一話 欲望の渦
「絶対に殺してやるッ!」
森の中に、悲痛な叫び声が響く。
その叫び声の主である少女は、目の前で意地の悪い笑みを浮かべているであろう二人の男に向かって、呪いの言葉を幾度と放つ。
「はっ! 殺してやるって、お前がか? 笑わせんな」
だがその言葉を受けた彼らは余裕の態度を崩さずに、逆に嘲笑の笑みを浮かべる。
軽い革鎧と剣で武装した彼らは、いわゆる『傭兵』と呼ばれる者達だった。
普段彼らは戦争などに参加したり、「傭兵ギルド」と呼ばれる機関にて発注される様々な依頼を受けたりして、その報酬を貰い生活をしてる。そして彼らは今日もまた依頼を受け、この森の奥へと足を踏み入れていたのだった。
その依頼とは、とあるモンスターの『素材』を採取することだったのだが、たった今その素材を手に入れ、依頼を達成したところであった。
「お前達なんか! 絶対に、絶対に殺してやる!」
全身に走る激しい痛みのせいで立つことも出来ない少女は、地面を無様に這いずりながら、「見えなくなった」 両目で傭兵の男達がいるであろう場所を睨む。
だが、
「鬱陶しいんだよ! 醜い魔物の分際で!」
「ぎゃんッ!」
目の前に立っていた金髪の男が、一切の手加減をせずに、少女の腹部を蹴り飛ばす。内臓を潰されるような不快な感覚。そして一拍遅れて走る激しい痛みと苦しさ。
「ぎゃあぁっ! はあっ!……あぁ」
少女は蹴り飛ばされた勢いのまま、背後の木の幹へと激しく激突する。背中からぶつかったため呼吸が止まり、彼女は苦しそうに喘ぐ。
だが……
「ははははっ! ほらぁっ、死ねよ! 人間みたいな見た目しやがって! 気持ち悪りぃんだよ!」
そんなことで、その理不尽な暴力は止まることはなかった。金髪の男は、何度も少女の小さな体を踏みつける。
彼らが今日依頼を受け採取しに来た素材は、【ハイ・フェアリー】と呼ばれる妖精の上位種の魔物、その羽根と眼球。
――つまり目の前でうずくまる少女の『もの』だった。
「やめとけウィル、こいつらの体は剥製にしたら高値で売れるんだ、あまり傷はつけるな」
「あっ、すんません先輩」
未だ蹴り続ける男に痺れを切らし、彼の隣に立つ青髪の男が軽く嗜める。するとウィルと呼ばれた金髪の男が軽く謝り、ようやく少女への暴力が止んだ。
「……うあぁ……」
痛い辛い怖い。このまま死んでしまうんじゃないかという恐怖が少女の心によぎった。
だがそれ以上に、許せない。こんな簡単に捕らえられ、挙句人間なんかに嬲られている自分が。好き勝手にされている自分が。
「……ぐうぅ……ごろず……」
少女は自身の希少性をなんとなく理解していた。それゆえ、本当はこの人間達の前に出てくるつもりはなく、ずっと隠れてやり過ごすつもりだった。
だが、傭兵たちは既にそれを見越していたのだ。
「はっ、無様だな。こいつらを見捨てたら助かったのによお!」
金髪が地面に散らばる『白いもの』を乱暴に踏みつけた。
その白いものは踏みつけられるたびに、少しづつその体を赤く汚していく。
「あぁっ……やめろっ! ……やめでぇ……」
乱暴に何かを潰すその音に向かって、少女は既に感覚のない手を伸ばす。
そう、彼らは罠を張っていた。あらかじめこの森に住む下位の妖精達を捕らえてきて、今日この場で殺したのだ。
ハイフェアリーを呼び寄せるため、わざと断末魔の悲鳴をあげさせながら。
少女は誰よりも優しかった。しかし……その優しさが今回は仇となってしまったのだ。
結果、仲間を助けに来た少女はその罠にかかってしまった。
「はあ、それより羽根と眼球はちゃんと保管したか? 両方とも希少なものなんだからな、もう手に入らないと思えよ」
「わかってますって心配性だなぁ、でもラッキーっすよね、こんなすぐに希少種のモンスターを呼び出せるなんて」
ハイ・フェアリーの透き通った羽根はある不治の病の特効薬になり、翡翠色の眼球は高性能な魔道具の素材となる。
そのためこの魔物は過去に乱獲され、絶滅の危機に瀕していた。それ故その希少性から素材は裏では更に高額で取引され、再び数を減らすことになった。
たった一体で巨額の富を得る魔物、それがこの少女の正体だった。
「ひぐぅ……うぐ……あぁああぁ……」
「わかったんならさっさと止めをさせ、もうこれ以上傷をつけるなよ」
「へいへーい、わかりましたよー」
金髪の男が少女の命を奪うために、ゆっくりと近づいてくる。
だが羽根と目を奪われた少女は、魔法を使うことができない。故に彼女は反撃することもできず、ただ悔しさに声を震わせながら呻くことしかできなかった。
「じゃあなモンスター、お前のおかげで俺も金持ちの仲間入りだ! 感謝するぜ」
そういって金髪の男は腰に差している装飾が施されたその剣を、ゆっくりとその鞘から引き抜く。
朝の光に照らされたその刃は、少女の血で汚れた顔を映す。
少女に死が迫る。少女の心では恐怖と絶望、悲しみと諦めがぐるぐると渦を巻いている。だがそれ以上に大きかったのは、ただ純粋な……この理不尽に対する怒りと憎しみの感情だった。
”僕が……僕等が何をしたっていうんだ! なんで、どうして何もかも奪われて、挙句命まで取られなきゃいけないんだ! こんなの……おかしいよっ! "
少女は怒りをぶつけようと、叫ぼうとする。
だが先ほどの踏みつけのせいで喉が潰れたらしく、その恨みの叫び声は風が抜けるような呻き声にしかならなかった。
そしてついに、男の持つ鈍く光る剣の切っ先が、自分へと向けられた。
「死ねっ!」
”だったら! ……僕が奪ってやる! ……お前らから何もかも奪ってやる!僕が奪われた以上に、お前ら人間の大切なものを……全てッ!……全部ッ! 残さず搾り取ってやる!”
