始 転ー③
芭玖騾は、鬼がもういないことを確認すると智樹のもとへとやってきた。さっきまで鬼の腕だった彼女の左腕は人間のものに戻っていた。その左手には、彼女に倒された鬼のものと思われる肉塊が握られていた。
「終わりましたよ?」
その声で彼ははっと我に返った。
彼女は左手に持つ肉塊にかぶりついた。
生肉にかぶりつくなどもはや人間の行いではなかったが、もう、異様だとか、奇人変人だとかというくだらない考えは浮かばなかった。
そんなことより、彼女には聞かなければならないことがある。
「今の鬼たちはいったいなんだったんだ?」
「んん?」
彼女は口から肉塊を離した。口の周りをべっとりと血で染めた彼女にいささか引いてしまったが、智樹は返事を待った。
「んぐ‥‥‥ああ、あれですね。あれは……」
肉を咀嚼し、彼女はしばらく言葉を選ぶ。やがて口を開いた。
「嫉妬と道具たちの怨念‥‥‥というとおかしいか。道具は憑依されていただけだし」
額に浮かんだ汗を袖で拭い取りながら、答えた。しかし何かが腑に落ちないようで、考えている。
そしてすぐに、彼女はある結論にたどり着いた。
「もったいないお化け、とでも言いましょうか」
芭玖騾は、モヤモヤが晴れて表情まで晴れやかになったようだ。
「は?」
智樹は返答があまりに滑稽だったので、聞き返してしまった。
「んーっ。ひっさびさに体動かしたわー。少しスッキリ」
もったいないお化けなんて、子供じゃないんだから、信じられるはずがない。高い科学力を持つ現代に、お化けなんて眉唾ものだ。
顔をしかめる智樹に対して、彼女の表情は変わらず、晴れやかなものだった。
「いや、だから、もったいないおばけです。あなた、価値のわからないままポスターやら限定フィギュアやらを買いあさってたみたいじゃないですか」
「あ、ああ」
「それがファンの方……欲しくても買えなかったファンたちの嫉妬の念が固まって道具たちに憑依したんですね。だから、もったいないお化け、ってわけですわ」
「はあ‥‥‥」
「そして、そいつらがついさっき、あなたに襲い掛かったというわけです」
彼女の言っていることはだいたい分かった。
しかし、なぜそれがこんな夢にまでなってしまったのかが分からない。
「そのファンたちの思いが生霊となり、あなたにこの夢を見せたんでしょうね」
「なんだ……」
幽霊なんてバカバカしいなどとは思えなくなった彼は、自分に起きたことを理解できた。
芭玖騾は、はあ、とため息をつき、説明を続けた。
「間違いなく、この鬼たち‥‥‥というより、生霊たちがあなた方を不幸にしていたわけですね」
「え?」
彼女はもはや肉の塊でしかなくなった鬼の残骸に親指を向けた。彼女の左手に握られた肉塊は豚肉の塊程度に思っていればなんともなかったが、惨殺された鬼の死体には吐き気を覚えた。まだその肉塊からは血が漏れている。
目をそらし、話を戻して鬼のことを忘れることにした。そもそも、ファンやコレクターの生霊化した心と彼の身の回りで起きた不幸がどうしてつながるのかが分からない。
「最近じゃあまり聞かなくなりましたが、付き合っている異性がいる人に対して不幸を祈る文句がありましたよね?確か、『リア爆』、でしたっけ?」
「あ‥‥‥」
なぜだか、彼の頭の中でここ最近の不幸とさっきまでの出来事が繋がった。
『リア充爆発しろ』
リアルが充実していない人、特に恋人がいない人間が、いる人間に対して言う、呪い文句。からかいや嫉妬の念も込められている言葉だ。
まさか、あんなの高校生の戯言だと思っていたのに、本当に『爆発』しそうになるとは思わなかった。
「あなた、あのままじゃ死ぬところでしたよ、本当に」
くすくすと、楽しそうに笑う芭玖騾に智樹は顔をしかめた。