葛藤 ~想いに惑う少女~ Ⅱ
ダインの乱入により少し時間が掛かってしまったが、エリオットが急いでいることに変わりは無い。
ライトの家を後にしてから、クリスは行き先を知らないまま皆の後ろを着いていく。
「遠出するんですね」
着いたのは駅。
人通りが多い場所では逆に周囲は顔をじっくり見てきたりしない為、いつもそこまで視線を気にしていないエリオット。
だが構内では人の流れが止まる場所も多々あるので、流石に顔を隠すべく彼は色が濃いめのサングラスを掛け、髪の毛を軽く編んでいた。
「目的地はモルガナだからね」
切符を買って来たレイアがそれを皆に手渡しながら答える。
「何をしに行くんです?」
「とりあえず乗ろうぜ」
既に出発直前の列車を指して、ゆったりとした三つ編みを靡かせながらエリオットが先に歩いて行った。
東行きの列車は他に比べてあまり混んでおらず、席に着いたところでようやくクリスに説明が入る。
「竜の飼育用の第一施設が消滅したらしいんだ」
まず事実から入るエリオットの説明に、唖然とするしか無いクリス。
「ど、どうして?」
「それを見に行くんだよ」
「そ、そっか、そうですよね。でもどうしてこっそりお城を抜け出してきたんです? それに偵察ならエリオットさんがわざわざ行かなくとも……」
「既にダーナ側で一旦現状の確認はして貰っているんだ。それで足りないからフォウを連れて確かめに行く。でも今の俺が出ると親がうるさいから抜け出してきたってワケだ」
クリスの疑問にすらすら答える彼。
確かにフォウなら何か見えそうで、見えたものとエリオットの見解を合わせれば更なる情報を得られる可能性は高いだろう。
急なことではあったが、自分が呼ばれた理由も納得がいったクリス。
施設が消滅、と言うくらいだから何かしら危険がついてまわりかねない。
精霊武器の力が欲しいのだ。
溜め息を吐きつつ、クリスは状況を飲み込む。
動き出した列車の動きに合わせて少しだけ皆の体が進行方向と逆に揺れた。
クリスの隣に座っているレイアの、その表情はかなり浮かない。
エリオットの脱走に付き合っている時点で彼女の心労は計り知れないものだろう。
「レイアさん、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。ありがとう」
クリスの声掛けに弱々しく反応するレイア。
そんな彼女を見て、その向かいに座っているエリオットが不満そうに述べた。
「何だよ、ちゃんと俺が居ないことがバレないようにしてきたじゃねーか」
「いや、でもアレじゃ別の問題が出てくるよね?」
「アレ?」
フォウの口から出た言葉にクリスは疑問を投げかける。
するとレイアが静かにその『アレ』を語り始めた。
「王子は、来訪しているダーナの姫を部屋に残して、自分が居るように誤魔化せと命じて出てきたんだよ……」
「お、お姫様に!」
どれだけ他人を自分勝手に使うのだこの王子様は、と思わずクリスはエリオットに目をやる。
けれど、彼はクリス達の会話など興味無さそうにねずみの形になっているダインを触っていた。
「私に変装させた妹を置いてきたので、基本的に部屋に入るのは妹になるとは思うが……」
「が?」
「ダーナの姫が一晩以上王子の部屋に居続けるというのが問題なんだ……」
「はぁ」
何故それが問題なのだろう、と首を捻って気の抜けた反応をするクリスに、フォウが小声で言う。
「クリスに分かるように直球で言うと、この誤魔化し方だと、実際王子様は部屋に居ないとはいえ、周囲には男女が二人きりでずーっと部屋に篭もってるように受け取られるのさ」
「ふむふむ、そうですね」
「半日ならまだしも夜を明かしてまで出てこない二人って考えると、結婚前だって言うのにえっちなことしてるって勘繰られちゃうよね」
「……だ、大問題です」
エリオットについては今更かも知れないが、婚約前の次期巫女長がそういう目で見られるのがとってもマズイ。
別に令嬢でも何でも無い姉が婚前交渉をしたと聞いただけでもクリスはトンデモナイと思ってしまうのに、それをあの次期巫女長がと考えると……
「うわぁ……」
クリスの顔の力が抜けてくる。
「だってずっと俺が出てこないだなんて不自然だろ? でもそこで女と部屋に篭もってるって思わせればいつも通りで誰も疑わないし、邪魔しようともしない。これ以上の案は無いと思うぜ」
「そういう問題じゃないですよね」
周囲がこれだけ呆れているというのにそれに気付いていないのか、気付いていてスルーしているのか。
