48:静香と後悔、の日
「リンさん…!」
振り向いた静香の驚いてまん丸になった目から、ポロリと涙がこぼれた。
「ええ!?」
リンからしたらビックリ仰天の青天の霹靂である。
懐かしい人に会ったから、声をかけただけなのだ。
なのに。
えーん、と静香は泣き出してしまった。
リンという心許せる相手にあったことで、溜め込んでいた感情が溢れてしまったのだ。
因みに。静香は泣き馴れてないので、泣き方が下手だ。子供みたいに泣いてしまう娘なのだ。
「えええええ!?」
大泣きされて、リンはどうしていいか分からない。
とりあえず、サッカーチームのチビどもが泣いている時と同じように
「大丈夫だから」
と宥めつつ、背中をさすってあげる。
なんだ、なんだ?
野次馬根性剥き出しで消防署の署員さんが集まてくる。
「リンちゃん、泣かしたのかぁ?」
そんなはずがないと分かっているから、胸板パンパンな消防士さんがからかってくる。
リンはそんなお調子者を軽く睨んだ。
「大人でしょ」
空気を読みなさい! と言外に含ませる。
「すんませんでした」
胸板消防士さんがシュンとして離れる。
まぁ、リンも彼の気持ちが分からないではない。
テンションがあがってヤリ過ぎては、翔姉えに叱られることがしょっちゅうの凛なのだ。
とはいえ、今はからかわれていい場合じゃない。
「よしよし」
リンは静香の頭を撫でりこ撫でりこした。
ハッキリ言って、幼児を相手にするような慰め方だ。
でも、それが却ってよかった。
静香は幼い頃、泣いてしまったときはババちゃまに同じようにしてもらっていたのだ。
「ごめんなさい」
しばらくしてから泣き止んだ静香は、そう謝った。
「気にすることないよ」
リンは最後に静香の頭をポンポンしてから半歩分だけ離れた。
ナチュラルに頭ポンポンができてしまうリンなのである。
ホストが観ていたのなら『逸材だ』と目をみはったかもしれない。
「なにがあったの?」
リンは訊いた。
「色々あって…それで……もう釧路の家に帰りたくなって…」
「きつかったらさ、無理しなくてもいいと思うよ」
サッカーでもそうだ。親の勧めで、チームに体験入団する子がいる。でも、そういった子はたいていが運動が不得意な子で、キツイ練習が嫌で、本入団する子は少ない。それでも親が強引に入団させることもあるけれど、そんな場合の子は、サッカーが大嫌いになってしまって、親に内緒でチームの練習にも来なくなって、そのうちに退団してしまうのだ。
もったいない、と思う。
辞めてしまうのが、じゃない。
サッカーを嫌いになってしまったのが、だ。
チームでの本格的な練習なんかじゃなくて、友達とボールを転がしていれば、サッカーの楽しさに気づいて、きっと大好きになってくれたはず。
でも、辞めてしまった子は2度とサッカーを好きにはならないと思うのだ。
だって嫌なことを思いだしてしまうだろうから。
ただ。リンは、凛であるときにサッカーを辞める子に訊くのと同じことを静香にも訊いた。
「けど、もういっぺんだけ考えて。辞めても後悔しない?」
「わたし…」
静香がなんと答えようとしたのか。
それはだが、彼女自身にもわからない。
いきなり響いた笛の音に意識を向けてしまったからだ。
見れば、消防士さんたちが壁の上り下りを始めていた。
「わぁ」
「すごい」
リンも静香も呆然として見てしまった。
泳ぐみたいに壁をスイスイとのぼって行くのだ。
「あれはロープ応用登攀っていうんだよ」
署長さんが来て、教えてくれる。
「登っている消防士と、補助でロープを引いている消防士、2人の息が合ってないと上手いことのぼれないんだ。簡単そうに見えるけど、とても難しいんだよ」
「毎日練習してるんですか?」
「さすがに毎日ではないかな。でも、暇を見つけては訓練をしているよ」
その訓練が生半可なものじゃないだろうことは、リンにも。そうして静香にも分かった。
「あの!」と思い切ったように静香が言葉を発した。
「どうして、そこまで頑張るんですか?」
「それが仕事だからね。いざ人命を救助する時に、自分たちの力不足で助けられなかったなんてことは許されないから、だからこうして頑張るんだよ。頑張らないといけない責任が、私たちにはあるんだ」
仕事。
責任。
静香は考えた。
わたしはどうだろう?
アイドルのたまごとはいえ、お給料もいただいているし、しっかりと仕事だ。
その責任…努力をわたしはしていただろうか?
たしかにレッスンを受けてはいた。
でも、他のみんながしているから同じようにしていただけじゃないだろうか?
お金を貰えるほどに、頑張っていただろうか?
リンの言葉がよみがえる。
『後悔はしない?』
このまま釧路に帰ったら。きっと、わたしは。
「リンさん、わたし!」
言おうとした時だった。
消防署でベルの音が響いた。
署長を含めた消防士たちの顔つきが変わる。
通信指令に詰めていた女性消防士が大慌てに駆けて来た。
「出場の要請です」
リンが1日署長をすると関係各所に通達してある。
それでも出場がかかるということは、応じられる消防署が他にないということだ。
「場所は!」
女性消防士が住所を口にする。
それを聞くにつれて、静香は顔色を失った。
聞き覚えがあるのだ。
そして。
「プラチナ・エンターテイメントの所有している寮です」
住所が告げられる。
「おねがいします!」気付けば静香は縋るように言っていた。
「わたしも連れて行ってください!」
「無理だ、一般人は連れて行けない」
「お願いします! わたし、その寮に住んでるんです!」
「ボクからもお願いします!」
リンも頭を下げる。
「いいじゃないですか、連れてってあげましょうよ」
胸板パンパンな消防士さんがお調子のいいことを言う。
けれど、この時ばかりはありがたかった。
署長さんが、消防士さんのことを睨み据える。
たく、と溜め息を吐いて先に折れたのは署長さんだった。
「しょうがない、1日署長のお願いだしな」
署長は言うと
「さっさと行け!」
恐い声で胸板パンパンな消防士さんに命令をした。
「ハイ!」
返事をしながらも、下手糞なウィンクをリンに送る。
さっきの汚名を返上したつもりなのだ。
実際、返上できていた。
リンと静香も指揮車に同乗する。
それから1分も経たずに消防署から消防車両が発進したのだった。
次回で静香編はおしまいの予定です。




