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 月夜の下、おばあちゃんは黄緑色のポロシャツで、その手は蒼空くんが握っていた。

「おばあちゃん?」

 おばあちゃんは振り向いたが止まらない。追いかけるしかない。半袖の下から生えるように伸ばされた蒼空くんの細い腕には小さな丸い火傷の痕がたくさんあった。待って、おばあちゃん。声がでない、蒼空くん、待って。

 月夜の道はズンズン伸びてどこか目的があるようだった。なかなか距離が縮まらない。足が重くてたまらない。


「きゃっ」

 ベタンと転んでしまった。サンダルが脱げた。履き直して二人を追いかける。月が昇るのにあわせて登り坂になった。

 二人は不意に止まり、アタシを見た。

 二人は地面に吸い込まれるように消えた。

「え、ウソ、やだ」

 あんなに重かった足が急に軽くなり、一気に登る。

「どこ? おばあちゃん」






 ここだよ







 直接脳ミソに話しかけられたみたいに頭の中でおばあちゃんの声が響く。足首に痛みが走る。

「痛、え、いやっ、やっ」

 アタシの足首は地中から伸びた細い指先にしっかり掴まれていた。ビックリした弾みで尻餅をつくと、小さな手が膝を掴んだ。







 ここだよ











「夏織っ」


 さつきくんだ。


 アタシは必死に地面を掘っていた。杏に付けてもらった爪はもう剥がれていて、爪の先は血が滲んでいた。タイツも膝が破けている。泥だらけだ。

「夏織、探したぞ」

 さつきくんの声がちゃんと耳から聞こえることを確認した。

「さつきくん、ここ、どこ?」

 林の中だ。どうやら地面に膝をついて必死に地面を掘っていたようだ。さつきくんはスマホを耳にあてた。

「あ、もしもし。いた。ああ、大丈夫だ。あとさ、警察呼んで。骨だ」

 骨。


 掘っていた穴には骸骨があった。手がアタシを指しているように見えた。小さな小さな手だった。


「嘘」

「夏織、平気だよ、大丈夫」

木々の隙間を落ちてくる月明かりがさつきくんを照らす。

「さつきくん」

「ん?」

 さつきくんの頬っぺたが腫れている。

「さつきくん、頬っぺ、どうしたの?」

「お前がいなくなって、探し回って、丸二日。仕事が一段落して帰ってきた杏にバレて殴られた」

「どうして?」

「どうしてって?」

「杏はいなかった、アタシよりお仕事が大事なんでしょ、それなのに、なんで、さつきくんが殴られるの? 杏はいなかったじゃんっ」

 どうせ、ご飯作ってくれない、友達だからって、さつきくん家に泊まれって言う。面倒みてくれるから大丈夫よって笑う。


「夏織、そういうのを、寂しいって言うんだよ。一緒にいたいんだろ、こういう時にここにいて欲しいだろ。そういうのを、家族って言うんだ」


 おじさんは動けない奥さんがいる。蒼空くんのあの火傷はタバコだ。おばあちゃんは自分の子供にも会えない。

 みんな寂しいんだ。だから少しずつ優しさを持ち寄って生きていく。だからアタシにも優しさを分けてくれた。


 パトカーのサイレンが近づいてくる。

「帰ろう、杏が待ってるよ。あれ、お前、何それ」

 頬っぺたを腫らしたさつきくんが指差したのはサンダルだった。


「おばあちゃんの。アパート寄ってく」

 さつきくんは変な顔をした。

 立ち上がると急に吐き気が込み上げた。さつきくんがこっちで吐けと呼んだ。



 さつきくんは泥だらけで、吐いて臭いアタシを嫌がらずに車に乗せて、気がつくとアパートのとこまで来ていた。

「さつきくん」

「ああ、もうアパートは骨組みだけだよ、全焼だ」

 降りて敷地に近づくと、アタシの足首厚底編み上げブーツが転がっていた。

「いつ?」

「二年くらい経つかな。遺体は四人分。二階の真ん中と一階の真ん中が一人ずつ。一階の階段側はご夫婦で、寝たきりの奥さんを置いて行けなかったんだろう、って言っていたよ」

「おばあちゃんは? 二階の階段側よ」

「いや、遺体はなかったよ」


「じゃあ、高梨さんは?」

「ちょうどいなかった。奥さんの実家にいた。奥さんが具合悪くて旦那が送って行ったらしい」

 さつきくんを見る。

「三歳の蒼空くんはよく眠っていたから置いて行ったそうだ。実家はここから車で十分くらいかな」


「どういうこと?」

「放火の疑いがある。高梨さん夫婦に食い違いはない。ただ、蒼空くんの遺体はなかった」

 小さな小さな手。あれは蒼空くんなんだ。おばあちゃんはどうしたんだろう。



 このままでは帰れない。蒼空くんを置いて。おばあちゃんを置いて。おじさんだって優しかった。

「警察は高梨さんを取り調べていた。だが、とにかく蒼空くんがいない。警察だって、生きていて欲しいと願っていた。ケリがつくまでアパートもこのまま保存された。最近になって近所から噂が立った。子供の泣き声がする、何かが割れた音がする。美味しそうな匂いがするというのもあった」

 ハンバーグだろうか。美味しかったな。今度、すりごまを入れて作ってみよう。





「大事に育ててもらっているんだね、あんたもみんなを大事にするんだよ。あんたの笑顔は周りを幸せにするよ」

「おばあちゃん、サンダル、借りちゃった」

「蒼空がね、こんにちはと言われたのが嬉しかったと言ったよ。アタシゃ、見ない振りをしてしまったから。あの日、空き室から火が上がった。隣を叩き、下に降りた。全部のドアを叩いたよ。蒼空の部屋には鍵が掛かっていなかった。見ると蒼空が」

 おばあちゃんは怒りと悔しさが交じった顔をした。

「死んでいたんだよ。アタシは蒼空を背負ってあの林に逃げた。埋めてやったのさ」

 おばあちゃんは、それしかしてやれなかったと括った。

「アタシの孫に会ったら、友達になってやっとくれね」

「君には家族がいるんだろう、早く帰りなさい」

「おじさん」

「バイバイ」

 蒼空くんだ。手を振っている。その腕にはもう火傷はなかった。









「お前なあ、勘弁してくれよ。反対も殴られるとこだ」

 さつきくんが大きなため息をついた。アパートの階段は崩れてしまってもう登れない。

「さつきくん」

「ん?」

「さっきの場所から近いとこにおばあちゃんがいると思うの」

「そうか、捜索を頼もうな」


 アタシとさつきくんはもう一度、アパートを見上げてから車に乗った。




 




 


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