世界の創世 ~振り回される彼の尽きぬ悩み~ Ⅲ
そしてエリオットが城に戻ってきてから丁度一週間。
随分体も楽になり食欲も復活、動いてもふらふらしない。
レイアの護衛は常にあるものの、ある程度自由に動くことを許可されたエリオットは……王妃のもとに向かっていた。
「本当に直接伺うのですか?」
「まどろっこしいこと嫌いなんだよ、知ってるだろ?」
自分に、そして兄達にも……何かをした、または差し向けた、その張本人であろう人物。
王妃ではなく王という可能性も無くは無いが、クリスの件で王は食って掛かってこなかった。
となるとビフレストに指示をしていたのはやはり王妃だろうとエリオットは思う。
性格的にもあの父親がそんなことをするなど、息子には想像出来ない。
今の時間、一人で部屋に居ることは既に調査済みでアポイントもとってある。
エリオットはノックをし、王妃の返事を待ってから名乗り、ドアを開けた。
「夜分遅く失礼致します、母上」
「エリオット、具合はもう良いのかえ?」
「はい」
息子の返答に嬉しそうに顔を緩ませる母親。
夜遅いということもあり、アッシュブロンドのその髪は柔らかく下ろされている。
白のネグリジェ姿の彼女はにこにことエリオットの顔を見ながら、テーブルの上のカップの中身をティースプーンで回していた。
「お前の分も用意させるからそこに座りなさい」
それだけ言って王妃はドアを開いて手元の鈴で侍女を呼ぶ。
エリオットは促された通り、ゆっくりと椅子に座って一先ずは飲み物が届くのを待った。
「ご苦労、もう下がって良い」
王妃と言えば王妃らしい……エリオット以外には高圧的な彼女だが、侍女が下がるのを見届けると、堂々とした佇まいと表情だったそれを素顔と思われる優しい笑みに戻して最愛の息子に向ける。
「何か私に話でも?」
そんなに嬉しそうな顔をされては切り出し難いのだが、躊躇っている場合でもない。
エリオットは真剣な顔で母親を正面から見据えて言った。
「えぇ、私の体の異常について、と言えばお分かりでしょうか?」
エリオットがそれを言った途端、優しかった王妃の顔がみるみるうちに強張っていく。
「それを私に尋ねるということは……深い部分まで把握しているのじゃな。誰から聞いた?」
子供の頃から頭が上がらない目の前の人物に、一筋の汗がエリオットの頬をつたう。
コワイ、と本能が告げている。
でも、言うしか無い。
「粗方のことは金髪の子供のビフレストに聞きました」
「何故ミスラがお前にそれを!?」
驚愕したかと思うと次はぎりぎりと歯を食い縛らせ、そして王妃は椅子を立って息子の傍に近寄り、ぎゅっと抱き締める。
「知らなくて良い、いずれ分かるだろう。お前はこの国の王となり、世界を統べる力と命を手に入れるのじゃ……」
歪んでいるがそれでも情は伝わってくる抱擁。
けれど、
「精霊武器で無ければ覆せない不死と不老、そして全てを創造する力、というところでしょうか母上」
情を押してくる王妃に、王子は冷静に言い放った。
レクチェを見れば分かる、彼女は多分精霊武器で無ければ殺せない。
というか、精霊武器ですらも手に余るほどの耐久力だ。
そしてヒトであった彼女がいつからビフレストになったのかは知らないが、少なくとも百年以上は老いることなくあの姿のまま。
最後の件は考えるまでも無い。
エリオットが今手にしている力がそのまま、いつかは世界をも創り出せるところまで行き着くのだ。
あの夢のように。
「……そう、他の子は駄目じゃった。でもお前だけは違う、神にも値する存在に、」
「私はそんなことを望んでなどおりません。出来ることなら王子という立場ですら捨てたいのです」
自分を抱き締めているその腕をぎゅっと右手で掴んで、本心を伝えてみる。
けれど息子の意見ですら聞こえない、母親の歪んだ愛情。
自分が良かれと思ったことを正しいと勘違いしてどこまでも押し付けてくる。
「そんなことを言ってはならぬ! お前だけに与えられた素晴らしい力なのだから!」
「そして兄上達は不良品、と。そんな犠牲の上に成り立った力を素直に受け入れられるとお思いですか?」
彼女の体がぴくりと震えた。
「私を……普通の人間に戻せませんか?」
「それは、出来ぬであろうな……」
普通に戻ればフィクサー達との問題も神への復讐も全て収まりがつく。
けれどそれは無理だと言われてしまい、エリオットは彼女の腕を掴んでいた手の力を強くした。
王妃は結局ビフレストの名前がミスラと言うことを口を滑らせた以外は話してくれず、エリオットの為だからと強く押すだけでとても会話にはならないまま終わる。
しかし収穫は無くも無い。
