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「お願いします。リュウ殿」


 苦痛に耐えながら、手の持ち主はイオに頭を下げた。

 イドの札を無謀にも素手で受けたのだ。白い手からは煙があがっている。肉を焼かれたに違いない。


「お願いです。まだあれを送らないで下さい」

「あんた……なんで、どうしてここにいる? あんたは……」


 言葉を飲み込んだまま、イオは二人の男を交互に見比べた。

 こいつ等は誰だ?

 まだ作動している陣のなかで倒れかけている若者が、ゆっくりと顔をあげる。その目はイオを見ていない。自分をかばってくれた者の背中を、射る様な眼差しで睨みつけている。

 二人の双眸はそっくりだ。

 瞳だけではない。口元も鼻筋も。背格好から髪型までもが。あつらえたようだ。


「一体全体、どういうことだい?」

「……わたしが、ハツユキです」

 陣を背に立ちすくむ男が、イオに向かって呟いた。それを聞くと、背後のまったく同じ顔から、苦々しい舌打ちが漏れる。


「あんたが、ハツユキ。ってことは後ろの男前はどちらさんだい?」

 イオの問いかけに、

「わたしが待ち続けていた者です」

 ハツユキはそう言うと、躊躇う事無く包囲陣のなかへと歩き出す。


 ハツユキの足が水にはいる。噛み締めた口元から、うめき声が漏れる。

 毒だと分かっているはずだ。しかしハツユキはさらに若者に向かって行く。慌ててイオは陣を止めた。光を失わないものの、水はすぐさまひいていく。

 倒れている若者は、肩で息をしている状態だ。全てとはいかないが、イドの水をあれだけ浴びたのだ。すぐに動けるはずもない。

 駆け寄ったハツユキは、素早くその躯を抱きかかえた。


「で、どういうことなんだい?」

 気絶しているハンを布団まで運ぶと、イオは忌々しそうに同じ顔の二人を見比べた。

 どちらもカガシだ。それにしたって、ここまでそっくりなのも珍しい。


「申し訳ない。リュウ殿」

 ハツユキが頭を下げる。その胸にはしっかりと若者を抱きかかえている。若者の方はその腕を、煩わしそうに避けようとするものの、もはやそれだけの力も残っていそうにない。


「わたしはあなたに嘘をついておりました。この子はナツキ。わたしが待っていた息子です」



 三百年前のあの夜。

 生き埋めにされたカンノの土まんじゅうに縋り付いたハツユキは、そこで信じられない気を感じた。

 微かだが、生きている。

 まだ助かるのか? わたしは間に合ったのか。

 慌てて両手で、土を掘り返した。

 埋め立てられたばかりの土はやわらかい。時間はさほどかからなかった。それでも心が掻きむしられる程、腕の動きが緩慢に感じられた。

 その末に、ついにハツユキはカンノを見つけた。土塊で汚れているが、彼女に贈った髪紐がでてきた。

 もうすぐだ。気はまだ感じる。

 間に合ってくれ!

 必死で土中から引き上げた彼女の躯は、しかしとうに動くことを止めていた。まださほど冷たくなっていない。こんなにもやわらかい。なのに、何でだ。どうしてこんなにも、人間は脆く弱いのだ。

 カンノの躯をかき抱いて、ハツユキは号泣した。

 泣いた記憶など、それまでなかった。涙が自分にあるか、考えたこともなかった。だのに熱い液体は勝手に沸いてくる。

 彼女の首筋に顔を埋めると、血の臭いが漂った。

 赤い痣がハツユキの目をひいた。ここを殴られたのだろう。深い穴に放り込む前の、これが慈悲だとでもいうのだろうか。

 皮肉にも、雨は降り続いている。

 愚かな行為の結果がこれだ。何も変わりはしない。カンノの命だけが消えた。それだけだ。

 自分から妻を奪って。そのうえに築こうとした生活など、消え去ってしまえばい。

 ハツユキの胸にどす黒い思いが渦巻いた。

 許せない。

 許してたまるものか!

 カンノを抱きしめる腕に力がこもった。その時だ。

 ハツユキの腕に、どくんと蠢く感触が伝わった。

 慌てて手を緩める。

 先ほど感じた気だ。

 もしや、あれは……。

 カンノの膨らんだ腹に手をかざした。毎日彼女が愛おしそうに撫で、声をかけていた腹。気のせいなどではない。手の平に感じる。動いている!


