女神の呪い ~変装した真実~ Ⅲ
その姿が見えなくなったことをクリスが確認してから、同じように見送っていたフォウが話し出す。
「気、紛れたみたい?」
「えっ」
「思いつめたって仕方ないよ」
話しながら室内に戻り、部屋の方角へ足を向けつつフォウを見上げるクリス。
「でも、考えてしまうんです……」
事情を一切聞かずに、でも核心を突いてくる彼。
人には隠したかった恋心とそのことによる暗い感情も、ここまでバレていてはもう逆に清々しい。
突然のフリにも関わらずフォウの言葉がするりとクリスに入ってくるのは、それが的確過ぎるからだろう。
「悩むのと思いつめるのは違う、クリスのは後者。世の中自分の思う通りにいかないことだらけなんだから、それにいちいちそんな反応してたら身が持たないんじゃないかな」
「言いたいことは分かりますが……それでもどうにもならなくて」
「そっか、俺はそういう感情が分からないから正論しか言えないけれど、確かに簡単に気持ちを切り替えられたら苦労しないね」
そこまで話したところでクリスの部屋の前に辿り着き、何となく足が止まる二人。
「全然違うけど、確かに俺もパンツを被って寝てるところを見られた時は、かなり動揺が抑えられなかったから……」
「うぐっ」
あまりに違いすぎる例えが出てきて、クリスは思わず息が詰まりそうになる。
しかもそれはフォウが被って寝ていたのではなく、クリスが被せたもので、どうやらあの時フォウは自分で被ってしまったと思っていたようだった。
うんうん、と頷きながらズレた共感を示す彼に言葉も出ない。
というか、そういう感情が分からないとフォウは言った。
どの感情のことを言っているのだろう、と彼を見るクリスの目に疑問の色が浮かんでいる。
そんなクリスに気がついて、フォウはそれについて説明をしだした。
「俺は他の人みたいに恋愛で悩むだなんて無いんだ。だって見えるから」
「そ、そっか……そうですよね」
「まぁ、嫉妬くらいなら分かるかな。でも予め分かっていればそういう気持ちが膨れることは少ないよね。最初から諦められるんだから」
「最初、から?」
「うん」
それを言ってしまうとクリスの気持ちも、それと変わらない。
気付いた当初から諦めざるをえない状況。
それでも苦しいと思っているのに、フォウはそうでは無いように言う。
不思議に感じたクリスは、素直に言葉に出して聞いてみた。
「私のと、どう違うんでしょう……」
「え?」
「その、私もこの気持ちは最初から諦めるしかない状況でしたから……でも、フォウさんが言うように思いつめずに済んでいるかといったら、そうでもないので」
それを聞いたフォウの表情は、凍ったように突然真顔になる。
そして、廊下での立ち話もなんだと思ったのか、フォウはクリスの部屋にスッと足を踏み入れて、入るようにちょいちょいと手招きした。
ムッツリスケベと二人きりで室内に……という考えはその時のクリスには無く、着いて行く。
真顔のままだった彼は、部屋に入ってその顔を優しい表情に変えたかと思うと、クリスの肩をガッと掴み、
「根本から間違ってるからソレ!!」
いつものテンションでクリスに叫んだ。
「ま、間違っていますか?」
「クリスの場合は目一杯気持ちが育ってからようやく気付いたんでしょ? そりゃ俺が言いたいこととは全然違うし!」
どうしようも無いなぁコイツ!! と言いたげに彼の眉は寄っている。
「そ、そうなんですかね……」
その剣幕に押されるようにクリスは細々と確認した。
何しろ、凄く好きなんだとは自覚したけれど、気持ちが育っていた期間というものは全く自分で把握出来ていないのだクリスは。
「そうだよ! 少なくとも俺と初めて会った時にはもうあの人のこと好きだったんだから、どういう経緯でいつ自分の気持ちに気付いたかは知らないけれど今更だよね!?」
「えっ、えぇ?」
彼の勢いに一瞬クリスは聞き流しそうにはなったが、流せるわけが無い内容がその言葉には含まれていた。
意味を理解する。
そして凄く恥ずかしくなる。
「フォウさんには……そう見えていたんです、か?」
