マドリガーレ ~交錯する思い~ Ⅱ
とりあえず今日のところは鳥人姉弟は帰って行った。
正直長旅……というほど長旅では無かったけれど酷く疲れて、早く寝たいのがクリスの本音である。
気付けば時間はもう夜で、軽く食事を済ませた後にお風呂、歯磨き、とやることをきちんとやって電気を消してはベッドにもぐった良い子なクリス。
就寝時間もとっても良い子だ。
布団を被りながら一日を思い返していると、ふと、一つの映像が少女の脳裏に留まった。
フォウは裸を見るのも見られるのも恥ずかしがる純粋な青年だとばかり思っていたクリスだったが、今日見た彼はレフトの胸をがっつりと見ていた。
やはり大きな胸は恥ずかしくても見たいものなのかも知れない。
何だか腹が立つ、と思ったところで一つの結論に行き着く。
彼はムッツリスケベというカテゴリに入るのだ、と。
恥ずかしいから興味が無いフリをしているくせに、さり気なく見ているのだ、今日のレフトの胸みたいに。
エリオットみたいに分かりやすければまだ対処のしようがあるが、ムッツリとはある意味何と危険なのだろう。
当面の自分の任務はレフトを守ることだ、と寝る前特有のどうでもいい思考を張り巡らせていたところで、クリスはようやく眠くなってきた。
しかし、気持ちよく微睡みかけていたところに突然ノックの音が響く。
「んな……誰ですか……」
「あ、ごめん。もう寝てた? 早いね」
「ムッツリスケベの声がする!!」
「何をいきなり!?」
廊下で絶叫が聞こえたのでクリスは仕方なくベッドから這いずり出てドアを開けた。
そこに立っているのは予想通りストライプのパジャマを着ているムッツリスケベであったが、手にはプレート。
その上には湯気が立っている鶏団子のスープが二杯。
「あ、夕食少なかったから小腹が空いただろうってレフトさんが作ってくれたんだけど……」
「けど?」
「俺を見る目と色が凄く濁ってるのは、どうして?」
ムッツリスケベだと気付いた以上、クリスの中ではエリオットと同等くらいに見る目が下がっているからだろう。
でも何となくそれを口にする気になれないクリスは黙ってジト目で彼を見る。
「凄く視線が痛い……」
全身でその心苦しさを表現する彼だったが、そんなことで騙されるものか、とクリスは強気に出た。
「そう思ったらスープだけ置いてさっさと去ったらどうです?」
「何か凄い理不尽ッ!!」
と、叫びつつも彼は何故か部屋に足を踏み入れる。
彼が入ると部屋の中は一気に美味しそうな匂いで充満した。
クリスの視線は思わずスープに向いてしまうが、その誘惑に何とか耐えながらフォウを部屋から押し出そうと頑張る。
「ど、どうして入って来るんですか!」
「どう見たって食べたいって顔してるくせに! ついでにマジメな話もあるんだよ。部屋に人を入れたくないなら俺の部屋にする?」
クリスに押されてこぼれそうなスープを死守しつつ、彼は話を続けた。
でも、
「もっと嫌です!!」
「何でー!?」
敵地に赴くわけが無いのだ。
彼はクリスの感情は見えていてもその理由までは見えていない。
彼女の気迫に負けて肩を落とし、しょんぼりと項垂れながら言った。
「……急にどうしたのさ」
そんな彼の表情はとても悲しげで、むしろクリスがフォウに悪いことをしているような構図だ。
理由も言わずに拒否するのは酷かったかも知れないと少しだけ反省したクリスは、彼の手からプレートを受け取りテーブルに置いてからぼそりと呟く。
「フォウさん……昼間いやらしい目でレフトさんの胸をじーっと見てたでしょう」
「!!」
指摘を受けてビクリと肩を震わせるフォウ。
やはりあの視線はそういうモノだったのだ。
「ライトさんは女性をああいう目で見ません。エリオットさんは見ます。これがどういうことか分かりますか?」
「……えーと」
「フォウさんは爽やか青年ぶっておきながら実はエリオットさんと同類だってことなんですよ!!」
ズガシャーン!! とフォウの背景で稲光が光ったような錯覚が見えたような見えないような。
