五話 迷宮の意思
「これからよろしくだど! 妖精さん!」
その大きさを再びゴブリンほどまでに縮めたスプリガンが、少女に手を差し出してくる。
少女の仲間になることを誓った彼はようやく体の支配権を返してもらえたのだ。
「こちらこそよろしくねっ! スプリガン君!」
少女も迷うことなくその手を握り返した。
初めての友達。少女は平静を装っていたが、本当は踊り出したいくらいに嬉しかった。
「じゃあ早速質問なんだけど、君達って……一体なんなの? どうやって、どこから生まれたの?」
少女の疑問に思ったこと。それはモンスターが発生する原理だ。
今日だけで複数の魔物と遭遇した彼女だが、彼らが一体どこから来たのか分からないのだ。
それさえ分かれば、もっと効率よく能力を集めることができる。
「ごめん、いつ生まれたかは知らないんだど……けど、なんでオデたちが生み出されたかはわかるど!」
「何の為に……それ詳しく教えて!」
迷宮がモンスターを生み出す目的。それは長い歴史の間でも未だ分かっていないことだ。
「オデたちは迷宮の体内に入った異物を排除する為の、抗体なんだど。迷宮は自分を守る為に、オデたちみたいなモンスターを生み出すんだど」
抗体、守る為……。少女は彼の、まるで迷宮が『生きている』かのような物言いに首をかしげる。
迷宮とはただの洞窟。とても生きている様には見えない。
「待って、自分を守る為って……どういうこと? 誰が何を守るの?」
少女が新たな疑問を口にする。
だがスプリガンはさも当たり前の様に口を開いた。
「誰がって、迷宮に決まってるど。迷宮はモンスターなんだど。こいつは……確かに生きているんだど」
「へっ?」
スプリガンはなんでもないように言い放ったが、少女にとってその真実は、今日一番の驚きだった。
「こいつは生きているから、逆らったオデを排除しようとしてたんだど」
「え……? じゃあつまりは、この迷宮がスプリガン君を排除する為に、オルトロス達みたいな強いモンスターを生み出してたってこと?」
「そうだど! オデはただ外に出たいと思っただけなんだど!」
スプリガンの黒っぽい顔に朱がさす。恐らく『迷宮』の理不尽な仕打ちに腹を立てているのだろう。
だが少女はそんな彼の様子に気づくことなく考えを張り巡らせる。
生きている。その事実は少女にとっては全くの想定外だった。
もし本当に『生きている』なら、彼女の能力が迷宮に対して発動するはずだからだ。
だが……、
「ん……。やっぱりダメか」
念のため石畳に触れてみたが、やっぱり能力は発動しない。
だがそうなるだろうとは思っていた。この迷宮に入ってから彼女はいろんなところに素手で触れていたからだ。
もし力が発動するなら、もっと早い段階で発動しているはず。
「それじゃあ……生きているとこと……生きていないとこがある?」
スプリガンから聞いたことを繋ぎ合わせるが、明確な答えは出ない。
まあ仕方がない、今は情報がほとんど無いのだから。そうして少女は考えることをやめた。
「うーん、気になるけど……今はまあいいや! それじゃあとりあえずこの迷宮を攻略しよう!」
「そうだど! それなら丁度いい近道があるんだど!」
そう言ったスプリガンが自信ありげに指差したのは、先ほど彼がたたき壊した壁の穴。薄暗いため、ここからではどこまでその穴が続いているのか分からないが、近くないことはあきらかだ。
「ここをまっすぐ行くと、おでの部屋に着くんだど。階層守護者の部屋には地下への階段があるから、そこから下層に行けるんだど!」
スプリガンは得意げに、すっかり薄くなった胸板を張る。
「いいねいいね! じゃあさっそく行こう! 行くよー傭兵さん?」
「……かしこまりました」
そうして三人は、ニューカリーナの大迷宮……そのさらに下層へと進み始めた。
この先一体どれほどのモンスターがいるのだろう。少女は心が浮き立つのを感じながら、スプリガンの後についていった。
――――――――――――
