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五分後

作者: 沢井 比呂

「お帰りなさい。そういえば、高校の始業式はどうだったの。二年生になったんだからクラス替えとかあったでしょう」

 お母さんの声がキッチンから響いた。

「別に、どうってこと無かったよ。それよりも、手元に気をつけて、もうすぐお皿が割れるよ」

 私――小出こいでユカ――は洗い物をしているお母さんに向かってそう言った。

「ユカ。また【予言】なの。いい加減にして」

 お母さんは声を少し荒らげた。

 私には、不思議な力がある。少し先の出来事。そう、五分くらい先の未来に私の身の回りで起きることが、その良い悪いにかかわらず、ときどき、ふいに見えてしまう事があるのだ。

 お母さんは、私が【予言】をする度、いつも不機嫌になる。そして、【予言】通りにキッチンの方から陶器が割れるガチャンという乾いた音が響いた。

「もう。せっかく大事にしていたお皿だったのに。どうして、割れると解っていて防げないのかしらね」

 お母さんは【予言】があったせいで余計不機嫌になる。

 私は、こんな時いつも【予言】を口にしなければ良かったと思う。私の不思議な力には大きな欠点がある。未来を見ることが出来ても、それを変えることは、今まで一度たりとも出来た事がないのだ。

 私だって見えてしまった未来が悪いものならば、それを変えようと、ずっと努力はしてきた。でも、そんな努力は無駄だった。五分前に未来が見えたからと言っても、未来を変えることは出来なかった。地震や津波、テロみたいな大きな事件を都合良く【予言】する事は出来ないし、さっきみたいなお皿が割れる、ちょっとした怪我をする、といった日常的な些細な【予言】でさえも変えることは無理だ。どんなに避けようとしても、吸い寄せられるように【予言】通りになってしまう。私は出来損ないの予言者なのだ。

 欠陥予言者である私はとうとう、この世界の仕組みをこんな風に考えるようになってしまった。

 神様だかビッグバンだか知らないけれどこの宇宙の出来た瞬間に世界がこの先どうなるのかは完全に決まっているのだ。

 たとえて言えば、昔のレコード盤のようなもの。世界が出来たのはレコード盤がプレスされたみたいなものでいつ、どこでどんなふうに音が鳴るのかはすべて決まっている。そして、私たちはレコードプレーヤーの針みたいなもの、今までどんな音を鳴らしてきたのかはわかっているけれど未来のことはわからない。

 私の場合、本来一つのはずのその針が五分後の未来にもう一つあって少し先の音を、嬉しくはないが、ときどき拾うことが出来るわけだ。だけど未来を変えることは出来ない。未来はレコード盤に、もう、しっかりと刻みつけられているのだから。

 こんなふうに考えているせいか、それともそう運命づけられているせいか、私は引っ込み思案で、友達も少ない。学校でも私は息をひそめて隅っこの方で誰にも気づかれないようにじっとしている。

 どうして、私にはこんな、何の役にも立たない力があるんだろう。いつだって私はそう考えてしまう。

 この力を手に入れたのはいつなのか、それとも生まれつきそうなのか、私にははっきりとは解らない。ただ、一番古い【予言】にまつわる記憶は、私がまだ三歳の夏のことだ。




 あの夏の暑い日の夕方、小さな私はお母さんに向かってこう言った。

「なんで、ママはないているの」

 お母さんは戸惑った顔をした。お母さんは料理をしながら笑ってテレビを見ていたのだ。

「ユカ、ママは全然泣いてなんかいないわよ」

 でも、私はこう続けた。

「ぴんぽんがなって、おとこのひとが、ごしゅじんがきゅうきゅうしゃでびょういんにはこばれたっていってたよ。それでママがないちゃったの」

「何言ってるの。そんなことあるはず無いでしょ」

 お母さんは諭すように私に言った。

 だけど、運命の五分後は訪れた。玄関のチャイムが鳴って、お母さんがそれに応えると、お母さんは体じゅうの力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

