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 はつ川がまだあったならば、ハツユキもイオの助けを待つ必要もなかった。ハツユキは、はつ川の蛇神。彼の力の源がはつ川である。

 しかし大雨になると数年毎に氾濫をおこす川は、既に埋め立てられていた。地中に埋まった川は、目覚めたハツユキに、何の力も貸してはくれなかった。


「ヒトの生まれ変わりは変則的です」

 舗装されていない街道をいくイオの肩には、青黒い蛇が巻き付いている。

 ハツユキである。

 もう夜しか人型がとれないハツユキは、蛇の姿になっている。

 自分でもお節介だと思う。おまけにとんだお人好しだ。しかしあんな話しを聞かされて、じゃあさようならとは言い出しかねた。そのざまがこれだ。


「カガシの九百年の寿命のうちに、もう一度彼女に会える保証はどこにもありません。ましてやどこに転生するかなど、分かる術もない。だからわたしはカンノの亡骸にわたしの力の源を埋め込んだのです」

 そう言ってカガシがイオに差し出した右手。そこに乗っていたのは、片手に収まる程度の丸い玉であった。


「カガシ玉……」

「我々は蛇塊と呼んでおりますが」


 紅い。

 禍々しいほどに紅いその玉は、カガシが体内にもっていると伝えられる宝玉だ。

 イオも生きているカガシの玉を見るのは初めてであった。

 リュウの村にも何個かあるが、こんなにも輝く色ではなかった。普通手に入るカガシ玉は、死んだカガシの体内から取り出される。その差なのだろうか。


「わたしは自分のカガシ玉の一部を彼女に差し出しました」


 今生で叶わぬならば、来生で待つ。その為ならば蛇神としての力を失って、ちっぽけな蛇にもどってもよい。

 一年でも早く。

 一日でも早く。

 もう一度巡り会うために。


「力を半分失ったわたしは、あの洞窟で眠りにつきました。彼女がもう一度生まれ変わるまで」


 とんだ純愛話しだ。

 まさかカガシの初恋話しにつき合わされるとは。人生って分かんないもんだな。

 イオは己でも呆れた思いで、早朝の空に視線を漂わせた。

 もっともただ働きをする気はない。報酬はきちんと、とらせていただく。


「あたしはゆいなの村は初めてだ。あんた騒動なんか起こさないでおくれよ」

 魔物除けの札を売る札師が、生粋の魔物を連れて村に入るのだ。ハツユキが騒動をおこしたら、自分の評判はがた落ちだ。


「あんたがまずい事をやらかしたら、そくざに札で封じ込めちまうからね」

 イオの本気の脅しに、蛇はかくんと頷いた。



 三百年という年月で、どこまでゆいなの村が変わったのか。イオには想像もつかなかった。

 かつてはここにはつ川が流れ、山の中腹にハツユキの祠があった。

 見上げる山は緑に彩られ、どこが彼のねぐらだったのか、今や知るすべもない。

 村は山裾の狭い土地にあった。カガミ縣の中央部から比べると、時間が止まっているかのように古色蒼然とした村だ。

 祖末な家々の周りには、うねが広がっている。

 高い建物が無いおかげで、辺一面を見渡せる。どこにでもある山間部の村だ。それなのに、かすかな違和感が漂っている。

 ちりちりとした、異質な視線を感じるのだ。

 敵意というには大袈裟すぎるだろか。村の入り口に佇んだイオの背負い籠からも、まんじりともしない気配が立ちのぼる。

 籠に隠れたハツユキだ。

 彼もまたこの独特の空気を感じ取っているのだろうか。だがここまで来て引き返すつもりもない。

 村の入り口に膝まずくと、イオは籠に差しているさかきを1本地面に突き刺した。

 この空気の原因は分からない。だが何もしないよりはマシだろう。

