二話 「与えられたもの」
少女の意識が闇の中から引き戻される。
瞬間――全身に走る激痛。
蘇ったその痛みが、彼女のぼんやりとした意識を一気に現実へと引き戻す。
耐え難い痛みの中、少女は先ほどの夢のような出来事を思い出した。全てが白く染められた世界と、現実離れした美しさの『彼女』、そして交わした言葉。白昼夢の様に一瞬の出来事。
いつもなら、全て夢だったと言い切る様な記憶。
だが何故か少女には、あの出来事が夢などでは無く、まぎれもない現実なんだという確信があった。
そして少女は自分が金髪の男に殺される寸前だったことを思い出す。自分を守る為、とっさに両手で顔を庇った。
だが……不思議なことに、すぐそばにいるはずの男からは動く気配が一切感じられない。
「うぁ……?」
分からない。再び目が見えなくなった少女は状況が理解できないため、残された聴覚を使い必死に状況を理解しようとする。
――するとその時……
「おい、どうしたウィル!? しっかりしろ!」
もう一人の青髪の男の焦ったような声が聞こえて来た。彼は必死に金髪の名前をよぶが、それでも金髪の男からの返事は聞こえず、動く気配すら感じない。
一体何があったのか。少女は考え……そして、あることに気づいた。
自分と金髪の男との間にある、言葉にできない妙な繋がりの様なものに。
それは明らかに、少女が意識を取り戻してから出来たものだ。
「なんだ! 何なんだ ! お前一体ウィルに何をしたんだ!」
青髪の男が怒鳴りつける。金属が擦れる不快な音が少女の耳に触れる。だがその音は少女には届かない。
彼女は先程の夢のような出来事を思い出し、頭を回転させ考える。そして、一つの答えへと辿り着く。
もしかして僕は、この金髪の男の体を奪ったんじゃ無いのか? さっきの『彼女』が授けるといったのは、この奪い取る『力』のことなんじゃ無いのか?
――と。
確信が持てなくても、自信が無くても、今この状況を自分が打破するには縋るしかない。この可能性に。
そして少女は心の中で命じる。自分勝手に、我儘に……既に自分のものになっているであろうすぐそばに立つ男に。
”僕の命令だっ! 目の前の青髪の男を殺して、僕の羽根と目を取り戻すんだ!"
少女は見ることは出来ない。だが、少女の耳はしっかりと捉えた。金属がぶつかる甲高い音と、青髪の男の戸惑った様な悲鳴を。
そして今少女は確信した。全てを奪われた弱者である少女は、強者になるための『力』を手に入れたということを。
奪ってやる。その願いは通じたのだ。
「うぐぅあっ…… 痛えっ! 何しやがんだウィル! しっかりしろ!」
「や、やれぇっ!」
奇跡が起きた。そしてこれは少女にとって、目と羽根を取り戻す絶好のチャンスだ。彼女は続けて命令をする。人形となった金髪の男に。
「やっ、止めろっ! くそぉっ!」
彼女の耳へ届く激しい金属音。それは止むことなく、静まり返った森へ響く。
だが、それも遂に終わる。
「なんなんだよこれ、意味がわかんねぇ! こんなの割に合わねぇよ!」
青髪の男は、突然走り出す。素材である少女の目と羽根を持ったまま、金髪の男を見捨て逃げ出したのだ。
男の気配が、走る足音が小さくなっていく。
「ま……待って、お願、い」
希望が、崩れていく。
少女は金髪に命じて追わせようとしたが、全身にダメージを受け魔法も使えないこの状況で、頼みの綱であるこの男を自分から引き離すことは出来なかった。
どうすることもできない。少女は悔しさのあまり、強く歯軋りした。
「ううぅぅ、そんなぁ……」
青髪の男の気配は、既に消え去っていた。
悔しい。歯茎が裂け、口内に血の味が広がる。折れた指を強引に握りしめる。だが今はどうにもできないのだ。どれだけ悔しくても、今の少女には何もできない。
「はぁっ。そうか、仕方ないよね……」
少女は強引に思考を切り替る。こればかりはもうどうにもできない。だから ……
――今出来ることをすることにした。
「僕の前に、しゃがめ……」
男に命じ、自分の前にしゃがませる。そして少女はその鍛えられた体を支えにしてゆっくりと、痛みを堪え体を軋ませながら、立ち上がる。
少女の両手が男の顔に触れる。そして彼女はそのまま手探りで男の顔を探り……目的のものを見つけた。
