49:リンと静香と火事の日
これにて、静香編はおしまい。
消防車はサイレンを鳴らしながら走った。
静香は目を閉じて祈るみたいに両手を組んでいる。
心配だったのだ。寮のみんなが、千年さんが、そして蘭のことが。
予感めいたものもあった。火事の原因は蘭たちのタバコじゃないだろうか、と。
リンはそんな静香の手を握ってあげていた。
誰かの安否を心配する気持ちはよく分かるのだ。
だって、凛は翔姉えを失ったことがあるのだから…。
指揮車とポンプ車、それにハシゴ車は、スイスイと道路をすすんだ。
それが
「まずいな」
署長さんが眉をしかめる事態になったのは、プラチナ・エンターテイメントの寮まであと50メートルもないというう距離でだった。
たくさんの野次馬が道を埋めてしまっていたのだ。
寮は界隈で有名だった。
なんせアイドルのたまごがおおぜい住み暮らしているのだ。
注目されないはずがない。
そんな寮が火事ともなれば、近隣の物見高い人が見物にくるのは当然といえば当然だった。
「消防車両が通れません! 道を開けてください! 消防車両が通れません! 道を開けてください!」
署長さんの他に同乗している女性消防士さんがマイクで促すけど、人の壁が移動することはなかった。
刻一刻と時間が過ぎる。
「時間が勿体ない、ポンプ車とハシゴ車の隊員をおろして人の誘導をしよう」
下策だと署長も分かっている。
隊員が乗降するだけの時間が余計にかかるし、そもそも人垣が素直に誘導に従ってくれるとは限らないのだ。
それでも、何もしないよりは増しだ。
署長が女性消防士に無線で連絡するよう指示しようとした時である。
「待ってください!」
リンだった。
「ボクに考えがあります!」
署長はリンを見た。
幾ら何でも人命が掛かっているのだ。
こんな子供の言うことを信じるわけにはいかない。
「わきまえなさい」
という注意は……リンの真っ直ぐな眼差しに飲み込んで
「できるのかね?」
気付けばそんなことを訊いてしまっていた。
「できます!」
「かかる時間は?」
「5分!」
「やってくれ!」
ハイ! と返事するや
「行くよ!」
「へ?」
と戸惑う静香の手を引いて、リンは車外へと飛び出した。
そのままハシゴ車へと向かって
「筋肉さん!」
胸板パンパンな消防士さんを呼んだ。
「俺のことか?」
「そう! ボクと静香っちを車のうえにあげて!」
言って、リンはバンザイの姿勢になった。
「おいおい」
「署長さんの了解はとってあるから!」
「マジか…」
あのお堅い人が?
胸板消防士は指揮者に視線を向けた。
署長がうなずく。
「わかった、ハシゴ車のうえに上りたいんだな」
「うん」
リンはバンザイの姿勢のままだ。
胸板消防士さんは操縦席からおりると、リンの両脇をつかんでヒョイとハシゴ車の天井上へと押し上げた。
その際にスカートがめくれてパンツが見えてしまうけど、リンはまったく気にしない。
見てしまった胸板消防士さんからしても「色気の欠片もねぇなぁ」と苦笑だ。
「静香っちもはやく!」
「え?」
わたしも? とは思ったものの、静香も思い切って「お願いします!」とバンザイをした。
胸板消防士さんが、リンとは打って変わって、顔を赤くしながら静香をハシゴ車の天井へと押し上げる。
ロリコンじゃない。ロリコンじゃないけど……静香は大和なでしこ然とした美人さんなので仕方ないのだ。
下着は……見えなかった。今日の静香はズボンスタイルだったのだ。
「行こう!」
リンは上ってきた静香の手を取ると、ハシゴ車から突き出たゴンドラ部分に乗り込んだ。
「ヘイ!」
と魔法のマイクを手にする。
「ボクがこれから歌って、みんなの目をコッチに向けさせる。そうしたら、静香っちがどいてくれるように大声で言うんだ」
「そんなの…」
できない。その言葉を静香は飲み込んだ。
寮のみんなを。千年を、蘭のことを思ったのだ。
「やる!」
静香はおおきな声で、自分に言い聞かせるみたいに言った。
「任せた!」
リンは歌った。
魔法の声だ。どんなにざわめいていようが、リンの歌声は誰の耳にもハッキリと届いた。
そうなれば、1人が振り向き、2人が、5人が、10人がと、道をふさいでいる人は次々にリンを向いた。
野次馬の全員がリンに注目するまで、それほど時間はかからなかった。
歌声に耳を澄まそうと、ざわめきが次第におさまる。
リンは横目で静香を見た。
静香がうなずく。
リンが歌をとめたのと、静香がおおきく息を吸ったのが同時だった。
拡声器もなしで、声を隅々(すみずみ)まで届けなくてはならない。
できるか?