「ねぇ、きゅうきゅうしゃのことだったでしょ!」

 私は幼さ故の無邪気さでお母さんに問いかけた。でも、お母さんは何も答えることが出来なかった。

 お母さんと私は急いで病院に向かったけれど、病院の先生から宣告されたのはお父さんの死だった。あのとき、お母さんが顔に浮かべた何とも形容できない表情を私はずっと忘れることが出来ないだろう。




 その後も次々と未来のことを言い当てる私のことを気味悪く思ったのか、お母さんは私を連れて、いろいろな病院や大学、カウンセラーのもとを渡り歩き、私はついに今もお世話になっている、帝都大学ていとだいがく心理学部の山中やまなか先生に出会った。

 山中先生は私にいろんなテストを受けさせると母に告げた。

「おそらく、この子は未来と現在とがときどき同時に見えていることがあるようですね。よろしければ、私の研究に協力して頂けませんか。ときどきこういう子が現れることがあるんですよ」

 それを聞いたお母さんは、理解者に出会えたからだろう、安堵の表情を浮かべた。

 山中先生は私を実験材料としてテストするだけではなくて、未来のことと現在のことを見分けるテクニックを訓練してくれた。ポイントは、今現在に集中すること、つまり情報の連続性に注意すること、そして知らない人には決して未来のことを口にしないこと。

 おかげで私は表面的には普通の子と同じように振る舞えるようになった。

 それから、私は高校二年になる今まで、「おかしな子」に見えないように、細心の注意を払いながら、ひっそりと目立たないように生きてきた。




 新町しんまち駅からだらだらと続く坂を、十分くらい上った高台に私の通う私立高見しりつたかみおか高校はあった。

 高校の授業は退屈だ。特に、高校二年生の四月などという宙ぶらりんの時期ではなおさらだ。一学期の授業が始まって一週間もすると、クラスの中にいくつかグループらしき物が出来上がっていた。でも、私はそれらのどれにも入らずに一人で過ごしていた。

 こんな生活を送っている私にも同じクラスに気になる男の子がいる。本橋高志もとはしたかし君だ。本橋君は勉強が得意で、スポーツはもっと得意で、サッカー部では左ウイングのレギュラーだ。顔はすごく格好いいってほどじゃないけど、笑ったときのえくぼが印象的で、周りにも気を遣う事の出来る優しい男の子だ。

 授業の終わりの頃、窓際を眺めていると、五分後の休み時間の光景が目に入った。本橋君を中心に仲の良い子達が五、六人で輪を作って楽しくおしゃべりしている。でも肝心の私はその輪の中には当然いない。私は結局、休み時間を自分の席で小説を読んで過ごした。本橋君達の輪をうらやましいな、と思いながら。




 その日のホームルームが終わり、駅に向かおうと学校の玄関を出たところで雨が降っていることに気づいた。あいにく、私は傘を持ってきていなかった。どうしようかと迷っているうちに、他のみんなはどんどん先に帰って行ってしまった。そんな時、後ろから聞き慣れた声がした。

「小出さん。どうしたの」

 本橋君だった。

「えっ、あっあの、かっ、傘がなくって」

 私は緊張して、言葉がつっかえて上手くしゃべることが出来なかった。

「確か新町駅までだよね。一緒に帰ろうよ」

 本橋君は折りたたみ傘を広げて、それを差し出した。

「小さいけれど、どうぞ」

 本橋君と私は小さな一つの傘に一緒に入った。こういうの、世間のみんなは相合い傘って言うんだよな、と私は思った。私の胸はドキドキと高鳴った。誰にも見られてないよな、と私は辺りをきょろきょろ見回した。

「早く行こうよ」

 そう促されて、私は本橋君の傘の中に入った。

「本橋君。部活は無いの」

「この雨のせいで、校庭は使えないし、体育館もいっぱいで中止」

「そうなんだ」

 このあとも、本橋君は駅に着くまで学校で起きたことや、つまらない授業のことをおもしろおかしく、私に話してくれた。でも私は気になる男の子がすぐ近くにいるというこの状況のせいで緊張してしまって、「うん」とか「そうだね」とか面白くもない相づちを打つ事しか出来なかった。