多分後者なのだろうと思いつつ、クリスはじと目でエリオットを睨んだ。
すると、ずっとダインを見ていたエリオットの視線がちらりとクリスに合って、その目はどこか悲しげに細められる。
「そう睨むなって。逃げ場が無くならないと逃げたくなるからな……手を出したと思われれば相手が相手だけに後戻り出来ないし、これでいいんだ」
彼が静かにそう言うと、レイアもフォウも真面目な顔をして押し黙ってしまう。
確かにそういう顔になってしまうような雰囲気でエリオットは話していた。
自分で自分を追い詰めているような、そんな印象をクリスは抱く。
「姉さんを追いかけた時みたいに……お城を出ちゃえばいいじゃないですか」
何を言っているのだろう、自分は。
思わず口を出た言葉に、クリスは自分でも驚いてしまう。
けれど一度出てしまった本心は、堰を切ったように流れ出る。
「逃げたくなるくらい嫌なのに、何で逃げないんです?」
揺れで軋む列車の窓の音とクリスの声だけが、この個室内に響いていた。
何故逃げないのかと問いかけたものの、自分でその言葉の内にある意味をクリスは分かっている。
自分は逃げて欲しくてこんなことを言っているのだ、と。
「姉さんが居ないから、人生投げちゃってるんですか?」
なのにクリスは彼を責めていた。
自分にこんなことを言う資格も無いし、エリオットは自分にこんなことを言われる筋合いも無い。
分かっているのに、
「何だか、エリオットさんらしくないです」
クリスは自分勝手な言葉をぶつけてしまう。
でもエリオットは怒らなかった。
それどころか酷く優しい声色でクリスを宥めるように言う。
「お前も随分お前らしくないことを言ってるな」
「……っ」
その通りだった、このようなことを言うのは全然自分らしくない。
というか、最近の自分はおかしい。
その理由を分かっているだけに、胸が詰まって……凄く息苦しい。
クリスはいっそ怒られたほうが良かったと感じていた。
最近エリオットがあまり突っかかってこないお陰で、自分の情けなさが際立って自覚させられてしまうのだ。
「ローズはさておき、俺ももういい年だしな。いわゆる年貢の納め時ってヤツか? それと……そんなこと、レイアの前で言うもんじゃないぜ」
黙ってしまったクリスの態度とその場の空気を和ませるように軽口を叩いて彼は笑う。
その気遣いがクリスには逆に辛い。
折角エリオットが和ませようとしているのに、落ち込んだままのクリスの心。
自然と俯いてしまったクリスは自分の膝をじっと眺めていた。
そこへ、視界に入ってくる手と、その手の中にある小さな紙包み。
フォウがクリスの視界に、自分の手を持っていったのだ。
「?」
クリスが顔を上げると、フォウが真顔で言う。
「あげる」
そして膝の上に紙包みが残された。
その包装をゆっくりと解くと、中から出てきたのは黄色いしっとりとした生地に飴色の焼き目のお菓子。
「これ……」
「ポイント貯めようと思って焼き菓子を持ってきてたんだ」
「な、何だ、ポイント?」
ポイント制度を知らないエリオットが、口元を引きつらせてフォウを見る。
「皆にもあげるね」
そして荷物から取り出して配るフォウ。
「い、いただきます」
レイアは配られた紙包みを広げて、苦笑しながらもクリスより先に食べ始めた。
クリスもそれにつられて、目の前の山吹色のお菓子を頬張る。
しかし甘くて喉が渇いてきて、
「ありがとうございます、出来たら飲み物も欲しいです」
「え、それは俺に買って来いってこと!?」
笑っているのか怒っているのかよく分からない顔をしてフォウが叫んだ。
勿論別にフォウをパシりにしたいわけではなく、純粋に飲み物が欲しくて出ただけの言葉なのでクリスは訂正の意を込めて答える。
「いえ、お金を頂ければ自分で買ってきます」
お金を出す気は無いらしい。
「……俺が買って来るよ」
すっくと席を立ち、フォウは部屋を出て行った。
美味しい物を食べてほんわかした気分に、クリスは彼の出て行った車内のドアを眺めながら誰に向けるわけでもなく微笑む。
「おいレイア、俺は今凄くアイツに負けた気分だ」
「実際負けたんじゃないでしょうか、彼というよりは……食べ物に」
折角の美味しい菓子だというのに、エリオットは先程までクリスに見せていた優しい笑みをしかめっ面に変えながら、食いちぎるように齧り付いていた。
全員が食べ終えたところで車内の部屋のドアが開き、フォウが紙カップを四つ乗せたプレートを手にようやく戻ってくる。
「お待たせ」
