負の連鎖 ~打ち砕くもの~ Ⅰ
「フィクサー様、早急にお伝えしたい事がございます」
ルフィーナに虐げられていたフィクサーの元へ、顔に焦りの色を浮かべながらやってきたのはクラッサ。
彼女はその黒い髪を振り乱して、部屋のドアを開けるなり口早にそう言ったかと思うと、
「――っていかがなさいましたかその髪は!?」
自分の上司の、無駄に輝く髪の色に驚いた。
けれどそこは普段ふざけていてもしっかり仕事をこなす彼女。
首を振って気を取り直し、優先順位を自分の中で確かめた上で言葉を続ける。
「……それどころではありません。こちらに来て頂いてよろしいでしょうか」
「分かった」
部下の様子がいつもと違うことに気がついたフィクサーは、少し軋んだ金髪を掻き揚げて彼女と共に部屋の外へ出た。
ルフィーナに聞き耳を立てられたりしないようにある程度の距離を歩いてから、二人は立ち止まって会話を再会させる。
「で、どうしたんだ」
「第一施設の様子が一切見られなくなっております。例の二箇所を重点的に監視していた為、一体何が起こったのか分からない状況です。申し訳ございません」
状況を丁寧に、かつ綺麗にまとめて報告をするクラッサに、フィクサーは至って冷静に答えた。
「分からないなら確認を急げ。エルヴァン側の奇襲の線が濃いと思うが……状況によっては自身の判断で動いてくれて構わない」
「ハッ」
「セオリーはもう大丈夫そうか? 大丈夫そうならアイツも連れていけば行き帰りが楽だろう」
「……かしこまりました」
一瞬の間を置いて、気の乗らない命令を承諾するクラッサ。
その微妙な心境はフィクサーには伝わること無いまま、彼女はその場を後にしてセオリーの部屋へ向かった。
息を飲み、ノックをするとすぐに返って来る返事。
「どうぞ」
この一言では機嫌が良いのか悪いのか分からない。
機嫌が良いことを祈りつつ、クラッサはドアを押し開ける。
セオリーは普段のスーツや鎧では無い、赤いワイシャツの上に、一見簡素なようで細部に刺繍が施された黒の上着を着てロッキングチェアーに腰掛けていた。
そして手には……多分コミック。
表紙が真面目な書籍などとは全く違うコミカルなイラストで描かれており、そのような本を読んでいるということは比較的機嫌が良いのだろう、とクラッサは安心する。
彼女の肩の力が弱まったところに、セオリーから投げ掛けられる当然の問い。
「何か用ですか?」
「第一施設にて異常が発生した模様で、フィクサー様から私達で現状の確認に向かえと指示が出ました」
「おや……休暇は終了、ということですかね」
よっ、と椅子から立ち上がって彼は本をテーブルの上に置いた。
表紙のタイトルがようやく読めるようになり、クラッサは意識はしなかったがついそれを読んでしまう。
『失意の果てに~真夏の夜の調教編~』……読まなければ良かった、と彼女は苦悩した。
そのクラッサの視線をどこをどう勘違いしたのか、セオリーは薄く笑って喋りかける。
「読みたいのでしたらお貸ししますが」
「……遠慮しておきます」
「そうですか、気が向いたらいつでもどうぞ」
向くわけが無いだろう、と心の中で毒づきながらクラッサは黙って頷いておいた。
「では後ほどそちらの部屋に向かいますので、それまでに準備をしておいてくださいね」
「かしこまりました」
上着をするりと脱ぎながら目も合わせずに指示をするセオリーに、一応会釈だけしてクラッサは自分の部屋に向かう。
今、精霊武器の取り扱いは彼女に任されており、彼女の部屋には以前セオリーが精霊武器を回収する為に使った特殊な装飾の大きな箱が置かれている。
何本もの武器が入るほどの大きさの為、部屋に入ればまず目に入るそれ。