 駅に着くと、本橋君は私に尋ねた。

「小出さん。家はどっちの方なの」

「こっち」

「じゃあ、俺と一緒の方だ」

「でも、今日は用事があって、逆の電車に乗らないといけないの。傘ありがとう。それじゃあね」

 私は、ちょうどホームに着いたばかりの家とは逆方向の電車に急いで乗り込んだ。

 電車が駅から発車すると、私は最悪だ、と思ってうなだれた。あんな受け答えじゃあ絶対に本橋君の私に対する印象は良く無い。そうやって悔やんでいるうちに、電車はいつのまにか帝都大学前駅に着いた。雨はもうすでに上がっていた。




 駅から歩いてすぐの好立地にある帝都大学は町の中に突然に森が現れたみたいでとても威厳がある。その大学の校門をくぐり、葉桜の並木を抜け、大講堂を右に迂回し、五分ほど細い道を歩いた先に山中先生の心理学研究室のある三号棟はあった。高校生の見学者も多いのだろう。学生服で歩いている私を見ても、ここの大学の学生は気にもとめない。三号棟の中の階段を上り四階の山中先生の研究室に着いた。

「先生、こんにちは」

「ユカちゃん。こんにちは」

 この声の主は山中先生だ。机の上に、山のように積み上がった書類の陰から先生の姿が現れた。

「いやぁ。ご苦労様。よく来たね」

 山中先生の頭は、初めて出会った、私が小さかった頃と比べるとずいぶん後退してきていて、立派なM字ハゲになって、お腹も出てきていた。でも、私は優しい山中先生のことが大好きだ。本橋君のことが好きって言うのとは意味がちょっと違うけれど。

 簡単なテストを何回かすると、山中先生はお茶とお菓子を出してくれた。

「テストの結果からすると、五分後の出来事の予測率は百パーセント。いつもながら凄いね」

 私は、何て返事をしたら良いか解らなかった。

 山中先生は私に優しく問いかけた。

「五分後の出来事って、もうすでに決まっているのかな。ユカちゃん、どう思う」

「私は、決まっていると思います。この間もお母さんに『手元に注意して』ってあらかじめ言ったのに、お皿割れちゃったし、先生がやる五分後の予測のテストの結果もいつだって完璧だし……」

 山中先生は薄くなった髪を掻きながら言った。

「僕には、そうは思えないんだよなぁ。ユカちゃん。バタフライエフェクトって聞いたことあるかな」

「いいえ、初めて聞きました」

「バタフライエフェクトっていうのはね。例えば日本で蝶が羽ばたいた影響で、アメリカでハリケーンが起きるっていうみたいに、小さな変化が大きな変化を起こすって事なんだ。ユカちゃんの場合、お母さんがお皿を割るのを止められなかったって言うけれども、もしかしたらお皿の割れる枚数とか、割れ方がユカちゃんの【予言】で変わったのかも知れないよ」

