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第3話

 私は看護助手として陸軍病院に採用されたので、普段は正規の看護師に付いて仕事を見ながら業務を覚えていくことが多い。看護助手は正規の看護師の元で2年間の経験を積むと正規の看護師になれる仕組みになっていて、つまりは今の私は修行中の身だ。


 今日も私は指導役のリタさんに付いて病院をまわっていた。リタさんは正規看護師歴10年、周りの人からの信頼も厚いベテラン看護師だ。黄色味の強い茶髪の癖毛を一つにまとめていつも低い位置でお団子にしている。二重まぶたの垂れ目は優しい印象で、初めて会ったときに私はリタさんのような人を白衣の天使と呼ぶのだろうと本気で思った。性格も穏やかで面倒身がよく、リタさんの下につけた私はとても幸運だと思う。


「オリヴィエ。そろそろ回診は一人で行ける?午後の回診はお願い出来るかしら?」


「はい。大丈夫です」


 午後はリタさんはこなしたい雑用があったようなので、私は入院する受け持ち患者さんの検温と様子見を初めて一人で回ることになった。私の勤める陸軍病院では医師は忙しいので1日1回しか回診しない。そのかわり、看護師があと2回様子見の回診を行うのだ。


 私は水銀式の体温計と患者さんの管理簿を手に、静かな入院病棟へと向かった。


「やあ、オリヴィエ。今日も可愛いね」


 私が入室するなりベッドの上で起き上がり、満面の笑みを浮かべたのはビリーさんだ。逞しい体躯に甘いマスク、空のようなブルーの双眸は吸い込まれそうなほど透き通っている。


「ビリーさん、検温ですよ」


 男性に褒められる事などない私は若くてハンサムな彼にそんなことを言われるとつい照れてしまう。どう対応すればよいのか判らなくて体温計を渡すとすぐにビリーさんから目を逸らした。ほんのり赤くなった私を見てビリーさんはククッと楽しそうに笑った。


「はい。36.5℃」


 ビリーさんが体温計を見て私に手渡した。目盛りを見て私は頷き、手元の管理簿に記載する。ついでにビリーさんの今日のこの後の予定もチェックして連絡する。


「2時からリハビリです。頑張りましょうね」


「そうだな。元通りに歩けるようになったらオリヴィエとデートに行かないといけないしな」


「えっ!?」


 狼狽える私を余所にビリーさんはまた楽しそうにククッと笑った。どうやらからかわれて遊ばれているようだ。


 ビリーさんは陸軍の兵士で、訓練中の事故で両足を複雑骨折した。治療に当たった医師によると足を切りおとすかどうかという瀬戸際だったらしいが、何とか切りおとさずに済んだ。しかし、長らくベッドの上で過ごして使っていない足は事故前より二回り以上細くなり、今は歩くためのリハビリをしている。


「今日はよく晴れてる。出掛けたら気持ちいいだろうな」


 ビリーさんは窓の外を見て眩しそうに目を細めた。私もつられて外を見ると、窓の外は雲一つ無い晴天で小鳥達が連なって飛んでいるのが見えた。陸軍基地入口の花壇には花が咲き、風に揺れていた。私がここに出てくる時にも咲いていたローズマリーの花だ。長く楽しめるローズマリーの花だけれど、そろそろ開花の季節も終わるだろう。


「お散歩に行くなら付き添いましょうか?」


「いいのか?」


 ビリーさんは私の申し出が予想外だったのか驚いたように目を丸くしたけれど、「じゃあお願いしようかな」と小さく呟いてちょっと照れたように頭をかいた。いつも余裕そうに甘い口説き文句を言ってくるのに、こんなことで照れるなんて意外に思えた。


