01:大嵐の日
いったい10歳の男子は大きく2つに分けられると干原凛は考えている。
サッカーを大好きな奴らと、そうでもない奴ら、だ。
もちろん、凛は間違いなく確実に100パー、サッカーが好きな奴らである。
しかも観戦するだけじゃなく、自分でボールを蹴るのが大好きな少年だ。
ピピ! と目覚まし時計が鳴るよりも早くに凛は目をさました。
起きるなり、遮光カーテンを引いて、空模様を確認。
4月。朝6時の空は、もう明るい。明るいということは晴れだ!
「おっし!」
凛はガッツポーズを決めると、学習机のうえに畳んで置いておいたサッカーのユニフォームに着がえた。
それから仕事で疲れて寝ている両親に遠慮して足を忍ばせながら1階におりて、虎のシリアルにミルクをたっぷりかけたものとバナナを食べる。歯を磨き、トイレをすませて。
6時半。
「行ってきます」
と凛は網にいれたサッカーボールを手にして家を出た。
自転車に乗ろうとして思い出す。
「修理に出してるんだった…」
チェーンが切れたついでに新しい自転車を買うことになって、古いのは捨ててしまったのだ。
それで思い出して、ポケットのガマグチを確認した。
中には折りたたんだ500円札が1枚。自転車が使えないので、代わりにチンチン電車に乗れるようにと、母さんに前もって渡されたお金だ。
けど…。
この500円札を凛は使うつもりがなかった。溜めていたお小遣いとあわせて、ゲームソフトを買う軍資金にするのだ。
「しゃーない」
ということで、凛はジョグで駆けて行くことにした。
朝もまだ早い。集合場所の中央公園まで、余裕で着けるだろう。
うきうきして走る。
今日は他のチームと交流試合なのだ。しかも初めてのスタメン出場。小学4年…いいや、新学期からは小学5年か。5年生でスタメン入りは凛だけだった。
これで浮かれない方が難しい。
だから凛は疑問に思わなかった。街に人の出がほとんどないことに。
ちょーとおかしいな、とは気づいたものの。まぁ、日曜だし? 朝だし? とスルーしたのだ。
ところで。凛の住んでいる街は、しゃれている。景気が良いということで、複数の企業が協力してモデルタウンとして開発した街なのだ。だから建屋はどれも新しいし、若い女の子や奥様が喜びそうな、どことなしドールハウスめいた色遣いをしている。道路だって広いし、歩道はわざわざモザイク柄でデザインされていて、桜の木が植わっていたりするのだ。
そんな街を凛はハッハッと駆けて。疲れたから歩いて。また走って。たっぷり30分ほどかけて試合予定地の中央公園広場にたどり着いた。
「よかった、まだ監督来てないや」
広場の時計の針は7時を少し過ぎていた。
本来なら遅刻だ。
監督は厳しいので、遅刻がばれたらスタメンはふいになってたかも知れない。
でも、その監督はいない。いないのだから、遅刻じゃない。
「セーフ」
ユニフォームの裾で額の汗をぬぐう。
「…というか誰も来てないじゃん」
もしかして場所を間違えたか? とも思ったけど、小1から所属しているサッカーチームの試合場所を勘違いするはずもない。日にちだって間違えてない。何度も確認しているのだ。
なら、どういうことかと考えれば。
「みんなして寝坊か」
そう結論付けて、凛はもってきたサッカーボールでみんなが遣って来るまでリフティングをすることにしたのだった。
カッチ、コッチ、と時間が過ぎる。
凛はすっかりリフティングに夢中になっていた。だから目標にしていた連続の50回目を成功させたところで「おっし!」とガッツポーズを決めて、そして「あれ?」と首をひねった。
時計は8時をとっくに回っていた。
試合が始まっている時間だ。
なのに
「なんで、誰も来てないんだ?」
ようやく凛は気付いた。チームメイトどころか、公園に人の気配がしないことに。
取り合えずボールを網に戻しながら、凛は探るように周囲を見回した。怖い、なんて思わない。凛は良く言えば天真爛漫、悪く言えばちょ~とばかり抜けているのだ。そんなだから、土曜日の夜にテレビでやっている映画の世界に紛れ込んだみたいで、わくわくしていた。
「誰か居ませんか?」
恥ずかしいので、ちいさな声で言ってみる。
返事はない。
ドッキリかな? と思いつつ
「誰か! いませんか!」
こんどはもう少し大きな声で口にしてみる。
でも、やっぱり返事はない。ドッキリでもないみたいで、チームメイトが笑いながら現れることもなかった。
ニッと笑ってしまう。テンションが妙なあがり具合をしていた。
「誰かぁ! いないの!」
大声でわめく。
凛は返事が来るのをジッと待った。
何もない。誰もいない。
「あは! あはははははは!」
凛はお腹を抱えて笑ってしまった。なんだこれ、どうなってるんだこれ!
