負の連鎖 ~打ち砕くもの~ Ⅱ
とにかく無くなってしまったものは仕方ない、とセオリーとクラッサは一旦フィクサーの元へ戻る。
ルフィーナの部屋ではなくきちんと仕事部屋に居たフィクサーは、相変わらず座り心地の良さそうな高級椅子に腰掛けながら視線だけで彼らを迎えた。
セオリーもフィクサーの髪の色にまず驚いたようだったが、もう今の彼の気分はそれを突っ込んで笑う気にもなれないようで、敢えて触れずに報告を進め、それを受けて唸るように返事をするフィクサー。
「じゃあ少年のビフレストには王妃だけじゃなく第一王子までもが絡んでいるってことか」
「多分そうなるかと」
「どうなってるんだあの城」
率直過ぎる感想を述べたフィクサーに、セオリーとクラッサの二人も半ば同意する。
「しかも、リャーマでは……リズって名前だったか? そっちも覚醒させられたとなると厄介だな。今まで放置だったものをどうしてこの時期にきて戻したのか。分からないが理由はあるだろうな」
「でしょうね。ルフィーナ嬢など気にせずに始末しておけば良かったのですよ。精霊武器が使える今、記憶の無いアレなどとどめを刺せたはずです」
「うっ」
セオリーの言い分は尤もだった。
今のやり方でいくならば女のビフレストは必要無いのだから、万が一を考えて殺しておけば少なくとも今回エマヌエルを取り逃がすことは無かったのである。
痛いところを突っ込まれて苦々しい表情になるフィクサー。
彼のその甘さは長所でもあるが、目的を遂行する上ではとてつもない短所。
フィクサーは咳払いをして自分への非難を一旦飛ばすと、話を元に戻す。
「で、俺達の目的の邪魔はする気が無いんだな、あいつらは」
「そう言っていました。しかし近いうちに第二施設を狙われることは間違い無いと思います」
予め釘をさしておいたものの、連中がそれで引き下がるとは思えない。
セオリーはそこの考えは省いてあくまで結論のみを伝えた。
「そうか。国の脅威になり得る大型竜の育成は止めたい、と……どうやって第一施設を破壊されたのか分からないが、当分の間第二施設で待機しておく必要がありそうだな」
フィクサーは少し目を閉じて考え込む。
勿論、二人のどちらを待機させるか、で。
そこへ先に名乗り出たのは、
「私に行かせてください」
それまで口を挟まずにいたクラッサ。
「いいのか?」
「どういう方法か分からない以上は周囲の監視から徹底しなくてはいけないでしょう。それは私が適任かと……何かありましたらセオリー様に連絡すれば良いと思われます」
本当ならばクラッサはフィクサーに連絡をしたいところなのだが、そういった状況で援軍を要請するのならば先にセオリーを呼ぶのが立ち位置を考えると当然であり、感情はセーブして敢えてセオリーの名前を出す。
それで機嫌が良くなったのかどうかは定かでは無いが、にんまりと笑ってセオリーが言う。
「連絡がきて、助けに行くかは気分次第ですよ」
「いや、行けよそこは」
至極冷静にフィクサーは、友であり、今は部下である人物に突っ込んだ。
その突っ込みに満足そうに頷くセオリーをさておいて、金髪上司が改めてクラッサに話しかける。
「セオリーで心配なら俺に連絡を寄越しても構わない。状況に応じてどう対処するかの判断は全て君に委ねる」
彼の言葉の意味を正面から受け止めたクラッサは、胸で腕を折り一礼をする。
だがそれに一人不信を抱く者が居た。
無論、セオリー以外には居ない。
クラッサが第二施設に向かう準備の為に部屋を出るのを見届けてから、フィクサーに話しかける。
「彼女はエルヴァンか第一王子かに恨みでもあるのでしょうかね」
「ん、何でだ?」
急な問いかけに、とりあえずその理由を尋ねるフィクサー。
「モルガナで第一王子と対峙した時に、彼に対してやや殺気だっていたもので」
「そうなのか?」
「えぇ。なので、今回の件で彼女が適切な判断を下せるのか疑問を抱きます」
クラッサが出て行ったドアの方向を渋い顔で見つめるセオリーからの提言に、数秒の間を置いてフィクサーが出した答えはこれだった。