少女の怒りと憎しみが弾け、彼女の中に、とある『感情』が生まれた。それはどろどろとした影となり……少女の心を、黒く染め上げる。
そして、その時
世界の動きが止まった。
少女以外の全てが、動くことを忘れた。男達も、騒々しい木々も、騒めく森も、その全てが動くことを止めた。
まるで白昼夢の様なその光景。だが、それに少女が驚くよりも早く、新雪の様に白いなにかが少女の体から溢れ、一切の動きを止めた男達を、木々を、森を、世界を飲み込む。
そして――世界は、完全な白へと染め上げられた。
少女の体が突然暖かく熱を持つ。誰かに抱きしめられているかの様な、不思議な安心感のあるそれは、傷ついた少女の体を柔らかく包み込み癒す。
そして少女の頭の中に、鈴の音の様に美しい声が響いた。
”……そうですか、貴女が今世の……。ふふっ、少し悔しいですが……これも『運命』なのですかね”
その声が聞こえると同時に、少女の目の前に『それ』が現れる。
――美しい。
まだ幼い少女には、それ以上にふさわしい言葉が思いつかなかった。
”ふふっ、どうしました? ぼーっとして。今は怪我の痛みも引いているはずですよ?”
目を細め透き通る様な緑の髪を揺らしながら、それは……『彼女』は楽しげに笑う。たったそれだけで、少女の心は『彼女』に奪われる。
言葉にできないほどの美しさ。だがそれ故に、『彼女』が自分が知っている世界の者ではないのだと気づいた。
ここではない、何処か別の世界。そこから来たのだろうと、少女は漠然とした答えを出した。
「だ、誰なの? ここはどこなの? 僕は……死んじゃったの!?」
立ち尽くしていた少女は、慌てて目の前の存在に向かって疑問をぶつける。『彼女』は全てを知っている。その確信があったからだ。
けど……
”……それなんですが、今はまだ『制約』のせいでなにも話せないのです。ですがその答えは、いずれ必ず教えて差し上げます。ごめんなさいね……”
『彼女』は申し訳なさそうにその形の良い眉を傾ける。その些細な動きだけで、少女は何を聞いても無駄なのだと悟った。
だが『彼女』はその申し訳なさそうな表情のまま、「ですので……」 と、言葉を続けた。
”先ずは私から、貴女に贈り物を授けようと思います”
そう言って、『彼女』がそっとその両手を左右に広げる。その動作に合わせて、『彼女』の体に纏わりつく木漏れ日の様に薄く輝く服がゆっくりと揺れた。
そして『彼女』は、少女へ問う。
”貴女は『罪』を背負う覚悟はありますか? 全てを受け入れる覚悟はありますか? 自分の為に、それだけの為に生きることが出来ますか?”
暖かく、どこか懐かしさを感じたその優しい声は、少女へと問う。
意味の分からない問い。普段ならそう思うだろう。だが少女には、それがどういう意味なのか、どう答えれば良いのか、その全てが理解できた。
頬が熱くなり、自然と体に力が入った。
そして少女は、その問いに向かって叫ぶ。
心から……その答えを。
「あるっ! 僕はどんな『罪』を背負ったっていい! どんな運命でも受け入れる! けど次はっ、もう後悔したくないんだっ! 何も無くしたくないんだっ!」
それが彼女の答えだった。
運命を全て受け入れる、だが都合の悪いことはいらない。我儘な答え。だがそれを聞き届けた『彼女』は満足そうな笑みを浮かべた。
”ふふふっ、じゃあ今度は、何処までも自分勝手に生きなさい。欲しいものは全部手に入れて、生きたい様に生きなさい。誰よりも『わがまま』な貴女には、それだけの力があるのですから”
微笑む『彼女』の螺旋模様の瞳が輝き、それに呼応する様に、少女の全身も薄く輝く。するとその瞬間、少女の胸の辺りから、どろどろとした黒いものが溢れ出した。
その黒いものは意思を持つかの様に動き、段々と渦を巻き始める。そして未だ戸惑う少女を飲み込み始めた。
少女の意識が、少しづつこの世界から遠のいていく。
”やっぱり貴女は、私と同じですね。この力は、貴女にこそふさわしい……。ではまたいつか、会いましょう”
愛おしむようなその優しい声。少女の意識はその声を最後まで聞き取ることが出来なかった。
そして少女は飲み込まれ、その視界は完全な闇へと落ちる。