セミセリア ~あなたは私を死なせる~ Ⅱ
◇◇◇ ◇◇◇
クリスにいつもとは違う別れを告げたエリオットは、ライトの家を後にしてそのまま西側の外壁まで進んでしゃがむ。
ぱっと見はただの地面にしか見えないその場所の特定の部分を突付くと、見た目が地面から普通の扉へと変化した。
「またココ通るんだね」
「そりゃそうだ、俺は城から出ていないことになってるんだからな」
フォウの呟きに返答してから、エリオットはその狭い抜け穴に体を入れて地下道に降り立つ。
入り口と出口は狭いが、入った先の道は立って歩けるくらいのサイズになっているのでそれほど不便なものではない。
エリオットの物質を変換する能力は、穴掘りにも大活躍のようだ。
「絶対、後日ここは塞がせて頂きますからね……」
一番後ろから着いて来ているレイアが何やら言っているが、王子は華麗に無視。
地下道を抜け、狭い出口に頭を突っ込んで出た先は、城にあるエリオットの部屋の後ろの庭。
エリオットの部屋は別棟のように城内に建っているので、部屋と城壁の間には普通に地面があるのだ。
こっそり顔を出して周囲に人が居ないのを確認してから、これも同じように自分で作った隠し扉を使い、正面ではなく裏口から自室に入る。
「待たせたな」
部屋のベッドでぽーっと座っていたリアファルにエリオットが声を掛けると、彼女はその大きなアメシストの瞳を声の主に向けた。
「お、お帰りなさいませ!!」
この様子だとエリオットが出ていたことはバレずに済んでいたようだ。
クロークを椅子に掛けて取り敢えず銃のホルダーを定位置に仕舞い、後から来たレイアに言う。
「リアファルを帰してやってくれ」
「勿論です」
行きとは違い、赤鎧の下には襟の広い黒のインナーを着ているレイアがリアファルを部屋から出るよう促して、二人は部屋の正面の扉から出て行った。
途端に外が騒がしくなったが、レイアの妹が姉の帰還にはしゃいでいるらしい。
鎧は苦手と思われるフォウが、早速皮当て部分を外して背伸びをしながら独り言のように喋りかける。
「用が済んだらあっさりポイッ、と」
「……早く帰す他に何をしろと」
「何かもうちょっと会話してもいいんじゃないの、一応婚約者なんだからさ。ちょっと悲しそうだったよ」
言葉を返すのも癪だったので、エリオットは何も言わずに部屋を出た。
幸いリアファルはまだ部屋のすぐ外に居て、飛び出してきたエリオットの顔を見てはきょとんとしている。
同じように驚いているレイアのことは一旦置いて、
「言い忘れてた。手伝ってくれてありがとな」
彼は手短に目の前の少女へ労いの言葉を掛けた。
微笑んだレイアに連れられてリアファルは今度こそ去って行く。
そして残ったのは……姉の真似をしていたポニーテールを解いて髪を下ろしたレイアの妹、アクア。
「いっぺん死んで来い」
王子を一瞥してそんな一言を残し、彼女も去る。
今回の件は全てにおいて彼女の気に食わないものだったのだろう。
エリオットはアクアの後姿を見ながら、女でなければ殴っているところだと思いつつ、部屋に戻るべく踵を返した。
しかし部屋ではフォウが既に自分の部屋のようにまったり寛いでいて、何を言うかと思えば、
「夕飯は王子様と同じのでお願いね。お酒も欲しいな」
「いいけど、図々し過ぎてムカつくんだが」
「当然の待遇だと思うけど? 我侭に付き合ってあげてるんだから」
フォウの顔は、笑っていない。
彼は他の者に見せるような笑顔をエリオットにはまず見せないのだ。
とはいえ今現在の立場として、依頼を断りたいフォウをエリオットが無理に雇っている状況で……不服ではあるものの、エリオットはそこまで強く出られなかったりする。
「お前、俺のこと嫌いだろ」
何となく皮肉を込めて確認した王子に、顔を向けること無くルドラの青年がぼそりと呟いた。
「お互い様でしょ」
先に敵意をぶつけてきているのは、エリオットだ。
出会い頭からその能力をいいように使おうとし、今もそう。
そのくせして、別に何でも無いクリスとの仲に勝手に嫉妬しているのもフォウには見えているはずなのだから、彼らがうまくいかないのは必然だった。
一先ずエリオットはメイドを呼んで、フォウの要求である豪華な食事を届けさせるように手配する。
これでエリオットとしては出来る限りの待遇をしたはずだ。