王妃はエリオットに真実を知られたくなかったにも関わらず、提携しているはずのミスラがエリオットに情報を洩らしたこと。
これはやはり何か意図があって洩らしたと言っているようなものだ。
エリオットがそれを知ることで、何かアクションを起こすのを期待していたのでは無いだろうか。
ミスラが自分にどう動いて欲しかったのかまでは分からないが、慎重に動こうと彼は思う。
王妃との話を終え、部屋の外で待機していたレイアと共に自室へ戻るエリオット。
その道中のことだった。
「エリオット!」
聞き慣れてはいないが、聞き覚えは十分ある女の声で名を呼ばれる。
「姉上?」
振り返ると、そこにはエリオットによく似た髪と瞳の、ドレスの君。
エリオットの姉である王女エリザは、凄い形相をしながら弟に近付いたかと思うと、
「駆け落ちだなんて許さないから!」
「……いつの情報ですか、駆け落ちだなんて私はしておりませんよ」
一応、エリオットは親兄姉に対してはきちんと敬語を使う。
これは、意識してやっていることではなく、もう彼にこびり付いている癖のようなものだ。
相変わらずエリザの元には情報が真っ直ぐ行き届いていないらしく、
「違うの!? アンタが居なくなってから私また大変だったんだから!!」
「また王位を押し付けられそうにでもなりましたか」
「ええそうよ」
城に戻ってきてからのエリオットは家出以前にも増して傍若無人になっており、エリオットが猫を被っていた頃からですら居た「反エリオット派」はますますエリザなどの他の王位継承権を持つ者を持ち上げようとしている。
勿論それはエリオットが真っ当な態度で国事に臨めば抑え切れるものなのだが、この通り、エリオットにトラブルが起こればすぐにぶり返す問題でもあった。
ただ、エリザに関しては本人にその気が無い為、そこまで問題視することでも無いのだが……
今回の彼女の言い分は、それだけで終わらなかったのである。
「でもね、今回はきっと千載一遇のチャンスだと思ったのでしょう。私を言いくるめられないからって、またトゥエルの名前も浮上してきたの」
「なっ」
エリオットと、そしてその傍に居たレイアも。
二人が驚愕した名前、それはエルヴァンの第二王子のものであった。
第一王子のエマヌエルは盲目であるが故に完全に除外されているが、トゥエルはそうでは無い。
以前ガイアがクリスに伝えたように彼の性格もなかなかだが、それでも彼に取り入ろうとする連中が居るのだ。
何しろ、本来の王位継承順位は彼のほうが高い。
まともな臣下のほとんどはエリオットにつく。
エリオットは口や態度は悪いものの、国に対して誠実な視点で国事に臨んでいるからである。
各地訪問の公務も然り、城の利益よりも、旅をしていた頃に直接見てきた民の為に何をすべきか、何だかんだで彼は考えていた。
しかし、それでは臣下の利益が自然と減ってしまう。
更にエリオットは、臣下にとっては最高に扱い辛い王子だ。
脅しにも屈しない、身分を捨てても構わないという考えがあるから怖いものが無い。
悪知恵は働くし、腕っ節も強い。
それを良く思わぬ者達が、エリザとトゥエルを持ち上げようとしている。
「本当ですか?」
「ええ。私を諦めた連中がそっちに流れちゃったのよ」
「……兄上に流れるほど、諦めざるを得ない反論でもしたのでしょうか」
「獣人を夫にしてもいいなら考えてやる! って言ったら蜘蛛の子散らすように逃げちゃった。もっと早く言えば良かったかしら」
「勘弁してください」
姉の暴挙に、エリオットは頭を抱える。
獣人と鳥人は互いの関係が芳しくない為、もし女王になったエリザがどちらか片方の種族に肩入れしてしまってはトラブルの種になるだろう。
レイアが『想いを伝えてくるはずが無い』とエリオットが高を括っていたのも、その事情があってのこと。
だからこそ、エリザは何が何でも女王にはなりたくなかったのだった。
もし女王の権限をフルに使って意中の人を夫に出来るのなら、彼女は喜んで女王にでも何でもなっている。
そういう人物だ。
とにかく、派閥が今回のトラブルによって完全に二分してしまったということ。
そして、それがよりによってトゥエル側が残ったということ。
予想以上に、今回のトラブルにおける城の情勢への影響は大きかったようだ。
そう……エリオットは既に知ってしまった事実だが、トゥエルは例の『改変』によって「どこか」を壊してしまっているのだから。
その根本の原因は王妃とあの少年のビフレストのせいであり、下の三人で王位継承について揉めることになったのも、やはり元をただせば第一王子であるエマヌエルの視力を奪うことになった『改変』のせいなのだ。
