16:初めてヘリコプターに乗った日
歌い終わる。
リンは目を閉じたまま、顎を上げて。
そこで、目を開いて空を見た。
雲がある。
夕暮れの迫った空。
たったそれだけなのに、なんでか綺麗だと思えた。
そんなリンを眺めて。見上げて。
翔子は思った。
天使みたいだ、と。同時に突き動かされるみたいに『漫画が描きたい』とも思った。
純菜は思った。
なんて儚さだろう、と。同時に込み上げるみたいに『家族の力になりたい』とも思った。
達也は思った。
これは本当に現の出来事なのか、と。同時に燃え上がるみたいに『この女の子が輝く場所をつくりあげたい』とも思った。
リンは、ゆっくりと視線を3人に目を向けた。
「どうだった?」
と訊くよりもはやく
わー! という大歓声と拍手が落ちてきた。
デパートからだ。
いいや、デパートだけじゃない。公園周りの建物という建物から人々が身を乗り出していた。公園の周りにも何時の間にか人垣が出来ている。
リンは目を白黒させた。
自分に向かって拍手されているのは何となく分かったのだが、なんで拍手されているのかが分からなかったのだ。
「リンの歌を聴いて、みんな感動してるんだよ」
達也は我がことのように満面の笑みで言うと
「手を振ってあげなよ」
と言い添えた。
おずおずとリンは手を上げる。
わ! と歓声が増した。みんなが笑顔で手を振り返してくれている。
「…いいかも」」
お調子にのったリンが両手をぶんぶんと振る。
翔子は、そんなリンを目にハートマークを浮かべて見ている。
達也も、何やら意気込んで拳を握りしめている。
そんななかで、ただ1人、純菜だけは冷静だった。
「これは…まずいですわ」
彼女は群衆が押し寄せてくるのを危惧していた。
今はまだ弁えみたいなものがあって、公園に入ってくることがない。
でも、ひとりでも抜け駆けしようものなら、ダムが決壊するみたいに大勢がなだれ込んでくるだろう。
「迎えの手配を、早急に」
純菜は小声で言った。
「承知しました」
かそけき声が応える。隠密は主君筋に決して姿をみせないのだ。
そうとは知らないリンは、呑気に手を振っていたが、遠くから近づいて来るバリバリという騒音に注意を向けた。
空だ。
「ヘリコプター?」
純菜が命じて、ものの1分も経ってない。
「素晴らしい手際ですわ」
純菜は褒めた。とはいえ隠密が応えることはない。為すべきことを成す。それだけのことなのだ。
ヘリは、おそらくだが近くの高層ビルの屋上に駐機してあったものを動かしたのだろう。
「あれで、ココから離れます!」
純菜が言うあいだにも、ヘリコプターは公園へと降下している。
リンは大慌てに象さんすべり台からおりた。
「すごい!」
間近に見るヘリコプターに、髪を吹き荒ばれながらもリンは大興奮だ。
わー! きゃー! と必死にリンの髪にすがりつくタックとチックに気付きもしない。
「みなさん、乗ってください!」
純菜に促されて、リンと翔子と
「あ、あなたは駄目です」
「そんな…!」
達也だけは乗せてもらえなかった。
「だって、あなたはわたしの友達でも何でもありませんし」
バリバリとヘリが飛び立つ。
ヘチョンと眉を下げた達也を無情にも残して…。
ヘリに乗った純菜は、翔子とリンにゴツゴツとしたレシーバーを渡した。
これで騒音で耳を傷めることもないし、会話もできる。
「ボク、ヘリコプターに乗るの初めてだよ!」
「あたしもです!」
リンと翔子ははしゃいでいる。
それこそ3歳の頃にはヘリに乗っていた純菜は何をそんなに喜んでいるのだろうと内心で疑問に思いながら
「わたしの声が聞こえてますか?」
と確認をした。
「うん、聞こえてるよ」
「わたしも聞こえてる」
「了解です。では、リンさんに改めて確認をします。アイドルになる決心はつきましたか?」
「ボクは…」
「答えるまえに、リンさん。よくよく考えてください。あなたは、たった2つの歌をうたっただけで、大勢の人を虜にしました。リンさんなら、間違いなく」
