世界の創世 ~振り回される彼の尽きぬ悩み~ Ⅰ
始まりは火と氷。
氷に火が触れるとやがていくつかの生命が生まれ落ちた。
この世界の創造主はその生命を使い、大地を、川を、雲を、空を、星を創り出す。
そして一つの大樹にそれらを植え付け、構築される世界達。
その創世の様は元ある物を創り変えることを基としており、エリオットが魔力で何かを作り変えたりする工程によく似ていた。
太陽と月が狼に追われながらその周りを駆けて恵みを零すと、更に世界は豊かになる。
小さな命がいくつも芽生え、今エリオットが暮らしている大陸とほぼ変わらない光景。
また、ミーミルの森の大樹の三つの根は、その大陸達を全て支えるほどまで深く伸びていた。
最初はいくつもの世界が大樹で繋がれていたが、いつしかそれは女神の手によって次々に減らされていく。
この大陸はその上から三番目。
最後に残ったこの地は周囲を巨大な蛇で蓋われていて、そこから出ることは適わない、死と隣り合わせの地。
この地での大樹はミーミルの泉水の力を借りてこの大陸に雨を降らせ、全ての川は巨大な蛇に流れ着いてその渇きを癒していた。
この雨の恵みが途絶えた時、きっとこの世界は渇いた蛇によって滅ぶのだろう。
この世界の創造神と、大陸全てを壊そうとする女神。
二神の、考えの不一致による仲違いは続いていたが、それでもどうにか続いていたこの大陸の歴史。
けれどそれを破ったのは女神の自死だった。
彼女のその身を賭すことによって、エリオットが居る世界に降り注ぐ、女神の遺産。
彼女の体の様々な部分が、当神の想いを受けて順々と変化していき、それが創られていく。
元となったパーツや創られた順は違えど、いわゆる女神の遺産と呼ばれる全てが、元は女神自身なのだ。
そして……その末裔と呼ばれる種族すらも。
有り得ない。
理解が出来ない、したくない、見たくない。
こんな次元の真実なんて、受け止めきれない。
何よりも女神の末裔が、クリスがそんな存在であるだなんて……
やめてくれ、
「――――っ、もう無理だ!!!!」
自分の声でエリオットは目を覚ます。
天井は真っ白、間違いなく病室だろう。
そんな夢を見て汗だくになっていた彼の隣に居たのは……水色の髪の、少女。
女神の末裔という通称の、紛うことなき女神の欠片。
エリオットの叫び声にも起きる様子は無く、気が抜けるくらい安らかな寝顔のクリスは、彼の枕元ですぅすぅと寝息を立てていた。
と言うか、
「近ぇ」
今エリオットは枕に頭を乗せたまま右側に顔を向けていたわけだが、視界のほぼ真ん前にクリスの顔が見えている。
その距離、げんこつ一個分あるか無いか。
叫んだ本人が自分で起きてしまうほどの声量にも関わらず起きないのなら、ちょっといじったくらいでは起きないかも知れない、と邪な考えが彼に過ぎった。
が、残念なことか喜ばしいことか、そこへ病室のドアが開く音がする。
バッと慌てて入ってきたような物音と、その後に続く声。
「目が覚めたのですか!?」
レイアだった。
エリオットの叫び声が廊下まで響いたのだろう、黒い軍服姿の彼女はドアとベッドを遮っているカーテンの敷居をずらしながらやってきた。
で、来るなり驚いた顔をし、
「ねっ、寝てる!」
椅子に腰掛けつつエリオットの枕元に頭を置いて、一向に起きる気配の無いクリスに叫ぶ。
「寝てるなぁ」
「室内の護衛を頼んだのですがまさか寝ているとは、緊張感の無い……」
レイアは琥珀の瞳を伏せて右手で頭を抱え、溜め息を吐いた。
無理も無い。
エリオットはレイアに向けていた顔を再度クリスに移し、その顔をじっと見る。
閉じているその瞼が少し赤く腫れぼったいように見え、多分泣き疲れたのだろうと思わせた。
気を失う前のことは、何となくだが覚えている。
痛みだけで気を失う寸前でありつつも、クリスがすぐに腕を解放してくれたおかげでどうにか修復が間に合った首の傷。
必死に修復していてクリスにまで視線は向けられなかったが、その叫び声だけはエリオットの耳に否が応にも聞こえてきた。
気が狂ったのかと思うような、声。
クリスがあんな風に叫んだことは、今までに無い。
「俺が倒れてからどれくらい経ってるんだ?」
まだふらふらする頭で、それでも頑張ってレイアに聞いてみる。