でも、リンは信じたのだ。
静香を。
静香は……
「消防車両がとおります! どいてください!」
言った。
大声で。
言えた。
寮のみんなを思う気持ちのこもった声が、野次馬を動かした。
道が開く。
3台の消防車両はゆっくりと開かれた道をすすんだ。
寮の一室がある窓が割れて、炎が上がっていた。
「!」
静香が息を呑む。
自分の部屋だった。悪い予感が当たってしまったのだ。
ポンプ車に乗り込んでいた消防士さんたちが飛び降りて、消火栓へと走る。
居ても立ってもおられずに、静香は「蘭さん!」ゴンドラから身を乗り出すようにして叫んだ。
放水作業が始まる。
大量の水が炎の上がっている部屋に向かう。
「嬢ちゃんたち、降りてくれ!」
胸板消防士さんが来て、リンと静香をハシゴ車からおろした。
「静香さん!」
千年だった。
「無事だったのね!」
「千年さんも! 他のみんなは? 蘭さんは?」
「みんな無事よ!」
その言葉で静香はクタリと崩折れた。
「よかった」
そこに蘭をふくめた5人が姿を見せた。
申し訳なげ俯いている。
もちろん、火事の原因は彼女たちだった。
タバコの火が雑誌に燃え移ってしまったのだ。
静香が腰を上げた。
蘭の前に立つ。
「なによ…!」
そう向こう気たっぷりに睨んだ蘭を
パシン!
静香は叩いた。
頬を叩かれた蘭がよろめく。
その蘭を……静香は抱き締めて
「よかったよぉ~」
頑是ない子供みたいにわんわんと泣いた。
吊り上がっていた蘭の眉がさがる。
ポロポロと涙がこぼれた。
「ごめん…ごめんね」
蘭は謝って、静香を抱きしめ返したのだった。
・
・
・
幸いにも火事は静香の部屋だけですんだ。
防音のために分厚くつくらていた壁が延焼を防いだのだ。
この事件はプラチナ・エンターテイメントの不祥事として大々的に報道……は、されなかった。
プラチナ・エンターテイメントが裏から手を回したのだ。
テレビ局も雑誌社も、プラチナ・エンターテイメントからタレントの派遣を渋られてはたまらないと、事件は極小におさえられた。
そして、そんな極小の記事や報道には決まってリンが写ることになる。
ゴンドラにのって歌をうたうリンと、その横の静香。
この様子を達也が写真におさめていたのだ。
プラチナ・エンターテイメントとしてはリンに借りができてしまっている。
だから、リンの写真を差し止めることは控えたのだった。
こうしてリンはちょっとだけだけど名前がまたしても売れたのである。
そうして静香と蘭である。
「じゃあね」
蘭はすっかり険のとれた表情をしていた。
「…お元気で」
静香が応じる。
蘭は今日、寮をでて実家に帰るのだ。
言うまでもなく、もうプラチナ・エンターテイメントの所属アイドルではない。
「今更言えたことでもないけどさ、もっと早くに、あんた…静香とこうして友達になれてたらよかったよ」
「わたしも、そう思います」
「あの、さ」
蘭が言おうとした時だった。
「おーい!」
痺れが切れたとばかりに、迎えに来ていた蘭の父親が車から呼んだ。
邪魔をされた蘭が、眉を吊り上げる。
ふふ、と静香が笑った。
「なに笑ってんのさ?」
「だって。ようやく蘭先輩らしい顔してくれたから」
「言ってくれるじゃんか」
蘭は静香を睨む真似をしてから
「バイバイ」
と言った。
もう2度と会うことはないだろう。
「バイバイ」
静香も言う。
蘭はそんな静香から逃げるように車へと走って、そして乗り込む直前に
「応援してるから! 頑張れ! 頑張ってくれよな!」
叫んで、車に乗り込んだ。
車が発進する。
静香は追いかけるように走った。
「頑張ります! わたし、頑張りますから!」
この日。
たまごが孵って、1人のアイドルが生まれたのだ。
あ! 達也のことすっかり忘れてた!
ので、最後の最後でちょっとだけ名前をだしました。