「見えたど! あれがオデの部屋だど」
スプリガンが指差す先には確かに部屋のようなものが見える。ようやくだ。ここまで来るのに既にかなりの時間が過ぎていた。
近道をしたとはいえ、ここはニューカリーナが誇る大迷宮。距離があるのは当たり前だ。
本来なら喜ぶべき瞬間なのだろうが……残念ながら少女達は今それを素直に喜べる状況ではない。
「分かったけどさぁ! とりあえずこいつらどうにかしようよぉっ!!」
その原因は彼女達を取り囲む無数のモンスター達。
なんの前触れもなく、前後左右から一斉に迫る無数のモンスター。それは少女が一瞬死を覚悟するほどの量だった。
少女と女傭兵の二人だけだったら死んでいただろうが、今は違う。頼れる仲間が少女達の背後を護ってくれているのだ。
「お前らッ! オデの友達に何するんだどッ!!」
再び巨人へと姿を変えたスプリガンが、その巨大な剣でモンスターを叩き潰す。
錆つき刃もほとんどすり減ったそれはもはや鈍器。一撃で十体近くのモンスターが潰された。
「僕も負けてられないねッ! 『能力効果二倍』発動ッ!」
少女もスプリガンに負けじと構えを取る。
腰を落とし、足を踏ん張り、迫り来るモンスターの群れに狙いを定める。
「『威力倍増』『会心の一撃』……ッ!」
能力によってさらに威力を高めながら、ギリギリまでモンスター達を引きつける。少しでもたくさん倒すため。
そして――
「『音波の波動』発動ぉぉッ!!」
能力により大きく強化された『音波の波動』が、目の前のモンスター達に放たれた。トロールの能力を併用したその威力は、オルトロスとは比べ物にならない。
……それはまさに音の台風。巻き込まれた哀れなモンスター達は、何も分からぬままその身体を内から破裂させていく。
それは今の少女が出せる最高威力の技だが、そのぶん反動も大きいようで、少女は力なくその場にへたり込んだ。
「し、痺れて力が、入らない……ごめん、後は頼んだよ……」
「はい……お任せくださいッ!」
間髪入れずに飛び出したのは女傭兵。彼女は少女が命じるままに自前の剣を振り回す。
四方から迫る攻撃を交わし、剣で急所を斬りつける。単純な動きの繰り返しだが、彼女の経験は決してモンスターに遅れをとることはない。
そればかりか……無数のモンスターの群れをあきらかに圧倒していた。
「やった! やっぱり成功だね!」
「はいッ、体が軽いですッ!」
そう、少女は先ほどのスプリガン戦であることに気づいていた。
実は少女達が吹き飛ばされた時、彼女は無意識のうちに、傭兵に対して『防御力強化』を発動したのだ。
本来、強化系能力は自分以外には発動できないが、あの時傭兵には確かに発動した。だから石壁に叩きつけられた彼女は無傷だったのだ。
そしてその時少女はある仮説をたてた。彼女の支配下にある者には、彼女の能力を発動出来るのではないか、と。
「いやでもよかったよ、上手くいかなかったら僕たち死んでたもんね」
「はいッ、ほんとですねッ!」
結果その仮説は正しく、『身体能力強化』と『上位自己再生能力』を発動した傭兵は、今も人間離れした力を見せつけていた。
理想通りの結果に少女も満足げに笑う。
「もうすぐ僕の反動も治るから、あと少しだけ頑張って!」
「了解ですッ!」
傭兵はなおもモンスターを斬りつけるが、人間である彼女は少女と違い体力に限りがある。
このままではいずれ押され始めるだろう。
さすがにそうなってからじゃ遅い。少女は痺れる体に鞭を打つと、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、それじゃあ僕もいくよ……『脚力強化』『風の加護』『反応速度強化』『超直感』同時発動ッ!」
少女は再び身体能力を無理やり引き上げると、いつも通りの走り出しの構えを取った。
狙うのは新たなモンスターの群れ。
「いっくよーッ! うおりゃあッ!」
風の加護によって再び疾風となった少女は、癖っ毛のある緑髪をなびかせながら真っ直ぐ群れに突っ込んだ。