すると予想外の返答が返って来た。
「一日も経っていませんよ」
「マジで!」
何だ、じゃあ大したこと無いな。
そう思ってエリオットは体を起こそうとする。
しかしその瞬間ぐらりと目の前が歪んでうまく体が動かず、起きることは適わなかった。
「無理をなさらないでください」
「……分かった」
正直なところエリオットはこの城に居たくないが、動けないものは仕方ない。
動けるようになったら行動を起こせばいい。
そう、不本意とはいえ折角ここに戻ってきたのだから。
「王子が目覚めたとなると王や王妃も会いに来られるでしょうから、一旦クリスは連れて行きます」
そう言ってレイアはポカッとクリスの頭を叩いて起こす。
護衛を頼んだのに寝ていたクリスへのお仕置きと言ったところだろうか。
まさかそんな起こし方をするとは思わず、王子は呆気に取られてその様子を見つめた。
攻撃的な睡眠妨害をされたクリスは、目をごしごしと擦りながらその頭を上げる。
そしてエリオットと目が合うなり、
「っ! お、起きたんですね!!」
「おう、おはよう」
彼の目覚めを喜ぶと言うよりは随分と驚いた様子で、寝惚けていた目を一気に見開いたクリス。
「あ、あの……」
「ん?」
エリオットは寝たままで、何やらもごもごしているクリスに出来る限りの優しい顔を向ける。
エリオットの目を見たり見なかったり、挙動不審なクリスはしばらく両手の人差し指でぐりぐりと手悪戯しながら時間を引っ張って、
「すみませんでしたエリオットさん!」
謝った。
「え?」
エリオットもよく分からないし、レイアもよく分からない、そのような表情。
ただ当人は凄く申し訳無さそうに言葉を続ける。
「ま、まさか本当に言う時が来るとは思いませんでした……」
「な、何のことだよ」
エリオットはレイアと顔を見合わせて、その後二人で再度クリスの顔を見た。
クリスは顔を真っ赤にして俯き、問いには答えようとしない。
それどころか、
「じゃ、じゃあ失礼します!!」
「え、あっ、おい!!」
言うだけ言ってさっさと病室を出て行ってしまったでは無いか。
エリオットとしてはもう少し、嬉しくなるような反応を見せて欲しかったのだが……
「クリスの反応にガッカリした、と顔に出ていますよ、王子」
「ぶっ」
位置関係的にそうなっているだけだが、半眼でレイアがエリオットを見下げながら言う。
顔を見られると心まで見透かされそうで、王子は右手で顔を少しだけ覆う。
「気を遣った意味が無さ過ぎて笑えてきます」
と、言う割には全然笑顔ではないレイア。
疲れたような顔でクリスの去って行った方に目を向けながら、彼女は真面目な話題を切り出した。
「……また、城を離れる気ですか?」
「いや、この体調じゃ無理だからな」
「なら一先ずは安心していいのですね……しかし、一体何があってあんな酷い惨状を作ったのですか? 貴方が倒れていた室内は見られたものではありませんでしたよ」
確かに随分と血が飛んでいたと思われる。
しかもエリオットが傷を自分で治してしまったから、一体何がどうしたのか、現状だけではさっぱり分からなかったことだろう。
「って、クリスから聞いてないのか?」
「クリスは貴方に聞いてくれの一点張りでした」
エリオットはどこから説明すべきか悩んだが、相手がレイアなので全部教えることにした。
「一応聞くが、ガイアが持っている情報までは説明受けたんだよな?」
「えぇ」
「そうか。ならアレだ。俺がここに戻って来たのはクリスが拘束されているって聞いたからだ」
「だと思いました」
エリオットのことならば何でも知っている、くらいの勢いで即、相槌を打つ鳥人。
エリオットにとっては不服でしかない相槌に続きを話す気が少し無くなるが、そういうわけにもいかないので仕方なく仏頂面で彼は続ける。
「でもそしたらクリスは既に牢を出てたし、城自体も怪しいから半ば無理やりにでもアイツを連れて行こうと思ったんだ」
「そうですね……今回のクリスへの対処は、何かを裏に感じました」
レイアはその元々凛々しい顔を更に真剣なものに変え、エリオットではなく少し視線をずらして宙を睨んだ。
その仕草は、黒い軍服という服装も相まって、それだけで見惚れてしまいそうなものである。
