三話 三つ巴
スライムを倒しオークの群れを蹴散らした少女達は、その後も更なる力を求めて迷宮内を走り続けていた。
少女達の背後からは、地面が揺れるほどの地響きが鳴り続けている。今まで人形に変え続けたオーク達、総勢三十七匹が出す足音だ。
「いやでもさすがにやり過ぎたかな……でもなんでオークしか出てこないんだろう」
あれから何体かのモンスターと遭遇したが、何故かその全てがオークだった。その結果が、少女達の後ろから響く足音である。
「そろそろ飽きて来たんだけどなぁ……能力も被ってるし……オークって気持ち悪いし」
これならスライムの方がまだましだ。少女は既に記憶の住人になりつつあるあの粘体を思い出す。
彼はまだ生きているのだろうか。少女の思考がどうでもいいことに向き始める。
だが……その時進行方向の通路の地面に、何かが見えた。
「んっ? あれは……」
少女の目にあるものが映り込んだ。
赤い、大きな水溜りとそこに転がるたくさんの塊。それらが通路を塞ぐ様に広がっていた。
「うぷっ……! これ人じゃん! うわえぐい……おえ」
「……はい、人ですね。それも傭兵のパーティーだと思われます」
「わあ、冷静だね……」
少女は喉に込み上げる苦いものを堪えながら、それらを観察する。
人の死体だった。だが何故かそれらは全てが何かに噛み砕かれたかの様に損傷しており、原型を留めているものは一つもない。
唯一そこらに散らばる破損した武具から、それらが元々人間だったのだと認識することができた。
人間を、それも武装した傭兵をここまで出来るとは……一体どの様なモンスターなのか。
そう考えた瞬間、死体に対しての不快感よりも、まだ見ぬ強力なモンスターに対しての期待感が上回った。
「よし! こんだけのことができるモンスターなんだ、絶対に良い能力を持ってるに決まってる! じゃあみんな行くよぉ……おえええぇっ!」
だが、最後まで我慢できなかった。
少女は胃の中身を全て地面にぶちまけ、倒れこむ。
少し休憩しよう。その言葉は声に出されることはなかった。
――――――――――――
「うーん、はっ! あれ? 僕は一体何を……ああそうだ! 気絶したんだったね」
体に伝わる柔らかな感触と、小刻みな振動。その感覚で、少女は倒れた自分を誰かが運んでくれているのだと理解する。
「えへへ、なんだぁ気がきくじゃん。まさか僕をおんぶしてくれるなんて、さすがだね!」
「……いえ、それほどでもありません」
「あれっ?」
その声から感じる違和感。遠い、明らかに遠い……少女をおぶっているなら、絶対にこの声はすぐ耳元で聞こえる筈だ。
だが彼女の声は、少女の下方向から聞こえてきた。それは絶対におかしい。少女の体に寒気が走り、鳥肌を起こす。
嫌な予感がする。これは、もしかして……。
「これオークじゃん! 何してくれてんの!? 止まって! みんな止まってえぇ!」
その声に反応し、走っていた女とオーク達は一斉に立ち止まる。そして少女はオークの肩から飛び降り、目の前に立つ女に詰め寄った。
「一体君はどういうつもりなんだよ! こんなに可愛い僕を……よりによってオークなんかにおんぶさせるなんて! その……妊娠とかしたらどうするんだよ!」
「……? オークの強制妊娠は実際のせぃ……」
「わー! わー! やっぱりいい! 今のなしなし!」
少女は顔を真っ赤に染め上げ暴れた。
『幼い』少女にとって強制妊娠を持つオークは、完全に嫌悪の対象だ。もう触れるどころか見ることもしたくないのに……おんぶをされてしまったのだ。少女の怒りは最高潮に達していた。
「とにかく! 次にもし僕か倒れたりなんかしたら君がおんぶしてね! 分かった?」
「はい、かしこまりました」
「全く……ふんっ!」
少女は赤い顔のまま、勢いよくそっぽを向く。今の少女にとって、それが一番の怒りの表現だったのだ。
その時背後に立つ、少女をおぶっていたオークが少し悲しそうな表情をしている様に見えたが……少女には知る由もなかった。
「はあ、でもまあいつまでも怒ってても仕方ないよね。じゃあそろそろ行くよ!」
「……はい、かしこまりました」
完全に立ち直ったわけではないが、とりあえず進まなければいけない。目的を見失ってはいけないのだ。
そして少女達が歩き始めた……その時。
