【お題】お婆ちゃんのおせんべい・バールのようなもの
『本日未明、高橋芳江さんが自宅でバールのようなもので殴られ、死亡しているのが発見されました』
普段は芸能人の不倫や政治家の上げ足を取ることに夢中なマスコミが、突然舞い込んできた悲報に飛びつき、ネタとして消化する。
お昼のワイドショーでは良くある光景で、ゲストが「怖いですねー」とコメント。神妙な面持ちをしているが、どこか作り物っぽい表情なのも良くある光景だ。
警察は早々に孫の高橋大河(39歳無職)を容疑者として指名手配。
殺人犯が近所をうろついているかもという不安から、高橋家の近隣地区では集団登下校が行われ、また、隣家の住人にはTVの取材が殺到する一幕もあった。
・・・
少女は学校に馴染めないでいた。
集団下校という事で、町内会ごとの集まりで移動するも、その列から少し離れて歩く少女。
有志で引率役をしている大人も、彼女の事を気に掛ける様子がない。「いつもの事だ」と思っているのかもしれないし「殺人犯なんかにそうそう出会うものじゃない」と甘く見ているのかもしれない。
少女には不思議な力があった。「人の命が見える」そんな力だ。
「あの人、もうすぐ死んじゃうよ」そんな事を周囲の者に告げる度、少女は気味悪がられ、疎まれるようになる。周りの冷たい態度に曝されていくうちに「そういう事は言っちゃいけないんだ」と理解するようになった。
しかし、気味悪がられるという地盤が出来上がった後では、その少女の理解は置かれている状況を変えるには至らなかった。
そんな少女が今にも消え入りそうな命の持ち主を見つけた。
一歩歩くごとに命を零しているその男に目が引き寄せられる。雪の降る日で、フードを目深に被った男の顔は見えない。しかし、少女はその男が泣いている様に見えた。見えてもいないのに大の大人が泣いている様に感じる、それが不思議で少女はひどくその男に魅かれた。
下校の列を離れ、近寄る。
列は角を曲がり行き、少女がいない事に気付く者はいなかった。
「おじさん、死んじゃうの?」
少女は道端で男に声を掛けた。今から死ぬ人に不気味がられようとも別にいいと思った。
男はすっと視線を下げて、少女と視線を合わせる。
何かに納得したように数度頷くと「おじさんはね、死ねなかったんだよ」男はそう少女に告げた。
「死にたかったの?」
「大好きな人をね、殺したんだ。一緒に逝こうと思ったけれど、怖くなった」
少女は男の零れ落ちていく命に手を伸ばし、触れた。それは涙という形をとっていた。
一人の老婆との生活の中で仕事と生活の両立が上手く出来なくなったこと、その老婆にもう迷惑はかけたくないと言われて悲しかったこと、動かなくなった老婆に触れて泣いたこと、自分も死のうとして、出来なくて、ひどく悲しかったこと、そんな気持ちが流れ込んできた。
男はこれから死ぬのではない。もう死んでいて、命がその状態に向かって状態を合わせようとしていっている。それが分かった。
少女は男に待っているように言い、近くのコンビニに入っていった。
暫くして店から出てきた少女は「これ、お婆ちゃんと一緒によく食べたでしょ」と、一袋のおせんべいを男に渡した。
男はしばし硬直したが、そっと少女からおせんべいを受け取る。
袋を開け、それに齧りつく。それを飲み込む頃には男の命の流出は止まっていた。
少女はその様子を観察してから、男から離れる。
命を見ることが出来る自分には、流れ出る命を留める術が分かるようだ。
それと同時に理解した。留まる命を垂れ流させることもまた、自分には出来るのだと。
未来において世界の敵と呼ばれるものが、この瞬間に産まれた。