「でもクリスがさ、何かマトモなこと言って俺を説得してきたんだよ。で、正直な話が説得されかけてた」
「そう、なのですか」
そこで少しだけ微笑む彼女。
意図が読み辛いその笑顔に、エリオットは一応聞いておく。
「何でそこで笑うんだ」
するとレイアは困ったように眉を寄せつつも、目元と口元だけは優しい曲線のまま言った。
「あの子が王子を真っ当な道に戻せるのなら、王子の想い人として悪くない、と思ったまでです。以前の王子のお相手は、それをしてくれませんでしたからね」
酷く切なげなのに、彼女の言葉は室内に優しく響く。
「お前……どんだけイイ女なんだよ……」
それを聞いたエリオットから、途切れ途切れにどうにか出た言葉がソレ。
不覚にも彼は、乙女的な意味でときめいてしまっていた。
レイアが男でエリオットが女ならば、このカップルは成立していたことだろう。
しかし、
「褒めてくださっているのでしょうが、王子に言われると馬鹿にされている気分ですよ」
言われている当人は全く嬉しく無さそうだった。
寝たままの状態でエリオットは話を先程の続きに戻す。
「で、俺がクリスに説得されそうになったもんだから、東の連中の刺客みたいな奴が来て、俺を半殺しにしてくれたってワケだ」
「刺客、ですか」
「名前をクリスから聞いてるかどうか知らんが、セオリーって呼ばれている淡い緑の髪の男だ」
「!! 話は伺っております」
セオリーの名前に顔を強張らせたレイアへ、もう一つ教えておかねばいけないことを思い出し、少し躊躇うがそれを伝えた。
「あと、クラッサだが……ありゃ金や物やらで買収されてない。完全に思想があっち側だった。最初から目的があって軍に入ったっぽいぜ」
エリオットの言葉にレイアは静かに目を伏せる。
彼女との付き合いは半年や一年ではない。
クラッサがレイアをそれなりに気に入っていたように、レイアもクラッサに心を許し、信頼していたはずなのだ。
「クラッサの目的は俺の体と、機密書室に保管されていたとある書類だった」
「…………」
真剣な面持ちで黙って聞いている彼女。
「俺の魔力やら何やらと、あと不明瞭な適性値のデータとかが書かれていた。俺だけじゃなくて、兄上達のもデータもあったぜ」
「それが何故クラッサ達に必要だったのでしょう?」
「よく分からんが……言えるのは、城内でも別の意図で暗躍している奴がいて、多分その一人が母上だろうってことだ」
エリオットが放った最後の単語に彼女は息を飲み、声を少し詰まらせながらも反応した。
「王妃が……!」
「だからお前にだけは言っておく」
正直気が重いエリオット。
はぁ、と肺の中の空気を全部吐き出した後、彼は耐え難い事実であるそれを述べる。
「城内の人間は、信じるな」
そして話を終えたところでレイアは、エリオットの意識が戻ったことを伝えに部屋を出て行った。
彼女が戻ってきたと同時に、エリオットの両親は揃ってわぁわぁ喚きたて、王妃に至っては一応怪我人だというエリオットを抱き締めて泣きつく。
それだけ見ていると……この人は疑いたくない、とその息子は思っていた。
エリオットは、王子である立場を面倒臭いと思うことは多々あるが、別に家族が嫌いなわけでは無いのだ。
しかしそうも言っていられない。
体調が戻り次第、ビフレストなどの件に関してきちんと話をせねばならない。
それまでは何とか誤魔化しておく。
エリオットは、竜を使って攻め込むべく慌ただしくなっていたモルガナから、その事態をうまく突いて自力で戻ってきたことにした。
そして、戻ってきたのはいいが連中の仲間が追ってきていて怪我を負った、という流れ。
勿論クリスの誤解は解いてある。
その件に関してはローズのこともあって王妃が随分食い下がっていたが、言い争いの末にエリオットが勝った。
そもそも、クリスへの嫌疑は事実言いがかりだったのだから、この王子が言い負けるわけが無い。
その後、エリオットは体調が本調子に戻るまでほぼ食っちゃ寝生活。
エリオットの護衛に就かされている准将と暇な時に雑談をし、そして毎日一時間くらいは見舞いに来るクリスとは……
「…………」
無言の対面をしていた。
エリオットはまだ死んでいない。
クリスは一応見舞いに来るものの、エリオットが何を話してもイマイチな反応しか返さず、つまり全くと言っていいほど二人の会話が弾まないのである。