 息を吸い込むと、イオは村の入り口をくぐった。

 ハツユキが息を殺して、周りを凝視しているのを感じる。

 日が昇っている時に、村に入ったことは無いと言っていた。

 カンノの姿を籠越しに探しているのか。だが生憎と着いた時間が早すぎる。まだ朝餉の時間だ。どの家からも煮炊きの煙が立ち上っているばかりで、通りに人の影はまばらだ。

 両手に丼を抱えた女が、「おや」という顔つきで戸口から顔をだしたまま、こちらを眺めている。

 他所者が頻繁に出入りする村ではなさそうだ。好奇心と、わずかばかりの警戒心のこもった目つきをしている。

 それに気がつかない振りをして、イオは、「どうも」と頭を下げた。

 行商人が警戒されては、商売あがったりだ。

 愛想のいい顔をつくるのは朝飯前だ。

 相手も一応礼を返す。これでいい。イオはもくもくと通りを歩いた。


 イオはこの時代の女にしては背が高い。

 太い意思の強そうな眉と、高い鼻梁をしており、真っ黒に日焼けしている。肩も手足も逞しいので、籠を背負った後ろ姿だけでは、男と間違えられることもあるくらいだ。髪が長いから女だろうと分かりそうなものだが、それだってたいして手入れはされていない。


(さて、そろそろ店を開こうか)


 辺りを見渡しながらイオがたどり着いた先には、三方を壁に囲まれた広場があった。唯一空いている南側にはコナラの大木があり、そこから日差しが地面に差し込んでいる。

 広場の中央には円形の水飲み場がある。村の共同井戸らしい。

 カガミでは水道が普及している。

 この様な辺鄙な村にも水道管は通っているはずだ。

 水道があれば井戸などなくとも良さそうなものだが、水不足の歴史の残る村では、似たようなものをよく見かける。かつてはこの水が、はつ川として流れていたのだろう。

 ゆいなの井戸は深いものではない。浅く広い井戸の清水のなかに、青菜がざるにはいって浮かんでいる。

 両手で水をくみ上げ、口にふくんだ。

 喉に心地よい冷たさが通りすぎる。

 歩いて来て、火照った躯には旨い。

 口元を拭って顔をあげると、いつの間にか遠巻きに村の子供たちがこちらを伺っている。朝餉が終わったのだろう。

 年かさの子供は、みな肩から鞄をさげている。学校へ向かう途中らしい。

 イオはにっと笑いかけ、子供たちに向かって大きく手を振った。


「よお」

 途端に子供たちは、蜘蛛の子を散らすように離れていく。

 仕方ないか。

 知らない大人にほいほいついていくなと、小言をいわない母親はいない。実際イオも娘が幼い時は、口をすっぱくして言っていたものだ。

 イオはもう一度水で喉を潤すと、場所を移動した。

 商売をするのならば、井戸の側は村人の邪魔になるだろう。南のコナラの下まで行くと、ござをひいて腰を下ろした。

 慣れているといっても、今日はしんどかった。

 肩が凝っている。

 イオの籠はそれほど重いものではない。だが今日は違った。

 あの蛇のせいだ。

 いくら小蛇の姿になっているといったって、中身は成人した男だ。いや、変化を解いた本来の姿は、大蛇であったとしても可笑しくない。そんなものを背負って来たのだ。いくらイオが力自慢といっても、疲れていないといえば嘘になる。

 籠の蓋をそっと開ける。

 ハツユキの姿はここからでは見えない。


「あんた…いるんだろ?」

 イオの声かけに、しゅるりと微かな音が底の方からまきあがる。


「村にはいった。なんだか妙な感じだ」

 声をひそめてイオは呟いた。

 ハツユキの応えはない。籠の底はしんとしたままだ。


(あんたは、この気配を知っているんじゃないか?)

