114:ミラクルガールの日
北海道での『晴駿』の撮影が始まってしばらくした後。
「頼んだぞ」
「おまかせを」
達也の言葉に、麗香は応えるけど、どーにもこーにも不安しかない。
車を運転させれば、サイドブレーキを引いたまま動かすし。
買い出しに行かせれば、予想の斜め上の品物を買ってくるならまだしも、警官に職務質問をされた上にも逃げようとして捕まって、迎えに行かなければならなくなるし。
達也はもう疑いなく、彼女のことをポンコツだと認定していた。
そんな麗香に、1日だけとはいえリンを任せなければならなかった。
達也は札幌で政財界の要人を招いてのパーティーなのだ。
もちろん例によっての顔見せである。
その席で久々に若葉にも会うから、麗香のことも尋ねてみるつもりだった。
「くれぐれもリンのフォローをよろしく頼むぞ」
「バッチリ任せてください」
返事だけは頼もしいんだよな…。
猫背で顔を伏せたままの麗香に、達也はしみじみ思う。
達也はもういっぺん何かを言おうとしたけども…
「行ってくる」
と背を向けたのだった。
バタンと車に乗り込む瞬間
「やれやれ」
麗香の『しんどいわぁ』と言わんばかりの声が聞こえた。
思わず呟いたのか、それとも聞こえないと思ってるのか知らないけど。
こーいうところがポンコツなんだよなぁ。
達也は車を発進させたのだ。
「タオルです」
差し出されたけど
「ゾーキンだよ、これ」
受け取ったリンが「あはは」と笑いながら、使い古して雑巾代わりにしているのだろう、ほどほどに汚れたタオルを広げる。
「ご、ごごごごご、ごめんなさい! 間違えました!」
麗香は謝るけど、傍で見ていたスタッフは『ぶっ飛び』だ。
あ、この『ぶっ飛び』て言葉はドラマで宮沢りえが使っていたもので、1990年の流行語なんだ。
驚いたときに使うとイイみたいで、この場合は麗香のとんでも行為にスタッフも『びっくりこきまろ』て感じなのだ。
悪意があってわざと間違えているんじゃないか?
スタッフは思うけど、当のリンが「そそっかしいなぁ、麗ちゃんは」なんて笑っているので、注意をする機会を失してしまった。
麗香の粗相はこれだけじゃすまなかった。
休憩用の椅子を用意してないし。
台本をなくしちゃうし。
お弁当を取りに行けば、転んでひっくり返すし。
散々だった。
これにはタックとチックも激おこかと思いきや。
「スゲーな、あいつ」
「奇跡ですわね」
感心しきりだった。
それというのも、麗香が失敗した後には続きがあったからなのだ。
休憩用に何時もリンが使っていた椅子は、ガタがきていて脚の一本が壊れる寸前だった。
麗香が別の椅子を持ち出したので事なきを得たけど、そのままの椅子を使っていたら、リンが座った途端に脚がポキリと折れて、怪我をしていたかもしれない。
あとで椅子を確認したスタッフは青くなったものだ。
台本をなくしたのだってそうだ。
手隙のスタッフで探し回るうちに、あるスタッフは灰皿からこぼれそうになっていた火のついたままのタバコを見つけた。あのままだったら、火事になっていたかもしれない。他のスタッフも、無断侵入してカメラ撮影をしていた雑誌記者を見つけたり、コンロでガスが漏れているのを見つけたりと、危ういところを回避していた。
お弁当は、ほとんど事件だった。
なんと、腐っていたのだ。しかも腐っていたのは、俳優陣に用意された豪華なお弁当だけだった。平凡なお弁当をあてがわれていたスタッフは気付けず、もしも麗香がお弁当をひっくり返さなかったら、幾人かは食中毒になっていたかもしれなかった。
こんなだから、タックもチックも感心していたのだ。
とはいえ!
ちーーーーともリンのフォローが出来ていないことは間違いない。
これがリンじゃなくて、たとえば藤堂美也子だったら。
確実に間違いなく、麗香はこっぴどく叱られて、担当を外されていたことだろう。
むしろリンが苛々しないほうが不可思議といえば不可思議だった。
まぁ、リン……凛の性格が大らかというのもあるけども、一応の理由はあった。
リンは麗香のことが好ましかったのだ。
そりゃー失敗はする。
するけども、麗香は常に全力だった。
その全力さが、サッカー少年には好意的にうつったのだ。
それに麗香は失敗したらちゃんと謝ったし、間違ったことは2度と繰り返さなかった。
え? そんなの当たり前?
