31:本泣きしちゃう日
岬純菜は苦しんでいた。
心労で胃が痛くなるというのを12歳にして初めて知った。
原因は例によってリンである。
2週間前。オーディションの本選で姿をくらませてからというもの、音信が不通なのだ。
MISAKIグループは大きな会社だ。連絡を取ろうと思えば、どうとだってなるだろうに。
それがない!
連絡してくるのは『リンが見つかったか?』という芸能関係者からの問い合わせばかりだ。
そういった金の卵を生むガチョウ目当ての連中がやいのやいの言い募ってくるのは慣れている。
なんといっても純菜は『岬』の姓を持っているのだから。
だから心労というのは、純粋に『リンさんが芸能界を嫌になってないかしら…』というものだった。
自分の出番で、照明が落ちる事故……そうアレは事故という扱いになっている。…があって、テレビ中継は出番の途中で終わってしまっている。
不運。というよりも、そこはかとない悪意を感じて当然だろう。
(と考えるのは美也子の暗躍を知っている純菜の考え過ぎだし、凛はまったくもって1ミリも悪意を感じてないのだが、それは置いておこう)
しかもリンさんは、と純菜は思う。そもそもがして芸能界にあまり興味がないようだった。
もう戻ってこないんじゃ…。
純菜は、ただ1点、リンが戻ってこないのではと心配し、それでストレスを感じているのだった。
つまり、だ。純菜もまた、リンの魅力にはまってしまっているのだ。
土曜日だった。
純菜は翔子と別れて、学園から帰宅した。
勉強机のうえにはFAX用紙が山積みになっている。芸能関係からの問い合わせだ。
純菜はリンの身元を保証している。だから、こうした連絡事項が純菜に回されてくるのだ。
おかげで、ここのところ純菜は翔子と遊んでいられなくなってしまった。
それもまた、ストレスのひとつでもあった。
「はぁ」と純菜は12歳という年齢にそぐわない溜め息をついた。
「リンさんから連絡があったら、こっちから教えると言っているのに…」
毎日毎日、問い合わせてくる。だが、それはまだ可愛いほうだ。ひどいトコロになると、朝昼晩と問い合わせをしてくるのだ。
それだけリンの情報を欲しがっているということなんだろう。
そう思って自分を慰めるしかないファン2号の純菜なのである。
問い合わせには、返答をしなければならない。
誠実さがMISAKIグループのモットーなのだ。
純菜は嫌なことは早く片付けるに限るとばかりに電話をとった。
大手芸能事務所に自ら返答をするのだ。
中小ならFAXを送るだけですむ。しかし、大手ともなればそういうわけにはいかない。
プッシュホンのボタンを押そうとして
ぷるるるる
ちょうど電話が鳴った。
「誰かしら?」
このプッシュホンは純菜のプライベートなものだ。
番号を知っている相手は限られている。親友の翔子に、姉の若葉。両親と、あとは数人の者たち。それに、凛くんぐらいだろう。
純菜は受話器を手に取って
「もしもし、純ちゃ…純菜さんですか?」
聞き間違えようのない、待ち望んでいた声に息を呑んだ。
「ボク、リンです。聞こえてますか?」
ペペッチ、ポポッチ、レレンチカ。ポポッチ、ペペッチ、レレンチカ。
クルクルクルリ~ンの、しゃぼんだまを蹴り上げ!
金色のシャワーを浴びて、凛はリンへとT〔天使に〕S〔スイッチ〕した!
自室である。
凛だって、年がら年中、公衆トイレで変身したいわけじゃないのだ。
本日の服装は。ボーダーのTシャツにデニムのミニスカートである。
もっとも今のリンにスカート姿を気にしているような余裕はない。
TSしたリンは、むつみが信用金庫からもらってきたカエルさん型の貯金箱のお尻の部分にある栓を引っこ抜いて、ジャラジャラと小銭を円テーブルの上にばらまいた。
ちなみに凛の部屋に勉強机はない。如何にも『勉強しろ!』と主張しているあの机が凛は苦手なのだ。だから宿題は、カーペットに胡坐をかいて、このさして大きくもない円テーブルにノートや教科書を広げるというのが凛の遣り方だった。
ジャラジャラと広がった小銭から、凛は10円玉だけを選抜した。
これで外の公衆電話から純菜に電話をしようというのだ。
え? 家からしたらいいじゃん?