「本当に、そうだったら良いんですけどね」

 私は素直には先生の言葉を受け入れることは出来なかった。

「それとも、ドラえもんみたいに要所要所で起きる出来事が決まっていて、その間は自由に動くことが出来るって言うことも考えられなくは無いな。そうしたら……」

 山中先生は自分の世界に入り込んでしまった。私はその光景を見て、山中先生ってこういう人なんだよなと、なんだか、ほほえましく思った。

「先生。時間が遅くなってきたのでそろそろ帰りますね」

「遅くまで引き止めてごめんね。気をつけて帰るんだよ。また来月おいでね」

 私は、山中先生にさようならを言って、足早に三号棟から出ると、帝都大学前駅へと向かった。




「ユカ。今日の学校はどうだったの。それと山中先生の所にも行ったでしょ」

「別に。どっちもいつも通りだよ」

 お母さんの問いかけに、私は素っ気なく答えた。そして、何も無かったふうに自分の部屋に入った。でも、今日はいつも通りなんかじゃなかった。本橋君と学校から駅まで一緒に帰ったのだ。しかも相合い傘で。ほっぺたの辺りがなんだか熱くなるのを感じた。多分、今、鏡で自分の顔を見たら真っ赤に染まっていることだろう。しかも向こうから一緒に帰ろうと誘ってくれたのだ。それなのに、私はチャンスを棒に振ってしまった。こんなこと二度と無いかも知れないのに。私がもっと上手くおしゃべりできていれば……。今度は悔しくて涙が出てきた。ベッドの上にあったぬいぐるみをつかみ壁に投げつけると、少し気分が落ち着いた。済んだ事は仕方ない。そんな運命だったんだ。汚名返上の機会があれば良いんだけれど……。そう思ってベッドに入ったけれど、目がさえて、なかなか眠りにつくことは出来なかった。




 新緑がまぶしい五月の中頃。四限目の数学の授業の終わり、つまり昼休みちょっと前に五分後の光景が目に浮かんだ。すると、いつもの窓際にあるはずの本橋君とその仲間の輪が無かった。どうしたのかなと思っていると授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。私はお弁当のサンドイッチを食べ終えると、カバンから小説を取りだし、しおりを挟んである、読みかけのページからめくり始めた。すると横から突然声がした。

「わあっ!」

 私は思わず、声を上げた。

「そんなにびっくりしなくても良いのに」

 声の主は、本橋君だった。

「いつも、窓際でみんなと話しているのに今日はいなかったから……」

「俺、弁当忘れて、学食で飯食ってきたんだよ」

「そ、そうだったんだ」

「小出さん。いっつも本読んでるよね。今日は何読んでるの」

「コナン・ドイルの『踊る人形』。こんな古い小説知らないよね……」

「それなら、僕も読んだことがあるよ。『シャーロック・ホームズの生還』に入っている短編でしょ……。おっと、危うくネタバレしそうになっちゃった」

 私はその様子にくすりと笑った。

「このシリーズ、長編より短編の方が面白いよね」

 私の言葉に本橋君は頷いた。

「『最後の事件』でホームズがモリアーティ教授と一緒に死んだはずなのに、『空き家の冒険』で復活するのは、俺にはちょっと無理がある感じがするな」

 本橋君の意見に私も「あれはちょっとおかしいよね」と同意した。

 本橋君と私の間にシャーロック・ホームズシリーズが好きだという意外な共通項があったことで、この間の相合い傘の時と違って私にしてはすんなりと本橋君と会話のやりとりが出来た気がした。

 そんなおしゃべりの最後に、本橋君が言った。

「小出さんも休み時間は俺たちと一緒に過ごせば良いのに。他のみんなも歓迎すると思うよ」

「でも、私。話上手じゃないし。つまらないし……」

「大丈夫。小出さん、全然つまらなくなんてないよ。今だって面白かったよ」

 昼休みの終わりのチャイムが鳴った。本橋君は自分の席へと戻っていった。

 私は、他の人から「面白い」なんて言われたことがいままで無かったから、なんだか嬉しくて、気恥ずかしくて、私は午後の授業中ずっと、ぼうっとしていた。




 七月を迎えても、私はまだ、本橋君達の輪には加われずにいた。そんな私にも、本橋君は何かと気にして、ときどき声をかけてくれる。本橋君って本当に優しいと思う。

 そして、期末テストの時期がやってきた。私はテストが苦手だ。都合良く五分後の未来が見える訳じゃないし、五分先が見えたってテストが別に有利になる訳じゃない。難しい問題文をあらかじめ見ても、何をして良いやらさっぱり解らないし、白紙の解答用紙は私が何か書かなければ白紙のままだ。むしろテスト中に五分後が見えて解答用紙に何の進展も無いのが解ったときのショックと言ったら半端なものではない。

