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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第一部 第四章
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絡む思惑 ~舞台は加速する~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)

 研究所跡で出会った女に服を着せた後、クリス達は次の目的地に向かっていた。

 その経緯は今から二時間前に遡る。




「今度こそあの女に知っていることを話して貰わないとな」


 先程露店で買った明るい黄色の果実を片手に持ちながら呟き、そしてその果実を頬張るのはエリオット。

 街角を歩きながら彼から渡された果実を物珍しそうに眺めている金髪美女は、彼の真似をしてその果実に一口かじりついてみた。


「美味しい……!」

「このあたりで取れる果物じゃないんだけどな」


 どちらかといえばもっと北の地方の名産なんだぜ、と付け加えてまた一口。

 クリスもその果物をエリオットから受け取り、一緒になって食べてみる。

 濃厚な甘い香りと、つるりとした歯ざわりが心地よい。

 この瑞々しさはクリスの住んでいた地方ではなかなか無い果物で、その柔らかな曲線を描く果実の形が、女性的なものを思わせる。

 ふと横を見ればとても気に入ったようでもう既に平らげている、金髪の女性。

 何となくその姿に雛を思い浮かべたクリスは、思ったままに声をかけてみる。


「私の食べかけでよければ残りをあげましょうか?」

「えっ、いいんですか?」

「どうぞ」


 食べかけを手渡すと遠慮なしにかぶりつく。

 それほど気に入ったのだろうか。


「不便だから彼女に本当の名前が分かるまでの呼び名が欲しいところじゃないか?」


 美味しそうに食べている彼女を、気持ち悪いくらいと言うかぶっちゃけもう気持ち悪いだけの優しい笑顔で見つめる気持ち悪いエリオットがもっともなことを言う。


「確かに名前は欲しいですね。でも何て呼べばいいのか……」

「レクチェでいいだろ、そっくりだ」


 そう言うと彼は手元の果物と、隣の女性を交互に見比べる。


「まさか……」


 確かに色も似ているが、彼女はここまでぽってりしていないような……

 とクリスは、彼女の名前としてエリオットから挙げられた果物を見やった。

 そして、次にクリスはその果物の形から、彼女の胸部に目がいく。

 なかなかの大きさであるその胸に。

 しかし、名前のつけ方がまるで子犬ではないか、物から取るだなんて。

 彼女はそれでいいのだろうか?

