1話
何故こんなことになっているのだろう。
どこで道を踏み外してしまったのだろう。
自問自答を繰り返す間にも、婚約者である少女はどんどん衰弱していく。腹部からの出血がひどく、きっとこれでは何をしても助からない。
彼女は俺を見て、涙を浮かべながら譫言のように呟いた。
「貴方を愛してるの。どうやったって、私は…」
「レナ」
「ねえ、お願いよ。皆から私がいなくなっても良いから、次は、次こそは、お兄様も、ディル、も…」
そう言って、愛しい彼女は血だまりに沈んでいった。
溢れる涙を拭わないまま。
時々変な夢を見る。
見覚えのない少女と俺が楽しげに過ごしている夢を。
何故か靄がかかっていて一度起きるとその時の感情を全て忘れてしまうのだが、夢の記憶ではとても楽しそうだった。
けれど、ただ楽しいだけではなかった。
夢の中には彼女以外の希望は存在していなかった。
親友のカイルが死んでいた。彼の両親が気を狂わせていた。犬猿の仲である実父が嬉しそうな顔をしながらご飯を差し出していた。
俺はただ泣いていた。
彼女を除き、登場人物は変わらない。
それなのにそこは希望が全くない世界だった。
どうして、夢の中の彼女をこれほど愛しく思っているのだろう。
どうして俺は⬛⬛を⬛⬛⬛⬛たのだろう。
いつの間にか溢れていた涙を拭い、上半身を起こす。
仕立てておいた執事服は皺一つ見つからない。立ち上がってそれを手に取り、普段通りに身につける。
朝食はハニートーストで、珈琲も忘れない。
普段と何も変わらないのだ。動揺する必要などない。
そう自分に言い聞かせ、カイルの元へと歩き出した。
俺は三年前から住み込みでカイルの執事をやっている。
実父から虐待を受けていたところを、カイルとその両親に保護されたのだ。その時は何が何だか分からなくて人形のように周りの命令に忠実に従っていたが、話をするうちに感情が芽生え始め、こうやって執事として毎日を送るようになった。
カイル達は命の恩人だ。そんな彼等が苦しんでいたあの夢は嘘に決まっている。
「カイル、起きろ!朝だぞ!起こさなかったらいつまでも眠り続ける癖はいい加減どうにかしろ!」
頭の中の雑念を振り払うように大声でそう叫んだ。
執事にあるまじき態度でドアを連打するのは相手がカイルだからだ。こいつがもう少し敬意を払えるような人格を持っていたらちゃんとするのだが、貴族の坊主とは思えないくらい色々とアレなので、最早主人として扱うのを止めたのだ。
「ディルかー、おはよー」
「おはようじゃねぇよ。今何時だと思ってるんだ」
「………んー、分かんなーい」
いつにもまして気だるげな声をあげるカイル。
この声は昔聞いたことがあった。俺を保護した後に俺の実父からの嫌がらせを受けていた―嫌なことを隠していた―時の声だ。
何かあったのだろうか。昨日までは何も異変はなかったはずだ。
「おい。お前何かあったのか」
詰問すると、ばつの悪そうな顔をして首を横に振る。
「夢見が悪かっただけだよ」
「お前もか…」
そんな偶然もあるのか、と軽く流した。
嫌な予感なんて気のせいだと思おうとしたのだ。夢見が悪いことなんてままある。それはいたって当たり前のことで、悪いことが起こる予兆ではないと思うために。
だが、それはカイルの一言で崩壊した。
「僕、夢の中で殺されたんだ」
ぞくり、と。
背中に悪寒が走った。
「その中に、見覚えのない少女がいなかったか」
「……いたよ。君と仲が良かった。僕は笑ってそれを眺めてた」
その言葉に恐怖を煽られる。
偶然にしては些か出来すぎている。何故同じ結末の夢を見ているのかは分からないが、これだけは言える。
『これは偶然ではなく必然だ』と。
「俺も同じ顛末の夢を見たんだ」
そう告げると、カイルはさっと顔を青ざめさせた。
これが予知夢かもしれないという可能性に行き着いたのだろう。
恐る恐る、俺に尋ねる。
「どんな…夢だったんだ?」
何故こんなに怖がっているのか気になったものの、とりあえずは質問に答える必要がある。
かいつまんで説明すると、どこに安心する要素があったのかは知らないがホッとした顔で溜め息をついた。
「そうか、じゃあもしかしたら、あの子は本当にいるかもしれなくて…彼女の未来をどうにかしないと僕は死ぬのか」
「そんなことにはさせない。が、とにもかくにもあの少女が実在しているのなら早めに会って話を聞かないとな。彼女が俺達と同じ夢を見ていたのなら、恐らくそれは何らかの因果によるものだからな」
「うん。君が味方で良かったよ。それじゃあ行くか」
意気揚々と歩き出したカイル。
「待て。あてがあるのか?どこに行くんだ」
思わず呼び止めると、カイルは、振り返って笑みを浮かべながら答えた。
「どこって、そりゃあ、舞踏会だよ」