二話 遭遇
少女は暗く暖かみのない冷え切った道を、休むことなく歩く。
既に迷宮に入って二時間弱が経過したが未だモンスターの一匹にも遭遇していなかった。
「あーもう! なんでモンスターが出てこないの!? 迷宮ってもっとうじゃうじゃモンスターが出てくるんじゃないの!?」
「……申し訳有りません。私にはわかりません。ですが本来は迷宮にはもっと沢山の魔物が出るはずです」
そんなの知ってるよ! 聞きたいのはなんでそれがいないかなんだよ! ……少女は思わず怒鳴りつけそうになったが、寸前で思いとどまる。そして、次に人形を作る時にはもっと空気を読めるようにしようと思ったのだった。
全く理不尽である。
「はあ、出てこないんなら意味ないじゃん……でもまあ、もう少し頑張ってみるかぁ」
「……はい、かしこまりました」
期待していた分落胆も大きい。
先ほどまでの元気は既に無くなっていたがどうすることもできないので、少女は再び歩き始める。
と、その時
どぽん
「ごばぁっ!? ごぼぉっ!」
突然天井から落ちてきた謎の液体が、少女の全身を飲み込んだ。
全身に針で突き刺されたような激痛が走る。
少女は慌ててそれから逃げ出そうともがくが、その液体はまるで意志を持っているかのように蠢き、少女を離そうとはしない。
いや、それはしっかりとした『意志』を持っていた。
人をその強酸の体で捕らえ溶かして吸収する流動体のモンスター……【スライム】が、その液体の正体だった。
「ごぼぉがぁっ!」
本来なら、これでスライムの狩りは成功するはずだった。だが、今回は相手が悪い。なぜなら彼は……彼女の全身に『触れて』しまったからだ。
少女を取り巻いていた液体が、力なく石造りの床に流れ始める。その粘つく水溜りの中から、少女はなんとか立ち上がった。
半ば溶けかけで全身が赤く爛れていたが、奇跡的に生きていたのだ。
「ごほぉっ! あー、死ぬかと思ったぁ……。飲まれてすぐに『酸耐性』奪ってなかったら死んでたよね、これ……」
とっさにスライムの耐性を奪っていなければ少女は死んでいた。今回彼女は珍しく運が良かったのだ。
全身がじんじんと痛むが、とりあえずスライムから奪った能力を見る。
「えーと、なになに? 『強酸体液』に『分裂』、『再構築』『隠密』と……『酸耐性』か」
その能力から伝わる明らかな違和感。少女は背後の女に向き直る。
「ねえ、なんかこの子強くないかな?」
「はい、明らかに強いです。おそらくこのスライムは本来ならもっと下の階層に住む、BからCクラスの上位種だと思われます。」
「だよねー」
こんな奴がこんな場所にうじゃうじゃいてたまるものか。
加減というものを知らないのかと、少女は呆れたような大きなため息をついた。
だけどそれよりも……このモンスターの少なさと、突然現れた上位種。これは間違いなく……
「下層で何かが起きてるよね」
「……はい、間違いないと思われます」
おそらく下層で何かがあり、このスライムみたいな上位種がこんな場所に来たのではないか。それが、二人が出した結論だった。
逃げ出して来たのか送り込まれて来たのか分からないが、それが今のところでは一番有力だろう。
「絶対に油断できないってことだね。いつあの子みたいなのが出てくるか分からないからね……でもまあ、とりあえず!」
「……」
決して油断できない。だがそれよりも、少女にはもっと大切なことがあった。それは……
「手に入れた能力を使ってみよう!」
「……はい、かしこまりました」
少女は早速手に入れた能力を順番に閲覧する。
「えっとまずは……『強酸体液』! これは名前の通り血とかの体液を強酸にするみたいだね! ……あっ」
酸耐性ではなくこちらを先に奪っていたら、体内から溶け出していた。間違いなく即死だろう。
少女の全身に鳥肌が立つ。今日は本当に運が良かった。
「……まあ、気にしないでおこう。次は『分裂』! なんだろ、自分が増えるのかな?」
「……スライムの特性です。同種の幼体を自身の体から生み出し、繁殖する能力です。」
「僕が今より小さかったら多分赤ん坊だよね。それはだめだよね」
赤ん坊にどうしろというのか。少女は一人で繁殖できるようになったが、それには全く興味がないようだった。
「えーと、『再構築』! これは分かるよ、再生するんでしょ? だって傷の治りが早いもん」
「……少し違います。再構築はスライムが液体状の体の形を変えるときに使う能力です。この能力が無ければスライムは形を保てなくなります」
「へー。あぁ、だからか」
少女はすぐそばに広がる粘ついた水溜りを眺める。ちょっと可哀想なことしたなと、少しだけ罪悪感に苛まれた。
「あれ? でもなんで傷の治りが早いんだろう」
「……おそらく傷口の体液を操り、治りを促進しているのでしょう」
「へー!」
やっぱりこの人を人形にして良かった。少女はついさっき怒鳴りそうになっていたことも忘れ、心の中で彼女を褒め称えた。
もっとも迷宮での案内役として彼女がここまで優秀だとは、少女も思ってもいなかったのだが。
「じゃあ次は『隠密』!これはあれだよね、気づかれない為の能力だよね?」
「……はい。気配を消し、気づかれにくくする能力です」
少女がスライムの接近に気づかず、無抵抗のまま飲み込まれたのはこれが原因だ。少女は既に身をもってこの力の強さを証明していた。
「で『酸耐性』……これはもう分かるよ、何度も命を助けられたしね。うーん、でも使えそうなのは隠密と強酸体液くらいかなぁ」
