帰還 ~仄かに灯る精神の火~ Ⅲ
クリスはすぐに部屋の外に出て助けを求め、毎度お騒がせなエリオットは城内の病室に担ぎ込まれて行く。
一悶着があったものの、クリスは今、城を追い出されることも再度捕らわれることも無くその場に居た。
というのも、エリオットが戻ってきた今、彼の意識さえ戻ればクリスの拘束理由がほぼ無くなるからだ。
あの拘束理由は、きっと命令をしたであろう者も「言いがかりだ」と分かっていたのだろう。
真実を語ることの出来るエリオットがここに居る以上、そのような言いがかりで拘束をしてしまっては後々問題になるのが目に見えているのだ。
牢の外に勝手に出ていたことは指摘を受けてしまったクリスだが、丁度出た時が竜が襲ってきた時間で、しかもその竜を一匹レイアと共に退治したこともあってそれほど咎められなかった。
彼女達が竜を退治する現場を大勢の者が見ており、皆を救った一人であるクリスには、周囲の目もあって不当な扱いをすることが出来ないのだろう。
そして、何故エリオットがあの場に居たのか、勿論クリスは問い質された。
だが、流石にあの内容では事実をそのまま伝えるわけにはいけないのは、クリスも分かる。
自分が下手に答えてしまっては、後々彼が吐くであろう嘘と合わなくなってしまっては困ると思い、クリスは知らないの一点張りでどうにか通した。
肝心のエリオットの容態だが、自身でほぼ治していた為、とにかくあとは意識が戻るまで寝かせておくだけの処置になっていた。
今回はライトも呼ばれていない。
出来ることならば傍についていたかったクリスは、またしても「言いがかり」によって面会謝絶を食らう。
「一旦拘束を解いたとはいえまだ真実は明らかにされていないのだから、容疑者の一人である貴方を部屋には入れないように、と命令されているのです。申し訳ありません」
そろそろ落ち着いただろうか、と、エリオットの病室を訪ねてみたらこの通り。
病室の外で警護にあたっている兵が、心苦しそうにクリスへ頭を下げた。
元々城内ではちょっとした有名人のクリスだが、今回のこともあって兵達のクリスへの接し方が以前よりも柔らかくなっている。
「じゃあ……せめてここに居てもいいですか?」
「……自分は部屋に入れないように、としか命令されておりません」
見張りの兵は俯いて、ぼそりと呟いた。
クリスは彼より少し離れた位置で、黙って廊下の床に腰を下ろす。
二回ほど護衛の兵が交代をし、そして夕日が沈む頃に三回目の交代の兵がやってくる。
だがその兵はクリスの予想とは違う、一般兵ではない人物だった。
「交代だ」
「れ、レイア准将!?」
兵士も驚いたようで少し大きな声をあげる。
レイアはハァ、と溜め息を吐いてから簡潔に説明をした。
「君達では役不足、ということだよ。王子を心配する王妃から直々に、願うように私の元へ命が下った。当分私は王子専属の護衛に就くことになる」
「はっ!!」
その説明で納得した兵は、レイアに敬礼をしてからこの場を去っていく。
護衛がレイアに代わったのでクリスは尻をずらしながら、彼女ともう少し距離を詰めた。
レイアは先程の補足をするようにクリスに顔を向けて言う。
「大型竜を退けた功績を評価されたらしい。他の者の護衛では、心配性の王妃は安心出来ないのだろうね」
「なるほど……」
裏切り者のクラッサの上司ということを差し引いても、レイアならば信用に足る人物だ。
少なくともクリスは、彼女以上にこの城でエリオットのことを気に掛けている従者を知らない。
幼馴染というくらいなのだから、王妃もきっとそれを知った上で彼女を指名したのだろう。
生ぬるい風が廊下を吹き抜け、二人はその風に少しだけ目を瞬かせる。
「私が見ている間は、王子の傍に居てやってくれないかい?」
「え?」
彼女は今度は敢えてクリスの目を見ずに、病室の戸の前で廊下を見渡しながら続けた。
「クリスが更に中に居るならば、もっと確実だろうからね」
「で、でもいいんですか?」
「王妃を含めて城の者は王子が攫われたと思っている。けれど実際は違う。起きた時に王子自身がまた逃げてしまうかも知れないのだから、部屋の中にも居た方がいい」
あくまでレイアはそれをする合理性だけを述べ、クリスが入ってはいけないという上からの指示には触れない。
その表情に影を落としながら一瞬だけ目を瞑り、パッと見開いたかと思うとクリスを招き入れるように病室のドアを開けるレイア。
「さぁ、今のうちに」
「はいっ」
