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13:うじうじと悩む日

不定期投稿です!

明日も投稿できるとは限らないので、ご注意を。

干原ほしはら家の夕飯はテレビを点けながら食べることが多い。それというのも母親のむつみが今はなき大洋ホエールズの大ファンで、その延長線上で野球観戦が大好きなのだ。むつみの出身は言うまでもなく神奈川の川崎である。


そんな野球大好きな母親に育てられておきながら、凛がどうしてサッカーに走ってしまったのかは謎といえば謎だが、それは今のところ関係ないので割愛する。


ともあれ。

観戦中のむつみは饒舌だ。うんちくを滔々と語る。それこそ会社で溜めたストレスを発散するが如く喋る。凛と父親の正彦は慣れているので、右耳から左耳に素通りだ。実は出版社に勤めているだけあって、むつみの情報は同趣味の人からしたら垂涎ものなのだが、男2人はてんで野球に興味がないのだから仕方ない。


野球中継がコマーシャルにはいった。

それを見計らって、正彦は「そういえば」と話し始めた。


「MISAKIデパートでの話、聞いたかい?」


せっかくの団らんなのだから、野球以外のことも話そうという気遣いである。


もちろん、むつみも夫の考えは分かっている。充分に野球の話をして満足していたこともあって、正彦の話題に乗っかった。


「聞いた聞いた! すっごい美少女がステージにのぼって100点満点を叩きだしたんですってね」


ふ~ん、と凛は呑気にアスパラの肉巻きに箸を伸ばしながら聞いている。


一方で、かぼちゃを食べていたタックとチックはカジカジするのを中断して、何か言いたげに凛を向いた。『美少女』『100点』というワードで、誰のことを言っているのか分かったのだ。


というか!


分かってない凛がおかしいとは思わないで欲しい!

