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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第二章
85/138

女神の呪い ~変装した真実~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)


  ◇◇◇   ◇◇◇


 蝋燭の明かりのみで照らされた、薄暗く窓の無い部屋に、グラス一杯の血の色の葡萄酒がある。

 テーブルの上に置かれたそれを男はスッと飲み干し、自ら左手の親指の腹をナイフで切った。

 肩につくかつかないか……少し長い黒髪が俯くことでさらりと靡く。その視線の先にある小瓶へと、指先から滴る血を垂らしていく。

 彼、フィクサーの今の服装は、普段の黒いスーツではなく銀が編みこまれたローブ一着。

 そのローブの下にある体には、奇怪な紋様がびっしりと描かれていた。

 自身の体とその魔術紋様を使って葡萄酒の「中身」を凝縮した彼は、満足げに小瓶の中の血を見つめる。


「これを作るのも今回で最後ってところだな」


 整ってはいるが無難な形である黒い瞳を嬉しそうに細めて、独り言を呟く彼。

 しかしその表情はすぐ困った顔になってしまう。

 小瓶を軽く揺らし、中の血でぴちゃと音を立てながらもう一言。


「……さて、ここからどうしよう」


 クラッサに大見得をきったものの、実は彼はこれからどう動こうか全く考えていなかった。

 何しろセオリーのお陰で急に予定が狂ってしまったのだから。

 とりあえず彼は体中に描かれた魔術紋様を消すべく、湯を浴びることにする。

 考えるのはその後だ。

 そんな彼は後に湯を浴びつつ、なかなか紋様が消えなくて四苦八苦するのであった。




 場所は移り、フィクサーによって遠まわしに使えない奴の烙印を押されてしまったセオリー。

 別にフィクサーはそんなことを思っていないのだが少なくともセオリーはそう感じており、彼は苛立ちを抑えきれずに、彼らが本拠地にしている竜の飼育第三施設の隠し部屋に向かっていた。

 俯いたまま歩く彼の顔は酷く歪み、元々赤い瞳は更に血走っている。

 短く乱雑にはねた白緑の髪を左手で掻き毟りながらようやく着いた目的地。

 そのドアを見て、彼の顔に少しだけ笑みが生まれた。

 決して優しいものではない、悪意のある笑みが。

 セオリーは乱暴に開きたいのを我慢して、ドアノブをゆっくり回しその戸を押し開ける。


「あら? ユング?」


 前触れもなく開いたドアに、室内に居たエルフの女が別の男の本名を呼んだ。

 けれど彼女は入ってきた男が自分の大嫌いな奴だと知り表情を強張らせる。


「……何しに来たの」

「暇を頂いたので、暇潰しに」


 この異母兄がどうして自分のところに来て暇を潰すのだ。

 ルフィーナは嫌な予感がして、座っていた椅子から立って後ろに後じさる。邪魔で結わえていた東雲色のポニーテールが揺れた。


「その髪が突然短くなったら彼はどう反応するでしょうかね」


 来るなり意味が分からないセオリーの発言。


「髪は自分で切るから結構よ」


 焦りながらもそれを勘付かせないように彼女は平静を装いつつ答えた。

 じり、と近付いて来るその男から逃げるべく一歩ずつ下がっていくがここは室内。

 やがて背中に壁が当たり逃げ場がなくなってしまう。

 まずい、とルフィーナは目の前にゆっくり迫ってくるセオリーの脇から走り去ろうとするがそれも無駄。

 すぐに左腕を掴まれて引き寄せられ、再度壁に背中を押し付けられるとそのまま右手で首を絞められた。


「ぐっ……!」


 首に絡むその手を解こうとするが左腕はセオリーに掴まれたまま。

 自由であるとはいえ右手だけでは振り解けない。

 そしてセオリーは左手だけで次は、彼女のその右手首までもまとめて掴む。

 ルフィーナの両腕はセオリーの片手だけで封じられ、空いた彼の右手は悠々と彼女の首を絞めていた。

 その力を、弄ぶように緩ませたり強くしたりしながら彼は言う。


「お嬢が死んでも全てが終わる、そう思うと我慢出来るか分かりませんね……」


 とても、とても楽しそうな表情で。

 意識を飛ばさせてはくれないセオリーの責めにしばらくルフィーナは耐えるしか無い。

 やがて飽きたと言わんばかりにその腕は解かれ、


「いい暇潰しになりました、礼を言いますよ」


 とんでもない台詞を残して去っていく。

 ケホケホと咳き込みながら痣が出来た首をさすり彼女は思う、優しかった異母兄があの日戻ってきた時から豹変したことを。

 けれど普段を見ると決して全てが変わっているわけではない。

 となるとこの一部の豹変は何なのか?