と
「やっぱりここに居た!」
キキ! と自転車を石畳にすべらせて凛の世界に闖入してくる者がいた。
「あれ? 翔姉え?」
息せき切って遣って来たのは少女だった。伴場翔子、12歳。春から中学生になる、凛のお隣の家のお姉さんだ。
「どしたの?」
「どしたの、じゃない!」
翔子は大股で近寄ると、凛の顔を両手で『ベチン』と挟んだ。
「まさかと思ったら、ほんとうに居るし! どうしてこんなトコに居るのよ!」
「ひょうしてって…。ひょうはは試ひゃいだし?」
「試合なんてやるはずないでしょ、これから大嵐になるっていうのに」
「ひょおあらひ?」
大嵐? 反復して、凛は視線だけで空を見た。
真っ青な空だ。雲のひとつもない空だ。
「ひょんとに?」
「ほんとよ! これから崩れて大荒れに荒れるってテレビでやってるんだから。外に出ないでくださいって」
「へぇー、チェレビ見にゃいから知んにゃいや」
凛はテレビをあまり見ない。見ていたのは、サッカーを始めるきっかけになった必殺シュートやドリブルをするサッカー・アニメぐらいだったが、それも2年ほど前に終わってしまっている。
翔子は文句を言いたげにしたけれど、口に出す代わりに、2歳年下の少年のほっぺたを思うさまモニュモニュと揉んだ。
「とにかくね、これから大嵐になんの! 連絡網で昨日の夜には試合がなくなったって電話があったみたいだけど、凛はもう寝てたんでしょ? で、おばさんは朝になってからあんたに伝えようと思って、それで朝になったら部屋がもぬけの殻だもんだから、おばさんもおじさんも大騒ぎなんだからね!」
言って、翔子は凛を解放する。
少年はほっぺたをさすりながら、察した。父さんと母さんが騒いでいるのを聞きつけて、翔姉えが「探してきます!」と自転車に飛び乗ったんだろう、と。
「行くわよ!」
自転車に駆け戻る少女の後を、凛も「へーい」と網にいれたボールを担いで付いて行く。
「後ろ乗って」
「え~、翔姉えの後ろなんてカッコ悪いじゃんか」
「チビのくせに生意気言ってんじゃないの」
2歳の差は大きい。しかも、女子は小学校高学年ぐらいからグングンと伸びる。凛は140センチに届かないぐらい。対して翔子は150センチを超えていた。
むー、と膨れる凛に「ほら、はやく」と翔子が後ろに乗るよう促す。
「ぜってー、追い越してやる」
凛は自転車の籠にボールを突っ込むと、荷台に飛び乗った。
「全力で走るかンね、しっかり掴まって」
言われるままに、凛は翔子の腰に腕を回して背中に張りついた。
翔子は自転車を加速させて、いっきに最高速までもっていく。
なんだろう? 掴まっていた凛は戸惑っていた。翔子の温もりと柔らかさに心臓がドキドキするのだ。
つい腕の力をゆるめると
「しっかり掴まってって言ってるでしょ!」
と翔子から言葉が飛んでくる。
「そんな心配しないでも大丈夫だよ!」
「大丈夫じゃないでしょ! 前に落ちたことあるでしょ!」
何年前の話だよ。凛がまだ小1の時だ。翔子に自転車の2人乗りをねだって、はしゃいだ末に走行中の自転車から落ちたことがあるのだ。
実際に落ちた全科があるし、その際の翔子の泣いていた様子を憶えているだけに、凛は強く言い返すことも出来ずに、仕方なしに翔子の背中にひっついた。
どうしてだろう? 頬が熱くなる。
ほどなく2人乗りの自転車は公園からでた。
そこで凛は遅まきながら、嵐が来ていることを実感した。
公園だと木立が盾になって分からなかったが、風がビュービューと聞いたこともない音を立てて吹きつけているのだ。真っ青だった空は、あっという間に灰色にくすんでいた。