念の為、きちんと自分が例のネックレスを身につけているかどうか確認した上で、その箱の中の武器に手を伸ばした。
それは禍々しい気を放つものの、デザイン自体は一見変哲の無いショートソード。
金の鍔に、銀の刃。
魔術紋様が刃に彫られている部分は他の精霊武器同様。
彼女がこの剣を好んで使うのには理由がある。
クラッサは精霊の力を引き出すことが出来ないからだ。
だから、それをせずとも特殊能力を使えるこの剣を選んでいる。
刃に填め込まれた青い宝石をクラッサは撫で、そして鞘に仕舞った。
それから準備を整えたセオリーと合流し、クラッサ達は空間転移によって即座にモルガナの外れ、第一施設の場所へ飛ぶ。
しかしそこには、
「な、何があったと言うのですか……!」
何も無い。
少し焦げた大地が風にさらされ、その場所にあったはずの建物ごと無くなっていたのだ。
軍隊も無ければ、それらが通ったと思われるような跡も無い。
この場所には最初から何も無かったのではと錯覚させるくらいの現状に、クラッサは両脇に下ろされた腕を震わせる。
その光景を目の当たりにして冷静に分析するのはセオリー。
「これは……エルヴァンというよりはビフレストの仕業、でしょうね」
「あの少年ですか」
「えぇ。ただあのビフレストがここまで力を使えるとは思いません。だからといって女のビフレストにしては介入が目立ちすぎる気もします」
風を遮るものは何も無く、強い埃風に白緑の髪を好きに舞わせて、セオリーが呟いた。
鎧姿で腕を組んだまま、丸眼鏡の奥の紅い瞳は周囲を見渡す。
そして二人を遠巻きに観察している影を視認した。
第一施設があった場所から街の方角にぽつぽつと立っている木の後ろへ、それはサッと隠れてしまったが逃すわけが無い。
セオリーは踵を返してそちらへゆっくり近づく。
クラッサも剣を構えてその後に着いて行った。
「姿を見せなさい」
木の後ろに隠れたところでもう見つかってしまった以上、森でも無いこの場所で逃げ果せるのは不可能。
隠れていた影は諦めたように木の後ろから左足を出し、そして全身を現す。
儀式用礼服がまず目についた。
次に手に持つ特殊な形状の短剣。
フードの下に隠れていた顔がようやく上げられ、セオリーとクラッサはその顔を見て少し驚いた反応を見せる。
「あー、そういう反応……大ッ嫌いなんだよ」
そう言って出てきた男の顔には、異様なまでに目立つ黒い目隠し。
二人の顔は見えていないはず、声に出して驚いたわけでもない。
なのに男は二人が驚いたことを把握していた。
「噂に聞く、第一王子ですか」
驚きはしたものの、その特徴からセオリーは男の正体を言い当てる。
すると表情を強張らせ、相手の顔を凝視するクラッサ。
「知ってるのかい」
「拝見させて頂くのは初めてですがね」
「そうだろうなぁ」
エルヴァンの第一王子であるエマヌエルとセオリーが会話を続ける中、クラッサだけは一人、剣を持つ手の力を強くしていた。
二人の会話などまるで聞こえていないように、彼女は一歩エマヌエルに近づく。
「お前があの第一王子なのか……」
微かに声を震わせて、クラッサは城内で四年過ごしていたにも関わらず一度も会うことの無かった男に鋭い眼差しを向けた。
ゆっくりとまた一歩、彼女とエマヌエルの距離は縮む。
「いかにも。いい殺気だねお嬢さん」
彼に下手に逆らえぬ城内の者ならまだしも、そうではないクラッサに襲われればエマヌエルは為す術もなく殺されるだろう。
にも関わらず彼は心から動じていない。
殺されないだろうと高を括っているわけでは無く、死の恐怖など彼には存在しないのだ。