「アオオオォォォォォン」
「グロロロロォォォォォッ!」
とてつもなく大きな獣の鳴き声と、何かを破壊する様な激しい戦闘音が、どこからか聞こえてきた。
「っ! これって……絶対にあれだよね……!」
少女の頭に浮かんだのは、先ほどの倒れた原因になったもの……傭兵達の無残な死体だ。
噛み砕かれた様な死体と、鳴り響く獣の唸り声。 関係がない訳がない。
「早く行かなきゃねっ! さあ急ぐよみんな!」
少女のオークと女傭兵に対しての怒りは、未知のモンスターへの期待感に完全に塗りつぶされた。
――――――――――
そこでは、なおも激しい戦闘が繰り広げられていた。
「グオオオォォォオッ!」
「ガアァァァァァアッ!」
唸り声を上げる犬の様なモンスター。人間よりもはるかに大きいそのモンスターは、それぞれの顎門に生え揃ったナイフの様な牙を剥き、目の前の敵の体表に交互に突き立てる。
それは……その巨体に似合わない速度で相手を翻弄し、二頭の頭で獲物を確実に仕留めるモンスター。
双頭の黒猟犬【オルトロス】
「ゲギャガァァァァッ!」
それに対するは、腹部が異様に膨らんだ、オークよりも二回りほど大きい醜悪な巨人。
不釣り合いなほど発達した長い柱の様な腕。それを振り回し敵を捕まえようと暴れまわっているが、オルトロスの速度についていけず、全身に大小の傷を受け続けていた。
だが驚くことに受けた傷は再生し、すぐに元通りに復元されていく。
それが、能力『上位自己再生能力』を持つモンスター。
樹海の番人【トロール】
何故……モンスター同士が迷宮内で争っているのかは分からない。ギルドの記録を遡っても、こんな事態は見つからないだろう。
それでも彼らは戦う。命令のまま……どちらかが死に絶えるまで。
――――――――――
「うわぁ……思ってたより激しいな」
遂に目当てのモンスター達を見つけた少女達。だが、その激しい戦闘に加わることもできず、遠くからそれを眺めるだけだった。
「すごい……ねえ、あれってなんてモンスター?」
「……はい、双頭の犬の方がオルトロスと呼ばれる魔物です。もう一匹の緑の巨人が、上位自己再生能力を持つトロールです。どちらもAクラス下位の実力を持つ非常に強力な魔物です。」
「へえ! いいねいいね! 僕はそういうのが欲しかったんだよ!」
上位自己再生能力。その魅力的な響きに、少女の口からよだれが垂れる。
どうしても手に入れたい。少女の目は、プレゼントを目の前にした子供の様に輝いていた。
「……でも、どうやってあれに近づけばいいんだろうか。さすがに厳しいや」
少女は頭を回転させ、必死に考える。
そして、おもむろに走り出しの構えをとった。その目には……もう迷いはない。
「まあ、やってみないと分からないよね。じゃあ行ってくるよ」
「……お気をつけて」
再び少女の周りに風が吹き、その体を吹き飛ばす。
風の祝福を受け追い風に吹かれたその体は、実体を持った風だった。
「『風の加護』『脚力強化』『身体能力強化』発動!」
『身体能力強化』それはオークの中の一体が持っていた固有能力。それは文字通り、身体の全ての能力を強化する力だ。
脚力強化ほど特化しているわけではないが、既に少女の速度はオーク襲撃の時よりも大幅に上がっていた。
「……くらえ、まずは厄介なオルトロスからだ」
少女の全力の突進。今までにはない速さで、背後から双頭の犬に向かう。だが……
「なッ! 避けたっ!?」
オルトロスはそれを、見ずに避けた。少女が出せる最高速度。それでもまだ……速度特化のモンスターには勝てなかった。
だが、少女の勢いは止まらない。
「ちぃっ! 仕方ないねっ……まずはトロール! お前からだ!」
オルトロスへと突っ込んだその勢いのまま、狙いをトロールへと変える。柱の様な腕を躱し、そして、そのトロールの分厚い脂肪に覆われた胸に飛び込んだ。
「ゲギャァガッ!」
「やああああああっ!」
その衝突の勢いに、トロールの巨体が僅かに仰け反る。
そして少女は手に入れた……Aクラス下位のモンスターの体と、固有能力『上位自己再生能力』を。
「ふぅ……まずは一匹か。じゃあ次はお前だね!」
「グルルルルゥ」
支配したトロールの肩に乗っている少女は、背後で新しい敵に唸り声を上げるオルトロスへと向き直った。
その四つの目は、油断することなく少女を……獲物を睨む。