一人ずつ手渡された飲み物は、グリーンティー。
既にちょっと甘ったるさが消えかかっていた口の中に水分を流し込み、ふぅ、と一息吐いたところでクリスは言おうと思っていたことをここで切り出す。
「そういえばフォウさん、今まで酷いことばかり言ってすみませんでした」
「え?」
突然の謝罪に、フォウだけでなく他の二人も顔をクリスに向けた。
「私……ちょっと価値観がズレている部分があったりしまして」
「うん、ちょっとじゃなくて盛大にズレてるのはよく知ってるけど」
「それでライトさんが、フォウさんはムッツリじゃなくて可愛いんだって教えてくださったんです」
「ぶふっ」
お茶を飲んでいたフォウが吹き出して、自身の膝の上を濡らす。
「おい、汚ぇぞ」
「だだだだって」
そうツッコミながらエリオットはフォウから少し距離を離すようにお尻をずらし、そこへレイアが荷物からタオルを取り出してフォウに手渡した。
やたらと可愛らしいデザインのタオルを受け取り、急いで膝の上を拭くと、改めてクリスの話を聞く体勢になる彼。
「……先生が、俺を可愛いって言ってたの?」
「はい。だからムッツリだなんて呼んでいて申し訳無かったな、と」
ようやく謝ることが出来て良かった、とクリスは自分の気持ちが楽になるのを感じる。
そこで皆の顔を見渡したクリスは、自分以外の三人が怪訝な表情になっていることに気がついて驚いた。
「うぅ、誤解が解けて嬉しいのに、何だろうこの腑に落ちない感は」
「クリスの中では繋がっているんだろうが、聞いているこっちはうまく繋がらないからな、この説明じゃ。レイア、同じ女なら翻訳してくれよ」
「むっ、無茶言わないでください王子! 私にだって分かりません!」
酷い扱いだ。
三人のその会話にクリスが混ざるスペースなど微塵も無かった為、ぷくっと頬を膨らませて見た目で皆に抗議する。
すると最初にそんなクリスに気がついたレイアが、凛々しい瞳を和らげながら優しく告げた。
「すまないねクリス、可愛いとムッツリではなくなる理由がちょっと分からなかったんだ。決して馬鹿にしているわけじゃないんだよ」
「ごめんなさい、それも何となく馬鹿にされている気分です」
そこでワハハとエリオットが品の無い笑い声を上げ、
「っつーかライトがフォウを可愛いって言う状況がもう想像出来ねーんだよ! 絶対どこか捻じ曲がってるよなコレ!」
腹を抱えてバシバシとフォウの肩を叩いて絡んでいた。
ちなみに彼の肩にいるダインが、普段のニールと同じように耳を塞いでいる。
これから真面目なことをしに行くはずで、本来ピリッとしなければいけないはずの空気がそれとはとても似つかわしくないものへと変わった。
これはクリスのせいなのか、それとも皆自身も気を紛らわせたいのか、どちらなのかは分からない。
ただ、とにかくクリスが馬鹿にされているのは間違いないだろう。
「前もこんなことあったんだよね、状況が理解出来ないの」
空になっている紙コップを窓際に出ているテーブルに置いて、フォウが苦笑いをしながら言った。
「何か言いましたっけ、私……」
そんなに自分の言葉は分かり難いのかと不安になりつつ問いかけると、青褐の瞳をクリスではなくエリオットへ向けて彼は話し出す。
「クリス、前に王子様が『ギュルギュル言ってた』って力説してたことがあってね。でもどう考えても聞き間違いだよね」
「……どういう状況で俺がギュルギュル言わなきゃならないんだ。何の鳴き声だよ」
「っく……」
吹き出しそうになるのを必死に堪えるように自分の膝を抓り始めるレイア。
「もー、皆して!! 確かにエリオットさんはギュルギュル言ってました!」
「いつどこで俺がそんなこと言った!」
「ニザフョッルで川に突き飛ばされた時!!」
そこまでクリスが言った瞬間だった。
クリスと顔をつき合わせて叫んでいたエリオットの顔が固まったかと思うと、みるみるうちに耳まで赤くなっていく。
「え、エリオットさん?」
急に黙ってしまった彼に視線が降り注ぎ、それらと目を合わせたくないかのようにサングラスの下の目が泳いでいた。
その反応はまるで……
「やっぱりギュルギュル言ってたんですね!!」
「言ってない! お前の聞き間違いだ!!」
うがーっと叫んでそれを否定するものの、一体どんな言葉を聞き間違えたらギュルギュルになるのか、では何て言っていたのか、と尋ねても彼は全く答えず顔を背けるばかり。
わいわいぎゃあぎゃあやりながらの半日列車の旅は、あっという間に過ぎていったのだった。