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 あんたも爪がおしゃれだねえ。とおばあちゃんは言った。

「どうなってるんだい?」

「絵を書いた偽物の爪を、爪に優しい接着剤で付けてあるの。昨日から夏休みだから、アンが、あ、お母さんがやってくれたの」

 白黒シマシマ模様の八本と水玉模様が右薬指と左の親指。

「かわいいねえ、よく見せてくれるかい?」

「うん、どうぞ」

 テーブルに指を開いて置いた。おばあちゃんは優しく撫でながら爪を観賞した。

「おばあちゃん、一人で住んでるの? 下のおじさんが言ってたよ」

「ああ、もう二十年になるかねえ」

「ずっと?」

「そうだよ、一人は気楽だよ」

「旦那さんいないの?」

「死んだよ、昔のことだ」

「寂しい?」

「慣れたからね、もう何ともないよ」

「子供いた?」

「いたよ、連れて行かれちまった」

 巡る考えが合っているならば、子供は死んでいる。だが外れた。少しホッとした。おばあちゃんはポロシャツの胸ポケットから紙切れを取り出した。

「写真?」

「ああ、子供と孫だよ」

「見てもいい?」

「ああ」

 写真は角がボロボロであちこち折れ曲がっていた。色も褪せてしまっていて場所も分からなかった。お父さんとお母さん、小さな子供は男の子のようだった。

「ここで撮ったの?」

「いや、息子がどこかで撮ったのを貰ったんだ」

「宝物ね」

「ああ、そうだね」

 おばあちゃんはそっと写真を胸ポケットにしまうとスイカをすすめてきた。かじりつくと甘くておいしかった。

「おいしい」

「ああ、よかったねえ」

 シワだらけの手を見つめる。

「おばあちゃんも食べよ?」

「ああ」

 一緒にスイカにかじりつく。シャリシャリという音が床に転がった。

「ほんとに寂しくないの? 子供さんとかお孫さんとか会いに来てくれる?」

 寂しいって何だろう。自分で聞いておいて、こう思うのも変だけど。

「生まれてすぐだった。あの人は息子を連れて行ってしまった。あの人も帰ってこない」

「どういうこと?」

「めかけ、って分かるかい?」

「何となく」

 愛人でいいんだろうか。愛人がなんなのかも何となくしか分からないけど。

「あの人と奥様の間には子供が出来なかった。代わりに産んでやったのさ。だから会いになんて来ないよ。私は母親じゃないんだよ」

「でもいつか、分かるでしょ? 分かったから写真くれたんじゃないの?」

 この写真の古さからだと孫だってもう立派に成長しているだろう。もしかしたらアタシと同じくらいかもしれない。

「あんたは優しいね。大事に育ててもらって、よかったねえ」

「でもお母さんはだいたい、いないの。お料理も出来ないし、お洗濯も雑だし。今日も帰って来ないよ」

「そうかい。いいじゃないか、料理も洗濯も、あんたがやれば」

 ハッとした。そういえばお手伝いってやらなかった。おばあちゃんは優しく笑った。楽しそうだ。

「じゃあ、夜ご飯を食べていくかい? なんか作ろうじゃないか」

 ちょっと悩んだけど頷いた。どうせ、お家で食べるわけじゃない。

「何にするの?」

「何がいいかねえ。大したもんは出来ないよ」

「じゃあ、おばあちゃん、ハンバーグ作って」

「おう、分かった」

 のんびりしてなさいと言われてアタシは足を伸ばした。下のおじさんは家族だと狭いかなと言ったが、おばあちゃんのこの部屋は広くて寂しい。物が極端に少ないのだ。

「おばあちゃん、ベランダ出てもいい?」

 単に奥の洋室が見たいだけだが。おばあちゃんの部屋は畳だった。部屋の端を見ると板の間に畳をのせただけみたいだ。物入れが開いていて中には布団が積んである。少ない洋服とタオル、掃除機や扇風機がちんまりとしまわれていた。ずっとこうして生きてきた人なんだ。

 ベランダに出るとだいぶ日が暮れていて、空は夕闇のオレンジと藍色が混ざっている。下から物音がした。何か割れたような。すぐさま、火がついたような泣き声が聞こえた。すぐ聞こえなくなって夕闇の静かさが戻った。

「おばあちゃん、下の高梨さん家、なんか割ったみたい」

「おや、じゃあ、また蒼空ソラが怒られてしまうね」

「泣いたみたい」

「困ったねえ。何も怒鳴ったからって元に戻ることはないのに」

 アタシは怒鳴られたことがあっただろうか。

「え、ごま、入れるの?」

「ああ、特製だ」

 すりごまをたっぷりとひき肉に混ぜる。玉ねぎを炒めたものと卵やパン粉を入れて豪快に練り合わせていく。

「たくさん出来そうだねえ。蒼空に持っていくかい?」

「うん、アタシ、行ってくるよ」

 鉄製の重いフライパンを器用に操り、おばあちゃんはハンバーグをたくさん作ってくれた。タッパに三つ入れる。ソースはケチャップとウスターソースを混ぜて煮詰めて作る。

「いい匂いね」

「ああ」

 タッパを抱えて階段を降りる。おばあちゃんのサンダルを借りた。

 インターホンを押すと女の人が出てきた。

「あの? どなた?」

「上のおばあちゃんからです。アタシはタチバナと言います。あ、こんにちはっ。蒼空くんだよね」

 顔を出した蒼空くんをざっと見る。ケガはないようだ。

「そう、ありがとうと伝えて」

「はいっ」

 蒼空くんに手を振ったが、蒼空くんはサッと戸棚の向こうに隠れてしまった。お母さんもさっとドアを閉めてしまった。軽くため息をついて戻る。おじさんが顔を出した。

「どうだい、気持ちは楽になったかい?」

「うーん。まあ」

 もともと悩んでいた訳じゃない。家族や寂しいってのがなんなのかを知りたいだけ。

「いい匂いだな」

「ハンバーグだよ、もらってきてあげる」

 気にしないでと投げられた言葉は階段をすり抜ける。

「おばあちゃん、おじさんも食べたいって」

「そうかい、持っていきな」

 タッパに二つ。奥さんがいると言っていた。

「一個でいいんだよ」

「え、奥さんいるよ」

「寝たきりだ、食事は胃に流し込むやつなんだよ」

 そうだったのか。

 おじさんはドアを開けたままで待っていてくれた。

「やあ、ありがとう」

「おじさん、大変?」

「おばあちゃんから聞いたのかい。まあ、大変だけど、大丈夫だよ」

 優しく笑うおじさん。受け取ったハンバーグを大事そうに抱えて部屋に入っていった。

 おばあちゃんと小さなテーブルを挟んで、いただきますと手を合わせた。ハンバーグと茹でたジャガイモ、ブロッコリー。ご飯、味噌汁にはオクラと豆腐が入っていた。


 



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