳裏に顔を真っ赤にして怒っているのに、まるで泣いているかのように見えたビリーさんの姿が浮かんだ。許して貰えるだろうか。でも、たとえ許されなくとも私は彼に謝罪しなければならない。
リタさんも監督不行き届きで看護師長からお叱りを受け、私とリタさんは看護師長室を後にした。パタンと閉まる扉の音が無機質に廊下に響き渡る。
「リタさん、ごめんなさい。私が無神経なこと言ったりしたから」
落ち込んで謝罪する私に、リタさんは「少し話をしないか」と私を看護師控え室のパーティションへと誘った。コップに入ったお茶を手渡されて、リタさんと向かい合って座った。
「私ね、まだ10代の時に婚約者がいたの」
突然のリタさんからの告白に私は面をくらった。リタさんは確かもう20代も終わる年頃の筈で、世間一般で言ったらそれは行き遅れにあたる。優しく美しいリタさんが独身であることを不思議には思っていたが、もしかしてその婚約者とやらへの未練を引きずっているのだろうか。
リタさんの始めた話は今のビリーさんの一件とは全く関係ないように思えたが、戸惑う私を余所にリタさんは構うことなく話を続けた。
「彼は陸軍の兵士だったわ。5つ年上で、地雷や大砲の処理をする仕事に従事していた。彼との結婚式が近くなったある日、彼は不発弾処理に当たっていて事故にあったの。彼の至近距離で暴発が起きて……」
リタさんは自分の手を握るようにぎゅっとした。心なしかその手は少し震えているように見えた。
「彼は事故で右腕の肘から下と左手の指の1本を失った。でも、命は助かったわ。私はそれが嬉しかった。例え体の一部が無くても彼が生きているだけでいいと思っていたの」
リタさんの声は聞き間違えでは無く震えていた。
「でも、彼は違った。そのあとから酷くふさぎ込むようになって、あまり飲まなかったお酒を飲んでは荒れるようになった。病院を退院したあと、彼でも出来る仕事をという当時の上司の配慮で彼は陸軍の兵士の庶務を担う裏方の部署に移動したわ。彼はそこで淡々と仕事をこなしているように見えて、私はそれが彼が回復してきている兆しだと受け取ったわ。そして、私は彼を励まそうと思って言ってはいけないことを言った」
力無く微笑んだリタさんは、昨日のビリーさんのようにまるで泣いているように見えた。
「彼に『腕なんて無くたってあなたは大丈夫よ』って言ったの。それを聞いた彼は酷く腹を立てて、『お前に何がわかる』って激怒した。だけど、私は何が彼の逆鱗に触れたのかがわからなかった。その日私たちは喧嘩別れして……その翌日、彼は自ら命を絶った」
私はひゅっと息をのんだ。信じられない思いで横にいるリタさんを見つめると、リタさんは目元をそっと指で拭った。
「私が彼を殺したの」
「そんなこと……」
それ以上、言葉を続けることは出来なかった。誰かにとっては何でも無い言葉が他の人にとっては重大な意味を持つ。リタさんの言った言葉は私には大したことがないように感じた。でも、リタさんの婚約者の男性にとってはきっと違ったのだ。何かが彼の糸を切った。
リタさんはきっとその日からずっと責任を感じて幸せになることを放棄しているのかもしれない。
どういう反応をすればいいのかがわからず、消毒液で少しだけ荒れた自分の指先を見つめた。私はビリーさんに改めて申し訳なく思った。
夕方の巡回の時、ビリーさんの部屋をノックすると中から「どうぞ」と声がした。私が恐る恐る入室すると、ビリーさんはベッドに腰を下ろして夕焼けに染まる景色を窓から眺めていた。いつものような軽い口説き文句は無く、私の胃はキリキリと痛んだ。
「ビリーさん、あのっ」
「ごめんな」
頭を下げかけた時に言おうと思っていた言葉が先に聞こえてきて私は顔を上げた。ビリーさんはベッドに座ったまま、眉じりを下げてこちらを見つめていた。
「ビリーさんは何も悪くありません。私こそ申し訳ありませんでした」
慌てて謝罪するとビリーさんは首を横に振った。
「いや、俺が八つ当たりしたんだ。本当はわかってたんだ。脚を切り落とすかどうかの大怪我だったんだ。松葉杖を使ってでも自力で歩けるようになれば万々歳だって。それでも、俺は夢を見たくてオリヴィエの言葉に縋った。医師から現実を聞かされてどうしようもなくて病院の力の弱い看護師達に八つ当たりした。最低だな」
自嘲気味に吐き捨てたビリーさんに、私は胸を掴まれたかのような切なさを感じた。
「そんなことありません!私が悪かったんです!!ビリーさんの気持ちも考えずに無責任なこと言ったから!」
私は咄嗟に強く言い縋ってビリーさんに謝罪した。ビリーさんが期待してしまったのは仕方が無いことだ。私はもう一度ごめんなさいとビリーさんに謝罪した。
ビリーさんは何も言わずに、その澄んだブルーの瞳でただ私を見つめ返した。