 当の彼女はというと、話をほとんど聞かずに果物を平らげた後、クリス達の視線に気付いて不思議そうに首を傾げた。


「今、君の名前を考えていたんだ」


 エリオットは話を続ける。


「レクチェでいい? そしたら俺、これを食べるたびに嬉しくなるんだけどな」


 本当に嬉しいだけなのか、いやらしい気持ちの間違いではないのだろうか。

 あまり意味の分かっていなさそうな彼女は素直にそれに応じ、


「本当の名前も分かりませんし、何と呼んでくれても構いませんよっ」


 そう言って、また無垢な微笑みをその口元に浮かべた。

 クリスは、何故か果物の曲線を幸せそうに撫でているエリオットをなるべく視界に入れないようにし、歩幅をゆるめて本題を再開させる。


「あの女、とはエリオットさんの師匠のことですかね?」

「あぁ、進展はしてないけど怪我はとりあえず治したし、あそこから情報を引き出せないと正直あの剣の対策が出来ない」


 そう話す表情はもう先程の下品なものではなく、至って真剣だ。

 小さな芯だけを残して果物を食べ終えると、クリス達は馬車を借りて街を出た。




 それが二時間前の話である。

 か弱い女性を歩かせるわけにはいかない、と今回は馬車でフィルに向かっているので一日もしないうちに着くだろう。

 馬車の中ではエリオットが打ち解けようとレクチェに色々話しかける。

 当初はよそよそしかった彼女もだんだん慣れてきた様子だ。

 普通に考えればとても良いことなのだが、顔に『おっぱい』と書いてあるような表情の男性と打ち解けるというのも危険な気がしないでもない。

 二人の他愛も無い会話を聞き流しながら、クリスは今後の行く先を心配していた。


 エリオットには詳しく話していないが、クリスの持つ槍の精霊はこの女性を『敵だ』と断言している。

 記憶が無いから害の無いものの、もし記憶が戻ったとしたらクリス達の敵になるかも知れないのだ。

 そんな人物と一緒に連れ立っていいものか。


 皆に愛される為に生まれてきたかのような彼女の仕草と美貌、だが頭で美しいと感じているのにクリスの心には何故か彼女に対する敵意のような感情ばかりが渦巻いている。

 エリオットと出会った当初もコイツはいけ好かないと感じたが、それと似た、いや、それよりももっと強い、拭えないほどの強固な感覚。

 とはいえ、その違和感をエリオットに伝えられるほどクリスは強くない。

 何故ならそんなことを言おうものなら、言った本人の性格が悪いと暗に示すようなものだからだ。

 この女性に敵意を抱く、というのはそういうことだった。


 馬車の外では、木々の向こうに夕日が見える。

 鳥が森へ帰り、蝙蝠が飛び交い始める空。

 クリスは一匹の蝙蝠と、何となく目が合ったような気がした。

 見えないはずのその目はまるで、お前と自分は仲間だぞ、とでも言うように鈍く光っていた。




 フィルに着いたのは結局次の日の夕方くらい。

 もう何度も行き来して図書館への道も覚えたクリスは、今度は人ごみに圧倒されることもなく街中を歩く。

 以前と同じように図書館の奥の書庫へ行き、エリオットの師匠であるルフィーナを訪ねると、丁度彼女は女性にしては高いその長身を活かして本を取っている最中だった。

 片腕だけ思いっきり上に伸ばしているせいで白いシャツのフリルの合間から、ちらりと黒い下着が見えてしまう。


「あら、い、らっ、しゃー、い」


 無事に本が取れた。


「治ったみたいね、よかったじゃない」


 赤みのかかった金髪を揺らし、手に持った本の埃を落としながら近づいてくる。

 相変わらず何を考えているか分からない言葉に、エリオットも流石に不満を隠せない。


「さっさと知っていることを話せよ……」

「物を頼む態度じゃないわねぇ」


 二人のやりとりをおいて、クリスは本に目を回して非公開書庫に入ってこないレクチェを入るように促す。

 書庫に入って更に驚いたようで彼女は思わず感嘆の声を上げた。


「わぁー」

「!」


 一瞬だけルフィーナの細くて紅い目が見開かれる。

 だが、


「可愛いお嬢さんね、小さい頃が見たいわぁ」


 すぐに心の中が読めない愛想笑いに戻った。


「でも旅にこんな女の子連れてたら大変じゃなぁい? 預かってあげようか?」

「どこで出会ったのかは聞かないんだな」


 エリオットの言葉には動じず、相変わらず本に埋もれた椅子に腰掛けるエルフ。

 そして不敵な笑み。


「そりゃあ、聞かないでしょう」


 笑顔で対面しているはずの二人なのだが、その間の空気はとてつもなく重苦しい。

 笑顔なのに無言で睨み合っているかのような二人の間にクリスが入れずにいると、そんな空気を読まずにレクチェはルフィーナに声をかけた。