 今日は現代文のテストはまあまあだったけど、数学2の結果は酷いものだった。

 学校の校門のところで本橋君が声をかけてきた。テスト期間中は部活が休みなのだ。

「小出さん。今日のテストどうだった」

「数2が全然ダメだったよ。これじゃ補習かな……。本橋君は出来たでしょ。頭良いもんね……」

「俺もまあまあだよ。今日の数2は難しかったから気にしない方が良いよ」

 本橋君はそう言って慰めてくれた。

 私たちは明日の日本史と古文のテストの話をしながら新町駅へと向かう長い下り坂を下っていった。




 新町駅に着いて二、三分でホームに八両編成の電車が入ってきた。私たちは一緒に私の家の最寄り駅の階段の近く、電車の先頭から七両目に乗り込んだ。夕方のラッシュ前の電車は少し混み合い始めていた。私たちは乗車口近くの手すりにつかまって立っていた。

「小出さん。家はどこにあるの」

桜通さくらどおり駅から歩いて十五分くらいかな。本橋君は家どこなの」

「俺は三つ先の大池橋おおいけばし駅から歩いて十分くらい。結構近いね」

「本当だね」

 そんな他愛も無い事を話している間、前の車両の方をふと見ると、五分後の光景が目に浮かんできた。

 前の車両から、鬼のような形相をした丸刈りのオジさんが人をかき分けながら、何か訳のわからない怒鳴り声を上げながらこっちの方に近づいてきて、本橋君にオジさんがわざと肩でぶつかって、何だか言い合いになって、オジさんが突然ズボンの右のポケットからナイフを取りだして、いきなり本橋君のお腹の辺りをぐさり。本橋君はその場にうずくまってしまう。その間、私は何にもすることが出来ない。

「何……。これ……」

 私は目にしてしまった未来のあまりの恐ろしさのせいで身体が震え顔から血が引いていくのを感じた。こんな【予言】言えっこない。本橋君がどこの誰とも解らないオジさんに刺されてしまうなんて。もしかしたら本橋君は死んでしまうのかも知れない。そんな未来は絶対に嫌だ。何とかしなきゃ。

