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20:オーディションの本選で静香と会った日

球場の周辺は物凄い人出だった。

入場待ちの列が延々と伸びているのだ。


「ボクも並ばないとダメなのかな?」


でも、並んでいたら絶対に遅刻だ。


リンは途方に暮れてしまった。


すると。


「お待ちしておりました」


リンの前にスーツ姿の女の人が立っていた。


何時の間に? という感じだ。


「え?」


と戸惑うリンに女の人は言った。


「わたくしは純菜お嬢様の使いです。早くこちらへ」


手を掴まれて、リンは女の人と一緒に走った。


球場のゲートをちょっと外れて関係者専用の出入り口から中に入る。


と。さっきまで一緒にいたはずの女の人が居なくなっていた。


代わりに「「 リンさん! 」」と出迎えてくれたのは純菜と翔子だった。


リンはちょっと周囲を見回したものの、今は2人に駆け寄った。


「ごめん、遅れた!」


「まったく、気を揉みましたわ」


「リンさんったら、寝坊ですか?」


「いや~、ちょっとホコテンでね」


コリコリ、とこめかみを掻いて言う。


「遊んでて遅れたんですか?」


「う~ん」とリンは思い返す。


迷子を助けていた、というより。最後の方はみんなと楽しくはしゃいでいたという感覚のほうが強い。


だからリンは


「そんな感じかな」


と気軽にうなずいた。


聞いた翔子が、ちょっと怖い顔をした。


リンに対する猫を被った翔子じゃなくて、凛に対する翔姉えの顔だ。


そう気付いて思わず背筋を伸ばしたリンに、翔子は叱るような口調で言った。


「そんなんじゃ、あたしの知ってる小学生と同じですよ。お姉さんなんですから、まわりにかける迷惑とか考えて、しっかりしてくださいね」


その小学生ってボクのことかなぁ? と思いつつ


「わかりました」


と思わずリンは畏まってしまうのだった。


「まぁまぁ、お説教はそれぐらいにして」


苦笑した純菜が取り成すように言って「これが出場者の証明書です」リンの首に紐付きのカードをかけてくれた。


「わたし達は中に入れませんから、ここまでです」


「応援してますからね、リンさん!」


翔子がガッシリと両手でリンの手を握る。


「まっかせといて」


すると、ついついお調子にのってしまうリン…凛なのだ。


リンは2人に見送られてゲートをくぐった。


「オーディションに出場する方ですね?」


受け付けの女の人が確認をする。


リンは「そうです」と証明書を見せて、つつがなく通り抜けることができた。


そうして参加者の詰めている場所に向かったリンなのだけど。


「うへ~」


と端正な顔をくしゃりとしかめた。


くさいのだ。香水と化粧品のニオイが充満していた。


球場の裏側はそれほど広くない。普段は野球選手がつめている控え室だけでは、とてもじゃないけどオーディションの参加者全員を収容できない。ということで、急遽、通路には化粧台がズラリと設えられているのだけど、あの娘もその娘も、ほとんどの例外なく、入念にお化粧をして香水をふりかけていた。


これが女の子なら気にならなかったかもしれない。

実際、苦にしているのはリンぐらいなものなのだから。


でもリンは凛で、中身は男の子だ。


化粧品の匂いも香水の香りも、母親であるむつみの軽いものしか知らない。


こんな混沌としたニオイのなかに居るだなんて、リンには無理だった。


「頭がくらくらする~」


強い香りに慣れていないので、酔ってしまうのだ。


あっちにふらふら、こっちにふらふら。


そんなリンを参加者の少女たちは、あるいは感嘆をもって、あるいは敵愾心をもって注目した。


そんな敵愾心を燃やす少女に藤堂とうどう美也子みやこがいた。


「あの子が」


憎々し気につぶやく。


…果たして彼女は何者なのか! 追々、明かされる…はず!


