06:チックとタックと暮らすことになった日
「今まで生きてきて、いっとう忙しい日だった」
ぼやきながら、わっしわっしと頭を洗う。
お風呂場である。
「魔法かぁ」
正直、使い勝手が分からない。
変身するだけかと思ったけれど、どうにも違うらしい。歌った時に、たぶんだけど、魔法っぽいものが効果を発揮した…気がする。
「勝手に曲が浮かんできたし」
これが凛の今のところの認識だった。なんとなく歌ったら、なんとなく歌えた。あれは魔法のおかげなのだろう。それぐらいの感想なのだ。
何よりも、凛の頭を占めているのは魔法のことじゃない。翔子は助かったし、誰も怪我をしてないし、だからワケワカランチンの魔法は脇に置いておいて、現状、いちばんの悩みは…
『ゲームの1ヵ月禁止』
これだった。
なんせ大嵐のなかを家から出た、その粗忽だけでも両親の心配に火を注いでいたのに
「こんな日に電車賃を浮かそうとするなんて…あんたって子は、もう…!」
「凛…今回ばかりは、父さんも擁護できないわ…」
てな具合で、テレビゲームの1ヵ月禁止令を言い渡されてしまったのだ。
両親は働いていて日中家に居ないのだから、こっそり遊んでしまえばいい?
それはできない。物理的に無理なのだ。何故なら、ゲーム機本体をあの翔子に預けられてしまったのだから。
「そりゃ~、翔姉えが助かったのは嬉しいけど」
笑うに笑えず、泣くに泣けない、複雑な心境の凛である。
そんな翔子からも当然、お説教を喰らっている。実に32分にも及ぶ苦行だった。しかも何故だか最後のほうは「美人のお姉さんと知り合いになっちゃてさ」というノロケみたいなものを聞かされたのだ。「あんたと同じ名前だったんだよ、リンさんって」
自分を褒められているようで、それでいて違うようで、ここでもまた複雑な心境になった凛なのだ。
ともかく。
今の凛は凹んでいた。ゲームができない、それはつまり友達との会話にも乗り遅れるということなのだから。
「ボクがこんな気持ちなのに、他の人を笑顔にすることなんて出来んのかなぁ?」
シャワーで泡を落としていると
「そりゃー、やってもらわねェと」
「そうですわよ、泣き言なんて男らしくありませんわ」
若い男女の声が聞こえた。
ピシリ、と凛は固まった。
ココはお風呂場だ。当然なことだけど凛しかいない。
固まったまま、1、2、3秒。
「空耳か」
わざと大きな声で言う。
凛はお化けが大の大の大の大のだ~~~いの苦手なのだ。
夏にテレビでやっている心霊番組なんて、3分も見ていられない。
そんな凛の耳に
「空耳じゃね~ぞ~」
「ココにおりますわよ~」
という、如何にもおどろおどろしい声が聞こえてしまった。
「ひぎゃああああ!」
凛は悲鳴をあげて、びしょ濡れのままにお風呂場から逃げ出した。
だから、その後の
「うしゃしゃしゃしゃ」
「おほほほほ」
というイタズラが成功したことを喜ぶみたいな笑い声なんて聞こえやしなかった。
もちろん、素っ裸で飛び出してきた息子に
「凛!」
母親からの叱声が飛んだのは当然のことだった。
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凛は父親に寄り添って、ソファで世界の妖精図鑑を見ていた。
ココ…父親の隣りが凛にとってのセーフティゾーンだった
母さんにこっぴどく叱られたときも、友達と喧嘩したときも、サッカーでどじったときも、父さんの傍に居れば心を穏やかにできたし、相談だってできた。
心霊番組を見てしまったときだって、だ。
因みに図鑑を読んでいるのは、母親の勤め先の影響なのか家に図鑑ばかりあるからである。
「凛、そろそろ寝なさい」
父さんを挟んだ反対側で会社の資料に目を通していた母さんから、遂に恐れていた言葉を送られてしまった。
時刻は午後10時。
確かに普段の凛なら疾うに2階にある自室に行っている時間だ。
けど、今日は普段じゃない。
なんせお化けを見てしまったのだから。
凛は妖精は平気だ。現に、こうして妖精の図鑑を見てもいる。
だけれどもお化けとか幽霊だけはてんで駄目なのだ、苦手なのだ。ひゅーどろどろどろ、という音楽だけでも硬直してしまうほどに無理なのだ。
「今日はさ、一緒に寝ない?」
凛は父さんごしに、母さんを窺った。