 ビリーさんのような足の怪我をした患者さんが散歩に行くのはいいリハビリになる。今日は手が掛かる重症患者もいないので、私はお安い御用だと散歩の同伴を引き受けた。


「きっとすぐに元通りになりますよ」


 励ましの言葉を掛けるとビリーさんは嬉しそうにはにかんだ。


 私は他の患者さんの回診が終わった後で時間が出来たら病室を訪れる約束をしてビリーさんの部屋を後にすると、他の患者さん達の元へと向かった。



 陸軍病院の患者さんは陸軍隊員が殆どだ。慢性的な病気の人は少なく、逆に訓練中の怪我が圧倒的に多い。後は健康診断で異常がみられた人だ。


 今私が受け持っている患者さんは全部で6人で、その内4人は訓練中の怪我が原因で入院している。年配の看護師さんの話によると、平和な今はあまり忙しくはないが、16年前の暴動が頻発していた時期はそれはもう廊下まで患者が溢れるような大惨事だったと言っていた。その後の戦争でも遠方の地で傷付いた兵士が応急手当だけ受けてこの病院に次々と運び込まれたという。二度とそんな風景が繰り返されないように祈りたい。


「リタさん、全員終わりました」


 私は看護師控室に戻るとリタさんに6人の患者さん達の様子を口頭で報告した。


「ありがとう。なにか気になることは無かったかしら?」


「とくには。皆さん変わりなく大丈夫です」


「そう。回診はもう一人でお任せしても大丈夫そうね」


 リタさんは満足そうに微笑むと、机の上の書類をトントンと揃えて同じ様な書類の束に重ねた。


「健康診断の結果を届けに行くのだけど、オリヴィエはまた行きたいでしょ?」


「はい、行きたいです!」


「やっぱりそう言うと思った。じゃあ一緒に行きましょ。今週は少し多いのよ」


 急に目を輝かせた私の様子にリタさんはクスクスと笑った。


 私がお使いを頼まれるのを楽しみにしていることをリタさんはよく知っている。私が皆が嫌がるお使いに行きたがることを最初は不思議そうにしていたリタさんに、私は陸軍に好きな人が居るのだと教えた。それを聞いたとき、リタさんはロンを思い浮かべてはにかむ私を眩しそうに見つめていた。


 積み重なっている書類をみると確かに今週は多いので一人では運べそうにない。リタさんと二人で手分けして書類を持って陸軍基地に向かった私は、キョロキョロと辺りを見渡した。いつもロンが居ないかと探しながら歩いているのだ。


 私はその日その日のロンの仕事場所を逐一把握しているわけではない。だから、会えるか会えないかは完全にその日の運による。

 そして、今日は運がよかったようだ。廊下の曲がり角でロンらしき人の後ろ姿を見つけた私はすぐに声をかけた。


「ロンバートさん、こんにちは」


 突然若い女性に大きな声で呼びかけられたロンは驚いたような顔をして振り返ったが、私の姿を認めるとすぐに表情を崩した。


「やぁ、オリヴィエ。お使いかな?ご苦労さん」


「はい。事務所に健康診断の書類を届けに来ました」


 初めて会った日から私は機会があれはとにかくロンに話し掛けるので、ロンはずいぶんと私に対して警戒を解いてくれた。初めて会った時の作り物のような笑みでは無く、親しい人に向ける普通の笑顔を見せてくれるようになった。

 それでも、ナーシャに見せてくれたような慈愛に満ちた優しい微笑みはまだ一度も見せてくれない。いつかロンのあの笑顔を引き出すのが私の目標だ。


「そちらは同僚かい?」


「はい。私の指導をして下さってる先輩のリタさんです」


 ロンの視線がリタさんに移ったので私はリタさんをロンに紹介した。ロンは私の同僚と聞いて警戒を解いたのか、私と同じ普通の笑顔をリタさんに向けた。


「ロンバート・グリーンだ。オリヴィエの母君と亡き妻が知り合いだったようで懐かれててな。よろしく」


「リタ・ホランドです。オリヴィエの指導役をさせて頂いております。こちらこそよろしくお願いします、グリーンさん」


 リタさんはロンに人当たりの良い微笑みを向けた。私達は少しだけ立ち話をして、どちらともなく「仕事中ですので」とその場を離れた。


 遠目に見るだけでは無く、言葉を交わせたし、笑顔も見られた。今日はとてもいい日だと思った。 



 

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