ともかくリンである。


今や真昼の砂漠に水を求めるが如くさまようリンは、ようやくのことでオアシスを発見した。


トイレだ。


……思えばリンはトイレにばかりえんがある。書いていて、作者も不思議に思うほどだ。スーパーマンのクラーク・ケントが公衆電話と縁があるのと同じようなものなのかもしれない。


トイレである。しかもリンが安住の地に選んだのは男子トイレだった。

女子トイレは混んでいたのだ。比べて、男子トイレには誰も居なかった。

アイドルになろうとしている女の子というだけあって、男子トイレに入るのは躊躇ためらわれたのだろう。


個室に入って、ふぅと溜め息。


男子トイレも特有の臭いがあるけど、まぁ、リンは元が男の子なので大して気にならない。


リンがトイレのふたに腰掛けてグッタリしていると、これもグッタリしているタックとチックが出てきた。


「おっぷ…。ひでぇ目にあった…」


「あたくし、もう無理ですわ」


この2匹はハムスターだけあって強烈なニオイに弱いのだろう。加えて、後楽園球場への道中にヘルメットのなかで整髪剤のニオイにもてられている。


ふらふらとしていた2匹は、コテンとリンの太ももの上で倒れてしまった。


「わ!」とリンが驚くのも無理もない。


「俺、ちょっくら寝るから」


「同じくですわ」


言うや、タックとチックはグースカ眠ってしまった。


意識がないのでは、髪に隠しておくことも出来ない。


どうしようかな?


考えていると、隣の個室から遠慮がちに声がかかった。


「あの…平気ですか?」


どうやら驚いた声を聞かれてしまったみたいだ。

まさか先客がいるとは思いもしなかったリンは


「平気です」


答えて、2匹をセーラー服の胸ポケットに突っ込んだ。タックもチックも親指ほどの大きさしかないから余裕なのだ。


隣りの個室の人は、何故だか息を殺しているようだ。


「あの…大丈夫ですか?」


今度はリンが尋ねた。


「あんまり大丈夫じゃありません…」


ええ! と思うリンだ。


「きゅ、救急車、呼んだほうが?」


「いいえ! 救急車はいらないです!」


大慌てに隣の人が拒否する。


「でも、気分が悪いんでしょ?」


「そうなんですけど、違うんです。わたし、緊張すると気持ちが悪くなっちゃうんです。さっきも、あなたの居るほうから男の人と女の人の喋ってる幻聴まで聞こえる始末で…」


ああ、もう駄目…。隣の人が呻くみたいな声を漏らす。


それってタックとチックのことだよね…。


でも、あの2匹のことはバレてないみたいだ。


リンは安堵しつつ「そうなんだ」と答えた。


とはいえ気持ちはこもってない。凛は学芸会の時だって、サッカーの試合の時だって、緊張こそしても気分が悪くなるなんてことはなかった。むしろ、緊張を楽しんでしまう羨ましいタイプなのだ。


「ボクもさ、いっぱいのニオイに気持ち悪くなって、ココに避難して来たんだ」


「いっぱいのニオイですか?」


「そ、なんかお母さんがいっぱい居るみたいなニオイ。授業参観の日みたいな、あんな感じの」


そう聞いて、隣の人はクスクスと笑った。


「ボクはね、リン」


「わたしは、静香って言います」


「あのさ、顔の見せ合いっこしない?」


「見せ合いっこですか?」


「そ。だって、自己紹介したのに、顔も見ないで話してるなんて変じゃない?」


「ですね」


リンは個室を出た。

隣の人…静香も少し遅れて出てくる。


静香は、その名前の通りに大人しやかな外見をしていた。黒々とした髪を肩甲骨の辺りまで垂らして、いい意味で大和やまとなでしこ、悪い意味でちょっと雰囲気が暗い、そんな女の子だった。

年齢はリンと同じくらいだろう。


対して、静香は目をまん丸にしてリンを見ていた。


もう慣れた、と言わんばかりに気にすることなく、リンは手を差し出す。


「よろしくね」


「…はい」


おずおずと静香はリンの手を取ったのだった。

書いていて気付いてしまいました。

親指ほどの大きさで、ヒマワリの種10個分の腹減りパワー……無理がある!

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