05:天使の声で救った日
街並みが軽快に流れていく。
前と同じように翔子にしっかりと掴まりながら、凛は同じようにドキドキしていた。
「リンさん、軽すぎ!」
翔子は何故だかテンションが高めだ。
「2人乗りしたがる男の子の気持ちが分かっちゃったかも!」
なんて、はしゃいでいる。
「凛さん、引っ越してきたばかりなんですよね? だったら、やっぱりブルーム学園に通うんですか?」
光ヶ浜には幼稚部、初等部、中等部、高等部、敷地こそ別だが大学までも併せた巨大な教育機関がある。それがブルーム学園である。私立ながらも、国と県と市が大きく補助していることで、公立なみに授業料は安く、それでいて教員の質が高いので、光ヶ浜に住んでいる就学児童はブルーム学園へと入園するのが普通だった。
もっとも。凛…リンは別だ。なにせ普通ではない魔法少女なのだから。
「た、たぶん」
と答えざるをえない。
「ですよね」と翔子はリンがブルーム学園に通うことを端から疑ってない。
「あたし、春から中等部にあがるんです。リンさんは…高等部ですか?」
「た、たぶん」
と同じ言葉を凛は繰り返す。
「そっか! リンさん先輩なんだ! 学園で会えたらいいですよね」
翔子はうきうきとした口調で言う。
一方で凛はといえば気が気でなかった。いつボロがでるとも知れないのだ。
このまま翔子の主導で話していると、駅までの道のりで嘘がばれそうだ。
そう思った凛は、自分から話を振った。
「翔姉…翔子さん! 翔子さんは多くの人を笑顔にする方法って何だと思う?」
念頭にあったのは妖精王との契約だ。
凛は、大勢の人を心から笑顔にしないといけないのだ。
突然といえば突然の質問だったが、翔子は「う~ん」と真剣に考えてくれているようだった。
「あたしは…漫画家だと思います」
「漫画家?」
「そう! 漫画はたくさんの読者を楽しませてくれますから」
なるほど、と思う。けれど、凛は絵が下手だ。図工は5段階評価で2である。どうしたって漫画を描けるとは思えなかった。
それにしても、翔子が漫画家なんて口にするのは予想外だった。てっきりサッカーとか野球とか、スポーツ選手を上げると思ったのだけど。
そう意外に思っていると
「実はあたし! 漫画家になるのが夢なんです!」
翔子が言った。
「中等部にあがったら、漫研にはいって、勉強するんです!」
宣言するみたいに言った。
後ろから見える翔子の両耳が真っ赤だ。
ああ、と凛は思う。だから、翔姉えはサッカーをすっぱり辞めたんだ、と。そして今、大きな声で言ったのは、自分の気持ちを固めるためだったんだろう、と。そう思う。
なんだか……翔姉えが遠くに行ってしまったように思う。
たった2歳差なのに。
胸がキュウと痛い。その痛みに戸惑っていると、翔子の声が届いた。
「けど、リンさんは可愛いから、アイドルとか良いかもしれませんね」
「アイドル?」
「そう、アイドルです」
言われて凛は思い浮かべた。
歌って。
踊って。
笑顔でいる。
自分自身を。
「あはははは! 無理無理、そんなの無理!」
「え~、リンさんならいけますって!」
翔子が勧めるが、凛は笑って取り合わなかった。
凛は変身後の自分を可愛いなんて、ち~~とも思ってないのだから仕方ない。
そうこうしているうちに、駅が見えてきた。
ホッとする。ここまでくれば、翔子が事故に遭うことは無いはずだ。
チンチン、と駅前のロータリーから警笛を鳴らして路面電車が出発する。
その様子を何気なく目に止めて。
ドキリ! とした。
思い出したのだ。路面電車に乗っていた、女の子と母親を。それに、顔なじみの運転士さんを。
ドキドキと痛いほどに心臓が鳴っている。
走って行く、チンチン電車。それは……あの時の車両じゃない。運転士さんが違う。
けど…きっと。
次に出発する車両は…あの時の。
脂汗がにじむ。
看板が落ちてきて……果たして路面電車は無事だったのか?
スプリングセールの看板は大きかった。それこそ、ちんまりした車体と同じくらい大きかった。
そんな物が落ちてきて、勢いのままにぶつかったら。
「脱線…」
脳裏に悲鳴が聞こえた気がした。
チンチン電車だけじゃない。あの場には大勢のお兄さんやお姉さんがいた。
考えてもいなかった。きっと、事故に巻き込まれたのは凛や翔子だけじゃない。もっと大勢が怪我をして…そして…。
足が震える。ガクガクと震える。
あの場所に戻る?