「小出さん。大丈夫。顔色悪いよ」

「本橋君。どこか場所を移ろう」

「どこかって言われても、どこの車両も混んでるし難しいよ」

「いいから、本橋君だけでもどこか別の場所に移って」

「こんな様子の小出さんを放っておけないよ。次の駅でいったん降りよう」

 次の駅じゃ遅すぎるんだ。でも、本橋君をこの場から動かすのは難しそうだ。

 時間は無情にも、どんどん迫ってくる。

 がらり。隣の車両との間のドアが動く音がした。あの、さっき見たオジさんが何か叫び声を上げながらこっちの方にゆっくりと近づいてきた。

 周りのお客さんも怖がって、そのオジさんから遠ざかるばかりだ。

「何なんだ、あいつ。小出さん。俺の後ろに隠れて」

 本橋君はドアを背にするようにして私をかばう体勢を取った。本当は危ないのは私じゃなくて本橋君なのに。

 オジさんはどんどん近づいてくる。そして遂に私たちの目の前に来た。

 オジさんは本橋君にわざと肩でぶつかって言った。

「手前、ガキのくせに女連れで調子に乗りやがってよぅ!」

「調子に乗って騒いでいるのはそっちだろう!」

「うるせぇ! 女の前だからって格好付けやがって」

「お前のせいで、周りのみんなに迷惑がかかっているのがわからないのか!」

 本橋君は強い口調で言い返した。まずい。このままじゃ【予言】通りだ。何が何でも未来を変えてみせる。

 オジさんの右手がズボンの右ポケットに入った。瞬間、銀色に光る物が私の目に入った。これが最後のチャンスだ。

「ダメぇぇぇ~~~~~~~~!!!」

 私は生まれてこの方出したことのない大声を張り裂けんばかりに発した。

 私の叫び声で一瞬オジさんに隙が出来た。オジさんの右手に光る物が握られているのに気づいた本橋君は、オジさんの右腕を両手で押さえつけて、そのまま力任せに押し倒した。

 オジさんの右手からナイフがこぼれた。それを見た他のお客さんが車掌さんに連絡してくれたみたいで、次の駅でオジさんは警察に捕まった。

「本橋君。どこにもケガはない」

 私は本橋君にしなだれかかるようにしてそう言った。私の顔は涙でグチャグチャになっていた。

「俺は何とも無いよ。それよりも、小出さんこそ、大丈夫。とても怖かっただろう」

 本橋君は私を強く抱きしめながら、心配してくれた。

「本橋君。痛いよ」

「ごめん、小出さん。つい力が入っちゃって」

 私たちは、お互い笑いあった。

 このあと、警察の人たちが私たちにさっきの事件の事情を聞いてきたけれど、ほとんどの事を本橋君が答えてくれた。そのときの本橋君の顔は本当に頼もしく見えた。




 それから一週間後、山中先生の研究室で私と先生とは話し込んでいた。

「【予言】では、本橋君が刺されるはずだったんです。でも、私が勇気を出して叫び声を上げたら、オジさんがびっくりしたみたいで、本橋君がその隙にオジさんを取り押さえて……」

 山中先生はお茶をすすりながら私に話しかけた。

「刺されるはずの本橋君が、逆に相手を取り押さえちゃったんだねぇ」

 山中先生は私にお茶を勧めてくれた。

「初めて、自分の力で未来を変えることが出来たんです!」

 私は興奮しながら山中先生に言った。

「でもねぇ、ユカちゃん。僕は、こう思うんだ」

 山中先生がいつもの優しい声で続けた。

「前にも言ったとおり、今までも【予言】することで少しずつ未来は変わっていたんだと思うよ。今回はユカちゃんが大切な本橋君を助けたい一心で強い気持ちで主体的に行動したでしょ。おそらく、それが、今回未来が大きくブレて、結果【予言】が大きく外れるだけの力を生み出したんだと思うよ」

 私は大きく頷いた。

「だけど、あくまで、仮説に過ぎないけれどね」

 山中先生はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「仮説でも何でも良いんです。とにかく、未来が決まり切ったものじゃないってわかったんだから」

「なんだか、ユカちゃん、驚くほど変わったね」

「そうですか、先生、本当にありがとうございます」

「また、一月後に来てね。絶対の約束だからね」

「はい!」

 私は弾むように三号棟から飛び出すと、桜並木の間を駆け抜けた。




「お母さん。ただいま」

 お母さんがキッチンから出てきて言った。

「お帰り。ユカ。何だか嬉しそうね。何かあったの」

「うん。山中先生が凄くいい話をしてくれたの」

「先生が何を言ったのか、お母さんに教えてちょうだい」

「山中先生がね『強い気持ちで主体的に行動する』事で【予言】通りにならずに済むんじゃないかって」

「その話、本当なの。ユカ」

「もちろん。この間、初めて悪い【予言】を外すことが出来たんだから」

 私の言葉を聞いたお母さんの頬には一筋の涙がこぼれていた。




 私はようやく、この世界について、こんなふうに思えるようになった。

 世界は始まったときから、レコードみたいあらかじめ起きることが決まっているのかも知れない。何もしなかったら事態は予定通りに進むばかりだ。でも、強い気持ちで出来事に立ち向かえばその先にどんな悪い未来が待ち受けていたとしても、ほんの少しだけでもブレさせることが出来る。まるでレコードプレーヤーのターンテーブルにそっと触れて音色を少し変えるみたいに。




 夏休みが明けても、まだ残暑の厳しい九月の初め、四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 私は、ふと窓際の方へ目をやった。すると、五分後の光景が浮かんできた。そこには昼休みに、みんなの輪の中に入って本橋君と楽しげにおしゃべりしている笑顔の私がいた。(了)

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