四話「スプリガン」
「おでは負けないんだどっ!」
土煙が晴れ、その異様な影の正体が現れる。
小柄な体に緑の肌、そして尖った耳を持つ醜い小人……見た目はどう見ても普通のゴブリンにしか見えない。
だが異様だったのは、そのゴブリンが自分の四倍ほどはある大剣を易々と振り回していることだった。
「ゴブリン? いや、違うよね……あいつらにそんな力は無いし……それになんか色が濃いよね」
そう、彼はゴブリンにしては色が濃い。
通常のゴブリンが深緑なのに対し、彼はそれよりももっと黒に近い緑をしていた。
「あれは……」
「? 何か知ってるの?」
「来ないならっ! こっちから行くどっ!」
何かを話そうとする女傭兵を遮り、目の前の偽ゴブリンがその大剣で斬りかかってきた。かなりの重量を持つその剣は想像を絶する速度で少女達に振り下ろされる。
「ちっ! 避けてっ!」
「……かしこまりましたっ!」
間一髪、二人はその剣先から逃れることができた。
そして少女は怯むことなく、手に入れたばかりの能力を……発動する。
「能力『遠吠え』発動! あおおおぉぉぉぉおん!」
突然犬の様に叫ぶ少女。
能力『遠吠え』、それは遠吠えすることによって、周囲のモンスターの狙いを自分へと引き付けることができる能力だ。
少女はそれを目の前の偽ゴブリンへと放ったのだ。
「お前うるさいんだど! まずはお前からやってやるんだどっ!」
「わあっ! ほんとにかかった!」
振り下ろされた大剣が向きを変え、少女の方へと振り抜かれる。
だが少女はそれを後ろ跳びで避け、再び能力を発動した。
「『風の加護』『身体能力強化』『認識力強化』発動! あはっ! もうさっきまでの私とは違うんだよっ!」
「ちょこまかどっ! お前鬱陶しいんだどっ!」
なおも続く大剣の剣戟。その速度は既に並みの人間では捉えることができないほどに達していた。
だがオルトロスの『超直感』を駆使した少女は、強化された身体能力でその剣戟を次々と躱していく。
偽ゴブリンは少女の動きに、段々と苛立ちを募らせていった。
「うがああぁッ! なんで当たんないんだどっ!」
ついに痺れを切らした偽ゴブリンが、最大威力の振り下ろしを少女に放つ。一撃必殺の斬撃。だが今までの連続攻撃とは違い、隙が多いその攻撃。
少女はそれを待っていたのだ。
「あはっ、かかったね! 喰らいなよっ!」
その攻撃を避けた少女は偽ゴブリンの懐に潜り込み、能力を発動する。
「発動っ! 『能力効果二倍』『威力倍加』『音波の波動』!」
それは、先ほど少女が散々苦しめられたあの能力。少女はそれを強化した上で至近距離で放ったのだ。
だが、
「だめですっ! 逃げてくださいっ! そいつは【スプリガン】ですっ!」
「へっ?」
女傭兵の悲痛な叫び。だが不幸なことに……少女は知らなかったのだ。『スプリガン』と呼ばれる魔物の、その恐ろしさを。
そして、自分がどうなるかも。
「があアアアァァァァあッ!!」
「なっ、なんだってぇっ!?」
目の前の小柄なスプリガンの体が、大きく膨張する。腕が、胴体が、脚が、破裂でもするかの様に大きく膨らみ、急速にその姿を変えていく。
巨人だ。トロールほどの……いやそれ以上の巨人が、少女の目の前に現れた。
だがトロールと違い、その全身は脂肪ではなく分厚い筋肉の鎧で覆われている。
その緑の巨人が、彼の本当の姿。身体能力と固有能力の一部を使用不可にすることで、自身の体躯をゴブリンほどまでに『縮める』ことが出来るモンスター。
それが、推定Sクラス下位のモンスター……【スプリガン】だ。
「嘘っ……」
「危ないっ、避けてくださいっ!」
少女は行動するのが遅かった。いや、音波の波動の反動で動けなかったのだ。
スプリガンは、そのオークほどはあろうかという黒々とした脚で、少女に向かって全力の蹴りを放つ。
『認識力強化』でも捉えることができないほどの速度で、彼女は地面ごと蹴り飛ばされた。
