絵本 ~始まりの始まり~ Ⅲ
結局クリス達はまたあの鉱山に行くことになった。
まだ施設があれば上々、無くても何かしらの痕跡があればという淡い期待。
出来ればローズの持つ大剣に勝てるような武器が残っていればいいのだがその線は薄いだろう。
槍でも良くて相打ちとのことだが、相打ち予想では成功の確実性が低い。
なるべくならもう一つ切り札みたいな物が欲しいのが本当のところだ。
剣から離すという手もあるが、どちらにしても精霊に操られているローズとの戦闘は対大型竜のようなもの、と考えると今の現状では手放させることも難しい。
クリスがエリオットを抱えて飛ぶ、という案はクリスの抗議により却下され、結局来た通りの道を往く。
今はまたあのカンドラ鉱山の麓を歩いていた。
前回と違うのは、今度はエリオットの呪いは解けていること。
今は二人とも、きちんとお互いの意志を確認して歩んでいけているようだ。
トロッコ跡を過ぎ、明かりの一切入らない洞窟を抜け、エリオットが以前壊した大穴に辿り着いた。
「さーて、中はどうなってるかなーっと」
エリオットが軽い口調で穴をくぐり抜けると、
「ここは以前と変わりありませんね」
「隠したい奥の部屋がどうなってるか、だな」
施設の右奥に進んで、例の仕掛け扉まで忍び足で歩く。
人の気配は……無いとはいえない、何かを感じた気がした。
クリスとエリオットは顔を見合わせた後、ゆっくりと一つずつ仕掛け扉を開けては進んで行った。
「ここであの謎の男に止められたんでしたよね」
最後の扉は、別に頑丈そうなわけでもない、先程までと同じただの壁。
ここは前回開けていないがきっとここも仕掛け扉なのだろう。
クリスが壁に手を触れようとしたその時だった。
『そこで間違いない、私を手にしてくれないか』
頭の中で、槍の精霊の声が響いた。
クリスは言われるがままに背負っている槍の布を外し、柄を手にすると、エリオットがクリスの行動に疑問を投げかける。
「戦闘準備をしておくのか」
「精霊さんがこうしろと……」
「分かった」
それだけで把握したのか、エリオットも腰の銃を抜いて構えた。
頷いて合図を送って目の前にある扉の取っ手を出し、それをゆっくりと引く。
目の前は予想外の場景が広がっていた。
「えーと、どうしよう」
エリオットが目のやり場に困って、何だかそわそわしている。
それもそのはず。
驚いたことに施設にはまだ物が残っていたのだ。
これがセオリーにとって重要ではないから残されていたのかも知れないが……
「とりあえず私が助け出しますから、エリオットさんは敵がこないか見張っていてください」
クリスは目の前に広がる多数の機材の中央にある透明な円筒型機器にゆっくりと近づいてまじまじと中にいる者を見つめた。
それは金色の長い髪を水中で揺らす一人の女性。
全裸でその機器の中に浮き佇むその女性は、生きてはいるようであったが意識は無さそうだった。
念のためエリオットに確認してみる。
「この人、この中から出たら死んじゃうとかありませんかね?」
「知るわけねーだろーが」
円筒型機器に繋がるチューブの先にはやはり大きな機械。
様々な魔術紋様が刻まれ、何かが動作しているのは間違いない。
これを操作すれば壊さずに中から彼女を出せるかも知れない。
だがここから出してあげることが助けることに繋がるのかどうか定かではないのでクリスが悩んでいると、手の中の槍から声を掛けられた。
『この女を殺してくれればいい』
「は!?」
精霊の言葉にただ驚く。
その瞬間、この槍を初めて持った時のように得体の知れないエネルギーが槍から溢れ出した。
女性の裸を見ないように背を向けていたエリオットが異変に気付いて振り返る。
「どうした!?」
「精霊さんが、この人を殺せと……」
「この美人さんは敵なのか!?」
槍の気に当てられてクリスはまた異形の姿に変化してしまう。
自我が無くなりそうになるのを感じ、姉もこんな感じで操られてしまったのだろうか、とぼんやりと愛しい人を想って。
次にその思考とは真逆に、頭の奥で殺戮衝動が芽生えてくる。
――目の前の、この生き物を、ころさずにはいられない。
「だから最初からそんな得体の知れない武器、信用できなかったんだよ!!」
高い発砲音がした。
エリオットが銃でクリスの右手を撃ったのだ。
槍は手から離れ、意識がハッキリとする。
そして物凄く手が痛い。
ヒトの状態だったらもっと手が砕けていたかも知れないが、とりあえず弾丸はクリスの皮膚で止まって床に落ちていた。
内部に入ってもいないのでヒトで言うなら強度の打撲というところか。
「銃弾も効かない肌とかもう有り得ないな」
「というか私の手に穴を開けるつもりだったんですか……?」
「大事になるよりはマシだろ、気ぃ遣って銃弾も小さく造って撃ったから問題無い」
さらりと言ってのけると彼は床に転がった槍を一瞥し、呟く。
「いいザマだな、クソ槍が」
彼が放つ相変わらずの悪態にクリスは半眼になって呆れていた。
しかし呆れている場合ではなく、すぐに思考を切り替える。
聞いていた話とは違う。
大剣以外の武器は持ち主に従順では無かったのか?