資料に目を通していたからか、眼鏡をかけている母さんと目が合う。
ニッと母親は笑った。
「誰だったかしら? 10歳になったから自分の部屋が欲しい、1人で寝るって言ったのは?」
「う…」
と凛は怯む。
「まぁ、いいわよ。一緒に寝ても。で~も。お化けが恐くて1人で寝れないなんて翔子ちゃんが知ったら、ど~思うかしらねぇえ?」
「そ、そんなの…内緒にしてくれたら……」
凛は男の子なのだ。お化けが恐いなんて、翔姉えに知られるのは嫌だった。というか、もう知られているのだけど、10歳にもなって未だに怖がっているのを知られるのが嫌だった。
「母さんは喋らないわよ、うん。でもね、翔子ちゃんのお部屋って凛の部屋の向かいじゃない? だったら、凛が部屋に戻ってないの分かっちゃうし、そうしたら翔子ちゃんに訊かれちゃうんじゃないの? 昨日はどうしたの? って。そうなったら、凛は誤魔化せるのかなぁ?」
むぅぅ。凛は唸った。
無理だ、誤魔化せない。
「さ、じゃあ久しぶりに3人で川の字に寝るんだし、お布団敷いてこようかしら」
「いい! ボク、やっぱり2階で寝るから、いい!」
凛はさっさと立ち上がると、図鑑をもって2階に駆け上がった。
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凛がトトトッと2階に駆け上がったあとで。
「ムーちゃん」
干原正彦はジトリと妻を見た。
「あんまりからかうと、大好きな凛に嫌われちゃうよ?」
「だってぇ、あの子があんまり可愛いから、つい」
干原むつみはクスクスと笑ったのだった。
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自室にもどった凛は、ドアを閉めて電灯のスイッチを入れるなり
「誰だ!」
シュタ! と身構えた。
「そこに居るのは分かってんだぞ! 出てこい!」
テレビでみたカンフー映画の主人公を真似た『あちょ~』の恰好で変化を待つ。
これは凛のブラフだった。
お化けが居るのなら、こうして指摘してやったら観念して出てくるはずと考えたのだ。
果たして、ほんとうにお化けが出てきたらとまでは頭が回ってない。
……何度でも言おう。
凛はちび~と抜けているのだ。
待つ。変化が現れるのを待つ。
たっぷりと5を数えて、凛は構えを解こうと
「なんで~ばれてたんか」
して……!
「脅かそうとしましたのに、流石ですわね」
あわわわわ!
ここで凛には選択肢が2つあった。
ひとつは直ぐに階下におりて両親に飛びつくこと。
ひとつは生者のパワーを持って邪なる化け物を打ち祓うこと。…もっともそんな霊能者みたいなこと凛にはできないけれど。
さて。凛が選んだのは、と~ぜん両親に……いいや、凛は第三の選択肢を見つけ出したのだ。
それは!
フリーズである。凛は真っ青な顔で硬直してしまったのだ。
まさにヘビに睨まれたカエル状態である。
ベッドの枕の辺りがモソモソと動く。
「よッ」
と現れたのは青い蝶ネクタイをした真っ白なハムスターだ。
「お邪魔いたしますわ」
もう1匹。これも真っ白なハムスターだが、頭に桃色のリボンをちょこなんと付けている。
「な、ななななななな…」
「な?」
「ななな?」
凛の様子に、蝶ネクタイとリボンが首を傾げる。
「なんか、喋ってる!」
思わず絶叫してしまう凛である。
しかし、それも頷うべくかな。なんといってもハムスターが日本語を喋っているのだから、驚かない方が異常なのだ。
「ちょっと、凛! な~に騒いでんの?!」
向かいの窓が開けられて、パジャマ姿の翔子が声をかけてくる。
凛は助けを求めるみたいに、自室の出窓を開けた。
「翔姉え! ハ、ハハハ、ハムスターが!」
凛が指さす枕元。そこで寄り添う2匹のハムスターを翔子は凛の頭越しに覗き込んで
「いるわね」
と、簡単に答えた。
「だ、だだだって! ボク、ハムスターなんて飼ってなかったし」
「何言ってんだか。ず~と飼ってるじゃない」
「え? ええ!」
「ええ! ッてこっちこそ、ええ! よ。じゃ、静かにしてよね」
と、窓を閉めようとする翔子を凛は「ちょっと待って」懸命に引き止めた。
「こいつら、喋るんだよ!」
聞いた翔子は。
ニッコリコと極上に優しい、けれど何処か相手への憐れみを感じる笑顔を浮かべた。