病室の中は、寝かせるだけの処置しかしていないだけあってほぼ殺風景。
窓は廊下側に二つのみで、明かりを点けなければこの時間の室内はかなり暗かった。
怪我人が寝ているのだから暗くても問題無い、とクリスは白いカーテンの仕切りを避けて、エリオットが寝ているベッドの隣に丸椅子を動かして座る。
「うぅ……く」
具合が悪くて呻いているのか、それとも夢を見て魘されているのか。
蒼白な顔を顰め歪ませながらも、彼はそこに居た。
あぁ、ちゃんと生きている。
そう思うと気が緩んできて、安堵すると共にクリスの脳裏に蘇るのはあの光景と状況。
……セオリーは本当に分からない。
エリオットが簡単にはくたばらないとでも思ったか。
それにしては随分とやり過ぎていたようにも感じる。
目的など無いと言っていた彼の行動は言葉通りその先にあるものが全く見えず、クリスは思い出すだけでおぞましさを駆り立てられた。
「あれが、ルフィーナさんの……憎む相手」
震えを抑えるようにぎゅっと両手を膝の上で握る。
『理解出来ないもの』とはこんなにも怖いものだったのか。
ルフィーナがあれだけの表情を見せながら憎んでいたのも理解出来る。
エリオットも今回のことであんな連中と仮にも手を組もうだなんて馬鹿げた考えは振り払ってくれるだろうか……
祈るようにクリスはエリオットの右手を取って両手で包んだ。
この気持ちが彼に伝わって欲しい、そう願いながら少し冷たく感じる彼の指先を温めるつもりで軽く抱き寄せる。
すると、触れている部分から滲むように熱さが漏れてくるのが分かった。
散々だったこの数日の出来事などどうでもよくなってくるくらいその温もりは柔らかく染み渡り、なのに何故か詰まりそうな胸の苦しさに襲われて、クリスは溜め息を吐き、潤んできた瞳を少しだけ伏せる。
今ならクリスにも何となく分かった。
一体どこまで強いものなのかは判断出来ないが、こうしていて生まれてくるこの苦しい感情は……悪いものではない、と。
でも、クリスは今自分の中で形となった初めての感情に戸惑っていた。
そしてそれを考えているだけで更に火照る体。
クリスは握っていたエリオットの手を離そうとした。
でも離せない。
いや、離したくないのだろう。
やっと戻ってきた彼を……もう二度と。
気付いてしまった気持ちが溢れて、少女の目頭が熱くなる。
他の、誰の、何の為でも無く、自分自身の為に、彼にここに居て欲しいのだ。
「最っ低です……」
――姉さん、私はどうやら大馬鹿者のようです。
貴方が居たからこその彼との関係を、思っていたよりもずっと心の奥深くで受けとめてしまっていました。
王子様で、既に婚約話が持ち上がっていて、年も離れていたりして、そして何よりも……貴方の残した願いを何年もかけて成し遂げようとするくらいずっと姉さんを愛し続けている彼を、
私は、他の何にも代え難いほど好きなんです――
「ううぅ……」
これはエリオットではなくクリスの声。
気づいたと同時に叶わないと分かるその恋心に、切なくて泣き声を洩らしてしまっている。
どうしようも無くて、我慢出来なくて……胸元で握っていた彼の手の甲へ、今の想いを押し付けるように頬擦りをした。
卑怯だ。
彼の意識が無いのをいいことに、こんなことをしてしまうだなんて。
そう考えるクリスの理性はその行動を止めようとするのに、それは酷く弱いもので全く役に立たなかった。
気付いてしまった今、ただ彼の手に触れているだけなのに心地良くて頭がくらくらする。
体の奥と吐く息が熱を帯びて絡むように熱い。
こんなもの我慢出来るわけが無い、と気付いた感情に振り回されている彼女は思った。
そして両手で握っていた彼の右手を戻して、彼の枕元に自分の手の平をつき、上半身を近づけた。
その体勢からエリオットを見下ろしながらやはり少しだけ躊躇ったクリスは、魘される彼を宥めるように優しく撫でて抱き締めた後……唇ではなく右頬へちょん、とキスをする。
今はそれが精一杯。
クリスの、エリオットへの気持ち。
◇◇◇ ◇◇◇
「何でそんなことをしたんだ?」
ニザフョッルの巨大施設の一室で洗面台に向かって嘔吐を繰り返すセオリー。
そんな彼に静かに問いかけるのは、男性にしては少し長い黒髪の青年フィクサー。
術を破られた反動でセオリーの身に返ってきた痛覚は、通常とは異なる苦痛。
ましてや今回はあの剣で斬り刻まれたのだ。
まるで本体の内部に残り続けるような多数の刃の感覚を同時に受け、その身に傷一つ無いにも関わらず留まり続ける痛みと違和感、そして不快感。
