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木身

作者: 西洋

 雪の混じった風の冷たい日だった。

 仲介人から親方に引き渡された少年は、勧められた火にもあたらず、耳を真っ赤にしたままどこか彼方を睨んでいた。

 

 イサは十歳で炭鉱へ売られてきた。

 

 最初は大人の手伝いだったが、体格の良かった彼はじきに大人に交じって狭い坑道で力仕事をするようになった。


 炭鉱ではしばしば落盤事故が起こる。人々は荒ぶる山を恐れた。炭鉱主が建てた小さい寺院に集うのは、彼らの心の支えとなったのだった。

 だが、イサが初めてそこへ行ったのは、信心からではなかった。祈りの後でふるまわれるという菓子が目当てだ。長い説教や祈りの間、イサはその小さな建物の中をうろついた。

 説教壇の裏手には古い彫像が寄せ集められていた。炭鉱主が他の寺院や社で不要になった古い像をただ同然で買い取ったものだった。手足が朽ちているものもある。イサは、床に転がるそれらを屈んで懇ろに眺めた。

 やがて、イサは一体の女神立像に引き寄せられた。実際の人間よりはやや小さいが、一木から彫り出されたもののようで、ずっしりとした重みがある。丸みを帯びた体には薄い衣が表現されている。長い垂髪の顔はすましているようでいて少し幼く、無邪気で穏やかな表情だった。イサの周りには、こんな穏やかに微笑む人間はいなかった。


 イサは休みの度に寺へ出かけ、その女神像を眺めるようになった。何度か足を運ぶうちに、その場所に置かれていた彫像が無くなったり、増えていたりすることに気がついた。人の話では、それらは他の寺に転売されたり、他の像に作りかえられているということだった。

 イサは、そのお気に入りの女神像が無くなることを恐れた。

 ある夜、闇にまぎれて、イサは像を布にくるんで担ぎ出した。等身大に近い一木の立像は肩に食い込むほど重かったが、イサは必死で盗み出した。使われなくなった古い坑道に運び込み、そこに安置する。


 それから、毎晩のようにイサは仕事を終えると、拝借してきたカンテラの灯りを頼りに暗い坑道に入り、女神像に会いに行くようになった。水を供え、少しずつ溜まっていた汚れを布で拭ってやる。汚れを落とすと表情は生き生きとした。イサは満足した。イサにはそれが神の姿には見えなかった。

「嫌なことも、悲しいことも、悪いことも、何も思わないんだろうな。生きていたら、そんな顔はしていられないもんだ。」

 イサは、もともとあまりしゃべる方ではない。無駄口をきく暇はなかったし、自分より年上の男たちの中で働いていたから、なおのことだった。しかし、毎晩、埃を払って顔を拭ってやりながら、神像に語りかけるようになった。

「おまえの顔は、姉ちゃんに似ている。」

 

 イサは母親の顔を知らない。父は山仕事で家をあけてばかりで、五つ上の姉が親代わりだった。父が材木の相場で穴をあけると、山を取られ、家を取られ、身ぐるみ剥がれて、イサは炭鉱に売られた。


 姉はどうしたか。

 イサは知らされなかった。後継ぎ息子を売ったのだから、姉が無事であるはずがないことは分かっていた。製糸場の女工か、それとも女郎か。

 迎えに来た仲介人に連れられて家を出る時、姉はイサを抱いて言った。

「姉ちゃんはいつでもおまえを守っているから。おまえが苦しい時は、必ず助けに行くからね。」

 それは姉の願いであったのだろう。しかし、炭鉱で牛馬のように酷使されるイサがどれだけ姉を呼んでも、助けに来ることはなかった。

 イサは姉を恨みはしなかった。だが、助けに来られないその身を案じた。もはや、この世にいないのではないか。そればかりを案じた。


 そんなイサには、物言わぬ神像は、眠り病にかかった姉のように見える。いつか昔のように目を覚ましてくれるのではないか。毎日、体を拭いて世話をし、話しかける。それは、姉は死んだのではないかという不安からイサを救ってくれた。


 それから八年の月日が流れて、イサは立派な体躯の若者になっていた。寡黙で人と交わらず、酒を飲むわけでも博打を打つわけでもない。周りの人間は、イサを、面白みはないが、真面目に働く腕力のある坑夫として見ていた。