しつこいようだから、これで最後にしよう。凛は、TSしたリンを美人だなんてついぞ思ってないのだ。


正彦は言う。


「うちも撮影で2人ばかり寄越してたんだけど、そいつらが興奮仕切りでさ」


正彦はテレビ局に勤めているのだ。といってもキー局ではない。何百とある下請けのうちのひとつで、カメラマンをしているのだ。


「へー、まささんのとこで撮影してるんだ。まだ地方の選抜だっていうのに、大したものねぇ」


「そこはそれ、MISAKIが音頭を取ってるから」


「まぁそうよね」


「でさ、面白いのはそれからで。その女の子、名前も名乗らずに、逃げちゃったんだってさ」


「なにそれ? 100点満点とったのに?」


「100点とったら、ボクだったら自慢するけどなぁ」


などと言っていた凛は


「おかしいよな。でさ、みんなしてその子のこと探してるんだ。年齢は15歳ぐらいで、金髪なんだよ」


とまで聞いて、さすがの凛も分かってしまった。リンのことを言っているのだと。


「金髪なの?」


「そ、金髪。僕も動画をみたけど、あれは染めてる感じじゃないね」


「じゃあ、ハーフかしら?」


「う~ん…ハーフというほどバタ臭くないんだよね。クォーターとか、そんな感じかな?」


「あ、あのさ」と凛はおずおずと話しかけた。

「その子のこと、なんで探してるの?」


「そりゃあ、目玉になるからだろうね」


「目玉?」


「全国各地のオーディションで100点満点をだしたのはその女の子だけらしいからね。後楽園でのスカウト合戦で、お客を呼び込む目玉にしたいのさ」


そうまで聞いて、凛は食欲をなくしてしまった。


「ごちそうさまでした」


凛は食卓を立った。


「あら? もういいの?」


「うん、2階に行ってくる」


トントンと階段をのぼって自分の部屋に戻る。


バタンとドアを閉めた凛は「あ~」とベッドに倒れこんだ。


「おいおい、な~にしょ気てるんだ?」


「そうですわよ、あーたは元気なことだけが取り柄なんですから」


ペチペチとタックとチックが凛の後頭部を叩く。


「しょ気もするよ」


凛は枕に顔をうずめたままモゴモゴと言った。


「だって、目玉なんだよ、目玉」


「いいじゃんか! それだけ注目されてるってことだろ?」


「そうですわよ! 注目されてるってことは、おおぜいの人を笑顔にできるチャンスじゃありませんか」


「それが嫌なんだよぉ」


ゴロン、と凛は仰向けになった。

大慌てに2匹のハムスターが避難する。


凛は思い出す。おおぜいの人達の視線を。自分に集まって来る眼差しを。


翔姉えや純ちゃんは期待するようなことを言ってたし、あの場ではその気になってしまったものの、冷静になって考えると、やっぱり恐いのだ。


それに、あの白いスーツの人。ああいったワケワカランチンな人がいるのも恐い。


「やっぱし、アイドルとか無理かも」


「いまさら何言いだしてるんだ!」


怒り心頭でタックが凛の右頬を叩くけど、まったく全然、痛くない。


「アイドル以外に考えがありまして?」


チックが凛の額にのぼって腕組をして尋ねる。


「う~ん? サッカー選手とか?」


はぁ、とチックは溜め息を吐いた。


「階段をのぼるだけで息を切らしてるのに、サッカーなんて出来ますの?」


「というかさ!」


凛はガバリと上体を起こした。


コロコロと転がり落ちたチックと、ワンツーパンチを繰り出していたタックが、コツンとぶつかる。


「なんで変身したら女の子になるのさ? しかも、なんであんなに細っちいのさ?」


答えるべき2匹のハムスターはといえば


「重い~、どいてくれ~」


「レディに対して失礼ですわ! それに、あたくし、そんなに重くありませんわよ!」


タックのうえに重なったチックが抗議の最中だった。


「あのさ、聞いてる?」


チックを摘まみ上げて、タックと離してやりながら凛は訊く。


「サンキュ」とタックは言ってから答えた。

「そらさ、本来が女の子のための道具だからだよ。言っただろ? そもそもは伴場翔子を魔法少女にするつもりだったッて」


「変身後の容姿は、それがあーたの魂の形を反映しただけのことですわよ」


「ともかくだ! 君はアイドルになるべきだって」


「そうして、早いとこ沢山の人を笑顔にしてくださいまし」


「あ~」


凛は再び仰向けに寝っ転がった。


うじうじと悩む凛なのだった。






翌日。凛はま~だ決心がつかずにいた。


タックとチックの猛プッシュでデパート近くまで足を運んだものの、踏ん切りがつかずにデパート前の小さな公園でひたすら持参したサッカーボールをリフティングしていた。


フードの中では「ちゅーちゅー」と2匹のハムスターが喚いている。


タックもチックも焦っているのだ。


時刻は午後の4時。

5時にはオーディションのエントリーが締め切ってしまうのだから焦るのも当然だった。


オーディションの2日目は、1日目の合格者をさらに3名に選抜する。いくら100点満点を叩きだしていようが、2日目にも出場して、観客に選ばれないと、意味がないのだ。


それにしても、凛がうじうじし過ぎだと思うだろうか?

ハッキリしろ! と言いたい気持ちは分かる。


しかし、あなたの子供の頃に記憶を巡らせてほしい。


唐突に周囲の人々から期待を寄せられて、動揺せずにいられるだろうか?

しかも得意なことでも何でもないことで。


そういうことなのだ。


凛は朝のことを思いだす。

クラスでも、金髪の謎の少女は話題になっていた。持ち切りだったといっていい。誰も彼もが、今日はデパートに見に行くと話していた。


実際。


凛はMISAKIデパートに目を向けた。


平日の午後の4時だというのに、デパートは押すな押すなの大盛況だった。


「まさか、あれが全部、オーディション目的じゃないと思うけど…」


そんな凛の懸念は当たっていた。

全員がオーディション目的だったのだ。しかも、リンを見に来ていたのだ。


凛は知らないが、デパートの店員はお客様をさばくのでてんやわんやだった。


「どうしよう…」


カッチコッチと時計は進む。


ちゅーちゅーと2匹は喚く。


集中が逸れた凛は、ボールを取りこぼしてしまった。


てんてんと転がるサッカーボール。


そのボールを誰かが足で止めた。

軽やかなタッチで蹴り上げて、胸で受け止め、かと思うと、背中で受け止め、かかとで浮かせ、足を踊るみたいに交差させながら、ボールをこぼすことなくリフティングをする。


「…すごい」


凛は思わず感嘆してしまう。


その相手は、キラリンと白い歯を光らせる笑顔を向けて


「そら」


凛にボールを返した。


神宮寺達也だった。


「サッカー好きなのかい?」


達也が訊くのに、凛はコクリとうなずいた。


真っ白スーツの人だと気付いたのだ。


でも逃げない。

何故なら……サッカーが上手だったからだ!


「リフティング、上手ですね」


「まぁね」達也は白いスーツをはたきながら応えた。

「けっこう練習したし」


言って、達也は凛の前まで歩くと


「よかったら、教えようか?」


「お願いします!」


一も二もなく、凛は頭を下げた。


実は、凛はリフティングがヘタッピなのだ。小1からサッカーをはじめて、リフティングは連続で50回しか成功できない。並の運動神経の持ち主なら、2年もあれば50回ぐらいはこなせるようになるのに、だ。


「いいとも」


達也はうなずくと、懇切丁寧に指導をした。


「ボールの中心を意識して」


「体の軸を真っ直ぐに」


時刻は4時半を過ぎてしまっていた。


もうタックもチックも諦めてしまったのか疲れてしまったのか、黙っている。


「久しぶりに体を動かすと疲れるな」


達也は上着を脱ぐと、ベンチに腰掛けた。


デパートの方を向いて。


「やっぱり来ないか…」


ボソリと呟く。


「だれか待ってるんですか?」


「あ、いや…そうなんだ。昨日さ、女の子を泣かせてしまってね。どうしても謝りたくって」


でも来ないみたいだな。

達也は力なく呟く。


凛は、それがリンのことだと分かった。


もう達也に対する怯えはない。

今の評価は『サッカーの上手な』『気のいい』お兄さんである。


だから、そんなお兄さんが自分のせいで困っているのを、リンは見ていられなかった。


「来て欲しいですか?」


「そうだね、来て欲しい。俺のせいで、彼女には夢をあきらめないで欲しい」


決めた。

凛は決めた。


アイドルになるかは、まだ分からない。けど、このお兄さんの悩みをなくしてあげようと決めた。


「ボク、もう帰ります」


そう言うと、達也は項垂れていた顔を上げた。


「そうだな、もうこんな時間だ」


「あの…ボク、干原ほしはらりんって言います」


「凛くん、か。俺は達也だ」


「今日は、ありがとうございました!」


「いいさ」


凛はダッシュした。


時刻は4時40分。


トイレに駆け込む。


凛はT〔天使に〕S〔スイッチ〕したのだ。

見知らぬ大人が話しかけてきたら……。

おおらかな時代なのです。

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