「それくらいの意気込みがあったほうが確実に仕留めてくれそうでいいんじゃないか」
「ま、それもそうですね」
あっさりとまとまった結論に特に感情を見せないまま、セオリーは退室すべくドアへ向かってスタスタと歩き出したかと思うと、
「では私はこれから彼女にその理由を聞いてきます」
「ちょおおおっと待ったああああ!!」
余計なことを言い出した。
全力で叫んで止めようとするフィクサーは、思わず椅子から立ち上がる。
セオリーはその剣幕に、細い目を普段よりもほんの少しだけ見開いて歩みを止めた。
「どうしました?」
「どうしました? じゃない! 何かあるんならそっとしておいてやれよ!」
「目的に関わりそうな以上、聞いておかなくてはいけません」
その主張はフィクサーにも分からないでも無い。
だがセオリーならばきっとそれを優しく問いかけるのではなく、土足で踏み躙るように聞き出すに決まっている。
それは止めるのが上司の務め。
フィクサーは以前敢えて触れなかった件に触れることで、彼を諌めようと口を開いた。
「じゃあお前だって目的に関わりそうな内容、いや、既に関わって影響を与えてくれている……俺に黙っていることがあるだろう?」
「何がです?」
「……あの男を半殺しにした本当の理由だ。お前も言わなきゃフェアじゃない。どうしてもクラッサに聞きたいのなら、お前も俺に言ってから行けばいいさ」
その場の空気が一瞬にして凍り付く。
二人はしばらく黙って睨み合い、それはたった数秒にも関わらず二人にとっては随分と長い時間のように感じられていた。
先に静寂を破ったのはセオリー。
細く赤い瞳を閉じて睨み合うのをやめたかと思うとプッと吹き出して一言。
「何を言っても締まりがありませんね、その髪の色じゃあ」
「ようやく喋ったかと思えばそれか!」
表情を砕けさせて目の前の腐れ縁から顔を背けたセオリーは、その動きでズレてしまった眼鏡を直して、また口元から息を洩らしつつ言う。
「染め直したほうが良いと思いますよ」
「分かってる!!」
それだけ忠告をして、セオリーは右手をひらひらと振りながら退室して行った。
多分自分の言うことは聞き入れて貰えた……そのような反応だったと思うフィクサー。
けれども彼はほっとしたと同時に、悩まされもしていた。
そこまで言いたくないのか、とセオリーの抱えている何かが心配で仕方が無いのだ。
あのように酷い性格になってしまった男をどうして気遣う、と周囲が見たなら思うかも知れない。
実際クラッサは過去を知らないにも関わらず、結構思っていたりする。
だがフィクサーはルフィーナとは違い、彼の性格や態度が変わったなどとは全く思っていなかった。
元々変な男で、心底憎んでいた両親……特に父親を見る時のセオリーの表情は昔から酷いものだった為、たまに怖い顔をするのを見たところで『大して変わらない』のである。
そしてフィクサーがそう思う理由にはもう一つあった。
セオリーは故郷での惨劇の際を除けば、決してフィクサーの前でルフィーナを甚振ったりなどしていないということ。
そのお陰で二人の関係には亀裂が入らずにここまで来ている。
セオリーは定かでは無いが、フィクサーはきっと彼を友人だと思っているだろう。
けれど大きな事実を隠すことで保たれているその関係で、友と呼べるのか。
両方の事実を知り、その関係に疑問を持つ者は……居なかった。
「はぁ」
見事に金に染まった自分の髪をくしゃりと掴み、指の間で梳くようにいじりながら、溜め息混じりにもう一つ考え事をするフィクサー。
身内のメンタル面も随分と心配だが、当面の敵である少年のビフレストの件もかなり心配なのだった。
「俺の目的を、邪魔する気が無いだと……?」
ということは、奴はこちらの目的を完全に把握している。
よく考えろ。
フィクサーは心内で自分にそう言い聞かせながら、必死に思考を張り巡らせた。
邪魔をする気が無い、それはつまりビフレストの目的に不都合が無いか、でなければむしろ都合がいいかのどちらかだろう。
しかしあの憎いエロ男にすら教えていないのに、どうやって知ったのか?