「なんでも、僕のものにできるなら……『これ』だってできるはずだよね……!」
少女は勢いよく男の目に細い指を滑り込ませる。指に纏わりつく生暖かい肉の感触。その不快感に吐き気を覚えながらも、彼女は二つの眼球を抉り取った。
本来なら悲鳴をあげるほどの激痛なのだろうが、身体を奪われた男は声一つあげることなく、ただされるがままだった。
「うぅっ……えいっ!」
そして少女は両手にある生暖かく、ぬるぬるとした不快な手触りのそれを、自分の眼孔に勢いよく押し当てる。
本来なら、大きさが違うそれは少女の体には収まりきらないはずだ。だが、その二つの眼球はもともと少女のものだとでも言うかのように、すぽんと音を立てて入り込んだ。
「はぁはぁ、やった、成功だ!」
奪い取ったその目はよく馴染み、以前と変わらず、少女に周囲の光を見せる。そして、
「……お前が、お前のせいで……」
金髪の男が視界に映る。
先ほどまでの怒りが、再び少女の心を染めようとする。
だが、空洞になった眼孔から血の涙を流し続ける男の姿を見て、その感情は大きく削ぎ落とされた。
「はぁ……まぁいいや、お前を殺したところで、どうにもならないもんね。でも、それよりも」
少女は自分の体を見る。段々と自然治癒で治っては来ているが、それでもまだまともに歩けないほどのダメージが溜まっている。こうして男を支えに立っているだけで限界なのだ。
「早くあいつを追いかけたいけど、今は無理だよね。とにかく、この体を治したほうがいいよね」
そして少女は体を治すため、男に自分を『ある場所』へと運ばせるように命じた。
自分と同種の妖精達が住む楽園へと……。
――――――――――――――――
森の中を歩き続る。と言っても少女はまだ歩けるほど回復していない為、実際に歩いたのは金髪の男だ。
そして登り始めた太陽が真上を過ぎた頃、少女達はやっとその場所にたどり着いた。
金髪の男を茂みに隠し、少女はよろよろと森の中を歩いていく。手付かずの自然は綺麗だが、今の少女にとってはただの障害物だった。
そして、少女は遂に帰って来たのだった。自分達の楽園へと。
「みんな大変! ハイフェアリー様が帰ってきた!」
傷だらけの体を庇いながら歩く少女の周りに、人の手のひらほどの大きさの、羽根が生えた可愛らしい少女達が集まって来る。
それはフェアリーと呼ばれる、下位の妖精達だった。
楽園……それはこの森の奥の奥、秘境と呼ばれる場所にある妖精だけで作られた村のことだった。
非力な妖精達は群れになり、人間などの外敵が入ってこれないこの場所に引きこもり、平和に暮らしていた。
それは上位種である少女も同じだったが、彼女は今朝方仲間を助ける為、一人で飛び出したのだ。
それが罠だとも知らずに。
「ハイフェアリー様すっごいたくさん怪我してる! みんな早く治癒魔法をかけるよ!」
「大変! 羽根が千切れちゃってる!」
「大丈夫!? すっごく痛そうなお顔してるよ!?」
「みんな……」
少女の周りにたくさんの妖精達が集まってきて、すぐに治癒魔法をかけ始めた。
体がぽかぽかと暖まり、痛みが消えていく。傷ついた体が、癒されていく。
けれども、彼女の心は後悔と罪悪感で押しつぶされそうだった。
自分がもっと強かったら、もっと賢かったら、仲間達を助けることができたはずだ。こんなことになったのは全部、自分が弱かったせいだ。
そう、少女は思い込んだ。少女の心は張り裂けそうだった。
「ごめん……みんなごめん! 僕は、僕は誰も助けれなかったんだ! 約束したのに、みんなと約束したのにっ!」
少女は謝ることしか出来なかった。泣いて、鼻水も垂らして、必死に謝る。今の彼女には、そうすることしかできなかった。
「僕が……僕が弱っちかったから……どうにもできなかったんだっ! あんなに叫んでたのに……あんなに泣いてたのに! 僕は手を伸ばすことしかできなかったんだ!」
あの瞬間を思い出す。死にたくないと叫ぶ声、痛みに歪む顔、希望に縋ろうと伸ばされた腕。その全てが、少女の頭にこびりついて離れない。
けど……
「……大丈夫、だよ? ハイフェアリー様、泣かないで! あなただけでも無事でいてくれて、私たちは嬉しいよ?」