その当たり前の『ごめんなさい』すらできない大人のなんておおいことか…。
リンはアイドルになって学んでしまったのだ。
「すみませぇん」
ペコペコと麗華が頭を下げる。
自販機で冷たい飲み物を買ってくるはずだったのに、よりにもよって温かいお汁粉を買ってきてしまったのだ。
「気にしないでいいよ、ボク、お汁粉好きだし」
ホントは大してお汁粉が好きじゃないリンである。
せめてコーンポタージュがよかったな。そんなことを思うけど、口には出さない優しい子なのだ。
「ドンマイだよ、麗ちゃん」
「すみませぇん」
な~~んて遣り取りを2人がしている、ちょうどその時。
「というわけなんだよ」
「おかしいですわね…」
達也から話を聞いた若葉は首を傾げていた。
「礼花さんは間違いなく優秀なはずなんですけど」
「そうはいってもなぁ」
賢明な読者の皆さんはもうお気づきでしょう!
礼花である。
若葉は、礼花と言っているのだ。
れいか。
達也は麗香だと受け取っているのだ。
人違いなのだ。
名前違いしていたのだ!
「確認してみますわね」
パンパンと手を鳴らせば
「お呼びでしょうか?」
若葉の隠密である三津子さん【このあいだ、ナンパされちゃったんですよ。ウフフ】が『シュタ!』と現れた。
おわ! は達也がのけぞるけど、若葉は慣れたものだ。
「かくかくしかじかなんですけど?」
「ああ、それでしたら」事情を聞いて、三津子さん【ティラミスって美味しいですよね】は納得したみたいにうなずいた。
「レイカ間違いしてるんでしょう。里でもよくあったんですよ、優秀なほうの音無礼花と、ぶきっちょなほうの雲類鷲麗香とで、レイカ間違いをすることが」
「…棟梁に確認してみましょう」
若葉はテレホンカードをお財布から取り出すと、公衆電話に差し込んだ。
…ところでテレホンカード。略してテレカって言うらしいんだけど、作者の場合はおばあちゃんが集めてたから身近にあったんですよ。でも、友達はだ~れも知りませんでした。
けっこう、ショックでしたね。
お話を戻しましょっか。
若葉から連絡を受けた棟梁は驚いた。
名前間違いをしたことに驚いたんじゃない。
「え! まだ着いてないんですか?」
実はアポロプロが北海道に出発した直後に、間違いだと判明して、直ぐに優秀なほうの礼花が向かったのだ。
およそ2週間前のことである。
この瞬間、達也を除いた関係者は「さては」と察した。
音無礼花は、重大な弱点があるのだ。それゆえに、優秀であるにもかかわらず、村で暇をしていたのだ。
その弱点とは…。
キキーー! とブレーキの音も高らかに、ランドナーと呼ばれる長距離専用の自転車が滑り込んできた。
「なんだなんだ」と休憩していたみんなが集まてくる。
そんななかでランドナーから降りたのは礼花だ。
「あれ~? オッちゃんじゃない」麗香が声をかけた。
「もしかして、北海道まで自転車で来たの?」
音無礼花の弱点。それは乗り物酔いしてしまうことなのだった!
車は勿論、電車だって、1時間も乗ってられない。ゲロゲロゲーになってしまう。
そんな彼女は、ゆいいつ乗れる自転車を漕いで、北海道まで遣って来たのだ。
「そうよ!」
言って。ビシリ! と礼花は麗香に指を突きつけた。
「マネージャーは交代よ! ウッちんはわたしと間違われたのよ!」
ガビーーン!
と麗香はショックを受けた。
けど、ショックを受けたのは当の本人だけ。
他の人は「だよね~」て感じだった。
いいや! 待って欲しい。
ここに、麗香のほかにショックを受けているのが1人。
リンだ。
「なにその自転車! カッコイイ!」
…ああ、そっちのショックでしたか。
土曜日の投稿でマネージャー篇が終わらないようでしたら
日曜日にも投稿したいと思います。