「精霊さんはこの女性を殺せばいいと言っていましたが……」
「理由も無しに美人を殺せというのはどうなんだ?」
「美人に限りませんよ、そこは」
精霊にもう一度問いかけてみるのが早いのだろうが、また操られてしまっても困る。
クリスが悩んでいると、
「って何やってるんですか!!」
エリオットが円筒型の機器に繋がっている機械をいじり始めていた。
「出して話してみれば殺すべきか分かるだろ?」
そう言うと彼の手は止まることなく機器の魔術紋様を発動させていき、あっという間に内部の水が抜かれていく。
「水は抜いた、これから開けるから拾ってやってくれ」
エリオットがぶっきらぼうに言うと、ガキンッという音と共に円筒が半円筒に二分割されて動き始めた。
「わわわわわっ」
真っ二つに割れた機材からぐたりと金髪の女性が崩れ落ちてくる。
クリスが慌てて抱きとめると、先程まで入っていた液体の臭いがこびりついているのだろう、薬の臭いが鼻を強く刺激した。
こうして見るとまるで人形のような、非の打ち所の無い美しさの女性である。
見た目で判断するならばヒトで言う十代後半くらいの顔立ち。
クリスの姉と同い年か少し下くらいだろうか。
だけどクリスは彼女を抱きかかえながら、先程精霊が言っていたように『殺さなくてはいけない』ような気持ちが芽生えていた。
精霊に操られた時のような強迫めいたものとは違う、何となくこの女性に嫌悪感があるというだけの話なのだが……
「いやしかし本当に美人だなー」
操作をし終え、機械から離れてエリオットがやってきた。
「見ちゃダメです!! あっち行ってください!!」
「お、お前はいいのかよ!!」
クリスは槍を巻いていた布で彼女を包んで、一先ず床に寝かせる。
エリオットは他の機械に手がかりが無いか一応操作して調べているようだった。
ここまで来て収穫が謎の女性一人、というのはあまりにも辛い。
しかもローズの持つ剣との対抗手段であるはずの槍は言うことを急に聞かなくなったときた。
これではむしろマイナスだ。
女性はどう考えても研究者側というよりは実験体のような扱いだったはずで、情報を持っているとは到底思えない。
更に、置き去りにされていたということはその実験にすらもう必要無くなったということ。
「だめだな、めぼしい情報はもう消されてる」
お手上げ、っと両手の平を上げて首を振るエリオット。
「取られたくない情報だけ消して、この研究施設は捨て置いたんですかね」
「かもなー」
また振り出し。
あまりの事の進まなさに脱力してしまう。
そこへ一つの高い音が響いた。
「ん……」
甘くて、それでいて澄んだ鈴の音のような声。
勿論、クリスでもエリオットでもない。
「気がついたのか!」
エリオットが、寝かせていた女性に駆け寄ってくる。
「布めくっちゃダメですからね」
釘を刺して、女性が気付くのを待つ。
彼女は寝返りを打ってまた寝そうな素振りを見せたものの、床の硬さに完全に目を覚ましたようだ。
むくりと起き上がると、掛けていた布がはらりと落ちて両胸が露になってしまった。
「あれ?」
彼女はまだ寝ぼけた様子で、周囲を見渡して状況を把握しようとしている。
そこでクリスとエリオットとも目が合い、ようやく話が出来そうになった。
「おはようございます、具合は大丈夫ですか?」
クリスが先に声をかけると、彼女はとびきりの笑顔で応えた。
「はい、大丈夫ですっ」
その屈託の無い笑みに、クリスも胸の奥のこそばゆい疼きを実感せずにはいられない。
自分でさえこんな気持ちにさせられるのだから、と、ちらりと横目に不安分子であるエリオットを確認すると、
「…………」
大丈夫ではないようだった。
無言で、舐め回すように目の前の女性を凝視している。
クリスは即座に横から拳を当ててやり、どがしゃああ!! という色々崩れた音と共にエリオットが吹っ飛ぶ。
ちなみにクリスはまだ変化したままで、力はヒトの何倍もある。
こうかは ばつぐんだ。
「な、何するんだよ!! 彼女も驚いてるだろーが!!」
「驚かせて申し訳ありません、布を巻きなおしたほうがいいと思いますよ」
何やら叫んでいる緑アタマは無視して、何事かと目を丸くしている金髪美女に促す。
彼女は何のことを言われているのか分からない、と言った顔で首を傾げ……