「がああぁぁぁぁあ! ぼっ、『防御力強化』『生命力増加』っ!」
少女は意識が飛びそうな衝撃に身を晒されながらも、自己を守る為に能力を発動した。
だが遅い。蹴撃に全身を砕かれた少女は地面に叩きつけられ、その固い岩盤を破壊する。
「――ッ! 」
動けない……。防御力を上げてはいたが、少女の半身は無残にも潰れ、その中身を露出していた。
死ぬほどの痛み。いや、普通なら死んでいただろう。
だが少女の発動している『生命力増加』と『上位自己再生能力』が、そうはさせてくれなかった。
「ひいっ…… いだい……いだいよ……」
少女の身体を、言葉にできない痛みが容赦なく犯す。
だがどうすることもできない。死が、近づいてくる。
「グウぅぅう……オデを舐めルからそうなルんダドッ! 覚悟すルんダドッ!!」
「……あぁ……ぐぅっ……」
オルトロスほどの速さに、トロールほどの力、そしてそれ以上の防御力。
いくら能力をたくさん手に入れたとしても、小さな少女に勝てるはずがなかった。
相手は巨人なのだから。
――だが、それは一人だったらの話だ。
「グウッ! 何ヲスルンダどっ! ハナセっ!離すんダドッ!」
突然の事態に声を荒げるスプリガン。
人形と化したトロールとオーク達が、彼の身体に纏わり付き、その動きを止める。そしてオルトロスが、剣を持つ腕へと牙を突き立てた。
スプリガンが暴れて、どれだけ傷つけられても、彼らは死ぬその時まで命令に従い……絶対にその手を離さない。
それが彼ら『人形』なのだ。
「……『能力効果二倍』……発動。ふぅ……ごめんね、みんな」
少女はようやく立ち上がる。潰れた体はすぐ元どおりにはなったが、消耗した体力は回復していない。既に満身創痍だ。
だが少女は構える。動かない体に鞭を打ち、その青い目で真っ直ぐにスプリガンに狙いを定める。
これが……最後のチャンスだ。
少女は賭けるしかない。この一瞬に。
「……いくよっ! 『身体能力強化』『脚力強化』『反応速度強化』『風の加護』『超直感』『能力効果二倍』……同時発動っ!」
複数の能力の発動。それは、少女に大きな負担をかけた。
脳が焼き切れそうになり、眼球が飛び出しそうになる。
だが少女は奥歯を噛み締め、駆け出した。
「はあああぁぁ!」
オークが、潰されていく。オルトロスが、トロールが、その命を削っていく。
もう時間がない。
「これで終わりだっ!」
少女は地面を揺らしながら勢いよく飛び上がり、通路の天井に着地する。
それは、オルトロスを倒した時と同じ方法だ。だが、今回は少し違った。
「『威力倍加』『会心の一撃』! 追加発動っ!」
更なる能力の発動。ただでさえ限界に近い少女の脳は、絶え間なく危険信号を発する。
視界が白く染まり始め、ちかちかと点滅する。だが、それでも少女は止まらない。
「喰らえぇっ! 『妖精脚――鎌鼬』!」
少女の全身全霊の踵落としが、スプリガンの額へと吸い込まれた。
それは旅をしていた二ヶ月間の間に手に入れた『蹴撃』の中の一つ。能力ではなく、人間が使う『技』。
それは少女の切り札でもあったのだが……
「くぅっ!」
「ムダだァッ! オデニハ効かナイんダド!」
無残にもそれは弾かれ、無効化された。
――だが、少女の目にはまだ諦めの文字はない。
「まだだよっ! 『妖精脚――暴風』っ!」
能力により底上げされた少女の蹴りが、雨あられとスプリガンに降り注ぐ。
その度にスプリガンの額から、黄緑色の光が飛び散る。
――『障壁の鎧』
それはスプリガンが持つ特性の一つだ。
その能力は、全身を覆うように障壁を貼り、一定量に達するまで全てのダメージを無効化するという能力。
それ故にもし少女が彼に触れることができたとしても、奪う力は発動せず逆にやられていただろう。
「オマエッ! マさカ……やめロオオォォォォオッ!」
だが、少女はそれを知っていた。
『能力効果二倍』の効果を受けた『超直感』。その効果が、既に未来予知の域に達していたからだ。