凛は恐怖に震えた。
怖い…怖い、恐い!
けれど!
思い浮かんだのは、怒ったような顔をした翔子の両親。
あんな顔を…誰にもさせちゃ
「駄目だ!」
「え?」
耳にした翔子が振り向こうとする。
その横顔に凛は訴えた。
「翔子さん、止めて!」
キキィ! と自転車が急ブレーキをかける。
「ごめん、翔子さん。自転車貸して! 行かないといけないトコがあるんだ!」
凛は、翔子を見詰めた。
その真剣な様子に、翔子もまた凛を見詰める。
「急いでるんですか?」
うん、と凛はうなずいた。
「だったら、あたしが送ります」
「でも!」
「失礼ですけど、リンさんが漕ぐよりも、あたしが2人乗りしたほうがよっぽど速いと思いますから」
そうかも知れない。今の凛は脚力がぜんぜんないのだ。
たぶん。今の凛が全力で自転車を飛ばしても、事故には間に合わない。
だからといって、凛は連れて行って欲しいとは言えなかった。
翔子を再び事故で失うと考えると、どうしたって言えなかった。
「リンさん!」
翔子が、俯いてしまった凛の肩を揺する。
凛は顔を上げた。
「お願い!」
「任されました!」
翔子は再びペダルを踏み込んだ。
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あの時の場所。
事故の起きた場所。
やっぱり大勢の若者たちがいた。
風の吹きすさぶ中を、ちょっとした冒険を楽しむかのように、たむろしていた。
到着した凛は、自転車が止まるのも惜しくて飛び降りた。
たたらを踏んで、踏ん張れずに、こけてしまう。
「リンさん!」
翔子が駆け付けてきて、助け起こしてくれる。
「いいから! 翔子さんは直ぐに帰って!」
「でも…」
「お願いだから!」
「訳を教えてください! いったい何があるんですか!?」
凛は看板を……落ちてくるはずの看板を見上げた。
アレが落ちてくる。そう教えるのは容易い。
けど、何でそんなことを知っているのだと訊かれたら、答えられやしない。
翔子を救うために、未来から来た。
そんなことは言えやしない。どうしたって正体を話す流れになってしまうだろうから。
だから凛は訴える。
「お願いだから!」
翔子の肩をつかんで。
涙を浮かべて。
帰るように言い聞かせる。
「…わかりました」
翔子は折れた。
自転車にまたがって、去っていく。
それを見送る時間も惜しいと、凛は今度こそたむろしている人々にむかって声を張り上げた。
「みなさん! ココは危ないんです! 危ないから離れてください!」
でもそれは。
「お? なんだなんだ?」
「マブいじゃん、あの娘」
「ほんと、かぁいらしい」
逆効果だった。
凛の容姿に注目して、わらわらと人が集まってしまったのだ。
「ねぇ、その髪ってば染めてんの?」
まずい、まずい、と凛は焦る。
「お人形みたい、持って帰っちゃおっかなー」
訴えれば訴えるほどに、人が集まって来る。
「なんで裸足なん?」
人が混んで、凛を取り囲む。
助けを求めるように周囲を見回す。
けれども、お兄さんもお姉さんも、口々に凛に話しかけてくるのだ。
凛の言葉に耳を傾けてくれるような人は、1人もいない。
助けたいのに! 凛は涙目になってしまった。
「おい、泣いてるじゃんか!」
目に止めた良識のある誰かが、調子にのって凛に向かって身を乗り出していた若者の肩を引っ張る。
「あにすんだ?!」
「止めろって言ってるんだよ。怖がってんだろ」
「口で言えば分かんだよ! なに肩、引っ張ってくれてんだ」
こうして喧嘩が始まってしまった。
おそらく軽くお酒も飲んでいたのだろう。喧嘩の波が広がっていく。
「ちょ! 危ないじゃん」
凛はそんな中を、女性に庇われるように抜け出して、それでも「やめてください!」と声を張り上げ続けた。
喧嘩は看板が落ちてくる辺りで起こっている。
自分のせいで被害が広がってしまう。
凛は…リンは…拳を握って。
そして。
ふ、と路上ライブの楽器が目に留まった。
『アイドルとか良いかもしれませんね』
翔子の言葉を思い出す。
「へい!」
考えるよりも先に体が動いていた。
現れたステッキが、瞬時にして短くなってマイクになる。
もしも誰かが目にしたいたのなら…それは手品のように見えたかもしれない。
リンは魔法のマイクを握ると、道路に飛び出した。
少ないとはいえ、車の通りはある。そんな車が急ブレーキをかける。
「なにしてんだ!」
クラクションが鳴らされる。