「ん~! 風が強いぃいい! 負けるかぁ!」
翔子が全力で漕いでいる。凛がいなければ立ち漕ぎをしていたに違いない。
「翔姉え!」
凛は気まずい自分の心持ちを誤魔化すように声を張り上げた。
「もうサッカーしないの!?」
翔子は小学校を卒業するまで、チームメイトだったのだ。テクニック自慢で、同年齢の男子連中よりも頭ひとつ抜けて上手だった。ある意味で凛の理想とする選手であり、憧れだった。なのに、中学にあがるのを機にサッカーを辞めることを凛に宣言していた。
「しないよ!」
案の定の答えが返ってくる。
「なんでさ!?」
「言ったでしょ!? ホントにしたいことを見つけたから、もうサッカーをしてる暇がないって!」
「したいことって何だよ!?」
「ないしょ!」
まーたおんなじ答えだ。
不満に思いながらも、凛はそれ以上を問い詰めたりしなかった。誰だって内緒にしたいことはある。凛だって去年の夏に寝る前にジュースを飲み過ぎたせいでオネショをしてしまったのは母さんしか知らない、絶対に完璧にパーフェクトに秘密なことなのだ。今、翔子に訊いたのだって、会話に困って持ち出したことだった。
えっほ、えっほ。
翔子の漕ぐ自転車は、街の大通りへと出た。
いつもは結構な交通量があるのに、大嵐ということで車は少なかった。ただ、人通りはほどほどある。さすがに普段通りとはいかないまでも、大勢の若者が強風のなかをたゆたうように歩いていた。
この街は学園都市としての側面もある。出歩いているのは、無茶無謀な大学生だろう。
一部の学生は調子にのって、路上で音楽ライブまでしている。
凛と翔子は、そんな年上の男女を横目に、自転車専用レーンを進んだ。
チンチン、と背後から警笛の音がした。路面電車、別名チンチン電車がゆっくりと走って来ていた。
「翔姉え! チンチン電車! チンチン!」
小5である。子供というよりもガキである。中年以外でナチュラルにセクハラをかましてしまう年齢である。
「凛!」
「なぁに!」
「ば~か!」
「「 あははははは! 」」
2人して大笑いする。
チンチンと警笛が鳴った。凛と翔子に向かってだろう。
速度を落とした路面電車は自転車に並走すると
「お前等! なーにしてんだ!」
顔なじみの運転手が窓を開けて大声で訊いてきた。
「家に帰るとこです!」
「です!」
「乗ってくか!?」
「平気です! もうすぐですから!」
「ありがとうございます!」
「おう! 気をつけてな!」
チンチン電車にはお客が2人だけ乗っていた。3歳ぐらいの女の子と、そのお母さんだ。
女の子がニコニコと手を振る。
凛と翔子も手を振り返して……その時だった。
ガガン! と頭上で大きな音がした。
何事かと視線を向けた凛は見た。
10階建てビルに貼られていたスプリングセールの看板が外れて、強風にあおられながら自分たち目掛けて落ちてくるのを。
キャー! 悲鳴が聞こえる。ライブ演奏の音楽が止まる。
「凛!」
翔子がブレーキをかけたのだろう、キキー! という鋭い音がした。
看板がどんどんと大きくなる。
凛と翔子に向かって落下する。
呆けたように見上げていた凛は、誰かに強く抱きしめられた気がした。
気がしたというのは、直後にドドン! という物凄い音がして、衝撃がして、体が跳ね上がって……凛は気を失ってしまったからだった。
あらすじでも書きましたように、天使なクリーミーをリスペクトしております。
魔法少女に変身するのは次回。
アイドルになるのは……ちょい先になるかと思います。