「えっ、あっ、キャアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
全力の金切り声で悲鳴を上げた。
半狂乱する女性を宥めた後、クリス達はスーベラまで戻ることに今後の予定を決める。
しかし問題は槍。
持ち帰りたいが意識を奪われてしまっては話にならないので、
「ああいうことされると貴方を持てないんですけども、どうにかなりませんか?」
触らずに交渉してみるクリス。
『むしろクリス様は何故アレを生かしておこうなどと思うのだ』
精霊の声は直接頭に響いてくる。
触らなくても近ければ会話は出来るようで、その事実を受け入れつつまた話す。
「こちらとしては殺そうとする理由が分かりかねます」
彼女に対する違和感は精霊に指摘されずとも感じている。
アレは自分の敵だ、と。
だがその感情には敵だと示す何の確証たるものが無い……自身の一方的な気持ちでしかないのだ。
そんな感情に身を任せて女性を斬る気は、クリスには無い。
エリオットのような見るからに世のゴミのような男なら別だが。
クリスは基本、女性には優しいのだ。
「とにかく、勝手に私を動かそうとしたら今度は肥溜めに沈めますからね」
『了解した』
クリスはその言葉を信じて再度槍を手にする。
精霊がご機嫌ナナメなのは伝わってくるが、それだけ。
特に体を操られるような違和感は感じられないので、何とか分かってくれたようだった。
「そんな槍捨てておけばいいのに」
エリオットがジト目でクリスを見やる。
「そういうわけにもいかないでしょう。ちゃんと分かってくれたみたいですよ。エリオットさんと違って素直です」
「一言多いわ!」
まだ彼らとの会話についていけない金髪美女は、しっかりと体に布を巻いて押さえながらただただ聞く側に落ち着いている。
「とりあえず街で服を買ってから、お話しましょうね」
不安も多いであろう女性は、こくりと頷き無言でクリス達の後をついてきたのだった。
ちなみに服のチョイスはお財布係であるエリオット。
「買ってきたぞー」
あれからスーベラの宿で待機していたところに戻ってきた彼は、ごそごそと紙袋から不思議なデザインの服を取り出す。
様々な切り込みが入った上着とスカートに大きな帽子と、黒いストッキング。
あと彼の趣味だろうか、買って来た下着は黒だった。
クリスとしては、この清らかな女性に黒の下着は似合わないのではないかと思うのだが、買って来られてしまったものは仕方ない。
「どうしたんですかこれは」
「この街のお祭りに使う、観光用の民族衣装らしい!」
過去最高の笑顔で元気に答えるエロ男。
「どうして普通の服買わなかったんですか」
「着たところが見たかったからに決まってんだろ!」
お金を出しているのは彼なのでこれ以上文句も言えず、服があるだけマシか、と諦めて彼女に渡す。
「これで良ければ、着てください」
「ありがとうございます」
やはり聞くだけで心地よい声。
高いには高いが、耳あたりの良い音の高さ。
甲高いとは違う、優しい綺麗な声。
彼女が喋るだけで周囲に花が咲いたかのように明るくなる。
細くて綺麗な明るい金髪は、窓からの日差しを受けて天使の輪を作っていて、優しい眼差しの瞳は、髪の色と同じ眩いばかりの金色。
「では着てきますね」
と、脱衣所に彼女は歩いていく。
それを見送るとエリオットはクリスに問いかけた。
「で、何か聞けたのか?」
「それが……全く何も覚えていないそうなのです」
「それは参った」
何かの手がかりになるかも知れない、とあの場から連れて来た彼女は、事もあろうことか自分の名前から昨日の晩御飯まで、何一つ覚えていないというのだ。
だからこそクリス達に素直に着いて来たのだろう。
「じゃあ、あの子はこれからどこに置いておけばいいんだか……」
「一人放っておくわけにもいきませんしね。だからといって一緒に連れて行くには危ないでしょう。誰かに預けるのが妥当かと」
「うーーーーーん」
考えこんでしまったエリオット。
正直な話、情報も持っていないのならお荷物にしかならないからだ。
そこへ着替えて戻ってきた記憶の無い女性。
「どうでしょう?」
クリス達の間に来て、服を見せるように一回転。
ひらひらした上着とは対照的にタイトなスカートとストッキングが彼女のスタイルを強調していて、何だかすごくけしからんことになっている。