が、フォウはどうやらまだ何か言いたいことがあるようで、席を立つ気配が無い。
「王子様」
「何だ?」
不満がありつつも一応返事をするエリオット。
そこへフォウが次に投げかけた言葉は、これがまた酷いものだった。
「服脱いで」
二人きりの密室で男に脱げと言われる気分は、想像するに容易い。
「……な、何でだ」
「服自体が纏う色をちょっとどかしたいんだよ」
少なくとも変な意味では無いことが分かったエリオットは、それ以上の意図を探るのをやめ、素直に脱ぐことにする。
フォウは無駄な冗談を言うタイプでは無いのだから、色を見せたほうがいい。
一枚ずつ脱いでいって下着のみになったところで、流石にそれ以上脱ぐのは憚られて手が止まる。
別に恥ずかしくはないが、自分だけ全裸というのは単純に癪なのだ。
脱ぐのをやめたエリオットに対し、フォウはそれ以上脱げとは言わずにじっくり観察し続けていた。
「うーん」
「何か見えるのか?」
「俺の知らない色がね、見えるんだよ王子様に」
「知らない、色?」
椅子に座っていたフォウがすっくと立ち、エリオットへと近づいていく。
そのまま少し中腰になり、彼の半裸を間近で眺めながら言う。
「少なくとも今朝までは無かった。気付いたら何か違う色が混ざってて……」
「どういうことだよ」
「分かんない。俺はね、他人の感情や未来とか他にも沢山のものが色として見えているんだ。けれど、その色が何を示すのかどうかってのはすぐには分からないんだ。その色を纏った人がその後にどうなったか、どう思っていたか……っていう実例を確認して初めてその色の意味を知ることが出来る、便利なようで不便な能力でもあるんだよ」
色の実例を集めるためにはかなりの情報が必要になるに違いない。
他人をひたすら観察し、そしてそれを全て記憶する。
そこで初めてフォウの能力は価値を得るのだ。
「……じゃあ少なくとも今俺に見えている色は、お前が今まで見てきた奴の誰にも当てはまらない色ってことか」
「そうだね。でも何だろう、混ざってたって言うよりは、濃くなったって言うほうが正しいかも知れない……近い色なら前から纏っていた気もする。どっちにしても知らない色には違いないけどさ」
「使えねーな」
「あのね! 王子様がもっと普段から綺麗な色してればこっちだって見やすいんだよ! これだけぐちゃぐちゃ濁ってたら俺だってそれぞれの色を見分けるのは大変なんだから!」
エリオットには、フォウが一体どのような景色を見ているのか分からなかった。
だが、何となく悪いように言われていることだけは分かった。
ぐちゃぐちゃ濁ってる、と言われては良いイメージに結びつくはずが無い。
「ほっとけ! とにかく分からないんならこれ以上見ても意味無いんだろ!?」
「うん、そうだね。俺のデータ収集に役立つくらいかな」
「どうでもいいわ!」
半裸になったのに全く自分の足しにならなかったエリオットは、不貞腐れながら脱いだ服を拾う。
そこでノックの音がし、思わず条件反射で返事をしてしまう王子。
部屋のドアを開けたのは、食事を持って来たメイド。
彼女の視界には、半裸になっている王子と、その正面に中腰で立つ青年の姿がしっかりと映りこんだ。
「お食事をお持ち致しました……」
「あ、あぁ、ワゴンごと、そこに置いといてくれ」
命令のままにメイドは食事の乗ったワゴンを部屋に置き、逃げるように去る。
完全に、アレだ。
「あのメイドさん、変な想像してたみたいだよ」
「他人事みたいに言うんじゃねーよ!」
フォウは城に長居をするわけでは無いからダメージは少ないと思われるが、一応ここが家であるエリオットにとっては大ダメージだった。
「ロリコン」にクラスチェンジしそうだったエリオットの性癖に関する噂は、もはや「誰でもいい」になりそうである。
さて、一晩明けてからエリオットは、普段よりも早く活動を開始した。
メイドが部屋を訪れる前にさっさと自分の身支度を整え、ベッドで寝ているフォウを揺する。
エリオットが早起き出来ているのは、単に椅子で寝ていてよく眠れなかったからだ。
昨晩フォウの要望通りに「一緒の食事を」とメイドに注文したところ、一緒の部屋で食事をするものだと勘違いされていたらしく、例のワゴンには二人分の食事が乗っていたのである。
とはいえ運び直させるためにまたメイドを呼ぶのも何だか色々と視線が気になったエリオットとフォウ。
