始 転ー①
智樹をつかんでいた腕が不意に離された。
「うっ」
放り投げられた彼は、地面に頭をぶつける。先程までは痛みを含む五感は一切なかったのに、ここでは感じられた。
「いっつーーー」
痛みにしばらく悶えたがやがてひいていった。
そこで今度はどこに来たのか状況把握を始めた。
見て数秒、彼はここがどこだか理解した。
見慣れたベッド。学生時代に世話になった勉強机と椅子。今でも使っているタンス。
ここは自分の部屋だった。タンスの上には何やらフィギュアや釣竿、ラジコンなどが山になって無造作に積まれており、もはやゴミ山でしかなかった。
それらは既に、処分か押入れなどに片付けてしまったので、今のタンスの上にはない。この部屋はおそらく学生時代のものだろう。
「 しかし、なんで……」
こんなところに連れてこられたのだろう。ここにはせいぜい、自分と、両親がたまに部屋の掃除を勝手にやっていく思い出だけで、友達が来たことがあるわけではなかった。
「あなたと、他の誰かさんが一緒になって作り上げた夢、ということになりますね」
芭玖螺と最初に夢で出会ったときに言っていたことを思い出した。
このことから察すると、自分以外の何者かがこの夢に関与しているということになる。
高校での光景はかつてあの高校に通っていた生徒が。
ライブ会場での光景はその場にいた観客たちが。
そして、ついさっきまでいた、昼食の光景は彼女が。
すべての光景は、自分とほかの誰かが作り上げた夢であった。
まさか、ここは親が作り上げた光景だとでもいうのだろうか。
しかし、その理由が思いつかない。
「なぜ……だ」
芭玖騾に聞くのが一番早いのは分かっていたが、こんな時に限って彼女はいない。
必要な時に頼れない、今目の前にいない芭玖騾に対して彼は舌打ちをした。
「なぜ‥‥‥」
「!」
その時、何者かの声がした。反射的に声の出処を探す。
親ならば問題なかったのだ。しかし、今かすかに聞こえた声は親のものではないのは間違いない。実家暮らしの彼にとって、親の声など聞き間違えるはずがなかった。
低くて重い、耳に響く声だった。その時点で親のものではない。
声の出処を探したが、自分以外誰もいない。もちろん、芭玖螺もいない
心が恐怖で満たされる。
「あいつらか?」
先ほどの無数の腕の奴らか。
そんな考えが頭をよぎった。
「なぜ……貴様が持っている……」
まただ。また低く重い、脳に響くような声が、あらゆる方向から聞こえてきた。
「何のことだ!」
話が見えないので、彼は苛立ちを露わにした。恐怖を抱きながらも、なぜ責められなければならないのかが分からないのか分からない彼は、勇敢にも見えない相手に対して声を張り上げた。
それにしても、いったい何を持っているというのだろうか。
「よこせ」
「よこせ」
よこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせ
よこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせよこせ
どんどん声が増えていく。
「お前には過ぎたものだ」
「欲しいのは俺なのに‥‥‥」
「捨てるなんて‥‥‥」
「なぜ捨てた‥‥‥?」
声は老若男女、様々。
見えない大人数の誰かに責められ、恐怖で体が震えだす。
「何をよこせなんだかは知らんが……」
自分に喝を入れる意味も込めて、見えない声の主たちに怒鳴った。
「持っていきたきゃ持ってきゃいいだろう!さっさと持っていけ!そして失せろ!」
彼の声が道具で溢れかえっている狭い部屋に響いた。
しばしの静寂。
「‥‥‥」
警戒は解かない。しかし彼の心のどこかで安堵のため息が出た。
やっとおとなしくなった、と思った瞬間だった。突如、部屋の出入り口のある方向から瓦礫が崩れるような音がした。
「!」
びくっと肩を震わせ、その勢いのまま振り返る。見ると、出入り口のドアごと壁が粉砕されていた。
壁についていた埃や壁だった木材が粉塵となったものが散乱し、智樹は咳き込んだ。そして同時に、彼の言葉に応えるが如く、何者かがこの部屋に入ってくる気配が感じられた。