 その問いかけを、イオは飲み込んだ。

 もしそうだとして、この蛇がそれを今ここで認めるわけがない。何かあるとしたら、尚さらだ。


「まあ、いい。あたしがこのままハンの家を訪ねるのは、ちと不自然だ。まずは商売をさせてもらうからね」

 応えはやはりない。


「どっちにしろ、あんたはこん中で大人しくしておくれ」

 そう言うと、イオはばたんと蓋を閉じた。

 さて、客が来るまではまだ時間がありそうだ。横にでもなるか。そう思ったイオの顔に影がおちた。

 子供だ。

 顔を上げると、先ほど遠巻きにしていた子供たちの一人が、イオを見下ろしている。

 他の子供たちは、離れた場所からこちらを伺っている。目の前にいるのは、なかなか精悍な顔立ちの坊主頭だ。ここのがき大将といったところか。

 口をへの字に結んで、精一杯強がった表情をしている。

 その可愛らしい虚勢に微笑みそうになったが、真面目な顔をつくる。


「何だい?」とイオは尋ねた。

「おばさん、何してんだ?」

 さすがに正面からだと、男には間違えられないらしい。

 おじさんでなくてマシだな、とちらりと考えた。


「何って、商売だよ」

「本当か?」

「物見遊山なんて身分じゃないからな」

「ふーん」

 坊主頭の視線は、イオではなく、その傍らの籠に向けられている。イオの背負い籠は籐で編まれた、がっしりとした縦型のものだ。

 小さな子供なら、立ったまま入れるくらいの大きさがある。


「商売物なんて、何もないじゃないか」

 ござの上を見回して坊主頭が言う。

「まだ準備中でね」 

「……そうか」

 それだけ言うと、子供はくるりと踵をかえして、遠巻きにしている仲間の元へ戻って行く。

 そこで時折こちらを指差しては、仲間に向かって話している。

 あれがあたしの息子だったなら、取りあえず人様の方を指差すなって説教だ。とイオは暢気にその様子を眺めていた。


 子供は、十一人いる。そのうち鞄を下げた者が四人。残りはちびっこだ。

 やがて話しがまとまったのか、先ほどの坊主頭がもう一人を連れてやって来る。

 今度は利発そうな顔立ちの女の子だ。縞模様のスカートの下から、おさないくるぶしが覗いている。


「おはようございます」

 坊主頭が言わなかった挨拶を、女の子は丁寧に口にする。


「おお。おはよう」

 イオもにやりと笑みを返した。

 イオの顔だちは背格好とあいまって、目も口も大きい。無愛想にしていると、目つきがするどいと言われるが、笑うと一遍に印象が変わる。

 各パーツが大きいせいか、笑顔も豪快だ。

 その笑顔に気持ちが動いたのか、女の子が話しだす。


「あの……商売しに来たって、かっちゃんが。かっちゃんて、この子なんだけど」

 そう言いつつ坊主頭の方を、ちらりと見上げる。

 足を踏ん張って、仁王立ちになっている坊主頭が、うんと大きく頷く。


「ああ。ここで商売するつもりだよ」

「うちの村に行商の人って滅多に来ないんだ……」

「へえ。そうかい。いい村なのに。な?」

 イオがそう言うと、困ったような顔で女の子は曖昧な笑顔をつくった。

 苦笑いといった感じだ。別にいじめたいわけではないので、イオとしても複雑な気持ちになってしまう。何をこんなに困っているのだろう。流れ者の行商人相手に丁寧すぎる態度も気になった。


「それで?」

「うちらはもうすぐ学校に行くんだけど。あの……ちっちゃな子が残るの。その……ここに」

 幼い指先が地面を指す。


「ここが、遊び場ってわけだ」

「うん」

 女の子が頷く。

 後ろで腕組みをしている坊主頭も同じ動作だ。

 ここまでの説明はイオにも分かった。だが、それがどうしたってわけだ? 話しの続きがみえてこない。

 小首を傾げるイオに、坊主頭がいらついた様に噛み付いた。


「だから、おばさんの籠のなかをみせてくれよっ」

「かっちゃん」

 困ったように女の子が彼の袖をひく。

「そんな風に言ったって、困っちまうよ。あの……籠かつぎじゃないかって。そんで子供たちが怯えているの」


(ああ。なるほど)