「中二病なのかな?」
「そ~いうんじゃないってば! ほら、さっきみたいに喋ってみろ」
凛は微妙な距離を置きながら、ハムスターに指図する。
「「 きゅ、きゅ~ 」」
「な! なんで?」
「おやすみ~」
翔子は窓を閉め、カーテンをサッと引いてしまった。
中二病判定された凛は、2匹のハムスターを睨みつけた。
「お前等、何モンだ!?」
すぐさま逃げないのは、相手がハムスターだからだ。
これが猫ぐらい大きかったら、凛はダッシュで1階に避難していただろう。
「何モンって君、この声をもう忘れちまったんか?」
「あたくしのこの美声を忘れるだなんて、信じられないですわね」
ん? と凛は小首を傾げて。
「あ!」と思い出した。
「お風呂場で聞いた声だ!」
聞いた2匹のハムスターが小器用にずっこける。
「そりゃまぁ、そうなんだけどよぉ」
「とりあえず、窓を閉めてくださらない? 夜風が吹き込んで冷えますの」
「気付かないで、ごめんなさい」
上から目線の言葉遣いに、つい謝ってしまいながら、凛は出窓を閉めた。
「というか!」
振り返って、凛はハムスターを指さした。
「お風呂場で脅かしたのはお前等か!」
ニヘヘ、と蝶ネクタイが笑って。
「ちょっと!」リボンはお冠のようだった。
「ひと様に指を突きつけるなと教わりませんでしたの」
「あ、すみません」
ヘコリ、と謝ってしまう凛なのだ。
素直なのだ、凛は。
「え~と…。それで、あなた達…」
「おれはタック」
青い蝶ネクタイが胸を張りながら
「あたくしはチック」
桃色のリボンが、そこにはないスカートを摘まみ上げる、いわゆるカーテシーの動作をしながら名乗る。
「はぁ」と頷きながら、恐い相手ではないと判断した凛はベッドにうつ伏せに寝っ転がって、ハムスター『チック』と『タック』と目線を合わせた。
「で、君たち何なの?」
「ほんとに憶えてないのかよ」
「ほら、ドリーム・ワールドで会いましたでしょ?」
ああ、と凛は思い出した。
「あの時の赤い飴玉と青い飴玉か」
「そうそう、その青いのがおれで」
「赤いのがあたくしですわね」
それで凛は納得した。妖精なら、言葉を喋ってもおかしくない? のだ。
「で? タックとチックは、ど~してココにいんの?」
「君のお目付け役だよ」
「あ~たがしっかり働くように見張りとして送られたのですわ」
「いやいや、そういうの要らないから」
「要らないって言われてもよ、もう帰れねーし」
「そうなの?」
「妖精王の命令ですもの」
ちょっと可哀想だな、と思う凛なのだ。
「でもさ、家は生き物を飼えないんだ」
母さんが動物が好き過ぎて生き物を飼えないのだ。
こう書くと矛盾を感じるかも知れないが、生き物を飼えば、どうしたって死に別れる時が来る。それが嫌で凛の母親はペットを飼わないのだった。
けれども、タックとチックは言った。
「それなら大丈夫」
「記憶をちょちょいと操作して、あたくし達を飼っていることにしてありますから」
恐ろしいことを何でもなく口にする妖精であった。
もちろん、凛はそこまで気が回らない。
「そ~いえば」と凛は思い出す。翔子も、ハムスターがいることを疑問に思ってなかった。普段の翔子なら『キャー』とか嬉し気な悲鳴をあげて、ハムスターを構うべく凛の部屋に押し掛けてくるはずなのだから。
「ということで」
「よろしくお願いいたしますわ」
2匹のハムスターはペコリと頭を下げたのだった。
「「 あ、それから「おれ」「あたくし」が喋れるのはないしょ「だぞ」「ですからね」 」
ハムスターがお喋りを出来ることが知られたら、大変な騒ぎになってしまう。
当然、秘密を知られたら、知った相手の記憶を変える必要があるけども
「1人の操作をするだけで、体重がひまわりの種10個ぶんも減っちまうんだよ」
「あたくし、ダイエットの必要ありませんしねぇ」
…人間の記憶をいじる代償が、ひまわりの種で10個である。
「ふ~ん」
しかしながら、やっぱり凛は怖さが分からずに頷いていたのだった。
何度でも言おう。凛はちびっと、ほんのちびっとだけ抜けているのだ。
だが、そのおかげさまでもって凛は妖精王に選ばれたのかも知れなかった。
後半は、ちょっと文章が雑。
でも、書けて満足。
次回は、芸能事務所の若社長に見染められる? かも。