07:始業式の日
嵐が去れば、翌日は4月だというのに汗ばむような陽気になった。
「母さん、お醤油とって」
「はい、と」
「なんだなんだ、凛も目玉焼きに醤油派になったのか?」
「うん」
「そうよぉ、凛はわたしと同じでお醤油派なのよ」
「これでケチャップは僕だけになっちゃったか…」
干原家では朝食の最中だった。
この家のモットーは朝食と夕食は家族が集まって食べる、なのだ。共働きで忙しいからこその決まり事である。とはいえ、休日の朝は除く。休日の朝くらいゆっくりと寝ていたいというのが両親の切なる思いだったからだ。
もちろん、家族というからには例の2匹も一緒だ。
青色の蝶ネクタイをしたタックと、桃色のリボンをしたチックも、テーブルでヒマワリの種をカジカジと頬張っていた。
朝食を食べた凛は「ごちそうさま」と言うや、席を立った。
2匹が大慌てに凛の肩に飛び乗る。
そのまま凛は洗面所で歯を磨く。洗面台にはチックとタックも居て、凛は歯ブラシで、2匹は前足で仲良く歯を磨く。
それから1人と2匹は同時に口をゆすいで「おっし」とガッツポーズをして気合いを入れる凛のパーカーのフードに潜り込んだ。
「いってきまーす!」
4月5日。
今日は始業式なのだ。凛も晴れてブルーム学園の初等部5年生だった。
「凛! 忘れものよ!」
靴を履いていた凛を母さんが呼び止めた。
「はい、名札」
差し出されたのは名刺サイズの透明で薄いプラスチックケースにはいったカードだ。
表には氏名『干原凛』とブルーム学園の初等部5年生であることが母親の手で記入されている。裏には住所と血液型、それに10円玉が入っていて、10円は緊急時に公衆電話を使えるようにだ。
「ありがとう」
凛は名札を母さんに着けてもらうと
「ハンカチにティッシュもOK」
半ズボンのポケットを探ってチェックした。ついでと言っては何だけど、魔法の口紅もある。
因みにブルーム学園の初等部は私服である。制服は中等部になってからだ。
「じゃ、行ってきまーす!」
凛は玄関を飛び出した。
そのまま何時ものように翔子の家を訪おうとして、玄関チャイムを押す寸前で
「あ、そうか」
と翔子が中学生になったことを思いだした。
学園への行き道は同じだけど、中学の入学式は2日後なのだ。
それに、これからは一緒に登校しないとも言われていた。
「友達と一緒に登校する約束してるからさ、ごめんね」
ということらしい。
凛は4年間、ずっと翔子と並んで登校していた。
1人でなんて、翔子が風邪で休んだ時ぐらいしかない。
そんな何時もとは違う、それでいて何時ものことになるはずの朝に、ちょっとした寂しさを感じながら、凛は他の子供や通勤する社会人に混ざってスクールゾーンを歩いた。
家から学園までは、10分ほどだ。
途中でサッカーチームの仲間や、友達に挨拶しながら、1人で行く。
今日は、何となく誰ともつるみたくない感じだったのだ。
校門で生徒を迎える先生に
「おはようございます!」
と挨拶して、勝手知ったる昇降口の下駄箱で新品の上履きにはきかえる。
ブルーム学園の初等部は1年生の時にクラス決めをして、次には4年生時にクラス替えをする。つまりは6年間を通じて2回しか人数のシャッフルが行われないのだが、同時に、教室もクラス替えの時に決まった部屋が3年間使われるのが慣例だった。
1階部分は職員室や保健室や倉庫にあてられているので、俗に『2階はラッキー、3階は普通、4階だったらご愁傷様』と生徒のあいだでは言われている。2階や3階ならともなく、4階ともなると登り降りするだけでしんどいという理由からだ。
さて。凛の5年3組はご愁傷様の4階である。
もっとも凛はあまり苦に思ってはいない。運動しているから、身軽に階段を2段抜かしでのぼって
「おはよ!」
教室に入るなり、挨拶をした。
「「 おはよう 」」
既に来ていた10数人が返してくれる。
凛の席は教室の真ん中辺りだ。ほんとうは窓側の一番後ろが良いのだけど、クジで決まってしまったのだ。次の席決めでは、ぜったいに窓側だと意気込んでいる。とはいえ、それは他のみんなもだろう。競争率は高い。
「よぉ、凛。昨日、公園まで試合があると思って行ったんだって?」
席に座った凛を男子たちが囲んで話しかけてくる。
凛はクラスの人気者なのだ。ひょうきんという訳じゃないし、勉強ができる訳でもない。それでも、彼の周りには男子が自然と集まった。
「そぉなんだよ」
「バッカだな、おまえ!」
ゲラゲラと他愛無いことで笑い合う。
こうして集まるのは、いわゆる運動系の子ばかりじゃない。がり勉系も、オタク系も、肥満児くんも、区別なく凛に話しかける。そして凛もまた、ざっかけなく応えて、笑うのだ。
これは凛の『徳』のようなものだろう。
クラスに男子は14人。普通は4、5班に分かれてしまうものだけど、3組だけでいえば、男子は14人がひとつにまとまっていた。もちろん凛を中心としてだ。
だんだんと凛を囲む男子の数が増えて、アニメやゲームや漫画の話をしていると
「デパートの屋上で、アイドルのオーディションするんだって」
凛の耳に、そんな話し声が聴こえてきた。
窓際のほうでまとまっている女子のグループからだ。
凛はすぐさま立ち上がると、
「今の話、詳しく教えてよ」
と女子のグループにすんなりと入り込んだ。
普段から翔子と話しているので、女子に対する男子特有の遠慮のようなものがないのだ。
しかも、だ。そのまま女子達の手を取り、背を押して、あれよあれよの間で男子連中のなかに連れ込んでしまう。
彼女たちは、あまり目立つタイプではない。
それが14人の男子に注目されるのだ、嬉しくないはずがない。
女子たちは、舞い上がりながらも話してくれた。
「ん、とね。嵐のせいで中止になったアイドルのオーディションを、今日、デパートでやるんだって」
「わたしたち、見に行こうかなって話してたの」
へー、と凛は相槌を打ちながらも『これだ!』と思っていた。
アイドルのオーディションを受けに行こう! と。
話しているうちにも、他の女子グループが「何、話してんの?」と混ざって来る。
結局、凛たちは30人がひとつにまとまってワイワイガヤガヤと先生が来るまでお喋りをするのだった。
次回こそ、オーディション!
いけるかなぁ?
因みに今の子は名札を付けません。
危ない人に名前とかを知られてしまうからです。
・・・昔ってホント大らかだなぁ。