主にくびれが。
「……可愛いよ」
エリオットはもはや慈愛の眼差しで彼女を見つめている。
その一言の感想に、彼の今の気持ちが全て込められているようだ。
優しく語り掛けるかのようなその言葉の発し方も最高に気持ち悪い。
「とてもお似合いです」
クリスもありのままの気持ちを口にした。
「本当ですか、良かったです! 良くしてくださってありがとうございます!」
まさに天使のような微笑で、純粋無垢な言葉を述べる彼女。
記憶喪失なせいもあるのだろうが、悪も穢れも知らぬような乙女の反応である。
「まぁ……コレなら連れていってもいいかもな……」
「何を言っているんですか、姉さんというものがありながら。ダメですよ」
その美しさに惑わされた情けない男の提案を、クリスは優しく却下した。
◇◇◇ ◇◇◇
クリス達がスーベラの宿屋でキャッキャウフフしていた頃のことである。
「良かったのですか、あれで」
事務所のような部屋で、黒いスーツを着た女がファイル片手に、側の机で座っている男に声をかけた。
背丈は女性にしては高め、綺麗な顔立ちであるにも関わらず周囲を畏怖させるその佇まい。
一番の原因はその左頬にある大きな火傷の痕であろう。
眼光は鋭く、火傷さえなければクールビューティーで通るであろう女は、漆黒の髪に瞳。
男と見間違いそうになるものの、そのショートカットはとても似合っている。
彼女を女として認識させるのは、その胸でスーツが若干丸みを帯びているからに他ならない。
「記憶を戻させるなら、連れていかせたほうがいいかなって」
問いかけに答えた男も、女同様に漆黒の髪と瞳。
肩につくかつかないかぐらいまでの長さの髪は、一片のクセも見られないストレートだ。
こちらも黒いスーツ。
だがスーツに着けられたピンやハンカチ等の小物の上等さから、それなりに高い地位である事が伺われる。
座っている机と椅子も、豪勢な物だ。
「それだけでどうにかなるものでしょうか」
「なるだろうさ。あのやり取りから察するに、彼らに渡せばきっと彼女が動くからな」
女の疑問に男が確信を持った声色で言った。
「当分は監視の使い魔を増やしておきましょう」
「気付かれないように、特に彼女には」
「善処致します」
そこで部屋の唯一のドアでノックの音が響く。
トントントン、と三回。
ノックの返事も待たずにドアは開かれ、入ってきたのは他でもない、あの謎の男セオリーだった。
「今日はバレンタインデーですが、チョコは貰えましたかフィクサー」
「だ、ま、れ」
この世界でもバレンタイン伯爵がいて、某国のようにお菓子戦略があるのかどうかという疑問はさておき、フィクサーと呼ばれた男の反応を愉快そうに見るセオリー。
スーツ二人の中に、一人だけあの軽鎧を着ている為とても浮いているがそんなことは本人はお構いなしのようだ。
「ふふ、私は二つ貰えましたよ」
「今すぐその口にチョコ突っ込んでやるから、その貰ったチョコ寄越せ!」
どこまでも空気を読まずに自分勝手に喋り続ける彼に、とうとうキレたフィクサー。
そこへ、隣で立っていた女性が怒る上司を宥めるかのようにフォローを入れる。
「フィクサー様、私でよければチョコの用意がございます」
そっと手渡される小さい紙に包まれた一粒のチョコ。
どう見ても小腹が空いた時に自分で食べるためにポケットにでも入れておいたかのような物だ。
若干溶けている。
クールビューティーが、ほんのりとはにかんでこう言った。
「はっぴーばれんたいん、フィクサー様」
ボケ二人にもう怒る気も失せて、ぷるぷる震えながら項垂れる可哀想な黒髪の青年。
だがそこはすぐに気を取り直し、本題に入る。
「で、うまくやってきたのか」
「えぇ勿論、危うく被検体を壊されそうにはなりましたが」
「それはうまくいったというのか?」
「多分」
どや顔で言う紅い切れ長の瞳の青年に一律の不安を抱きつつ、でもこの男なら失敗はないだろう、と切り替えて前向きに捉えたようだ。
フィクサーは椅子に腰を掛けなおし、机の上にあったシガーケースに手をかける。
そこからは高級そうな葉巻が現れ、それに上手に火をつけた。
「あー、俺の癒しはコレだけだ……」
彼は手元の水晶を見つめながら、一服する。
その水晶の奥に映っていたのは、本に囲まれたエルフの姿だった。
【第一部第三章 絵本 ~始まりの始まり~ 完】