「そ、そんな……あんなのと同類だなんて……」
相当ショックらしく、よろめきながらドア近くの壁に手をつくフォウ。
ライトも以前クリスがエリオットと同類と言った時に即否定していたくらいだから、男性としてアレと同一視されるのは屈辱なのだろう。
「何がキツイって、クリスがそれを心の底から言っているって分かるのが一番キツイ……」
「当然です。良かったじゃないですか、今ライトさん以上に貴方を意識していますよ私」
女の敵として。
「違うッ! 俺が求めていたのはそんなのじゃナイッ!!」
首をぶんぶん横に振って我侭を言う四つ目の青年。
青褐の髪をやや乱しながら、その髪と同じ色の瞳を潤ませて彼は言う。
「クリス、その汚名だけはそそがないと気が済まないよ俺。そっ、そりゃあ目がいっちゃったけどさ、それだけでアレと同類だなんてあんまりじゃない?」
「でも、ライトさんはあんないやらしい目をしないです。キスされた時だって、その、真剣でしたし」
「か、顔に出ないって何て得なんだ……ってキス!? 聞き間違いだよね!?」
比較しようとしてつい口が滑ってしまったクリスは、ハッとして口元を押さえつつ誤魔化す。
「い、言い間違えました。スキと言われた時、です……」
「……クリスはそんな嘘吐く子じゃ無かったよ」
「はぐぅ」
責めていたはずが何で責められ始めているのだろう、と疑問が浮かぶクリス。
大体において別にフォウに知られたところでいちいち嘘を吐く必要など無いのに、どうして自分は今この場でそんな嘘を吐いたのか。
しかもすぐにバレるというのに。
クリスは自分の行動理由が分からずに首を傾げる。
「…………」
そしてしばし沈黙した後、とりあえず気持ちを落ち着かせようと深呼吸し、現実逃避するかのように椅子に座ってスープの器に口をつけた。
少し冷めてしまっていたが、それでも香粉の風味がほんわり香る。
「美味しいです、フォウさんも早く飲んだほうがいいですよ」
「いやいや、不自然過ぎるからねソレ!?」
ツッコミ疲れた様子のフォウは、はぁ、と溜め息を吐きながらももう一つの椅子に腰掛けて仕切り直すように口を開いた。
「話が進まないからいいや……とにかく、王子様みたいに取って食ったりしないからそういう警戒はしなくていいよ」
「何を取って食べるんですか?」
「あ、ごめん。スルーして、うん」
ソッチの話が通じないクリスに対し、説明を拒否して言葉を無かったことにするフォウ。
その態度に、穏やかとは言えない心境になったクリスだが時間も時間で、話もあるようなのでそこは黙って彼の希望通りスルーすることにした。
そのような反応を確認した後、彼は話を切り出す。
「王子様と戦う気なの?」
「えっ?」
フォウがしかめっ面で発した言葉は、クリスが全く考えてもいない内容。
勿論一言聞き返すだけしかクリスには出来ない。
「だってそうでしょ? どう説得しようとしたかは知らないけれど、言ってもダメだったんだから今度は実力行使になるよね」
「あ……」
「皆はセオリー達のことで頭がいっぱいだったみたいだけどさ、俺としてはそっちがどうにもならなければ無理だと思うんだ」
話にほとんど参加せずに居た分、冷静に聞くことが出来たからだろうか。
途中から抜け落ちていた部分を埋めるように彼が言う。
「気絶させてでも連れてくる? そしたら彼はきっと今度は一人でその復讐を成そうとするかも知れないね。何をするか分からないからずーっと誰かが見張るのかな」
フォウは淡々とそれらの言葉をクリスの頭に置いていく。
クリス達と違って彼はエリオットにそこまでの親しい感情は無いからかも知れないが、あくまで客観的に物事の先を捉えていた。
半分は自分の意思で寝返っているエリオットを無理やり連れ戻すということは、そういうことなのである。
反論する言葉など出てくるわけもなく、クリスはただ口を噤むしかない。
フォウの顔を見ることも……出来なかった。