 理由を考えながら彼女が行き着いた答えは、


「これが本性、かしらね」


 出していなかった部分を出しただけ、そう考える。

 あの男が死ぬのを見るまでは死ねない、ルフィーナはそう思いながら大きく息を吸った。


  ◇◇◇   ◇◇◇


 さて、エリオットが城に戻ってきてから一週間。

 クリスは自身がしでかしてしまったことが頭からこびり付いて離れなくて、何にも手につかなかった。

 そうするに至ってしまった理由を考えるとどうしようも無いほど辛くなる。

 折角エリオットのところに見舞いに行ってもうまく喋ることが出来ず、先日などはその末に彼を怒らせてしまった、とクリスは思っていた。


「どうしたらいいと思います、ニール?」


 借りている自分の部屋のベッドに転がりながら、いつも通り枕元で眠っているねずみに声をかける。

 仕方ないなぁと言わんばかりにニールは下げていた頭を上げ、くるりと回って人型に変化した。

 白髪赤眼の小さな獣人は丸い耳を主に向けて言う。


「何がだ、ご主人」


 それもそうだ。

 クリスは主語を一切言っていない。

 誤魔化すようにぽりぽりと頭を掻いて、クリスは改めて彼に問いかけた。


「実らない片思いの諦め方を知りたいです」

「……それを私に聞くのか」


 なかなか難儀な元・精霊である。

 はぁ、と溜め息を吐きながらニールは話し出す。


「先に言っておくが、我々精霊には性別は無い。よって恋愛事に関してはうまくアドバイス出来ないかも知れないことを念頭に置いて欲しい」

「勿論です!」


 やはり精霊には性別が無かったらしい。


「そもそもクリス様は何故諦めたいのだ?」

「えっ……そりゃあ、邪魔だからです」

「何故邪魔だと?」

「ううん……悩んで何にも手につかないからです」


 ニールの質問責めにクリスは頑張って自分なりに答えを出していく。

 彼はその答えを聞きながらとても難しい顔をしつつも考えていた。

 そして、


「何も手につかないほどの想いを諦めるのは無理では無いだろうか」


 と、ばっさり切る。

 凄まじい正論が来た。


「うへぇぇ~……」


 ニールの出した結論に、クリスは彼を放り出して頭を抱える。

 何故このような感情に気付いてしまったのか。

 同じように叶わぬ想いを抱えていたレイアが泣いていたその心中を、ようやくクリスは理解出来るようになった。

 けれど、そういえばばっさりと振ったはずのライトは特に悲しむ素振りを見せていない。

 何かうまく気持ちを静めるコツがあるのかも知れない、とその解決方法に思考を張り巡らせる。

 そんな風に悩み続けるクリスに、ニールがそっと声をかけた。


「過去の主人に、同じように叶わぬ想いを抱えていた女性が居た」


 それを参考にしろ、ということだろうか。

 クリスは不思議に思いながらもそのまま黙って話を聞く。


「彼女は絶対に叶わないと知りつつもずっと想う者の傍に居続けた。一度足りとも想いを言葉にすることは無かったが、それは相手に既に伝わっている想いだった」


 淡々と言葉を置くように語り続けるニール。


「最後まで変わらない関係のまま……彼女は息を引き取った。それが良い例だとは思わないが、叶わぬと知りつつも想い続ける彼女はとても幸せそうで、私にはその想いを捨てろなどと言うことは出来なかった」