いや、ここは発想を逆転させよう。
知ったのではなく、単に予想が出来ているのだとしたら。
神によってこのような体にされた者が、その後にどう動くのか……
これほど分かりやすい流れも無いだろう。
フィクサーは額に手をあて、歯を食い縛る。
「見てろ……」
誰に言うわけでもなく、彼は独り呟いた。
場所は変わり、最初に部屋を出たクラッサは自室に戻った後、少しずつトランクに荷物を詰め込んでいく。
必要な荷物を全て詰め終えてから腰に携えたショートソードを確認し、次にあの精霊武器が収められている箱を開けていた。
いくつもある武器達の中から彼女が取り出したのはハンディサイズの槌。
柄が妙に短いアンバランスなその槌に、クラッサは小さく呟いて命令をする。
「もっと小さくなりなさい」
すると更に小さくなり手で握り隠せるくらいのサイズになった槌を、彼女はポケットにそっと忍ばせて準備を完了させた。
そう、またあの第一王子が来た時の為に。
自分以外にもあの男を恨む者はきっと数え切れない程居ることだろう。
そのうちの一人でしかなく、今までその感情を留めてきていた自分が、復讐の機会を前にこれほど浮かれることになろうとは。
エリオットが城を攻めると言った時に感じた以上の昂ぶりに、クラッサはただ身震いする。
あの第一王子が憎い。
そして特に上二人の王子達の振る舞いを咎めない国が憎い。
大きくなり過ぎた組織というものは簡単に腐るものだ。
国も同じこと。
酷い者になれば、自分に被害が及ばなければいい、とその腐敗に気付いていながらも気付かぬ振りをしていた。
折角なのだから全て、今、これを機に変わればいい。
その片棒を担いでやる。
そう思いながらクラッサは、良くも悪くも異質だったレイアとエリオットを除く全てを見下しつつ、四年余りの歳月をあの城で過ごしていたのだった。
左頬の火傷の痕を右手でそっと撫でて、彼女は肺の中の空気を吐き出しながら目を閉じる。
全て吐き出し終えたところでゆっくりと目を開き、その漆黒の瞳はぼんやりと宙を映していた。
そこへ、コンコン、とノックの音。
「はい」
短く返事をした後にドアを開けてきたのはセオリー。
「準備は出来ましたか?」
大きな口と赤い瞳を細めて笑うように声をかけてくる彼に、クラッサはきちんと体を向けて答える。
「出来ております。よろしくお願い致します」
「早いですね」
そう言って彼は部屋のドアを静かに閉めて室内を少し歩いたかと思うと、クラッサに背を向けて突っ立った。
これから第二施設に送って貰えるのではないのか、てっきりそう思っていたクラッサは彼の行動に少し疑問を感じて首を傾げながら、彼のすらりと高い後ろ姿を見る。
「貴方は私に何か聞きたいことはありますか?」
「はっ……?」
唐突に問いかけられてクラッサは何と答えていいか分からずにただ声を洩らした。
セオリーの表情は見えない為、どこまでどのような態度で接していいか分からずに不安だけが募ってくるこの状況。
彼女のそんな考えなど全く察していないようにセオリーは続ける。
「私は貴方が先刻モルガナで見せた憎しみの正体が知りたい。けれどフィクサーが言うのです。私も言わなくてはフェアでは無い、とね。なので聞きたいことがあれば答えてあげようと思ったのですよ」
なるほど、そういうことか……とクラッサは心の中で呟いた。
だが同時に思う。
聞きたいことは山ほどあるが、この男の本質の部分に触れては後々大変面倒なことになりそうだ、と。
そして、聞きたくないし答えたくもない、と言ってもきっと不機嫌になるのは目に見えている。
悩んだ末に彼女は何を問うのかを決めた。
「……年齢が、ずっと気になっておりました」
「……四百から数えていませんね」
ぼそりと答えてからセオリーは少しだけ顔を上げ、しかしクラッサには正面を向けないままもう一言。
「この問いで、私の疑問に答えて貰えるのでしょうか」
交換条件としては流石に弱い質問だとセオリー自身も感じているのだろう。
それでいいのか、と確認するように言葉を置く。
「構いません、大した内容ではありませんから」
