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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第二部 第十五章
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帰還 ~仄かに灯る精神の火~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)

   ◇◇◇   ◇◇◇


 投獄されていたクリスは驚くほど静かだった。

 人間、本当にショックを受けた時、逆に慌ててなどいられないのだろう。

 クリスにとって初めて入る地下牢は、床は硬く、湿り、空気も淀んでいる。

 壁には大抵の魔法ならば打ち消せる魔術紋様が深く刻まれた、一般人用の牢。

 これ以上無いくらい居心地の悪い場所。


「…………」


 牢に入れられてからの三日間。

 手首に錠をかけられたあの時からクリスは一言も喋っていなかった。

 以前のように声が出ないのではなく、喋る気力が出てこないのだ。

 暴れるわけにはいかない。

 ガウェインやヨシュアに迷惑が掛かってしまう。

 だから何も考えない、ただぼーっとこの嫌疑が晴れるのを待つしかクリスに出来ることは無かった。


「クリスさん、ちゃんと食べた方がいいと思うぜ……」


 鉄格子の内側、傍に置かれた金属製のプレートの上にはコッペパンが二つにミルクが一杯。

 要求もしていないコッペパンを出されても食べる気など少女には皆無。

 まるで空腹すらもどこかにいってしまったように。

 ガウェインが外で心配そうに見ているが、その視線と合うことは無く、水縹の瞳の先は虚ろに宙を漂う。

 精霊武器はきちんと少女の腰に携えられていた。

 これだけはレイアが周囲をどうにか説得して、牢の中でありながらもここにある。

 ――持ったら死ぬ、それを実践したいのならすればいい。

 彼女のその言葉に皆、簡単には信じられずとも実践する勇気は起きなかったようだ。

 通常の剣ならば鉄格子を切ることなど出来ないが、精霊武器のことを知らぬ他の者達は、錠で繋がれたクリスが牢の中で長剣一つ持っていたところで大したことは出来ないと思っているのかも知れない。