ただそれらが収まるまでしばらく耐え続けるしか今の彼に出来ることは無い。
問いかけに対してセオリーは答えなかった。
少しだけフィクサーを横目で見やり、流れる水で口元を拭うだけ。
反省の色の見えない彼の態度に、不測の事態にも関わらず最初は気持ちを落ち着かせていたフィクサーも流石に不機嫌になってくる。
「折角誤魔化せていたってのに……もうほぼビフレストに育っている今のアイツをどうやって捕まえる気なんだ。精霊武器とブリーシンガの首飾りがあるとはいえ、クラッサは精霊自体の特殊能力は引き出せないんだぞ!?」
声を荒げる首謀者に、その彼と交換条件で手を貸し続けている白緑の髪の男が、屈めていた上半身をスッと正してようやく答えた。
「すみません……」
素直に謝る赤い瞳の友に、フィクサーはそれ以上責め立てることが出来なかった。
そもそもこんなに長引いている自分の目的に、ここまで文句を言わず着いて来てくれているのだから責められるわけが無い。
しかもセオリーの表情は、術を破られた苦痛からとは違う、どこか精神的に憔悴しているようなものをフィクサーに感じ取らせる。
「どうしたんだ?」
これでも付き合いは長い。
どちらかといえば身内に甘いフィクサーは、台無しにされた怒りよりも心配が先立ち、そっと問う。
けれどセオリーは先程同様に理由に関しては口を噤み、また洗面台に向かって少し嘔吐いて体を震わせていた。
だがフィクサーも今回ばかりは引かない。
流石に今回の件は理由を聞かなければ素直に「はいそうですか」と受け入れられるような小さな失態では無いからだ。
そう、大失態だ。
「言うまで動かないぞ」
その言葉を受け、セオリーは口を濯いだ後、洗面台についていた両手にグッと力を入れながら言葉を紡ぐ。
「どうも私は……虫酸が走る程あの子供が嫌いなようです」
「ふむ。で?」
「なので目の前で奪ってやりたくなりました……大事なものを」
「お、お前な……」
そんな理由で納得出来るはずが無い。
多分セオリーの言っていることは嘘では無いのだろうが、フィクサーにはそれだけだとも思えなかった。
どうしたらいいものかとその黒髪をかきあげて彼は悩み、いまいちしっくしりこない答えしか言わない友から視線を外す。
今のフィクサーの目的にはエリオットが必要不可欠であり、準備が整い次第仕掛けるにしてもその準備がまだ途中のところで離れられてしまったのだ。
再度仲間として引き込みたくとも、セオリーがあのような奇行に走ってしまってはもはや素直にこちら側に来るとは思えない。
ルフィーナに泣きついて協力して貰うか。
いや、彼女は間違いなく自分よりもあの男を優先する。
ビフレストの娘ほどの執着は無いにしろ、子供の頃からあの男を見てきたルフィーナにとって、エリオットもきっと子供のような存在なのだから。
セオリーが過去にルフィーナに打ち込んだ呪いのような楔。
そのお陰で彼女は子供には極端に甘い。
悲しい現実だが、幼馴染み風情の自分など蹴られて終わりそうだ。
そう思うとフィクサーは色々な意味で頭が痛かった。
「クラッサ、どれくらいまで終わっている?」
とりあえず進行状況だけ確認しようと、傍でずっと黙って待機していた秘書のような格好の麗人に声をかける。
汚れていた部屋も、彼女が戻ってきたお陰で無事、整理整頓されていた。
「八割方は終了しております」
「分かった。あの男が一番気を許していて、仕上げが出来そうなのはどいつだ?」
「そうですね、女神の末裔を除けば多分こちらかと……」
クラッサは手元の書類をぱらりと捲ってフィクサーに指し示して見せる。
しかしそれに対してフィクサーは渋い顔。
「これだとルドラのガキが厄介だな……」
「また捕らえて監禁しますか? むしろ消しましょうか」
頬に火傷の痕がある女が、無表情のままさらりと言った。
「いや、消したことで怪しまれたら逆にやりにくい。俺がどうにかやってみよう」
「かしこまりました」
「引き続き二箇所の監視を頼む。セオリー、お前は少し休んでいろ」
そう言ってフィクサーは宙に陣を描いたかと思うと光と共にその場から消え去り、後には鬼の様な形相を俯いて隠すセオリーと、それに気付いて動悸を激しくするクラッサが残った。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部第十五章 帰還 ~仄かに灯る精神の火~ 完】