間違いなく。そのあとに続きそうになった『スター』という言葉を純菜は危うく飲み込んで
「アイドルになれるでしょう。そうして、もっともっとたくさんの人を魅了するはずです。その覚悟はありますか?」
「覚悟?」
「ええ、覚悟です」
純菜は幼い頃からMISAKIグループの一翼を担う者として育てられている。その責任の大きさも自覚せざるを得なかった。
期待をかけられたのなら、それに応えねばならない。
そのプレッシャーを知っていた。
だからこその問いだったが。
一方でリンは……外見こそ15歳ほどでも、中身は10歳の何処にでもいる子供だった。
当然だけど純菜の意図を読み取れるはずもなく
覚悟、とはアイドルになるそのこと自体に対する決意だと思い込んだ。
「覚悟は、あるよ。ボクはアイドルになる!」
降り注ぐ拍手と歓声に、身が震えるほどの感動を覚えたのだ。
そして何よりも、他人を笑顔にすることの満足を知ってしまったのだ。
すれ違いである。
でも「「 これでいい」のですわ 」
すれ違いに気付いていながらも、タックとチックは金髪のなかで、凛の言葉に大満足だった。
翔子と純菜がいなければ、肩を組んでタップでも踏んでいたことだろう。
「わかりました。あれだけの拍手と歓声です、リンさんは間違いなくオーディションを合格でしょう。では、手続きをしますので、本名と住所、それと電話番号を教えてくれますか?」
「そ、それは…」
リンは言葉に詰まった。
「リンさん?」
翔子が「どうしてなの?」と言いたげにリンを見る。
「やはり教えていただけませんか?」
「ごめん」
リンの答えを聞いて、純菜は「わかりました」と決意したみたいにうなずいた。
「リンさんのことは、わたしが何とかします」
この言葉には万金の重みがあった。何故ならば、岬純菜がリンの身元を保証すると請け負ったようなものなのだから。
もっとも、リンにそんなことは分かりはしない。思いが及ぶはずもない。
「いいの?」
「わたしはリンさんのファン2号なんですから、当然です」
ニッコリと純菜が笑って
「あ、あたしだって、何かあったら力になります」
張り合うみたいに翔子はリンの手を取った。
バリバリとヘリは飛んで、2つ向こうの駅近くにあるMISAKIグループ所有の更地に停まった。
「じゃあ、ココで」
リンはヘリを降りると、走り去る。
その後ろ姿を見送りながら
「行きなさい」
純菜は翔子に聞こえないように命じた。
「ハッ」
と応えがある。
そうとは知らないリンは、例によって公衆トイレに駆け込んだ。
まったくの無防備である。
しかし、だ。
ちいさなハムスター達は凛のようにお間抜けさんではない。
個室に飛び込む寸前で、タックとチックは顔を見合わせて、リンから飛び降りた。
「油断ならねーな」
「まったくですわね」
そうして何喰わない顔でトイレに入って来たその者に、ヒマワリの種10個分の腹減りパワーを喰らわせたのだった。
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「申し訳ありません」
普段は姿を見せない隠密が、頭を下げる。
隠密…とはいえ、昔の忍者のような恰好はしてない。
普通のスーツ姿の女性だった。
「そうですか、あなたほどの者でも」
言いながら、純菜はベッドの端に腰掛ける。
そんな純菜の口調に軽い失望を感じ取って、隠密は「はばかりながら」と主張した。
「もう1度、お命じ下されば、今度こそ」
「いいえ、もういいです」
純菜は首を振った。
「隠密棟梁の娘として恥じない研鑽をつんだあなたが撒かれたのです。リンさんにも、同じぐらいの実力者がついていると思っていいでしょう。藪をつついて蛇をだす必要はありません、しばらくは様子をみます」
「…ハッ」
応えて、その隠密は音もなく姿を消す。
後に残った純菜は「ふふっ」と楽し気に笑った。
「ほんとうに何者なんでしょうね」