 だが実際はそうでは無いわけで、いざとなれば錠をかけられたままでも精霊武器を持てばどうにかなるだろう。

 だからクリスはそこまで自分の身を心配しているわけでは無い。

 ただこの国に……酷く裏切られた気分から、何をする気力も湧いてこなかっのだった。


 いや、違う。

 クリスは別にこの国に裏切られるほど、この国と関係を築いているわけでは無い。

 元々裏切り裏切られる間柄なわけではないのだから、勝手に落胆する方がおかしいというもの。

 城や国のことなど興味が無かった、大陸統治国の王子の顔も名前も覚えていなかった、自分の育った南の地域以外はサッパリ知らなかった。

 そんなクリスが今、国に裏切られたと勘違いしてしまうほど馴染んでいたのは……エリオット、彼が居たからに他ならない。

 この場に彼が居ない以上、国はそんなクリスを護ったりなどしないのである。


 クリスは今も昔も、誰かが作った環境に依存していた。

 最初はローズ……そして気付けば、その相方であったエリオットに。


 その考えを振り払うようにクリスは膝を抱えて俯いた。

 ちっとも自分は成長していない。

 この四年は一体何だったのか。

 この城に初めて来たあの時と何も変わっていないでは無いか。

 いざ近くに誰もいないと不安に押し潰されてしまいそうになる。

 あの時は近くにエリオットが居て、どうにか耐えられたローズのこと。

 でも今は……居ない。


 時間が経つのは、クリスを含む地下に居る者達にはとても遅く感じられていた。

 交代でクリスの見張りをしているガウェインとヨシュアも、よく懐中時計を見ては溜め息を吐いている。

 地下牢は勿論窓が無いので外の様子も把握できず、肝心の時計すら無いクリスには気が遠くなりそうな時間。

 ここに滞在している日数は、出された食事の回数でしか分からない。

 一切動く気配を見せないクリスに、気付けば交代していたヨシュアが声を掛ける。


「何か……欲しいもの」


 欲しいものは無いか、と聞いているのだろう。

 返事をする気力も無いので完全に無視してクリスは膝を抱えたまま寝たフリをした。

 それは、彼らへの些細なあてつけ。

 彼らを傷つけることを選べないくせに自分の身を捧げきれてもいない、小さくて弱い半端なクリスの。

 目の前が色褪せていく。

 自分が誇れなくなる。

 閉鎖された空間で三日という日数は、クリスの心をだんだん擦り減らしていった。

 これが全部擦り切れてしまった時、自分は全てどうでもよくなってこの剣を振るうのだろうか。

 そう思った少女は思い立つがままに腰の剣を、拘束されたままの腕でどうにか抜く。

 そして、手にする剣の精霊の名を呼んだ。


「レヴァ」


 久々に出された声は少しだけかすれていたけれど、それでも目の前に現れる赤い精霊。


「この錠を壊せますか?」

「クリス……っ!」


 牢の外のヨシュアがその薄い青の瞳を見開いて訴えかけるように鉄格子を掴む。


「分かりました」


 レヴァは無表情のままクリスの手首の錠に触れ、それをいとも簡単にその手で割り砕いた。

 それは以前……クリスが持っていた圧倒的な力のようである。

 自由になった腕でクリスは赤い剣をしっかりと持ち構える。


 ――その切っ先を自分の喉に向けて。


 躊躇いと心残りが、ぐるぐる回る。

 けれど、ニザフョッルでのあの時から、クリスは自分の存在意義を見失っていた。

 肝心な時に役に立てない。

 むしろ存在自体が足手まとい。

 取り戻したはずの本当の自分の体は、弱いどころかエリオットの足枷にまでなっている。

 そして更に今度は、ガウェインやヨシュアまでも巻き込んで。

 どうしたらいいのか分からないが、自身の生い立ち、そしてその体に巡る血を思い返せば思い返すほど、クリスは自分がこの世界にとって不要な存在にしか思えなかった。

 事実、女神の末裔や遺産はこの世界の異分子であり、ビフレスト曰く滅すべき存在でもある。


 勿論、だからといってそれだけで自暴自棄になるほどではない。

 けれどこの先、このままでは自分は何をしてしまうか分からない。

 先に思ったように、クリスはもう半分くらいはどうでもよくなりつつあった。

 そんなクリスがもし形振り構わず精霊武器を振れば、何をどこまで壊してしまうのか。

 以前のニールやダインを鑑みた限り、レヴァの持つ『焼失』がこの世界の良い方面に及ぶことは無いだろう。

 ……クリスはそれだけはしたくなかったのだ。

 世界を破壊する女神の末裔としてではなく、普通の人間として生き、死にたい。

 女神の末裔という血、女神の遺産という武器、これらに振り回されてきたクリスの、ささやかな反抗。


「何を……!」