「うん」
ガッチガチに固まってしまったクリスの肩から手を外し、フォウはその過去を思い出すように遠い目をして顔を上げた。
「当時は随分過激な愛情表現だと思ったなぁ」
「わぅ……」
その頃はまだローズが生きていた頃。
ある意味、気持ちに気付いたのが最近で良かったことだろう。
今も確かにエリオットに相手は居るが、全くどんな人かも知らない女性だからか、クリスは彼女に対して後ろめたさは無い。
もしこれが相手がローズだったなら……自分の心境がどうなっていたことか、想像するだけで怖かった。
ただでさえ既に居ない姉を、羨ましく思っているのに。
クリスは一気に落ち込み始めた。
心の切り替わりがはっきりと感じ取れ、胸が痛いというよりはもはや胃が痛い。
黙りこんでしまったクリスの前で、フォウが小さく呟く。
「先生の気持ち、少し分かるかも」
「え?」
「そんな顔よりももっと面白い顔してる方がクリスらしいのさ!」
そう言って彼はクリスの頭をくしゃっと撫でた。
「王子様なら、こうするんじゃない?」
そしてそのままクリスの頭をわしわししながら下に押していく。
「ちょ、フォウさん!?」
「悩んだら気分転換、引き篭もっているより人と接したほうが気が紛れていいよ!」
そして最後にポンッと頭の天辺を叩いて終了した。
エリオットならこうする、と言ってフォウがしたそれは、確かにエリオットに近いけれどそれよりも優しかったようにクリスは思う。
エリオットはもう少し、乱暴だから。
ぐしゃぐしゃにされた髪を手で直しながら、クリスは上目遣いに彼の表情を確認する。
そこにあったのは、再会した時に感じたものと変わらない、大人びた優しい笑顔。
笑顔を見ているだけなのに、何故か痛むクリスの胸。
クリスにその理由を考えさせずに、フォウはまた言葉を紡ぐ。
「考えたってどうしようもないなら……考える時間だけ損だと思う」
そっと丁寧に置くような声で、それはクリスに響いた。
にも関わらず突き刺さるような真実。
そう、どうしようもない気持ちなのだ。
「そうですね……」
うまく一旦この気持ちを仕舞っておけるだろうか、自信は無いけれど努力だけでもしてみよう。
そう考えて苦し紛れに笑うクリスの体の正面を、フォウはくるっと回してドアの方に向けて言う。
「さ、久々に収入入りそうだから何か夕飯奢るよ! 美味しい物食べて元気出そう!」
「いいんですか!?」
彼の言葉に、普段より高いトーンで返事をするクリス。
「え? う、うん。いい反応が返って来過ぎて逆にびっくりするなぁ……」
「何ですか、私が食べ過ぎるかもって怖気づいたんですか?」
「全然そんなこと言ってないよね俺!?」
叫びながらもゆっくりとクリスを押して部屋から出すと、フォウはダイニングルームの方角を見て喋った。
「今から夕飯いらないって言って間に合うかな」
どうやら既に夕飯が準備されているかの心配をしているらしい。
「もう出来てたら帰ってきた後に食べますよ。もし私が食べ切れなくてもレフトさんが食べるんじゃないですか?」
「その食欲には本当、恐れ入るよ……」
苦笑しながら失礼なことを言った彼のわき腹を、蹴るのは可哀想なので代わりにクリスは思いっきりくすぐってやった。
◇◇◇ ◇◇◇
その頃。
儀式用礼服を身に纏い、その男はそこに立っていた。
太い針のような剣身のデザインの短剣ミセリコルデを右手に持ち佇む場所は、王都よりも東、モルガナの外れにある竜の飼育施設の真下にある地下洞。
礼服のフードで髪は見えないものの、その目元だけはしっかりと目立つ、目隠しの黒い布。
勿論周囲に人が居てこそ目立つものであり、今、彼の周囲には誰一人おらず、静寂を切るのは彼の息遣いと地下水の音だけ。
「皮肉だな。実りの地では無いにも関わらず、力だけは他の地域と比べ物にならないほど帯びている」
洞窟内で静かに響く独白に、答えるものなど誰も居ない。
ティルナノーグと繋がっている水が染み渡るその地下で、しっかりと位置確認をすべく彼は耳をよく澄ました。