「初めまして、レクチェと呼ばれています! よろしくお願いしますっ」

「いい子ね、私はルフィーナよ。よろしくねレクチェ」


 元気に挨拶した彼女を帽子の上からぽんぽん、と頭を優しく叩く様子は、以前同様に母性を感じさせる。

 こんなに優しそうな一面を見せる一方で、エリオットとの空気はまだ張り詰めたまま。

 レクチェが和ませたかと思ったがやはりダメなようだ。


「で、どうするの? レクチェを預かってあげてもいいわよ?」

「むしろ預かりたい、ってところか?」


 エリオットの目つきが鋭くなる、が、


「いいえぇ、エリ君がそのままいたいけな女の子を連れて練り歩くと言うのなら、私も着いていくだけよ」


 その発言に、男の緑の瞳孔は丸くなった。


「は?」


 呆気にとられるエリオット。

 流石にクリスも驚きを隠せない。


「エリ君と一緒じゃ、何されるか分からないもんね~」


 エリオットの師は、そう言ってレクチェに笑いかける。

 話を振られた彼女は少し考えてから、


「確かに視線は少しいやらしいなって思ってますっ」


 全く悪気の無い顔で答えた。

 エリオットの唖然として開いた口に、思わず笑いそうになるのをクリスは堪える。

 ……が、


「ぶはっ」


 無理だったらしい。

 我慢していたせいでそのままゴホゴホと咳き込んだ。


「すんげー失礼な笑い方してるって分かってるか?」


 ぎりぎりぎり、と恥ずかしさと怒りの入り混じった表情でクリスを睨む、いやらしい視線と判断されていた男。

 しかしあの視線に気付いていてなおかつスルーしていたのだとすると、レクチェもなかなかの曲者ではないだろうか。


「どっちがいいかしらレクチェ。私のところにいるのと、この男に着いて行くのと」

「うーん……」


 困ったように眉を寄せ、ルフィーナとエリオットを交互に見やる。

 悩むのも無理はない、どちらにしろ彼女に安心出来るレールなど用意されていないのだから。

 彼女の人柄のおかげでソレは大きな問題になっていないが、彼女は記憶喪失だ。

 どこへ行ったところで不安が付き纏うのは間違いない。

 やがて彼女は意を決したようにクリスに真っ直ぐ向いた。


「クリスさんの元が一番安全そうかな、って」


 にっこり、と。


「えっ」

「クリスさんに、着いていってもいいかな?」


 クリスの手を取り、ぎゅっと両手で握る。

 まさに白魚のようなその指は細くもとても柔らかく、彼女への本能的な嫌悪感を除けば、触れているだけで気持ちいい。

 触れた瞬間ひんやりとしていた手がだんだんお互いの温もりで温め合っていくのをクリスの心はくすぐったく感じる。

 エリオットは妬ましいと言わんばかりにわなわなと体を震わせ、でも黙って二人を見ていた。

 ルフィーナはというと意外や意外、少し悔しかったのだろうか、こちらも目が笑っていない。


「わ、私は構いませんが……」


 けれどこの中で一番貴女に敵意を抱いているのは紛れも無いこの私なのですよ、と。

 口には出せなかった。

 その様子を見て、諦めたようにため息を吐いたルフィーナは、


「じゃあ私も着いていこうかしらねぇ」


 どっこいしょ、と立ち上がって書庫の更に奥のほうへ歩いていく。


「準備してくるから、待ってなさいよー」

「本気かよ……」


 マイペースに事を進める自分の師匠に独白する弟子。

 憎憎しげに舌打ちした後、彼はクリスにもその苛立ちをぶつけてきた。


「見た目だけは害の無さそうな顔してるしな、俺やあの女よりはマシにも見えるか」

「比べる対象が酷すぎますからね」

「あぁ? 何か言ったか?」

「いいえ何も」


 しかしあの状況で自分を選ぶのは如何なものだろうか。

 クリスは腑に落ちぬその点を思い悩んだ。

 先程の選択の場合、どちらを選んでもそこまで失礼ではなかっただろう。

 エリオットは『拾ってくれた』という理由があるし、ルフィーナを選んでも『女性だから』で収まったはず。

 選択肢に無いクリスを選ぶというのはある意味一番カドが立つような気が……いや、実際立っている。

 ただレクチェの場合は何か思惑があるというよりは天然のように見えた。

 先程握られていた手の感触がまだ残っていて歯がゆいクリスの気持ちなど露知らず、揉める原因となった張本人はのほほんと壁いっぱいの本棚を見上げて立ち尽くしている。


「何か興味のある本でもありましたか?」

「何だか見覚えがあるの」

「えっ、この書庫に?」

「ううん、そうじゃなくて……本がいっぱいの部屋にね」


 そしてまた、ぽーっと本棚を見つめた。