その通り。しかし凛は考えたのだ。
『純ちゃん家って大きいから、逆探とかされるんじゃないかな?』と。
正彦に付き合って2時間物の刑事ドラマを見たせいだった。
しかし、である!
これが大正解だった。
純ちゃん家は、まさかの逆探が可能だったのだ!
セーフ! 凛は危うく純菜にリンとしての足跡を気付かれるところだったのである。
話しを戻そう。
「だ、か、ら! おれがアレホド早く連絡しろと言ってたろうが!」
「ま、た、く! やることなすこと遅すぎですわ!」
小銭の横で、2匹のハムスターが怒りの地団太を踏んでいる。
ず~と。ず~~~~と。タックとチックは、純菜に連絡を取れと言っていたのだ。
はやいとこアイドルになって欲しかったのである。
それなのに、凛はズット。ズ~~~~ト『はい、はい』とスルーしていたのである。
スーパーで子供からお菓子をねだられた母親のような返事をしていたのである。
それが達也と会ったことで「これはマズイ!」と自覚した。
翔子に話を聞くにつれて、なにかやら自分のせいで大事になっているのだと知ったのだ。
だから、今になってようやく純菜に電話をしようとしているのだった。
読者様においては、凛に呆れないでいただきたい。
つまりは、夏休みの宿題状態だったのだ。面倒そうなことを『後でやればいいや』と放っておいたら、今になってしまったのである。
え? 規模が違うだろう? ひと様に迷惑をかけ過ぎ?
まったくもって返す言葉もございません…。
でもね、凛だってオーディション本選に出て、緊張の糸が切れちゃったんですよ。なんていうか…ひと区切りを自分のなかでつけちゃったんですよ…。
「ごめん、ごめんってば」
凛は半泣きだった。
達也が自分のせいで落ち込んでいたのがショックだったのだ。
10円玉を引っ掴むと、タックとチックを金髪に潜り込ませて、むつみが帰宅してないのを確かめてから1階の勝手口から家を出た。
外は雨だった。けっこう降っている。
リンは濡れるのもかまうことなく、駆け足して、近くの公衆電話に飛び込んだ。
そうして純菜に電話をしたのだった。
「もしもし、純ちゃ…純菜さんですか? ボク、リンです。聞こえてますか?」
「聞こえてます! 待ってたんですよ!」
「ごめんなさい、ボク…どうしたらいいのか…?」
ひっく、ひっく、としゃくり上げてしまう。
「な、なんで泣いてるんですか?」
純菜の声が焦る。それはそうだろう、待ちわびていた人から電話があって、てっきり文句のひとつでも言われるかと思いきや、予想外にしゃくり上げているのだから。
「だって、ボクのせいで……迷惑を」
「そんなこと気にしないでください。それよりも、こうして連絡をくれたということは、アイドルになる決意は変わってないということですよね?」
「ひゃい」
相手に姿が見えないにもかかわらず、律儀に大きくうなずくリンである。
そんなリンの涙を、なんだかんだで凛には甘々なタックとチックが拭いている。
魔法でつくりだしたハンカチが、そっと涙を拭きとっている。
「でしたら、明日です。午後1時に…そうですね……待ち合わせをしましょう。何処がいいですか?」
「だったら、MISAKIデパートの前の公園で」
「う~ん、あそこだと人目が。リンさんが見つかったら、大変な騒ぎになってしまいますよ?」
「じゃ、じゃあ。ブルーム学園は?」
「学園ですか? …いいかもしれません。日曜ですし、人もあまりいないでしょう。分かりました、では明日の午後1時にブルーム学園の校門前で。いいですか?」
「うん、わかった」
「では、約束です」
「うん、約束」
ガチャリとリンは受話器をフックにもどした。
「これで懲りたなら、おれ達の言うことにも耳を傾けろよな」
タックが言って
「うん」
リンはうなずく。
「まぁ、許してあげますわ」
チックが言って
「ごめんね」
リンは謝ったのだった。
こうしてリンは家に帰るのだったが…。
幸運にも雨のおかげで誰にも見咎められることがなかったのである。
最後の方のぶつ切り感が凄いけど、時間がないんです、マジで。
あと、タックとチックのアクロバティック涙拭きは無理があるかも…。
映像として想像すると……無理だなこれ。髪が痛いわ!
6/2上記のアクロバティック涙拭きを削除。
次回、リンをスカウトすべく芸能事務所が集められる。
果たしてリンは何処を選ぶのか?