この前何に謝っていたのか聞いてもはぐらかして答えようとしないし、喋ってもどこか上の空。
「俺の居ない間に何かあったのか?」
エリオットは何となく不安になって聞いてみる。
するとやっぱり挙動不審なクリスは、ぷるぷると首を横に振りながら目を泳がせつつ答えた。
「なっ、何も! 無い! です!」
「それ信じろって方が無理だろ……」
話そうとしないのであれば、その表情からも読み取る必要がある。
エリオットはしっかりとクリスを見据えた。
それに対して大きな水縹の瞳は何故か半泣きで潤んでいく。
「そっ、そんなに見ないでください……」
「お前が言わないから表情で読み取ろうとしてるんだよ。見られたくなかったら言え」
実はエリオットは既に表情など見ておらず、クリスのパーツを眺めているだけになっていたりするが、そこは言わない。
基本的に細身の割に、それでも食べているからか、肉付きが悪いわけでは無いクリスの体。
胸は平らだが、頬や太腿回りはぷにぷにしている。
あぁ、コレがローズみたいに色気が出てくるとぷにぷにからムチムチに見えるようになるのか、と王子は情けない想像を張り巡らせていた。
そんな視線を受けている先は、顔を茹蛸状態にした男の子……ではなく女の子。
悲しいかな、エリオットはクリスを好きなはずなのだが、色眼鏡を外して見ると男にしか見えなかった。
時折表情次第で女に見える時もあるものの、今日の服装もブルーグレーの素っ気無いポンチョにラフな長袖長ズボンで、どう見ても男の子なのである。
寝顔などは辛うじて女の子に見えるから、やはり普段のクリスの表情と服装が悪いのだろう。
外見的な意味での恥を知らないと思われていたクリスも、流石にエリオットのねちっこい視線には耐え切れなかったようだ。
エリオットと目が合うと俯いてしまう。
「しゃーねーな……」
クリスから聞き出すのは難しいと判断し、エリオットは一旦諦めて別の視点から聞き出すことにした。
彼が諦めたことにほっとした表情を見せるクリスは、彼の次の発言に顔を歪ませることになる。
「お前もう帰っていいぞ」
「えっ!?」
驚いたかと思うとその顔はだんだんくしゃりと沈み、アホ毛までもがしおしおとしなった。
思いっきり悄気てしまったクリスに慌てたエリオットは、急いでその理由を話し出す。
「いや、アレだ! ライトを呼んで来て欲しい。全然来る気配も無いしそのうち呼ぼうと思っていたんだ」
「ライトさんを、ですか」
「あぁ。どうせお前質問に答える気無いんだろ? だったらそっちと有意義な話をさせてくれよ」
最後に少しだけ皮肉を込めて、へらっと笑って言ってやった。
どうせむくれるだろうと思った上での発言だったのだが、その反応はエリオットの予想とは違い、
「分かりました……」
素直に受け止め、肩を落としている。
これではまるでエリオットがいじめたような構図だ。
クリスは席をスッと立ち、影を背負いながら去っていく。
そんなクリスにエリオットは何も言葉が出なくなり、ただ見送るだけだった。
「くそっ」
何故か今まで通りにいかない。
何だかんだ言いつつも心地よかったあの関係が崩れてしまっている、そう感じた。
自分が居ない間に一体何があったのかクリスが言わない以上、ライトにでも聞いてみるしか無い。
起こしていた半身をベッドに横たえて、エリオットはぼうっと天井を見つめた。
誰とも会話をしない時間は山積みの問題を思い出させる。
フィクサーやセオリーの件、王妃やビフレストの件、そして……婚約の件。
婚約は、色々あったものの解消などされることはなく話は継続していた。
後日またリアファルは見舞いがてら城に来るらしい。
前の二つの問題はこれから動けばいいとしても、最後の一つばかりは正直今更解決しようがなくてエリオットは落ち込んでくる。
何故クリスを好きになってしまったのか。
好みとは全く違う、それどころか男みたいで……何よりも、相手の性格を考えると手を出すに出せない相手。
黙っているのも面倒臭いその気持ちを、エリオットは耐え忍ばねばならないのである。
このままだと多分、一生。
「……だめだこりゃ」
考えれば考えるほどもどかしい。
とりあえず右腕で光を遮って、エリオットはライトが来るまで無理やり目を閉じた。