 彼女を見つけた研究施設にそのような部屋は無かったから、ということはその前の記憶なのだろうか。

 最初から実験体として生まれたわけではなく、本に囲まれて暮らしたような時間があったことになる。

 どこからか攫われてあの施設に入れられていたか。

 考えたらキリが無い。

 そこへ、何か虫が湧いてきた。


「くそ! 仲良くすんなテメー!!」

「無茶言わないでくださいよ、下心を隠して接すれば少しは好かれるんじゃないですか?」

「隠れるわけねーだろ!!」


 そして、怒号する。


「こんなけしからんおっぱいが目の前にあって、まともな嗜好の成人男性が平然としていられるわけがないとは思わないのか!」

「貴方の発言がけしからんことになってますよ、エリオットさん」


 クリスがそう指摘すると、本棚を見上げていた金髪美女が、いつの間にかクリス達を見てにっこりと笑っている。

 否、目は笑っていない。

 ゴゴゴゴゴ、という擬音がふさわしいオーラを醸し出している。


「クリスさん。そろそろ私、怒ってもいいよね?」


 なるほど、今まではセクハラを我慢していただけだったようだ。


「どうぞどうぞ」

「このっ、変っ態っっ!!」


 それから間髪いれずにパシィィィン! と、先ほどクリスの手を優しく握っていたその華奢な手は、今は変態男の左頬と重なって、乾いた大きな音を部屋中に響かせていた。




 そんなこんなで準備が終わったらしい東雲色の髪のエルフが戻ってくる。


「どうしたのこれ」


 頬も引っ叩かれ、心も無残に砕けた青年は机に突っ伏しており、その様子を疑問に思ってかルフィーナが簡潔に聞いた。


「……自業自得、としか」


 答えぬ青年の代わりに、クリスが答える。

 その隣には、やりすぎちゃったかな、と言った表情のレクチェ。

 いまいち状況を理解できていないようではあるが、彼をスルーしてルフィーナが話し始めた。


「で、まず貴方達は何をしたいのかしら? 少しくらいなら情報を教えてあげてもいいのよ?」

「っ!!」


 突っ伏していた変態が我に返って起き上がる。

 だが目は変態のそれではない、真剣な目だ。


「俺もクリスもとにかくローズを止めたい、それだけなんだ」

「それ以外には干渉しない、ということね。良い心がけじゃない」


 長い耳をピクピクして少し考え、彼女は右の人差し指をエリオットの額にスッと近づけた。


「今の戦力で彼女を止めるのは可能、よ」

「それはどこからどこまでを戦力換算しているんだ」

「私一人、ね」


 フフッと笑って、とんでもないことを口にした。

 ドラゴンが通ったかのような破壊を続けているローズを、一人で止められると、このエルフは言うのだ。


「でも私は止めるだけ。剣による彼女の支配を解くことは、多分出来ない」

「なるほどな」


 エリオットが続きを聞いて納得した。


「成功報酬は私に一つだけ何でも渡す、というのはどうかしら?」

「……何が欲しいんだ?」

「ひ、み、つ」


 彼女の思惑が分からず、クリスの表情が曇る。

 だがエリオットが渡せる『何か』が欲しいからこそ、提案してきたのだろう。

 不気味な交渉には違いないが、他の術をクリスもエリオットも持ち合わせてはいない。

 渋い顔で王子はそれを承諾する。


「いいだろう、止めることが出来たなら何でもくれてやるよ」

「フフッ、そういう潔いところ、好きよ」


 交渉は成立した。


「じゃあ貴方達も準備してきなさいな。きっと寒くなるわ」


 と言って、ルフィーナは自分の荷物からじゃじゃーんと黒いマントを取り出す。

 防寒性があるようには見えないが、これだけ自信満々に出したのだからこれが彼女の防寒具なのだろう。


「北にでも向かうのか?」

「そうね、今被害にあっているのは王都よりも更に北よ。一旦被害が止まっているらしいから、そこからどこへ行ったかは分からないけどね」


 姉さえ見つかれば止めることが出来る、と思うと希望が見えてきたクリス。

 気分が高揚しているのが自分でも分かって、無意識に胸に手を当てる。

 そして、気が付く。


「……私もレクチェさんも防寒具は持ち合わせていませんね」

「好きに買って来い」


 そう言うとエリオットはお金を手渡した。


「エリオットさんは要らないんですか?」

「要らん」


 彼はぶっきらぼうに答えると、シッシッと手でクリスとレクチェを追いやる。

 二人は顔を見合わせ、


「可愛いの、あるといいねっ! クリスさんっ!」

「そうですね!」


 お金を渡されたことに喜んで、なーんにも考えずに買い物に出かけたのだった。

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