「カガシの血を継いだ息子は、死んだ母の胎内で生きていたのです」

「……それが、そっちさんかい」

 イオが顎をしゃくって若者を指す。


「この子から受ける怒りの波動を、わたしは感じました。皮肉にも、それがわたしを正気に戻しました」

 母親を殺され、その胎内でじわじわと死を待つ赤子の怒りは凄まじかった。

 赤子は怒りによって、呪いの気を発している。

 自分が呪いをまとうのは構わない。カンノのいない今、この身が呪いによって朽ちても悔いは無い。

 しかし子供は別だ。まだ産まれてもいないこの子を、このままにはしてはおけない。

 守らなければ。どうにかしてこの子は救いたい。


 彼女の腹から取り出した赤子は、小さな蛇だった。

 自分と似たその姿が愛おしかった。できるものならば、そのまま自分の手で育てたかった。しかし呪いの気を全身で発している赤子が、まともに育つはずがない。

 このままでいれば、赤子は呪いにのまれていくだろう。


「わたしは妻の亡骸と共に、我が子を大地に封じこめました。その身が浄化できるようにと、わたしのカガシ玉の一部も一緒に。それしかわたしにできる術はなかったのです」

 二人を飲み込んだ土地は、長らく不毛の地となった。

 カンノと息子のカガシを封じ込めたまま、月日は流れた。


「あんた、転生したカンノに会うのが目的じゃあなかったんだ」

 イオの問いかけに、ハツユキは目を伏せると、「すみません」と静かに呟いた。


「わたしはナツキが目覚めるのを待っておりました。カンノは……死にました。ハンは、あの娘はわたしの妻ではありません。そう思わなければならないのです」

 ハツユキは横たわるハンに敢えて目線をむけない。息子を抱きかかえる腕は細かに震えている。


「違うっ」

 ナツキが叫んだ。

「カンノだ!」

 苦渋を耐えているハツユキとは違い、ナツキの目は怒りで燃えている。


「アレはカンノだ! 僕にはわかる。カンノの魂だ。僕の母さんだ。僕はもどる。もう一度母さんとひとつになる!」


 母の胎内で、殺される母を感じていた。

 幸せだった母。

 自分に優しく語りかけてくれていた。

 夏産まれになるから、ナツキと呼びかけられていた。

 あの声で直接ナツキと呼ばれながら、あやされるのはどんな気持ちになるだろう。きっと幸せで幸せで、しょうがないはずだ。

 産まれたら、いっぱい甘えよう。しかしカガシである自分は、すぐに母より強く大きくなるはずだ。そうしたら、今度は自分が母を大切にしよう。

 そんな甘い幻想は叶えられなかった。


「母さんは殺された! 馬鹿者達に取り囲まれて。あんたはその場にいなかったから、正気でいられるのだ!」


 怯え、なんとか命だけはと懇願する母に、村の男たちは容赦しなかった。

 縛り付けられた母の目の前には、深い穴がぽっかりと空いていた。絶望で塗りつぶされた母に、男たちは囁いた。


「お前が助かりたいのならば、変わりに蛇神を放り込め。お前の身代わりに、蛇を捧げるのだ。お前が蛇神を殺せと。奴らは楽しんでさえいた。嗤っている奴もいた」


 ハツユキの瞳が、驚きで見開かれる。

 その様子にせせら笑うように、ナツキは言葉を続けた。


「そうだよ。あいつらに、あんたを殺す度胸はなかった。まがりなりにも神と名のつく者を手にかけて、祟られるのは恐ろしいからね。母さんの父親が必死に説得していた。もし母さんがあんたを裏切ったって、腹のなかには僕がいる。次代の蛇神がいる。だからお前は大丈夫だと。まったく恐れ入る爺だ。あの血が僕にも流れているのかと思うと、反吐がでるっ」


「……ではカンノはわたしの身代わりに?」

「そうだ! 母さんにあんたは殺せない。泣きながら、僕に謝っていた。産んであげられなくてごめんねって。僕のいる腹を撫でながら。殴られて、朦朧としたまま母さんは穴に放り込まれた。ずっと僕に呼びかけながら!」