 男どもは女をけしかけたりしてからかったりもしたが、イサは興味を示さない。あまりにも知らぬ顔なので、からかう方もしまいに諦めた。

「あれは、きっとどこかの後家とでも懇ろになっているのさ。」

 そういうふうに皆は納得した。


 しかし、イサ本人は相変わらずだった。仕事を終えると、女神像の世話をし、話しかける。そんな日々を続けていた。像は毎日磨かれることで艶艶としている。カンテラの光で見ると、時々、生きているのではないかとすら思えた。

 整った輪郭に、すっきりと伸びた鼻。弓のようにひかれた細い眉。強さと憂いの両方を持つ半眼に開いた眼。少し笑いかけるようなふっくらした小さな唇。木の温かみが残っているような腕におさまる丸い体つき。若さを感じさせるのびやかな手足。

 その一つ一つを確認するように、イサは磨き続けていた。

「おまえは綺麗だ。外にはおまえみたいな綺麗なものはない。」

 イサは像に名をつけていた。ハク。白いという意味のハクだ。故郷は、ここよりずっと北で、冬になると山は真っ白になった。それは神々しく美しかった。

「綺麗だ。おまえは、本当に綺麗だ。」


 ある日、昼飯を食っていたイサは、現場の親方から声をかけられた。

「イサ、おまえ、女はいないのか。」

「そんなもん、いない。」

 炊き出しの汁をかきこみながら、顔も上げずに、ぶっきらぼうに答える。

「所帯、持つ気はないか。」

「……前借りした借金がまだ済んでない。」

「もう大して残ってない。働きながら、じき返せる。……なあ、うちのリンはどうだ。」

 イサは箸を止めて、親方の顔を見た。親方の娘リンは、坑道に入ることはなかったが、飯の炊き出しや洗いものをしており、時々見かける。イサより少し年下で、気立てのよい娘だった。親方の娘ということもあって、炭鉱の荒くれ男どももちょっと遠慮していた。

「親方、俺、所帯持つことは考えてない。借金を返せたら、金を貯めて、姉ちゃんを迎えに行くんだ。」

「……そうか。」

 親方は頭を振りながら離れて行った。イサは残った汁をまずそうにすすりあげた。


 その日、仕事を終えて小屋へ帰ろうとしたイサは、リンに呼び止められた。

「父ちゃんから話は聞いた。お姉ちゃんを迎えに行った後はどうする?お姉ちゃんのことと所帯を持つことは、別のことだろ。」

 イサは、リンとまともに口をきいたことがなかったので、少し面食らった。

「……そうかも、しれん。」

「考えてくれんか?借金なら、わしも働く。な?」

 自分から言い出したことが恥ずかしかったのか、大声を出したことが恥ずかしかったのか、リンはうつむく。

「人のために苦労する必要はない。所帯は持たん。」

「わしが嫌か?」

 泣きそうな顔をしたリンを、イサはどこか冷めた目で見ていた。

「おまえさまのことは、よく知らん。……女はみんな好かん。」

 吐き捨てるように言った。女だけを嫌っているわけではない。イサにはただ煩わしいことだった。


 リンは納得がいかなかった。リンはリンなりに、昔から黙々と働くイサを見つめてきたのだ。飯や汁を渡す時も、イサにはうまそうなところを選んで多くよそった。金で苦労しても構わないと思っていた。

 しかし、イサと話をしてみると、あまりにもつれない。噂のように、どこかの後家とでもつきあっているのだろうか。それならそうと、はっきり知りたい。それなら思い切りもつくやもしれん、とリンは思った。


 リンはイサの小屋を見張った。イサは、暗闇に紛れて出かけていく。早足で山道を歩くイサを、リンは必死で追った。着いた先は人家ではなく、もう忘れ去られた古い坑道だった。こんなところで逢引をしているのはどんな相手なのか、遠ざかるカンテラの灯りに置いて行かれないように、無我夢中で追いついた。

 暗闇の中、リンはイサが女に優しく語りかけている声を聞いた。普段見ているイサからは想像もつかないほど、女を気遣った言葉だった。相手はどこの誰なのか。覗き見て、息をのんだ。