 イオも今の言葉で合点がいった。

 籠かつぎに間違えられても、仕方のない格好ではある。

 この時代、籠かつぎは子供にとって恐ろしい存在であった。

 呼び名の通り、彼らはでかい籠を背負って村々をまわる。

 売るのが目的ではない。村へはいるのは買うためだ。

 馬でも牛でも南瓜かぼちゃや鍋でも。

 金に困っている家の、売れそうなものなら何でも買っていく。そのなかに子供がはいっているのか。イオにも真偽のほどは分からない。

 ただ噂はある。

 親の言うことを聞かない子供は、籠かつぎがさらって行く。半分脅しまじりで親が言うのだ。


 それで警戒しているわけか。

 思わずもれそうになった笑みを必死にかみ殺しながら、イオは籠の蓋に手をかけた。

「ほら」

 だが二人はなかなか覗き込もうとはしない。それどころか固まったまま、その場に立っている。


「ほら、兄ちゃん、男だろ。噛み付くものなんざ、入っていやしない。見ろ、見ろ」

「お、おお」

 坊主頭が声をはりあげる。

 しかし相変わらず足は一歩も動かない。顔だけ心持ちこちらに伸ばされているばかりだ。


 籠かつぎは子供をさらっていく。

 籠のなかには白目をむいた子供がつめられている。

 一度捕まったら、家には二度と戻れない。

 売り飛ばされる。どこに? それは知らない。

 籠かつぎに捕まった子供は逃げられないからだ。

 かっちゃんの頭のなかは、大方その噂で一杯なのだろう。


「それで見えるのかよ」

 イオがたまらず吹き出すと、女の子が坊主頭のシャツの裾を握って、半身前にでた。


「……はこ。箱ばっかり」

 女の子の呟きに、坊主頭がはっとして身を乗り出す。


「ホントだ」

 なーんだ。と小さな呟きが漏れる。


「おばさん、これ箱ばっかりじゃないか。箱や?」

 途端に元気いっぱいに聞いてくる。その変わり身の早さに、イオは今度こそ大きな声で笑った。


「そんな商売聞いたこともないよ」

 一番手前にある平な箱を取り出す。わざともったいぶったように蓋を開ける。

 四つの目玉が期待に満ちて、イオの手元を覗く。


「ほれ」

 箱を二人の鼻先に差し出す。なかに入っていたのは長方形の紙だ。


「なんだ、お札じゃん」

 札売りは珍しいものではない。

 年明けに神社に出向いて買ってくるのが普通だが、札を売り歩いている行商人はいる。札は軽いし、第一食品のように腐る心配もない。

 最も手頃で、扱いやすい商品だ。


「おいおい。イオの札を、そんじゃそこらの物と一緒くたにするなよ」

「だって、お札だろ」

 不満げに坊主頭は口をとがらせる。


「これうちにだって貼ってある。家内安全。どこにでもあるじゃないか」

「でも、良かった。ちゃんと行商の人じゃない。かっちゃんが変なこと言い出すから。みんなで心配しちゃったじゃない」

 不満げに女の子が頬をふくらませると、「あたしはみんなに大丈夫って言ってくるから」そう言って、みなの元へ走って行く。


「ごめんな? おばさん」

 籠かつぎに間違えたのを謝っているのだろう。素直なその言葉に免じて、イオも、「まあ。いいさ」と喜楽に応えた。

 こんなものじゃない扱いだって、受けて来たのだ。

 女の行商人だというだけで、嫌な思いも、たんとしてきた。最もそれはかけだしだった、はなたれ小僧の時だ。今ならば並の男にだって負ける気はしない。

 それに坊主の言うことだって一理ある。

 辺鄙な集落に余所者が来て、警戒されるのは当たり前だ。籠を開けたついでとばかりに、ござの上に箱ごと札を並べていく。

 こうしておけば嫌でもイオの商売は分かってもらえる。


「おれも手伝うよ」

 途端に坊主頭が、横から手をだす。そそっかしいが、気はいい奴なのだろう。


「おう。だが、絶対札を折ったり、傷をつけるなよ」

 念押しは忘れない。

 折れた札など一文にもなりはしない。


「うん」

「へましたら、お前の家で買い取ってもらうからな」

「ちぇ、おばさん厳しいな」

「当たり前だ、商売もんだ」


 家内安全。商売繁盛。豊作祈願。子宝来訪。

 次々と札の箱を並べていく。札は持ち運びしやすい反面、破損しやすい。

 見本の札を一枚だけだして、後は箱毎置いていく。でないと風など吹いたら、全て持っていかれてしまう。

 あらかた並べ終えると、坊主頭を呼ぶ焦れた声が、仲間の輪からあがる。