「でやあああぁぁ!」
今の少女には全てがわかる。スプリガンが後どれだけ動けないかも、後どれだけ蹴り続ければ障壁が壊れるかも。
「アァアアァァァアッ! オマエェェェェエッ!」
スプリガンの身体に纏わり付くモンスター達はその全てが脳の枷を外され、彼が思っている以上に凄まじい力を発揮している。
振りほどこうにも、解けないのだ。
彼の表情が、恐怖に歪む。
「嫌だッ、オデを勝手に生ミ出しトイて、勝手に殺すなんデ! オデはソんナ理不尽なんか認めないどッ!」
甲高い音を響かせ、彼の全身を覆う障壁が砕ける。
「その話は、全部終わったら聞いてあげるよ。でも今はとりあえず、眠っててね」
少女が、スプリガンのむき出しの額に触れた。
――力が発動する。
「おではただ、『外』の世界を……」
「あっ……もう限界だ……」
意識を奪われたスプリガンと、疲労が最高潮に達した少女。
二人はそのまま、固い地面へと倒れ込み、同時に意識を手放す。
戦いは少女の勝利によって、全てが終わった。
――――――――――
「うぅーん……あれ? 僕は一体……」
少女の体に広がる柔らかな感覚。三度目にもなれば、もう嫌でもわかるだろう。
「うぅ……そうか、僕はあのまま気を失ったんだね」
限界を超えて能力を行使したからか、頭が燃えるように痛い。少女は顔をしかめながら、その『ベッド』から起き上がる。
「おーい! お目覚めですかー!」
「……あはは、やっぱりそうだよね……」
遥か遠くから聞こえてくる女傭兵の声。少女は彼女の膝の上などではなく、もっと大きなものの上に寝そべっていたのだ。
「まあ、オークじゃないだけマシなのかな?」
少女はスプリガンの、鍛え上げられた大胸筋の上で寝ていたのだった。
悔しいことになかなか寝心地が良い。
当然嫌悪感もあったが、こればかりは仕方のないことだ。
悔しい……でも眠っちゃう。
――少女は少しだけ唇を噛んだ。
「はあ……じゃあとりあえず、意識だけ返してあげるよ。とりあえず話をしようね」
少女が、眠るスプリガンの顔にそっと手を向けると、彼はすぐさま目を覚ました。
だが当然体の支配権は取り上げたままだ。
「あれ……? おでは……そうか、もう死んだんだど」
「勝手に死なないでよー」
スプリガンは目を覚ましたばかりでまだ状況がわからない様だった。
少女はそんな彼の様子にやれやれと首を振りながらも、その表情に笑みを浮かべる。
「良かったあ、意識が戻って。とりあえず聞きたいことがいっぱいあるから、僕の質問に答えてくれないかな?」
「君は……そうか、おでは負けたんだな。もう……いいど、観念するど」
彼は諦めた様に目を瞑った。
先ほどの戦闘の時との違いに少女は少し驚いたが、気にせず彼に問いかける。
「僕を何と勘違いしたのかとか、この階層で何が起こっているのかとか……いろいろ聞きたいことがあるんだけど、とりあえず!」
それは、少女が本当に聞きたかったこと。
「僕の仲間にならないかな?」
「仲間? このおでを?」
少女の意外な質問にスプリガンが目を丸くする。
だが彼女は気にせずに続けた。
「うん、僕の仲間だよ。外に出たいんだよね? だったら一緒に来ないかな? 僕なら……」
それができる。少女は自信たっぷりに、目の前のスプリガンに宣言する。
外に出る。外の世界を見る。それは彼の長年の夢だった。
この迷宮にて生み出された彼は、外の世界のことを知らなかったからだ。
不可能だと、諦めようとしていたであろう夢。それを少女は叶えると……簡単に言ってのけた。
「でもおで……この迷宮に縛られてるんだど! ……それに、おでは君に酷いことをしたんだど……?」
「ふふっ、そんなのもういいよ? 僕は君を許す。それでもうあの戦いのことは終わりだよ。」
少女は、その小さな手をスプリガンに差し出す。
「僕なら、君をここから出してあげられる。だって僕は……妖精だからねっ!」
その日、少女は独りぼっちではなくなった。