それでもリンは怯むことなく……佇んで。
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翔子は帰る振りをして、途中で戻って来た。
すると現場は大変な騒動になっていた。
喧嘩が始まっていたのだ。
「リンさん!」
翔子は駆け付けようとして、道路に飛び出した金髪の少女を目にした。
思わず、立ち止まる。
リンの姿に……シャンと佇んだ様子に、見惚れてしまったのだ。
「あ…」
ただ思った。主人公だ、と。
今、この場は。
リンさんが主人公なんだと、思った。
その主人公たる少女はマイクを握っていた。とはいえ、何につながってるわけでもない。マイクがスピーカーやアンプに繋がって初めて拡声器になるというのは、翔子だって知っている。しかるに、電源さえつながってなさそうなアレはただの飾り、オモチャだ。
なのに…。
聴こえた。
喧嘩の怒鳴り声。
けたたましいクラクション。
それに、ビル風の悲鳴のよう音。
なによりも、距離がある。
聴こえるはずがない。
届くはずがない。
なのに。
声が。
歌声が。
翔子はハッキリと聴いた。
美しくも、凛とした、声を。
ルールー、と少女は歌っていた。
歌詞のないそれは、何処かで聴いたことのあるような…そんな懐かしいメロディだ。
耳を傾ける。
いいや、耳を傾けないでも、何故だか耳に届いた。
それでも、耳を傾ける。
翔子だけじゃない。
気付けば、女性も……喧嘩をしていた男性も、みんながリンに注目していた。
クラクションを鳴らしていた車の運転手も、車を降りて。
そうして。
みんなは、ソロソロと。まるで夢が覚めてしまうのを恐れるみたいに。ゆっくりとリンに近づいて。
触れたら覚めてしまうのを理解しているみたいに、一定の距離を置いてリンを囲んだ。
ルールルー。
そんな歌声は突然に破られた。
路面電車がチンチンと警笛を鳴らしたのだ。
「おーい、何やってんだ? 車どかしてくれ」
運転士が声を張り上げ。
そして、それは起こった。
ゴン、という音がして看板が落ちてきたのだ。
「きゃー!」「うわー!」
悲鳴が上がる。
落ちてくるまでに何秒もない。ガガン! とガードレールにぶつかって、アスファルトを角で削るようにして落着した看板は、けれども誰一人として巻き込むことがなかった。
離れてみていた翔子は、あまりな出来事に心臓をおさえていた。
もしも。と考えてしまう。
もしも、リンさんが歌っていなかったら、と。
きっと、何十人と大怪我をしていたことだろう。
リンさん…。この事故があることを知っていたの?
だから、あたしに帰るように言ってたの?
疑問に思って、翔子はリンへと視線を戻し。
けど、ソコに少女はいなかった。
天使のような少女は、姿を消していた。
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「ふぃ~」
と凛は額に浮かんだ冷や汗をぬぐった。
リンじゃない。凛だ。
少女から、少年に戻っていた。
いきなりだった。頭の隅のほうにカウントダウンのような文字が浮かんだのだ。
あ、変身が解ける。
理由はない。直感で、そう思った。
だからリンは、みんなが看板に注目している隙に猛ダッシュで横道に入ったのだ。
変身が解けたのは、その直後だった。
顔を出して、看板の落ちた辺りを盗み見る。
怪我をした人はいないようだ。
チンチン電車の運転士さんも、乗っていたお母さんと子供も、車両から降りて、緊張した面持ちで何か話し込んでいる。
「よかった」
凛はホッと息を吐いたのだった。
しかし。凛の受難は終わらない。
この後。
ノコノコと歩いていた凛は、リンを探していた翔子に見つかってしまったのだ。
「凛! あんた、こんなトコで何してんの!」
襟首を掴まれた凛は猫のように身を竦めた。
「なんで翔姉えが!」
「なんでもかんでもない! あんた、チンチン電車で帰ったんじゃなかったの?」
「え、えっと…乗ろうと思ったんだけど。欲しいゲームがあって」
「電車代をケチったと」
「です!」
敬礼して答えた凛は見た。
翔子が激おこの更に上の無表情になったのを。
このあと無慈悲にも自転車の並走で帰宅を強いられた凛は、翔子のお説教だけじゃなく、母さんと父さんにも大目玉を喰らう羽目になったのだった。
なんとなく書けたので連続投稿です。
次の投稿は、週末。日曜ぐらいかな?
んーと。次回は、赤い飴玉と青い飴玉がマスコットキャラになって再登場。