「くらえッ『妖精脚――鎌鼬』ッ!!」
「ぎゃいんッ!」
地面を蹴り上げ体を高速回転させ、かかとで眼前の狼型モンスターを蹴り上げた。
「まだだよッ! 『妖精脚――旋風』ぇッ!」
そしてそのままの勢いで体を回転させ、周囲を取り囲むモンスターを蹴散らす。
ねじり、ひねり、まわし、風の力と脚力を最大限に使いモンスターの急所を的確に蹴りぬいていく。能力で強化された彼女の蹴りは、迷宮のモンスターでもひとたまりもない。
「あっ、能力だっ……てやぁッ!」
攻撃したおかげでいくつかの能力を奪ったが、今は確認している場合ではない。なにせどれだけ攻撃しても一向に数が減らないのだ。
次々に現れるモンスター達に、少女は苛だたしげに歯をきしませた。
「ちっ、キリがないね! 傭兵さんは大丈夫!?」
「はい、こちらもなんとか……ッ!」
少女の疲れ切った言葉に、傭兵も疲れた顔で返す。今はいいがどちらにせよこのままじゃジリ貧だ。
早くどうにかしなければと考えていると、少女の耳にスプリガンの怒声が響く。
「このままじゃ埒があかないどッ! 妖精さん! 傭兵さん! 一気に片付けるど!」
「一気って何するのッ!?」
「とりあえずオデの肩に飛び乗るんだど!」
「肩……? う、うん分かった! 行くよ傭兵さん!」
少女は戸惑いながらも、傭兵とともにスプリガンの肩に飛び乗る。
障壁の鎧は既に壊れているようだ。
「それじゃあいくど……能力発動――」
スプリガンが少女達を確認したその瞬間、彼の太い右腕が突然大きく膨張した。太い血管が浮き出し不気味に脈動する。
「――『パワー・スマッシャー』!!」
そして――スプリガンが咆哮とともに一気に腕を振りおろす。
その瞬間彼を中心に放たれる凄まじい爆発。それが彼が地面を叩いた衝撃によるものだと気付いた時、少女の体は既に宙に放り出されていた。
だがその体はすぐに、スプリガンの大きな手に捕らえられた。
「いくど妖精さん!」
「えっ!? だ、だめっ、待って待ってっ!!」
そう言って腕を振りかぶるスプリガン。これから一体どうなるのか……いやでもわかる。少女の顔が青ざめた。
「しっかり着地するんだど!」
「うわあああぁぁぁあッ!!」
「――――――ッ!!」
そして少女と傭兵の二人は、スプリガンの剛腕によって壁の穴へ投げ込まれた。
巨人状態での全力の投てき。その威力は計り知れない。
「くうっ、の、能力発動ぉッ!」
空中で傭兵を抱えながら少女は能力を複数発動する。
発動したのは『腕力強化』『脚力強化』『風の加護』『威力倍増』『会心の一撃』『生命力増加』『能力効果二倍』の七つ。
再び焼け付くような頭痛が起こるが、歯を噛み締めそれをこらえる。
「なにをッ!?」
「大丈夫だよ傭兵さんッ! 見ててね……ッ!」
そして、空気を震わせるほどの轟音が鳴り響いた。
迷宮の強固な壁に最大まで強化した少女の攻撃が突き刺さったのだ。あまりの衝撃に壁は崩落し辺りに土煙を撒き散らす。
「そっ、相殺したッ!?」
傭兵が驚きの声をあげた。少女は壁を叩き壊すことによって、投てきの勢いを殺したのだ。
勢いを失った二人はそのまま瓦礫だらけの地面へと投げ出される。
「大丈夫ですかッ!? しっかりしてくださいッ!」
「ぐふっ……だ……大丈夫……」
「とてもそうは見えないですが……」
生きてこそいるが、衝突時の衝撃に少女の体は耐え切れなかった。左半身はほとんど潰れ、残った半身も動かない。
生命力増加がなければ死んでいたかもしれないと、少女は背筋を凍らせた。
「す……すぐに……治るから……」
彼女はそう呟き、能力を回復特化のものに入れ替える。
そのおかげで体はみるみると復元されていくが、ダメージは確実に蓄積されていた。
「ごめん……ちょっとだけ眠るね。少ししたら起こして」
「は、はい……分かりました」
「お、起きたら……絶対に怒ってやる……」
少女の意識が落ちていく中、彼女が最後に見たものは、こちらに向かって走るスプリガンの巨大な姿だった。