面白い能力は多かったが、残念ながら実戦で使えそうなものはあまりなかった。だが、出だしとしてはなかなか良いのではないだろうか。
「よし! じゃあそろそろ体も回復したし、歩き出そうかな!」
「……はい、かしこまりました」
いつの間にか少女の柔らかな肌は白さを取り戻し、赤みは完全に引いていた。むしろいつもより調子が良い様で、今は薄っすらとした光沢を放っている。
愛用のワンピースはぼろぼろのままだったが、体調は既に全快だった。
「あはっ、次はどんなモンスターが出てくるのかな」
そして、二人は再び歩き始めた。
――――――――――――
そしてスライムとの遭遇から小一時間が過ぎた頃、少女達は再び危機に直面していた。
「ねえ、この階層って普段はどんなのがいるの?」
「……はい、普段はゴブリンや下位のスライムがうじゃうじゃ、そしてオークが時々出てくるくらいですね」
「あー、そうなんだ」
そういって、少女は目の前の魔物達に再び目をやる。
少女の軽く五倍はありそうな背丈の、丸々と太った体を持つ緑色の魔物。【オーク】と呼ばれるそれらは手に丸太のような棍棒を持ち、豚のような鼻を鳴らして少女達を威嚇してくる。
だがなによりも異様だったのは……その数だ。
二十を超えるオークの群れが、少女達を囲んでいた。明らかにそれは異常だった。
普通の人間なら命を諦めるだろう。だが、あいにく少女は人間ではない、
「でもまあ、オークは初めてだから良かったよ。じゃあ始めようか、僕は追いかけっこは得意なんだ!」
オークの群れに気圧されることもなく、少女は特異な構えをとった。
体勢を低くして両足を前後に出し、両手の指先を真っ直ぐに地面に付けたその姿勢。
それはまるで……走り出すことに特化したかの様だ。
「じゃあ行くよ! 能力、『隠密』『風の加護』『脚力強化』発動!」
突然少女の周りに風が吹き、その翡翠の髪を揺らした。思わず見惚れてしまいそうになる、どこか神秘的にも見えるその姿。
――瞬間、少女の姿が消える。
「のろいよっ! 全然のろいっ!」
いや、消えたわけではない。視認できないほどの速度で走り出したのだ。
少女は背後からの風の祝福を受けながら、次々に反応が追いつかないオーク達に触れていく。
「グアアオォ!」
「あはっ! 何言ってるか全然分かんないよぉっ!?」
振り下ろされた棍棒を横飛びで避け、掴みかかった大きな手を踏みつけ飛び跳ねる。
少女は空中を魚の様に縦横無尽に駆け回る。
「あははっ! こっちは触るだけで勝ちなんだ! 負けるわけないんだよっ!」
一瞬。ほんの一瞬で獰猛なオークの群れは、その全てが空っぽの人形と姿を変えた。
彼らは動くことも反撃することも許されず、あっという間に心を蹂躙された。
やりきった少女は額の汗を手の甲で拭いながら、自慢げな笑顔で振り返る。
「ふぅ、疲れた! ねえどうだった? 僕の戦い方!」
「……能力の使い方は良かったと思いますが、動きに無駄が多過ぎます。触れるだけでいいのなら、飛び跳ねたり転がったりしなくても大丈夫だと思います。」
「うー、厳しいなぁ」
さすが、元傭兵は言うことが違う。
少女は火照って紅潮した頬に手を当て、感心した様に唸った。
そして、早速確認し始める。
「えーと、今回手に入れた能力は……『腕力強化』『認識力強化』『防御力強化』『中位治癒能力』『強制妊娠』 ……か! うん! 最後のやつ以外はいいじゃん」
「……『強制妊娠』はオークの特性ですね。多種族とも繁殖行為ができると言う能力です。その場合は遺伝を無視してオークが産まれてきます」
「それはもういいから。なんでわざわざ説明したの?」
なんとなく分かるが、できれば知りたくなかった。
一応少女も女性なので少し気分が悪くなり、苛だたしげに頭を振った。
彼女は気を取り直す為に他の能力を再び確認する。
「ふふっ、でもこの階層でこんなに強い能力が手に入るなんて思ってもなかったよ! これは下の階層にも期待できるんじゃないかな?」
「……はい、そう思います。」
「そうだよね! じゃあ急ぐよ。強いモンスターは待ってくれないかもしれないからね!」
そう言って走り出す少女。その表情には先ほどまでの苛つきはなく、希望に満ち溢れた、満面の笑みを浮かべていた。
――――――――――
「おでのオーク達が全滅しただど?」
暗闇の中、声を荒げる者がいた。
子供ほどの背丈に深緑の肌を持つ彼は、たった今配下のオークが知らせに来たその情報に、顔を赤く染め、激しい怒りを露わにする。
「ありえんど! 二十匹以上いたんだど! 絶対に許さんど!」
突然彼は地面に置かれていた、自身の四倍ほどはあろうかという大剣を掴む。本来なら子供の様な体格の彼に持ち上げられる筈はない。
だが、掴まれた大剣は勢いよく地面から飛び上がり、その勢いのまま目の前のオークに振り下ろされた。
「グゴアアァッ!」
一撃、たったの一撃でオークは両断され、その中身を宙へ散らした。錆つき、ところどころ刃こぼれしたその剣で、文字通り叩き斬られたのだ。
「はあっ、はあっ。まあいいど、そっちがその気なら……こっちだってやってやるんだど!」
彼は獰猛な瞳を宙に向け、手にしていた大剣を床へと叩きつける。大きな地響きが鳴り、彼の足元にひびが入る。
「おでは……絶対に負けないど!」
異常なまでの力を持ったゴブリンの様な彼は、誰もいなくなった部屋の中で、空気が震えるほどの雄叫びを上げた。