生きている今既に『見えない』という恐怖と共に過ごすエマヌエルにとって、死んだからといって今まで通り『見えない』の延長、ただそれだけなのだった。
死んだら既に一つ尽きている五感の残りが尽きる、それだけだろう、と彼は思っている。
そしてその価値観が彼に容易く人を殺めさせていた。
「クラッサ、始末するのは構いませんが先に情報を引き出すのが先決でしょう」
「……喋るとお思いですか? 機を逃す前に始末したほうが良いと思われますが」
クラッサを言葉だけで引き止めるセオリー。
とはいえ半分くらいは始末してしまっても良いと思っているのか、手まで出す気は無いらしく動く素振りを見せない。
すると、二人の会話にエマヌエルが口を挟んでくる。
「何だ情報が欲しいのか? うまくいって機嫌がいいから教えてやってもいいぞ」
「!」
「何から聞きたい? この俺がお前ら下民に教えてやろう」
明らかに分が悪いのは彼にも関わらず、その高圧的な態度。
不愉快な気分を抑えるようにクラッサは左手で自分の右腕を握り締めた。
挑発とも取れる発言に一切乱されること無く、セオリーは質問する。
「では遠慮なく……私達の様子を伺っていたということはこの惨状の原因を少なからず知っていると思うのですが、どこまで知っているか教えて頂けますか」
「つまらないことを聞いてくるんだな。そもそも、これは俺がやった」
その言葉を聞いてセオリーとクラッサが即座に背後へ飛び退き、一気に彼と距離を取った。
「な……」
今まで敵視していなかった存在がこれほどの被害を与えてきた。
その信じ難い事実に二人はまず戦力把握をすべく目の前の男を観察する。
持っているのは短剣一つ。
儀式用礼服を着ているからして何らかの魔術でこの結果を生み出したのだとは思うが、一体どんな魔術を使ったのか二人には想像出来なかった。
ただ燃やし尽くした、にしてはあまりに綺麗過ぎる焼け跡。
そして規模。
若干の焦げ跡が無ければ、消滅したようにも見える。
実力差が把握出来ていない現状では迂闊に手を出せない。
「どんな方法を、使ったのでしょう?」
途切れ途切れながらもセオリーが問いかける。
だがそれには首を横に振るエマヌエル。
「それは企業秘密だ。次もやるからな」
「なるほど。ではやはりここで貴方を始末する必要があるということですね」
「そうだな、お前達にとってはそれが最善だろう……出来るならば、な」
余裕たっぷりの表情で彼は答えた。
そんなエマヌエルの態度から、やはり何かがある、と感じたセオリーとクラッサ。
二人は戦闘態勢だけは整えているものの、まだそこから踏み出せずにいる。
そこへ、彼らの頭上からふわりと何かが舞い散ってきた。
「……?」
エマヌエルに注意を払いつつも、上から落ちてきた何かを見るクラッサ。
それは……小さな花びら。
何故花びらが、とつい上を見てしまう。
するとそこには彼らが一時期監視していた女性が浮いていた。
胸元くらいまでの長さの柔らかな金色の髪に、憂いを帯びた金の瞳。
二重のマントを羽織っているその背には光の翼。
細く白い手の左薬指には金色の指輪。
「無事、挨拶は済んだか」
その声掛けにコクンと頷いて、まるで御伽噺に出てくる天使や妖精のように、彼女は光と花に包まれながらふわりとエマヌエルの横に降り立つ。
クリス達がレクチェと名付けて連れていたビフレストが、今またここに現れたのだ。
女神の末裔の力を借りなければフィクサー達でも捕縛出来なかった彼女が、力を取り戻し、敵として対峙している状況。
クラッサは勿論、セオリーも流石に心臓の音が早くなるのを感じる。
けれど、この女のビフレストには一つだけ弱点があるのだ。
それを示すように、レクチェは動かず、小さく綺麗な鈴を鳴らしたような澄んだ声で彼女は願う。