すると……突然、オルトロスがその二つの顎門を大きく開いた。
「これは……っ! まずいっ!」
「ガアァァァァァアッ!」
不可視の衝撃波。その顎門から放たれた強力な波動が、少女の体を目掛け放たれる。
「『防御力強化』!」
少女が守りの能力を発動したその瞬間、彼女の全身に走る激しい痛み。まるで身体を激しく揺さぶられ、内側から圧力をかけられていく様なその感覚。
少女は体が破裂してしまいそうな痛みを受け、意識が飛びかける。
「がぁっ!……音波の攻撃……かな……? 体の内側の水分を揺らして……体内から壊していくのか……。あはっ、もしかして……」
音波による遠距離攻撃、それはおそらく何かしらの能力だろう。
だがそれよりも真に恐ろしいのは、奴が少女の能力をこの一瞬で理解したことだ。
自身の得意な近距離戦闘を避け、不得意な遠距離戦闘に切り替える。奴には……あのオルトロスにはそれだけの知能があるのだ。
少女には、それが何よりも恐ろしかった。
「……痛っ!……これはまずいね。本当に、どうしようかな……」
だが無慈悲にも、再びオルトロスの顎門が少女に向けられる。
「……くっ、僕を……守れっ!」
再び放たれた不可視の波動。だが少女はそれをトロールに受けさせ、自分を守らせる。
少女の体に外傷はないが、内側からの損傷が酷い。
少しでも再生しないと……今度本当に死んでしまう。
「ぐぅっ……これでもなかなかきついねぇ! それに……トロールも長く持たないみたいだ……」
壁として少女を守るトロールだったが、再生能力を失った彼はその振動に耐えられず、口や鼻から黒ずんだ血を吹き出す。
限界が近づいているのは、明白だった。
「どうにかしないと……本当に死んじゃうかもね」
オルトロスの波動が止まる。だが、少女は動けない。
彼女を庇うトロールも既に動くことができなくなっていた。もう絶体絶命……このままでは、死ぬ。
だがそれでも少女は必死に考える。勝つために、自分が生き残るために、この逆境を乗り越えるための方法を。
「振動する攻撃……防御力無視の体内からの破壊。どうすれば……あっ待てよ、これならもしかして!」
その時、少女は閃く。
だがその瞬間、再びオルトロスの顎門が開かれ、今日何度も見た衝撃波が放たれた。
それは未だ壁として少女を守り続けるトロールに命中し、その体内を容赦なく蝕む。
「……ぐぅっ、ごめんね? もう少しだけ我慢してね」
そして少女は再び、『風の加護』『脚力強化』『身体能力強化』の三つの能力を発動し、構えを取る。
さっきは避けられた。だが今回は、絶対に成功させる。
少女の額から、大粒の汗が垂れる。狙うは、衝撃波が終わった後の一瞬の隙。これを逃せば後はない。
そしてオルトロスの攻撃が止まった、その時。
「はあっ!」
少女は飛び出した。
「……お前のその能力は強いけどっ! 連続で撃てないんだろっ? だったら今しかないよねっ!」
少女の出せる最高速度で、目の前のモンスターとの距離を詰める。
だが、オルトロスは閉じたばかりの顎門を開き、恐ろしい速度で詰め寄る少女へと狙いを定める。
本来なら連続使用ができない強力な能力。それをもし連続で使うなら……
「当然弱体化しているはずだよねっ! それならどうにでもできるんだよっ!」
放たれる、四度目の衝撃波。だが少女は避けることなくそれに立ち向かっていく。
そして、彼女はある能力を発動した。それは彼女が迷宮で一番初めに手に入れた能力。絶対に使うことがないと思っていた能力。
「能力、『再構築』発動っ!」
『再構築』。それの本来の能力は、スライムが液体状の体を操作するときの能力。それを少女は、自分の体内で発動した。
スライムとなった少女の体液は振動を柔らかく受け流し、その衝撃波を無効化した。
「こうなればもうこっちのものだね! 覚悟しろっ!」
少女は衝撃波を流し続けるオルトロスの眼前で勢いよく飛び上がる。そして、手首を噛み切った。
「痛っ! くらえ必殺……強酸スライム弾!」
「ギャインッ!」
オルトロスへと向けられた傷口から、強酸となった『血』のスライムが飛び出し、オルトロスの四つの目を焼いた。
能力『強酸体液』と『再構築』の応用だ。
「じゃあとどめだっ! くらぇぇぇえ!」