渋々ながら互いに食事だけ済ますことを了承したのだが、絡み酒の節があるフォウが散々女性陣への扱いに関して文句を言い続け、エリオットはまともに飲めなかったのだった。
しかも最終的には酔い潰れてそのまま人の部屋で寝る始末。
というかフォウが部屋に泊まったのだから、メイドの疑惑はきっと彼女の中で確信に変わっているに違いない。
頭が痛くなるほど飲んでもいないのに、頭が痛いことこの上無い王子。
「おい起きろよ……って何でコイツ脱いでんだ」
少なくとも寝た時点では服を着ていたはずなのだが、エリオットのベッドに潜っているフォウは、例によって裸になっている。
裸でないと眠れないタイプなのか、それとも酔って脱いでしまったのかは定かではないが。
クリスも先日見た、彼の背にある魔術紋様。
それは、エリオットが毎晩夢で見てきた世界の理と重なるものであった。
魔術において、形あるもの全てに意味がある。
それは紋様だけではなく、生命体、非生命体の形状においても同じことが言えるのだ。
特にフォウの背にある『天然もの』は、他の魔術紋様よりも顕著にそれが表れている。
何故なら天然の魔術紋様は、普通の魔術紋様と違って……一般人の体にそれを刻んでも発動しない域の魔術だからだ。
紋様と、それに適する特定の肉体があってのこと。
つまり肉体自体が、その魔術を発動させる為の形状を有していることになる。
だから誰も真似が出来ない、個の魔術。
そしてこの世界もそれと同じ。
世界の形そのものがひとつの魔術紋様であり、それはいわば規模の大きい、術士の箱庭。
世界と生命を創った者を神と呼ぶならば、この世界を創った者も神なのだろう。
だがそれは『神だから世界を創った』のではなく『世界を創ったから神』ということ。
――全ては、逆だった。
だからもしライトがいつものあの調子で実験室にて小さな世界を創ったならば、ライトもその小さな世界の神と呼べる。
その理論でいくと少なくともこの世界の神とは全知全能ではなく、一人の術士のようなもの。
ただその規模は……有り得ない大きさなのだが。
この一晩、エリオットは夢を見なかった。
つまり、夢は終わったと思われる。
エリオットの夢は基本的にどんどん過去に遡るような流れで、この世界の創造の瞬間、更にその先はこの世界では無いどこか別のとても美しい世界を映した。
だが、その世界は今は無い。
エリオット達が住むこの世界が創られた後に、一人の女によって大樹へと還されてしまったのだ。
……この世界自体の創り手では無いものの、その女も神と呼べるのだろう。
自分の身を割いていくつもの生命と不思議な品々をこの世界に生み落とした者なのだから。
しかし、ここまでこの夢を見てもエリオットは一つ腑に落ちないことがある。
ならば今、神はどこに居る?
ビフレストを通じてこの世界に干渉している以上、どこか別の場所に居るはずの、世界創造を成し遂げた術士。
同じ夢を見たはずのフィクサーが長期に亘って調査していることを、今ようやくスタートラインに立ったばかりのエリオットが考えたところで追いつけない。
やはり、やるからには手を組むしかない、とエリオットは結論づけた。
ともあれエリオットはこれできっとレクチェやフィクサー達と同じレベルのことはやりようによっては出来るはずだ。
この夢による知識からどう力を操作していくかはまだ試していないし、すぐ出来るとも思えないが……
知識はあくまで知識でしかない、彼はそれを実感させられる。
「はぁ……」
溜め息しか出てこない。
そこへ布団からもぞもぞ出てくる小さなねずみ。
コイツこんなところに居たのか、とエリオットが見ているとソレはくるりと回って人型に瞬時に変身した。
「すごいな」
白髪をショートカットに揃えている小さな少女になったねずみに、思わず感嘆の声を漏らす。
「おはよう人間。いや、今はビフレストなんだっけ?」
にやりと顔を歪めて厭味な笑みを向ける白いねずみの獣人。
「なんだねず公。そんな顔してもそのサイズじゃ怖くねーぞ」
自覚したくない部分を告げるダインに、エリオットはその感情を悟られないように軽く流した。
すると幼女の顔はしょんぼりし、かと思えばすぐに怒り出す。
「好きで小さいわけじゃないんだから! そんなこと言うと教えてやらないよ!」
「教えてくれないならお前をライトに返品するだけだぜ」