「そう、ですか……」


 その主人のことを思い出しているのだろう。

 幼い獣人の顔に似つかわしくない、切なげな表情が浮かんでいた。


「変わらない関係ってことは、そのお相手はずっと傍に居たのに気持ちに答えてくれなかったんですか?」


 自然な疑問を口にするクリス。

 そう、死ぬまで一緒だったということは、相手も結婚などをせずにずっと彼女の傍に居たことになる。

 それはまるで両想いみたいではないか。

 なのに叶わないとは、どういうことだろう、と。

 その問いに少し渋い顔をして、ニールは苦々しく口を開く。


「……相手は、私だ」

「っえぇー!?」

「我々には主従の感情しか無いが、稀にそういう感情を抱いてくる主人が居る。私の具現化時の姿は人間で言う男性に近いが、性別は無いので応えようが無い」

「そ、それは確かに絶対叶わないですね……」


 世の中には本当に色んな恋愛がある、ニールの話を聞きながらクリスはそう思った。

 とはいえ結局参考にはならなかったニールの話。

 クリスは胸の中で渦巻く気持ちを落ち着けようと、服を外行きに着替えてから、ライト達に会うのが嫌で移動以外にはほとんど出ていない廊下に出る。

 といっても、また移動なのだが。

 一応エリオットの護衛で入ってきている給料で菓子でも買うべく、晴れた昼間の王都をぶらぶらと散策する。

 クリスのこづかいの出費の九割は食費だ。

 主に食べ物を売る店が立ち並ぶ通りで何を食べようかきょろきょろしていると、ふとクリスの目に留まる白髪の三つ編み。


「あれ、レフトさんだ」


 食物系の商店街になっている通りなので、彼女が居てもおかしくは無い。

 人ごみを掻き分け、日差しを受けて金に輝く白い髪を目印に向かった。

 しかしレフトは誰かと会話をしていて、クリスには声を掛け辛い雰囲気。

 路地脇に寄ったクリスは、背伸びをしながらもどうにかレフトを覗ける位置を見つけてそこからこっそりと様子を伺う。

 楽しそうに話してはいるようだが、どれくらい親しい仲なのかどうか全く判断がつかない。

 何故ならレフトはいつも笑顔だからだ。

 会話の相手はエリオットより少し低いくらい、それなりの背丈の男性だった。

 男性にしては少し長めのストレートの金髪に、瞳は黒。

 違和感のする組み合わせの色を持つ彼は、比較的整っている顔立ちで眼鏡をかけている。

 しばらく二人は人ごみの中で立ち止まったまま会話を続け、軽く挨拶をした後に別れて行った。

 それを確認した後改めてレフトに近寄ろうとするクリスだったが、人ごみに流されてしまって彼女を見失ってしまう。


「まぁ、いいか」


 後で聞けばいい。

 そう思ったクリスはとりあえず露店でポンデケージョを買ってもちもちと摘みながらライトの家に戻った。

 けれど今の心境でクリスは、ライトやフォウに会いたくない。

 ライトはクリスをよく観察しているし、フォウはその力でクリスの感情を察してしまうからだ。

 同じようにレフトの察しもいいが、そこは同じ女性だからかそこまでクリスは彼女が気にならなかった。

 結局好奇心が勝ったクリスはそっとダイニングルームを覗く。

 そこには丁度帰宅したばかりと思われるレフトが買って来た食料を片付けているところ。


「レフトさん」

「はい~?」


 にこにこと変わらない笑顔で向き直る彼女。

 出かけ先から戻ってきたばかりなだけあって、白衣ではなくほわりとしたグレーのロングカーディガンを羽織っているレフトは、クリスを見て言う。


「引きこもりは終わりましたの~?」

「ひっ、引きこもりだなんてそんな。さっきだって外に出てたんですよ」

「あらあら、それは失礼致しましたわ~」


 クリスの言い分をゆったりと受け流すレフト。

 その反応にムーッとしながらも、クリスは彼女に先程の疑問をぶつけた。


「で、出かけ先でレフトさんが男の人と話し込んでいるのを見かけたもので、アレは誰かなーと思って聞きにきました!」


 誰が誰と話していたって関係の無いことと思う人間も居れば、それらが気になって仕方ない人間も居る。

 クリスは後者だった。

 レフトはクリスの問いにウフフと笑って答える。


「名前も知らない行商さんですわよ~」

「ええっ?」


 つまらない回答に思わず変な声が出てしまったクリスは慌てて自分の口を両手で押さえた。

 そのように変な態度を取っているクリスに対して、レフトは変わらず笑顔を向けている。

 ローズと雰囲気は違うけれど、彼女のその絶えない、絶やさない笑顔はクリスの心をきゅっとさせた。


「特に何も買わなかったんですけど~、お世辞が上手な方でしたわ~」

「へえぇ、そんなにですかっ」

「わたくし実はこの髪を気にしているんですけども~、褒めて頂けましたの~」


 そう言って彼女は肌の色とはちぐはぐな自らの白い三つ編みをそっと手で撫でる。


「もう会うことも無いでしょうけど~、褒められると悪い気はしませんわ~」


 ライトとは違う意味で、レフトもまた表情から一切気持ちが読み取れないが、「また会ってもいい」くらいには感じ取れた。

 やはりあの時声をかければ良かった、なんてクリスはあの時の男性をぼんやりと思い返していた。

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