それはまるで目の見えぬ蝙蝠のように、音という音の反響で行われる。
この男、エルヴァンの第一王子であるエマヌエルには一般的な手順で魔術は使えない。
何故なら魔術紋様が見えない故に描けないからだ。
なので彼が魔術を使うには予めその紋様が用意されていなくてはいけない。
先日レイアから手に入れた施設の情報等をミスラに見せ、エマヌエルは魔術を発動させられるポイントを少年に聞いて、この場に来ているだけ。
この場に一般人の目に映るような魔術紋様は一つも無かった。
けれど、
全ての形には意味があり、そして彼の体にも意味がある。
天然の魔術紋様とその持ち主の体の関係のように、彼は自分の体と『竜の飼育施設の形』を元に魔術を発動させようとしているのだ。
ダーナの資料だけではなく、事前に二人で東に赴いて直に見てきたものも考慮している。
勿論これを聞いただけでは普通の者は発動させることは出来ないだろう。
だが彼は『世界の理』を全て見ている者であり、視力を失いはしたがミスラから聞いた内容を理解して発動することが出来るのだ。
フィクサー達も発動するだけならば出来ること。
けれどミスラの知識まで及ばなくては、建物の形と魔術、そして力との関係を考慮して発動ポイントを絞り込むことは不可能。
つまり、今この世界でこれから彼が行う魔術を使えるのは、彼だけということであった。
「さぁ、お前達に神の慈悲を」
彼の口元がにやりと歪む。
自分の左手の小指の腹を切り、ミセリコルデの剣身を自らの血で濡らし、両手で胸に抱えたかと思うと彼を中心に光の柱が洞窟の天井へ向かって伸びる。
その光は大地をすり抜けて上の施設一帯を目映く包み込んだ。
通常の魔術とは比べ物にならないほどの巨大な紋様を元に発動されたそれ。
彼が先に言った言葉の通り、神の慈悲に相応しい死を……
建物とその内部に居た人間はその光に包まれた直後、火花を散らしたかと思うと跡形も残さず綺麗に弾け飛び、燃え尽きる。
それは自分が死んだことも分からないくらい、眩しく鮮やかな死であっただろう。
そしてその事実をまだ知らぬフィクサーは、
「一週間ぶりだったけど元気にしてたかい!?」
竜を飼育する第三施設の地下室のドアを元気良く開けて、紅瞳のエルフに会いに行っていた。
「……全然元気じゃないわ、って何よその髪!」
ルフィーナはその細い目を丸くして、目の前の幼馴染の変貌ぶりに驚愕する。
「いやー、脱色し過ぎた」
「何で脱色したの!?」
そう、フィクサーの黒かった髪はこの時見事に金髪になっていたのだ。
金髪でありながら瞳の色は黒。
アンバランスなその組み合わせに目眩を感じる彼女。
「ちょっと用事があったんだ。だからといって下手に魔術で変装するとルドラのガキと鉢合わせた時に危険かと思ってさ」
そう言ってフィクサーはポケットから一本の白い、糸のような物を摘んで取り出した。
その輝く糸のような物が「用事」に関係する何か、ということか。
以前の部下の失敗を考慮した上での行動。
だがその詳細はやはりルフィーナには洩らさない。
あくまで話せる範囲で、彼女の問いに答える彼。
「変装してまで何をしたかったのよ……」
「ほら、俺の特徴をもしあの男が聞いたら勘付くかも知れないだろ? 念の為ってヤツ」
「そんなこと聞いてないから!!」
全く噛み合わない会話に苛々したルフィーナは持っていた分厚い本を思いっきりフィクサーに投げつけた。
頭にでも当たるかと思いきや、フィクサーはそれを軽く受け止めて丁寧に彼女に渡し返す。
「言ったら君が嫉妬しちゃうかも知れないから言わないさ」
「万が一にもしないわよ!!!!」
渡し返された本の角で、改めてルフィーナはフィクサーを殴ったのだった。
【第三部第二章 女神の呪い ~変装した真実~ 完】
章末 オマケ四コマ↓
上画像をクリックしてみてみんに移動し、
そちらでもう1度画像をクリックすると原寸まで見やすく拡大されます。
それと、読者様の情報がややこしくならない為に、
変装していない本来のカラーリングの扉絵フィクサーをぺたり↓
この色が本来のフィクサーです。