 イサが腕に抱くようにしているのは、人と見間違うほど艶めかしく美しい木像だった。カンテラの僅かな灯りがその表情を変える。満ち足りた、艶やかな笑顔がリンに向けられた。

 リンは真っ暗な坑道を這うようにして外へ逃れた。自分が見たのは木像だったのか。男を独り占めして勝ち誇った女の顔ではなかったのか。リンにはわからなかった。


 翌日、昼の炊き出しの時、リンはイサの顔をのぞき見た。いつもと変わらない顔をしている。昨夜のあの姿は何だったのか。腹ただしかった。

 飯をかきこんでいるイサのそばに、リンはつかつかと歩み寄った。

「あの坑道に発破を仕掛けてもらった。」

 イサは意味がわからず、リンの顔を見る。

「もう中には入れん。これであの像には会いにいけんな。」

 イサは目を見開いた。

「あんなもの、イサはどうかしている。あれはただの木像だ。あんなもの、あんなもの……」

 椀や箸を放り出すと、イサは立ちあがった。

「どこへ行く、イサ。入れんぞ。落盤にまきこまれるぞ。」

 リンを射るような強い眼で見た。

「おまえは醜い。」

 吐き捨てると、走り去る。

「誰か、誰か、イサを止めて。落盤している坑道に横道から入る気だ。誰か!!」

 泣きわめくリンの声に人が集まってきたときには、もうイサの姿は見えなかった。


 イサは、横道を使って神像にたどり着く。神像を安置していた場所自体はまだ落盤しておらず、無傷のままだった。

「ハク、引っ越しだ。ちょっと我慢するんだぞ。」

 木像を担ぎあげると、古い横道は狭くて、思うように動けない。


……置いていって……


 イサは耳を疑った。背のものを降ろして、顔をまじまじ見た。

「ハク?」

 そこには血の通った女がいた。イサが想い続けたままの女がいた。

「一緒に外へ出るぞ。」

 女を抱えて、イサは走った。

迷路のような古い坑道は、僅かの発破で連動して崩れていく。外の光が見えた。腰をかがめなくてはいけないような低い坑道を、女を引きずるようにして進んだ。

「もう少しだ。」

 その時、周り全体が激しく揺れ始めた。天井を支える木材が崩れ始める。


……逃げて……


 イサは返事をする余裕もなく、女を引っ張った。


……置いて行って……


 それでも無言のまま、イサは女を引っ張った。天井自体が下がり崩れてくる。どんどん崩れた岩や土砂に周囲が埋め尽くされていく。もう、動くことは出来なかった。

「すまん。助けてやれなくて。」


……守ってあげる。必ず助けてあげる……


 姉ちゃんみたいだと、イサは思った。

 

 そうだ、ハクは真っ白で、この世のものとは思えないぐらいまっさらで、美しい。助けてくれなくっていい、一緒にいてくれ。

 

 遠のいていく意識の中で、イサは願い続けた。


 イサが発見された時、その傍にあった「丸太」が大きな岩をくい止めていた。同時にそれが隙間を作っていたため、イサは窒息せずに全身の打撲だけで無事助け出された。かつて神像だったその「丸太」は、顔面が潰れ、手足もわからなくなっていた。

 意識がもどったイサは、傷ついた体のまま、土砂の中からその「丸太」を引きずり出そうと躍起になった。もはや美しくはなかったが、イサはそれを諦めることができなかった。

 しかし、それを運び出せばかろうじて食い止められている岩が崩れる。

 納得しないイサを大の男が三人がかりで押さえつけてその場から引き離し、彼の「丸太」は坑夫たちの手で埋め戻された。

 抵抗して暴れるイサの姿は異様で鬼気迫るものがあった。皆、あれこれと噂したが、しばらくするとそれもおさまった。


 イサは元の寡黙な坑夫に戻った。



かなり前に書いたものです。

これでは粗筋だからもっと長く書きなおした方が良いというアドバイスも貰っている作品で、ロングバージョンも試みてはいるものの納得のいくものができず、かつこの短編も自分では何となく捨てがたいので、文章的な粗はありますが、少々の手直しで出しています。

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