「お願いです、ここは退いて頂けませんか?」
そう、彼女は一切攻撃をしてこない。
セオリーがまず、戦力差を伝える。
「彼を護るつもりでしょうが、こちらには精霊武器があるのですよ」
例えるならば三すくみ。
ビフレストの使う特殊な魔力は『この世のものである』魔法や魔術を打ち消すことが出来るが、『この世のものではない』精霊武器の攻撃を無効化は出来ない。
しかし精霊武器を扱える者が一番強いかといえばそうでは無い。
女神の末裔は、フィクサー達には太刀打ちが困難である。
それは単純な話、精霊武器の大半は近距離攻撃。
魔法や魔術による遠距離攻撃には弱いのだ。
それを逆手にフィクサーとセオリーは二人揃うことで女神の末裔に打ち勝ってきた。
これらの力の構図がある以上、レクチェがエマヌエルについたとしても普通ならばセオリー達が勝つであろう。
普通ならば。
普通では無い部分は、クラッサが精霊武器の特殊能力を引き出せないというところ。
勿論引き出せなくとも斬り付ければビフレストにダメージは与えられる。
だが、どうやって光を纏い空を飛ぶ彼女に近づくか。
セオリーが言い放ったそれは、ハッタリに他ならない。
本人もそれを分かった上で喋っている。
後には退けない状況が、彼にそれを言わせているのだ。
それに対してレクチェは言う。
「主は貴方達の目的を妨げようとは思っていません。ですが、国や民を脅かす竜の施設だけは困るのだそうです」
彼女の口から語られた神の意志に、分かるようで分からない、その意図。
「こちらの目的を、妨げる気が無い……?」
そう呟いたクラッサはフィクサーの本当の目的を知っている。
彼は神を殺す気など無い、けれど彼の目的の先には神を殺すに等しいほどのことが待っているはずだ。
それを妨げないだなんてクラッサには気が狂ったとしか思えなかった。
セオリーも不審に思ったのだろう。
クラッサと顔を見合わせてから、再度ビフレストの顔を見る。
するとそこで盲目の王子が口を開いた。
「いいのか、ソレ言って」
「事実ですから……」
エマヌエルの問いに、伏目がちに答えるレクチェ。
その反応からして真実ではあるようだ、とセオリーとクラッサは受け取った。
今対峙したところで全く得が無い。
そう考えたセオリーは戦闘態勢を解き、最後に一つだけ念を押しておく。
「分かりました、この場は退いて差し上げましょう。ですが施設をこれ以上破壊されるわけにもいきません。次は……戦闘は免れないものと思ってください」
「セオリー様……ッ」
未だに戦闘態勢を解いていないクラッサが、彼の発言に異を唱えるように名前を呼んだ。
セオリーは、クラッサがこの王子と戦いたいのだと感じていたが、状況を考えるとそれは出来ない。
黙って睨んでそれを制した。
クラッサは唇を噛み締めながらもセオリーの言う通り、退くべく剣を下ろす。
「ありがとうございます」
レクチェはほっとしたように表情を少し緩めて、自分の願いを聞き入れて貰えたことに礼を言い、深く頭を下げた。
そして撫でるように振られた彼女の右手から光の布のようなものが広がって、それはエマヌエルまで包み込んだかと思うと二人はふわりと宙に浮いて飛び去る。
セオリーは何度も見ている光景だが、クラッサは仲間になって日が浅い為エリオットが力を行使していたのを見たことしか無い。
飛べない彼女からすると、圧倒的な力を感じさせられる能力。
そして取り逃がした敵。
今のクラッサはセオリーよりも悔しさを感じており、下ろしていた剣を振り上げ、何も無い地面を斬り払って八つ当たりする。
その切れ味はここで無駄にも発揮され、底が見えないくらいの亀裂がモルガナの外れの地に刻まれたのだった。