苛立ちを抑えながら、エリオットはエリザに問いかける。
「兄上……トゥエル兄様の様子はどうです?」
「私の侍女に少し探らせたんだけど、貴方が帰ってきてからあいつの部屋に立ち寄る臣下の数がやっぱり増えてるみたい」
その言葉に、レイアの眉間に皺が寄った。
エリオットを王としたいレイアとしては、この二分化は好ましくないのだろう。
ましてやそれが、エリザではなくトゥエルならば尚更。
幼い頃から城内を出入りしていたレイアは、ある意味エマヌエルよりもトゥエルのほうが苦手だった。
エマヌエルは……何だかんだで正直に悪意を示し、そして好意も正直だ。
トゥエルはそうでは無い分、たちが悪いのである。
とはいえ、歯車の一つであるレイアには、それらを覆す力が無い。
黙ったまま、けれど明らかに感情を抑え切れていない幼馴染を見止めたエリオットは、溜め息を吐いた後に言った。
「どうにかしないとな」
今はどうにも出来ないけれど、多分それをいつかどうにかするのは自分の役目だ。
エリオットはそう思っている。
今の今まで野放しにしてきている両親はあてにならない。
弟の意外なその一言に、エリザは驚くように顔を上げた。
次の日の朝、部屋に差し込む木漏れ日はまだ凛と透き通っている時間。
その日差しが良く似合う黒い名残羽の鳥人レイアが、思い出したようにエリオットに一つ報告してきた。
「そういえばエマヌエル様がモルガナの竜飼育施設の資料を持って行きました」
「何だって……?」
実はまだ寝巻きのままのエリオットは自分の部屋でレモンティーを飲みながら、今日は軍服ではなく赤い軽鎧の姿である彼女の話を聞く。
「読めるのかあの人」
で、最初に思ったことがそれ。
生真面目にも椅子には座らず、キチンとエリオットと部屋の入り口ドアの間くらいに立っているレイアは、少し眉を寄せて続けた。
「読めないと思います。ですが弟にそれを話したら少し不審な事実が発覚しまして」
「不審?」
「弟がクリス達と共にニザへ向かっていた道中、クリスがエマヌエル様らしき人物の姿を目撃していたそうなのです」
有り得ない。
いや、エマヌエルは別に目が見えずとも音だけで歩けてしまうけれど問題はそこではなくて、彼が外に出るのが有り得ない。
その音からくるストレスで滅多に部屋から出てこないというのに、勝手に抜け出そうなどと思うこと自体がおかしいのだ。
けれど何か目的があるのであれば話は別。
竜の飼育施設に何か用でもあるのだろうか。
考え込むエリオットに、またレイアは情報を寄せる。
「そこでクリスに詳しい話を伺ったら、どうもエマヌエル様は金髪の少年のビフレストと一緒だったように見えたと言うのです」
「!!」
もしそれが見間違いでないのなら、王妃だけでなく第一王子までビフレストと繋がっているということになる。
けれどエリオットには腑に落ちない。
もしエマヌエルがビフレストから真実を聞いていたとするなら、彼からすれば視力を失った原因はほぼそのビフレストのせいと言っていい。
そんな相手と一緒に歩くだなんて、文書の件以上に理由が想像つかなかった。
「直接話を聞いてみるか……」
エリオットの信条は当たって砕けろ。
とりあえずソレで何とかなってきたから今の彼が居るのだ。
金も持たずに城を抜け出しても何とかなり、何度も死に掛けてもどうにか生きている。
敢えて言うならば異性関係に置いては砕けっぱなしで全く何とかなっていないのだが、それは別問題として置いておこう。
エリオットの呟きにレイアは心配そうな顔をしてその瞳を少し細めて言った。
「私も着いて行ってよろしいでしょうか?」
彼女の心配は、エリオットの身の安全だ。
持て囃され甘やかされてきた末っ子のエリオットを、兄二人は昔から快く思っていない。
それはもう、幼い頃は力に訴え出るほどに。
「いいけど……兄上が承諾したら、だぞ。そもそも会ってくれるかも分からんからな」
「はい、それは勿論です」
レイアはそれだけ答えてから何かを思い出すようにふっと部屋の窓の外を見やった。
何となく不安が滲み出ているその表情に、エリオットは声をかけずにはいられなくなる。
「どうした?」
彼女はその声掛けに反応して視線をエリオットに移し、弱々しい笑みを浮かべて伏目がちに言った。
「いいえ、何も。お気遣いありがとうございます」
明らかに愛想笑い。
何か気がかりなことがあるのにそれを言うまでも無いとレイアは判断して返事をしたのだろう。
その表情と仕草、言葉に……エリオットは胃がグッと掴まれるような感覚がした。
【第三部第一章 世界の創世 ~振り回される彼の尽きぬ悩み~ 完】