「そうですか」
実際に、大した内容では無い……少なくともクラッサはそう思っていた。
自分から話すことでは無いが、ここまで聞かれているのに話さないことでも無い。
「十年以上前に、あの第一王子に兄を殺された。ただそれだけなのです」
僅かだが、セオリーは彼女の言葉にぴくりと体を動かし反応を示した。
「……貴方が縁を切ってきた身内の中に、兄が過去存在したと言う記録は無かった気がしますが」
「それらは全て遠い親戚です。兄が死んだことで引き取られた先に過ぎません」
「なるほど」
情による復讐心か、と思うと不機嫌になってくる感情。
それがバレないよう、クラッサに背を向けたまま、すぅ、と息を吸うセオリー。
顔には出ているが、見せなければ取り繕うのは声だけで済む。
平常心を保ち、彼は次の言葉を紡いだ。
「未だにあのような殺気を出せるほど、兄を慕っていたのですか?」
返答はイエスだろうと思った上での問い。
けれど返って来たものは違った。
「そうでもありません。兄を殺されたことには確かに怒りを感じていますが、とても慕っていたからかというと、多分違います」
矛盾を感じるその答えに、セオリーは先ほどまでの不機嫌な感情よりも疑問のほうがまた大きくなる。
落ち着いてきた気分と表情に、彼はようやくクラッサに振り返って今度は正面から会話を進めた。
「面白いことを言いますね。では、それは何故?」
「……兄が死んだせいで、親戚の家に住まなくてはいけなくなった。それが耐え難い苦痛でした」
兄が死んだことよりも、その後の自分の置かれた境遇に不快を感じたと彼女は言う。
セオリーは笑い出しそうになるのを必死に堪え、自分の今の心情を少しだけ伝えた。
「素晴らしいですね」
全く褒める部分では無いにも関わらず、彼は褒める。
元々フィクサーよりも非情さが見えるクラッサだったが、その自分本位な憎悪にセオリーは心地よさを感じていた。
そしてそれが何故心地よいのかも、彼は自覚している。
褒められた当人のクラッサは全くその言葉の意味が理解出来ていなかったが。
少しの間、ぽかんと口を開けて呆気に取られていた彼女がようやくそれに対して返事を述べた。
「……あ、ありがとうございます」
「気分が乗りそうですので、いくらでも手伝って差し上げますよ。アゾートを通じてすぐに連絡なさい」
何故かご機嫌な目の前の男に、逆に不安で仕方が無いクラッサは、とりあえずその嬉しそうに細める瞳を上目遣いに見ながら頭だけで会釈だけする。
褒めて貰うつもりで話したわけでは無いのだが、どうも彼のお気に召したらしい。
つくづく歪んでいて読めない人だ、と部下としては扱いに困る上司に溜め息を吐きたいところをそれもあからさまなので我慢したクラッサ。
「精霊武器はその剣だけで良いのですか?」
ふと彼はその視線を下に移し、クラッサが腰から提げているショートソードに目をやる。
「もう一つ、携帯しております」
そう答えて彼女はポケットから先程小さくした槌を取り出してセオリーに見せた。
手の平サイズで普通ならば使い物にならなそうなソレを見て、口角を上げる彼。
「なるほど、もしビフレストに空を飛ばれても飛び道具で、ということですか」
「はい」
「ベルトは持ちましたか?」
「既に着けております」
少しだけスーツの上着を捲り、彼女はセオリーに自分のくびれを見せ……たわけではなく、そこに巻かれている黒スーツには似合わない少し太めのカービングベルトを見せた。
大きめの金のバックルはがっしりと彼女の腰で組まれている。
「気合充分、といった所でしょうかね」
指摘した箇所は全て準備済み。
そのような彼女へ満足そうな笑みを向けてセオリーは言った。
「そうかも……知れません」
そっと呟いてクラッサは手の平の上の槌を見つめる。
小さくなっている槌には、クリスが以前使っていた槍と同じ魔術紋様が刻まれて、疼くように赤く光っていた。
自分に降り掛かった災いの連鎖を、この槌で打ち砕いて終わらせることが出来るだろうか。
そう思いながらまた左頬を撫でるクラッサの仕草を、セオリーは見逃さなかった。