 ヨシュアが折れもしないその鉄格子を揺するように握っている。

 クリスと仲が良い彼らは万が一にも彼女を逃がしたりしてしまわない為に、ここの鍵は持っていない。

 揺することを諦めて鉄格子の隙間から腕をクリスに向かって必死に伸ばすヨシュア。

 レヴァはというと、主のやろうとしている行為を止めようとすること無く、ただじっと見つめていた。

 むしろそれが正しい選択かと思っているような雰囲気が、レヴァにはあった。


 心残りは沢山あるが、遺言は無い。

 そしてこれでエリオットの枷も……消えるのだ。

 赤い刃がクリスの白い喉に触れるその時、


「ッ!?」


 クリスは右手が急に熱くなって剣を落としてしまい、それと同時にレヴァも姿を消す。


「なっ、あ」


 右手が焼けるように熱い。

 何が起きたのか分からずクリスはその熱さに身悶えた。

 この熱さでひとおもいに死ねたらいいのに、それはそういうものではなくただ痛めつけるようなもの。


「どう、したっ!!」


 ヨシュアがクリスの様子に焦り叫ぶ。

 そして彼の背後から軽めの足音が聞こえてきた。

 ヨシュアも足音に気付いたようで、一旦クリスから目を離して振り返る。

 そこに居たのは小さな金髪の男の子。

 もこもこしたフードを被ってパッと見は可愛らしい人形のような、けれどその表情の冷たさが容姿から浮いて際立っている。

 まるでねずみの獣人になったニールやダインのように違和感がする子供だった。


「君がそれを填めていてくれて良かった、今の私じゃあ媒体が無いと力を使い難いんだよ」


 少年がそれだけ言うと、クリスの手からすぅっと熱さが消えていく。


「誰……」


 ヨシュアが一歩後じさりながら、手首に巻いてあるバンドの針に手を掛ける。

 クリスも少年の姿を見て、死のうとしているどころではない、と慌てて床に転がった剣を掴みその刃を少年に向けた。


「ビフレスト……ッ!!」

「そうだね、この体はそう呼ばれている」


 まるでその体を自分の物ではないというように、少年は言葉を発する。

 この少年は、レヴァの話が間違っていなければクリスの両親を殺した可能性があるビフレストのはずだ。

 そして、レヴァを狙っている。

 けれど少年はそれ以上クリスに近づくことは無く、普通に格子越しに会話を始めた。


「また君は負けそうになるとそれを選ぶんだね」

「また……?」

「あくまで私の楽しみを奪おうというのなら、私もそれなりのことをさせて貰う」


 そしてその直後にまたクリスの右手が焼けるように熱くなる。


「ぐっ……」


 左手でその熱い部分をひたすら押さえるが、そんなことをしてもその焼ける痛みは変わらなかった。

 レヴァのチェンジリングを解除した時とは違う、内側からではなく外側からの熱さ。

 ふっとレクチェに触れた時の火傷のような傷みが脳裏を過ぎり、意識をどうにか保ちながらクリスは自分の右手に目を向ける。


「まさか、っ」


 クリスの右手にあるものといえば、それしか無い。


「あぁ気付いてしまったかな」


 クリスは即座に剣から手を離し、自分の右手薬指からその金色の指輪を外して放り投げた。

 格子の外まで転がった指輪を拾い上げて冷たく笑うのはビフレスト。

 指輪を手から離した途端に、クリスは火傷するような手の熱さから開放される。


「まぁいいさ。君がまた自害するのだけは防げたんだから。本当はその剣も奪いたいけれど、この体ではうまく持てないし、今この城にあの首飾りは無いからなぁ……」


 少年は指輪を上着のポケットに入れると、ヨシュアに向き直り言い放った。


「その子供を死なせても首が飛ぶと思ったほうがいいよ」


 それは、まるでこのビフレストが城内においてクリスの拘束を命じたとも取れる発言。

 クリスは死を選ぶことすらも許されなくなり、少年が去っていくその後姿をただ茫然と見送る。

 あの少年のビフレストを城内で見た記憶はクリスに無いが、少なくともガウェインとヨシュアに命令を出来るくらいの繋がりが城内にあるということ。


 ここでクリスが死ねば、確かにエリオット、それにガウェインやヨシュアは解放され、世界の脅威となりうる武器を扱える存在が消えていたことだろう。

 けれどそれだけで問題は終わらない。

 クリスにはまだ、クリスだけにしか出来ない、放棄してはいけない問題が残っているのだ。

 エリオットが神と敵対するというのならば、絶対不可欠の力。

 その神と対等に渡り合えるのは『女神』の力だということを、ビフレストや精霊達の力関係が示している。

 そのことを思い出し、閉鎖された空間に拘束されて鬱になっていた気持ちなど一気に吹っ飛んで城への疑惑が確信へと変わり、


「おなか……空きました……」


 ぐぅ、とクリスの腹の虫が鳴いた。