それでも、そんな彼女にも、妖精達は優しかった。自分達も辛いはずなのに、少女を責めるものは一人もいなかった。
あの時、真っ先に飛び出そうとしたのは彼女達だった。仲間達を救いたいという気持ちは少女よりも大きかっただろう。けどそれでも彼女達は涙を堪え、唯一生き残った少女の無事を祝う。
だけど、だけど……
その優しさが、逆に少女の心を追い詰める。
「……ありがとう、みんな」
そして少女は決意する。
「……みんな、聞いて! 僕は今から羽根と目を取り返しに行く! そして、殺されたみんなの仇を取りに行く! もしかしたらもうここに戻ってくることができないかもしれない、けど、行かせて欲しいんだ!」
「そんな! 危ないよ! そんなに傷だらけになっていたのに!」
「そうだよ! もう 大丈夫だから、ずっとここでみんなで幸せに暮らそうよ!」
必死に止める彼女達、けれど、既に決まった少女の気持ちは変わらない。
「ごめんね……もう、僕は決めたんだ。僕はもう逃げない、今度こそ、立ち向かうんだ!」
少女の決意は固かった。そして彼女は楽園から姿を消す。少女はこの先、もう二度と彼女達と会うことはないだろう。
そして……
「もう僕は、ここにいちゃいけないんだね」
少女は悲しげに呟いた。
――――――――――――――――
「ねえ、ウィルっていったっけ?お前」
楽園からしばらく歩いた森の中、妖精達から隠していた男に話しかける。たがもちろん返事は無い。
「お前の全てを僕が奪ったんだったら、その記憶も僕のものなんだよね? 見せてよ、あの青い男が何処へ向かったか考えるからさ」
続けて話しかける。すると、少女の中にこの金髪の男のものと思われる記憶が流れ込んできた。
「人間の街かな? ここは……街のはずれの汚れた小さな道、大きな馬車の中……黒いローブを着た怪しい男……この人が依頼を出したのかな?」
見つけた。記憶の中の確かな手がかりを。おそらくあの男は逃げ出した後、ここへ素材を持って行ったのだろう。
「今すぐ行きたいけど……今は別にやることがあるからなぁ、先にそっちから片付けようか」
先にやること……つまり、この力の発動条件である。だが、おおよその見当は既についていた。
「青髪の男には発動しなくて、金髪の男には発動した。その違いは多分……『私に触れたか触れてないか』かな?」
少女は自分の手のひらを見ながら、先程のことを思い出す。自分に攻撃して来たのも素材を剥ぎ取ったのもウィルだけで、その間青髪の男は一度も少女に触れていなかった。
「多分あってるだろうけど、一応確かめておこうか。……丁度いい練習相手も来たからね」
目の前の茂みががさがさと揺れ、少女よりも一回りほど大きい、緑色の何かが飛び出した。
それは【ゴブリン】と呼ばれる低ランクのモンスターで、人の子供ほどの大きさに緑色の皮膚に尖った耳を持つ、この森では頻繁に目撃されるモンスターだった。
「よし、じゃあウィル!あのゴブリンを捕らえろ!」
歯をかちかちと鳴らして威嚇してくるゴブリンに、ウィルが命令通りに襲いかかる。
多少の抵抗をしてきたが、子供ほどの大きさのモンスターが大人の傭兵に抗えるはずもなく、あっという間に組み伏せられてしまった。
「あんがとねウィル。よしじゃあ試してみるか」
「グゥッ!フガァッ!」
少女はしゃがみ込み。未だ歯をむいて威嚇してくるゴブリンのその頭部に、そっと手を乗せた。そして、心の中で念じる。
”さあ、ゴブリンよ!お前の全てを僕が奪ってやる!”
すると、手のひらを伝って少女の頭の中に何かが流れ込んでくる。そしてウィルと同じ言葉にできない繋がりのようなものをこのゴブリンにも感じることができた。
「そうか、やっぱり条件は触れることなんだね」
少女はその結果に満足そうな笑みを浮かべる。そしてゆっくりと立ち上がり、森の外れ……人間の街がある方角を睨みつけた。
「羽根も目も、欠損したものは妖精でも治せない。けど奪われたそれがあったら、また元どおりに治せるかもしれないよね。それに……」
少女は。自分をおびき出す為の犠牲になった妖精達のことを思い出す。そしてその元凶となったもう一人の傭兵と、黒いローブの人間を。
「待っててね……絶対に僕が後悔させてやるから……」
少女は歩き出す。失ったものを取り戻すため。