少女は天井を蹴り、目を焼かれて完全に怯んでいるオルトロスへと突っ込んだ。
着地のことなど何も考えず、ただ早く、逃げられないうちに『触れるために』、少女は自分で出せる最高速度でオルトロスの体を目指す。
そして……
「うっぎゃああああぁぁぁぁあ!」
突風となった少女は無事にオルトロスの体に触れることはできたが、当然少女の体は無事ではなかった。
触れた瞬間肋骨が全てへし折れ、内臓が全て潰される。体内に走るその不快感。そして遅れて来る気が遠くなる痛み。
胴体から思いっきり激突したので、当然といえば当然である。
「ぐぇっ! がはあっ!!」
そして少女はぶつかった勢いのまま跳ね返り、硬い地面へ勢いよく頭から着地した。通路内に大きな鈍い音が広がり、少女はピクリとも動かなくなる。
「……あぁ……これ、死ぬ……」
そして少女の意識は……再び闇に落ちる。
「はっ! あれ? 僕は一体……!」
意識を取り戻した少女。そして、その体に広がる柔らかな感触。何処かであった様なこの状況に、まどろみの中にいた少女の意識が急速に目覚めていく。
「ってまたオークじゃないよね!?」
「……お目覚めですか? おはようございます」
大丈夫だ、今度は少女のすぐ目の前から聞こえてくる。
少女が恐る恐る目を開くと、丁度女傭兵に膝枕をされているところだった。
「痛っ……くない!? 凄いね! あんなに酷い怪我をしていたのにもう治っているんだっ!」
「……そうですね、五時間ほどお眠りになられていましたから」
オルトロスに激突した時の怪我は既に治癒していた。恐ろしいまでの再生能力。これがAクラス下位の能力だ。
そして少女は大きなあくびをした後、目をこすりながら立ち上がり……
「よし! じゃあ早速手に入れた能力を見てみよう!」
能力の確認を始めた。どんなことよりも、これが少女にとっての一番の楽しみなのである。
「まずトロールは……『上位自己再生能力』『生命力強化』『威力倍増』『会心の一撃』だね! やったぁ強い!」
Aクラス下位だけあって、かなり強い。これだけでも十分なのだが、まだ少女にはもう一体が控えている。
「次は……オルトロスだね! これはすっごい期待してるんだよ!」
「……はい、かなり強力な個体でしたから」
少女が一番に期待しているのは、あの衝撃波。それ以外の能力はよく分からなかったが、多分良いのだろう。
少女は期待に胸を膨らませる。
「えーと……『超直感』『反応速度強化』『能力効果二倍』『音波の波動』『遠吠え』……つ、強い! 良いのかなあ!? こんな序盤で凄い力を貰って……!」
「……おかしいですね。これは、絶対におかしいです」
手に入れた能力のあまりの強さに浮かれる少女。
だが少女の浮かれようとは反対に、女傭兵は顎に手を当て何かを考えている。
「おかしい? なんで、なんかあったの?」
「……はい、いくらこの二体がAクラス下位の魔物だといっても、これまでの力はないはずです。この二体は明らかに……Sクラス下位に届くまでの力を持っています。」
「Sクラス……」
モンスターはギルドによってクラス分けがされている。そしてそのSクラス下位とは、単体で都市を落とすことができるモンスターに付けられるクラスだ。
少女は知らず知らずの内に、そんなモンスターと戦っていたのだった。
「こんな階層で、Sクラスが出てくるの?」
「……そんな訳ありません。先ほども言ったように、ここに出てくる魔物の中では普段はオークが一番強いです。そんな魔物が出てくるはずが無いのです」
「ふむ……異常事態、か……」
だが、少女にとっては好都合だった。
「あは、でもそれなら強い能力をたくさん手に入れられるね。僕には丁度良かっ……」
その瞬間、少女の背後の壁が弾け飛ぶ。
少女と女はその衝撃に吹き飛ばされ、反対側の壁へと叩きつけられた。
「ぐぅっ……今度は何!?」
「……迷宮の壁を壊すだと? そんな馬鹿な……」
土煙の中、小さな影が近づいてくる。その影は大木の様な大剣を持ち、その切っ先を苛立たしげに振り回す。
「もう許さんど……おでを排除するつもりなら、おでだって戦ってやるんだど!」
その影は激しい怒りをあらわにし、震えるほどの雄叫びをあげる。
「おでは絶対に負けないどっ!」
今ここに……少女と、この迷宮の『元階層守護者』との戦いの火蓋が、切って落とされた。