「……食べれば」

「そうします」


 錠の外れた手首を撫でながら、クリスは床に置かれたプレートに近寄ってその上のコッペパンを頬張る。


「あの……子供」


 先程の詳細を聞きたいのだろう、ヨシュアはその薄く青い瞳でクリスの目をしっかりと見据えた。

 口に含んだコッペパンをミルクで流し込むと少女は説明をする。


「多分ですけど、私の両親の仇で……人間では無い、敵だと思います。すみませんが詳しいことまでは分からないんです」

「そう……」


 ヨシュアはそれだけ言うと難しい顔をして、ビフレストが去って行った通路に視線を流し佇む。

 クリスを見張らねばならないはずの彼は深い溜め息の後に、その足を視線の先へ向けた。


「どこか行くんですか?」

「交代して……報告、する」


 あのような出来事があったのだから誰かに報告するのも頷ける。

 誰に報告するのかまでは分からないが。

 ヨシュアが去って行った後にすぐ来たガウェインは、プレートの上の食べ物が無くなっていることに気がついてその色黒の顔を綻ばせた。


「クリスさんは食べてなんぼだ!」

「ど、どうも」


 しかしコレだけでは全くクリスの胃袋は満たされないのだが、そんなことは言えないので我慢をする。


「ガウェイン……誰に私を拘束するよう言われたか、言えませんか?」

「えっ? あー……分からないんだ、俺たちに直接言って来たのは軍曹だけど、軍曹も良く分からなかったっぽい」

「そうですか」


 彼の答えを聞いてクリスは一人悩む。

 やはり城には何かがあるのだ。

 あのビフレストは一体何をしたくてここに来たのだろうか。

 クリスを拘束させたのもきっと大元はあの少年のはずである。

 しかし少年はこの城でそのような立場に居るとは考え難い。

 となると誰かの背後にあのビフレストが居ることになるのだが、クリスにはそれが誰だか分からなかった。


「エリオットさんの両親……」


 もしエリオットの「親への復讐」がビフレスト絡みだったのなら、彼の体のことなどを含めて全て辻褄が合ってしまう。

 しかしそれは……あまりにも惨い真実だとクリスは感じた。

 いや、だからこそ彼はこの城を離れたのかも知れない。

 この状況と自分の境遇を悲観している場合などではなかった。

 今すぐにでも動きたいが、自分が今動いてはガウェインとヨシュアがどうなるか分からなくて、クリスの動きを鈍らせる。

 指輪の無くなった右手で顔半分を覆い、何のひらめきも湧かない頭を嘆いた。

 そこへ響く、ガウェインの声。


「出ていいよ」


 その一言に込められた意味。

 クリスは顔を上げて彼の瞳と目を合わせる。


「でもっ」

「やっぱり何か変だこの状況。それに……目の前で死なれたら一生後悔するし、だったら自分が正しいと思う選択肢を選びたい」

「ガウェイン……」

「もし解雇だけで済まなかったら、その時はクリスさんが助けてくれるよなっ」


 そう言って彼はニカッと屈託無い笑顔を向けた。

 半分は無理をしている。

 彼の好意に甘えていいものか少し悩んだが、クリスは意を決してレヴァを手に取った。


「ありがとう、ございます!」


 そう伝えて鉄格子に向かって剣を振るうと、容易く斬れる格子。

 ゴトゴトと落ちた鉄格子の棒っ切れに少しだけ視線を動かし、それらが抜け落ちた部分から少女は牢の外に出る。

 解放されたことによって一気に高揚する気分。

 とりあえず先程のビフレストを追って倒してしまえば解決するのではないか、と安直過ぎる考えに行き着き、それを実行しようと走り出した。

 が、急に地響きがしたかと思うと、地上が一気に騒がしくなる。


「何だ!?」


 地下の天井がぽろぽろと崩れるように砂をクリス達に落としてきた。

 天井全てが崩れるほどでは無かったが、かなりの衝撃が上であったのだと思われる。

 クリスはガウェインと共に城内の一階まで階段を駆け上がり、事態を飲み込もうと周囲を見渡した。

 牢から出ているクリスのことなどお構い無しに従者達が、大きな音のする方向から逃げている。

 走り惑う皆の顔は蒼白、どれだけ恐ろしい物を見たのかと心配になるくらいに。

 そこへ一際大きな音がこれでもかというくらい響く。


「オオオオオオオォォォ!!」


 クリス達には聞き覚えのある咆哮。

 これは……


「りゅ、竜?」

「みたいですね……」


 要求に応じなかったから城が戦争への準備を完了させる前に早速攻めて来たとでもいうのか。

 仮にも国との戦争にも関わらず姑息で卑怯なその不意打ちに、クリスは何となくエリオットを思い出していた。

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