「かっちゃん! 行こー」

「遅刻するー!」

「ほら、呼んでるぞ。お前、学校あるだろ?」

「あ? うん……」

 ぼんやりとした声で、坊主頭が応える。一応仲間の方を振り返るものの、視線はすぐさま手元に戻る。

 そこにはやや大ぶりな箱が握られている。イオはそっと手を添えると、箱を取り返した。


「……あ」

 途端に坊主頭から惜しそうな声が漏れる。


「これは、駄目だ」

「なんで駄目なの?」

「気に入ったのか?」

「いや、ちょっと変わってるなって。そう思って。それ何のお札?」


 イオは視線を手元に移した。そこには黒地に紅い文字が書かれている。いや果たして文字なのか。それさえも一見分からない。

 お寺さんでみかける梵字に似ているなと、坊主頭は思った。

 そっくりと言うわけではないが、似ている。

 札は他のものより一回り大きく、さらに四方には鈴がぶら下がっている。


「鈴がついているなんてさ。見たことないな」

「ああ。これは特別製だ。悪霊退散に使う」

「うわっ。そうなんだ。これは、字? 何て書いているの?」

「……イド」

「井戸?」

「イド。あたしらの村の言葉だ。イドは古いリュウの言葉で、ここではない場所という意味だ。滅多に使わない札だ」


 使わないし、できればここで出したくない札だ。

 イオは慎重に籠に戻すと、蓋を閉めた。


「さ、遅刻するぞ」

  坊主頭の尻を、右手で叩く。名残惜しそうにしていたが、仲間に呼ばれると、しぶしぶ駆け出して行った。

 その後ろ姿を確認して、イオは再び籠を開けた。


「あんた、大丈夫かい?」

 商売物を確認しているふりをしながら、イオは籠のなかに声をかけた。まだ出していない小箱が重なり合い、ハツユキの姿は見えない。

 上手く隠れているらしい。


「……酷いですよ、リュウ殿」

 弱々しい声が籠の隅から聞こえてくる。

 やはりそうか。

 イオは予感が的中して、思わず顔をしかめた。

 坊主頭の取り出した箱は、開かないように紐でくくっていたのだ。

 イドの札の説明に、嘘はない。あれはリュウの者が使う特別なものだ。但し正確には悪霊退散ではない。

 退散させる相手はカガシだ。

 箱を丁寧にどけていくと、やがて底にへばりついている小蛇の姿が現れた。


「あんた、本当に大丈夫かい?」

「大丈夫なわけがないです」

 恨めしげに、蛇の青い瞳がしばたかれる。


「弱っているわたしに、あれはきつすぎます。あちら側に引き込まれるかと思いました……」

「悪かったよ」

「リュウ殿。ここから出して下さい。これでは息をするのも苦しい」

「その格好で、外をうろつくつもりかい?」

「まさか!」

 心外だと言わんばかりに、ハツユキが声を高くする。


「そんな元気なんてありません。そこの草むらに置いてくれるだけで結構ですから」

 コナラの木立の辺は、スカンポやヒメジオンなどの雑草が生い茂っている。

 さて、どうしようか。

 悩むイオにハツユキが頼りない声で懇願する。


「お願いします。あの札の効力はリュウ殿ならばご存知のはず。何人の同胞があの札に取り込まれたと思っているのですか? わたし等カガシにとって、あれは毒と同じです」

「毒とはいいすぎだろう」

 幾分むっとした口調でイオが言いかえす。


「イドの札はカガシを殺すものじゃない。物騒なこと言い出さないでくれ」

「ですが、実際わたしはこの有様です」

 そこをつかれるとイオも弱い。


「もし姿を見られたとしても、カガシだと思う者などいやしません。今のわたしはリュウ殿はおろか、先ほどの子供にさえ、捻り殺される無力な小蛇です。そうでしょう?」

「……分かった。出してやる」

 周りに人気のないのを確認すると、イオは両手に包んだハツユキを草むらに下ろした。


「いいか。人に見られるんじゃないぞ」

 そう言って手をあけた途端に、しゅんと黒い風が地面に舞った。どこが弱っているんだと、突っ込みたくなる程の素早さで、ハツユキが草むらに姿を消す。


「何が無力な小蛇だよ」

 呆れたようにイオが呟いた。


「弱っているにしちゃあ、とんでもない逃げ足だ。あたしゃあ、ちっと早まったかねえ」

 黒い影は、もうどこにも見当たらない。



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