 長い時を待った。暗い闇のなかで。

 一度は母の胎内で。

 次に父によって、封じ込まれて。

 死んでいるのか、生きているのかも定かではない時間だった。

 今封印を解いても、何もできない。生きるんだ。なんとしても生き延びて、母さんをこの手に取り戻す。


「待ったよ。僕は。母さんの魂が転生するまで。長かった……。まさか、あんたまで出て来るとは思わなかった。とっくに僕らを忘れていると思っていた」

 邪見にハツユキの肩を押すと、ナツキは横たわったハンの方へ這って行く。足はない。まだ蛇の尾のままだ。


「僕はあきらめない!」

 床をはっていく手を、しかしイオは容赦なく蹴り飛ばした。


「何をするっ」

 ナツキは恨めしそうに、イオを睨みつけた。

 イドの水をあれだけ浴びて、この元気だ。蛇の執念とはたいしたものだ。

 半ば感心しながらも、イオはハンを背に立ちはだかった。


「あんたには悪いが、仕事だ。このお姉ちゃんの依頼で、気味の悪い蛇を追っ払ってくれって頼まれた」

 イオの台詞に、ナツキの表情が崩れる。それまでの強気な瞳の色に怯えがにじむ。


「僕が気味悪い? 母さんが言ったのか?」

「言ったのはハンだ。仕方ないだろう。人間に取り憑こうとしたんだ。それで双手をあげて歓迎されるわけもなかろう」

「嘘だ! 僕は母さんを取り戻したいだけだ」

「それを取り憑くっていうんだ。このままでいけば、ハンは死ぬ。お前のしているのは、ハンの命をとることだ」


「リュウ殿、そのような言いようをしなくとも……」

 非難気味に呟いたハツユキを、イオは鼻を鳴らして「バカ言うんじゃない」一蹴した。

 眉間の皺が深くなる。

「あんたも実際の子育てをすりゃあ、少しは分かったんだろうがね。こういう我が儘な子供には、はっきり言ってやらなきゃ分からないんだ」


「僕が、母さんを殺す……? 僕が気味悪い……?」

 呆然と呟くナツキに、イオが頷いた。


「ああ、そうだ。カガシが取り憑いて平気な人間なんかいやしない。一度腹からでたら、そっから先はあんたと母親とはまったく別もんの一個の命だ。もう一回腹にはいるなんざ、本当の神様にだって無理ってもんだ」


「だって……約束した」

 瞼のない青い瞳が、不安に揺れる。

 弱々しい表情でイオとハツユキを交互に仰ぐ。


「死ぬ間際まで言っていたんだ。また会おうね。また母さんのところにおいで。そう言ってくれた。父さんじゃない。母さんが最後まで気にしていたのは、僕なのに。なのに……全部駄目なの? 待ったのに。無駄だっていうの? 嘘だ……嘘だ!うそっぱちだ!」


「お前は産まれたばかりの、赤子だ」

 動揺している息子をハツユキは再び抱きしめた。


「赤子のまま今ここにいる。三百年前の出来事も、お前にとっては昨日のことなのだろう。だがカンノはもういない。ハンは違うのだ。お前が悪いわけではない。知らなかっただけだ」

「僕は母さんの子供になりたいだけなのに。もう一度ナツキって呼んでもらって、愛されたいだけなのに。蛇じゃ、駄目なの? 母さんに、愛されないの? どうして? ねえ、どうしてさ!」

 絞り出すような嗚咽まじりの声でナツキが叫んだ。


「母さんに、厭がられるなんて! そんなの……イヤだ!!」

 

 息子の悲痛な叫びに、ハツユキは目を臥せた。

 この子を、あのままにはしておけなかった。だからこそ我が子を封じ込めた。なのにこの子は今も彷徨ったままだ。

 母を求めて、不幸なままだ。

 いっそカンノの後を追って、死んだ方が良かったのだろうか。自分はただ息子の不幸な時間を、引き延ばしただけなのだろうか。

 違う。そんなことにはさせない。

 ハツユキはナツキにまわした腕をほどくと、イオに向き合った。


「リュウ殿、あなたは札師だ」

「ああ。そりゃあ、そうだが。どうした?」

「だからこそ、わたしはあなたに頼みました。わたしの願いを叶える為には、あなた以上の人はいない。最初の約束通り、あなたには残ったカガシ玉を差し上げよう。変わりに。これが最後の望みです」

「ハンを息子にくれとかは、勘弁してくれ。できゃしないよ」

「違います」

 イオをまっすぐに見つめるその瞳は微かに揺れ動いている。

 両の掌を握りしめ、ハツユキはナツキに背を向けたまま声をかけた。


「お前の望みは、母の子として生きることなのだな?」

「……そうだ。そう言っているだろうっ」

「そうか。そうだな」

 ひとつ大きく頷くと、ハツユキはイオに向かって口を開いた。


「ならば、わたしの心は決まった。リュウ殿。あなたには息子を殺していただきたい」




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