「うぐぐ……」
そう、ダインはあの時エリオットに「聞きたいことがあれば色々教えてやる」という交換条件で交渉してきたのだ。
「まぁ丁度いい、フォウが起きるまで聞かせてくれよ」
言いくるめられて不貞腐れていた小さな獣人にそう声掛けると、その赤い瞳がスッと細められた。
「何を聞きたい?」
操られていた頃のローズを思い出す、その表情。
一瞬噴き上がりそうになる黒い感情を押し込め、エリオットは、今は本体を失った精霊と視線を合わせて言う。
「何故この世界を壊したいんだお前達と、女神の末裔ってのは」
女神の目的がどうしても理解出来ない。
ここまで本能に忠実なこの精霊ならば、答えられそうだと思って事の本質であろう部分を聞いてみる。
すると赤い瞳を丸くして、むしろ問い返してくるのではないかというくらい不思議そうな顔でダインが答えた。
「害虫を駆除して粗大ゴミを処理するのに理由が居るのかい?」
本当に他に他意のなさそうな、純粋な表情で。
「害虫って……」
言葉だけでなくその表情も相俟ってエリオットは言葉に詰まってしまう。
そんな彼にダインは更に続けた。
「ここそのものが負担になっているんだ。だから少しでもその負担が軽減されるように害虫を減らして頑張っている。キミ達には迷惑かも知れないけれど、ボク本当はとっても偉い子なんだよ」
えへん、と胸を張るこねずみの獣人が、急に恐ろしいものに見えてくる。
その内にある価値観があまりに理解出来なくて。
しかし今のエリオットになら何となく分かる、何の負担になっているか。
「大樹、か」
根幹であるその大樹に連なる幾つもの世界。
そこにある世界を減らしていき、そしてこの世界をもなくそうとして最後に何が残るか。
それは大樹だ。
つまり女神の行動は、大樹の負担の軽減、と。
「そうだよ。そこは知ってるんだ! 人間と見分けつかないけど、一応ちゃんとビフレストしてるんだねぇキミ」
薄く目を開けて顰めているにも関わらず無理やり笑顔を作り出す精霊は、人を小馬鹿にしたような言い草で嘲笑う。
「勝手に創っておいて、邪魔なら壊す、と」
「違うよ、創ったのは女神じゃないんだから。文句はキミ達の創造主に言ってくれないかなぁ?」
なるほどそれもそうだ。
では何故この世界は創られたか……それも聞こうと思ったが、この精霊サイドでは無い神の意図など聞いても無駄か、とそこを質問するのはやめておく。
何にしても他のビフレストに接触して話をきちんと聞きださないといけない。
他から仕入れた話を統合すると、以前にあのミスラという少年のビフレストから聞いた話だけでは足りなくなってくる。
話も終わったというのに未だにフォウは起きないので、エリオットは室内の洗面台から水を汲んできて彼に掛けてやる。
そこでようやく起きた四つ目の青年。
「うぶぁ!?」
「ほら、城内まわるぞ」
髪が濡れたフォウは顔に滴る水を手で何度も拭いながら、自身の状況を把握するように周囲を見渡し、
「あー、ごめん……」
流石にまずいと思ったのか素直に謝った。
「さっさと着替えろ。まずはクラッサの元同室だった女のところに行くぞ」
「分かったよ」
王子のベッドの布団で髪を拭きつつ、そこらに散らばっている服を集めて着替えるフォウ。
そこでエリオットの目に、見たくないものが一瞬見えて、
「うむ、男だな」
何となく確認してしまう。
何しろエリオットとしては男だと思っていた相手が女だったという衝撃経験があり、胸が無かろうがその部分を確認しないとどうも判断が出来なくなっているのだ。
クリスはトラウマだったかも知れないが、エリオットにとっても軽いトラウマには違いない。
「俺が女に見えたなら、ちょっと目玉取り出して洗ったほうがいいと思うけど」
「それはクリスに言ってやれ。お前を女みたいだと言っていたことがあるぞ」
「ほんとに!?」
わざわざ驚いて確認しなくても見れば分かるだろうに……と思ったが、思わず驚いて尋ねてしまう心境も分からなくも無いので、エリオットは突っ込まないでやった。
「先生には可愛いって影で言われてるかと思えば、クリスは俺を……女ぁぁ?」
着替え終わったフォウが頭を抱えて嘆いている。
エリオットはベッドの上に居たダインに手を差し伸べ、肩まで登らせると満面の笑みで言い放った。
「さぁ、行こうぜフォウちゃんよ」
「気持ち悪いいいいいいい!!」