「皆は一体、誰の為に、何をしたいんだろうね?」
それはクリスの心に深く突き刺さる。
「一人で突っ走っちゃった王子様もだけどさ……皆も随分と自分勝手だよ」
正論とはこんなにも胸をズタズタに切り刻むものなのか。
彼の指摘に、目の前の視界が歪んでいくのが分かった。
フォウが言っている意味、言いたいことを考えながら、クリスはじっと白い床を見つめる。
病院の一室であるここは家具を除けば全てが白い。
今のクリスの心境のせいもあるのだろうが、急に自分がこの中でただ一人汚れているように思えてしまう。
いつも何だかんだで優しいフォウの視線が、そうでは無い、厳しいものとなってクリスに降り注ぐ。
「勝手、でした……」
ようやく絞り出した言葉は、彼の言葉を肯定するもの。
でも、
「別に勝手でもいいんだけどさ」
「って、ええぇ?」
クリスが彼の意見を一旦受け入れたにも関わらず、フォウは自分自身でそれを即ひっくり返すようなことを言い放った。
思わず気が抜けて腑抜けた声をあげてしまったクリスに、彼はその意図を説明する。
「履き違えてちゃダメってこと。今回の王子様を例に出してあげようか。王子様はクリスのことで脅されて、半分は自由がきかない。けれどクリスはそんな風に守られて、嬉しい?」
「そりゃあ、嬉しくないです」
「じゃあクリスは、守られるんじゃなければどうして欲しい? それこそがクリスの為、だよね」
「どう、ですか? 難しいですね……」
自分はあの時、エリオットにどうして欲しかったのだろう。
どうして貰えば嬉しかったのか。
彼がしようとしていた決断は、クリスにとって凄く気持ちが分かるもので、クリスもきっと彼と同じ決断をするだろう。
どうやって言って止めたらいいのか分からず、ただ、悲しかった。
でも、悲しかったということは自分はそれを求めてなどいなかったはずである。
「難しく考える必要、無いんじゃない?」
「う、そうですね……えっと、守らなくていいから戻ってきて欲しかったです」
戻ってきて欲しかったから探しに行った。
そう、これしか無い。
クリスの出した答えにフォウは大きく頷いて、少しだけその顔をいつもの優しい表情に戻した。
「そうだね。皆きっと戻ってきて欲しいから相談してたんだよね。じゃあ……それは何故?」
「何故ってそんなの、凄く大変なことになってますし、心配だってしてるんですから……」
「ぶー!」
急に口を尖らせてダメ出しをするフォウに、思わずビクつくクリス。
彼は彼女の鼻先にビシィッと右手の人差し指を突きつけて、しっかりと相手を見据えながら言う。
「今度王子様に会う時までに正しい答えを見つけておくんだ。でないとどうせまた同じことの繰り返し。クリスの願いは、叶わない」
「そっ、それは視えているんですか?」
少しだけ後ろに体を下げながら彼に聞いた。
すると彼はさらりと、
「いや、視えている先の色は相変わらず不安定でどっちだか分からない。けれどこんなの目が無くたって分かるよ」
「推理、ってことです?」
「そうだね。あれだけ捻くれてる人を相手にするんだから、クリスが理由を履き違えてちゃ向き合えるわけが無いのさ」
あれだけ捻くれてる人。
こんなところでそんな風に言われている王子のことを考えたら少し笑えてきてしまう。
ふっと緩ませたクリスの顔を、フォウはただじっと見つめている。
ちょっとくすぐったい気分になったクリスはそれを誤魔化すように咳払いをして、顔の緩みを元に戻した。
彼はとっくに冷めてしまったテーブルの上のスープを一気に飲み干して、最後に鶏団子を食べる。
きっと彼の言いたいことはこれで終わったのだろうと感じた。
「正しい答え……」
「そ。俺がまだ応援する気力のあるうちに自分で気付いて欲しいかな」
「うーん、教えて貰っちゃだめですか?」
そう、事態が事態なのだから、まるでお勉強のように答えを見つけ出させる時間なんてあまり無いとクリスは思う。
しかしフォウはそんな甘えた発言が気に食わなかったのか、顔を引きつらせてしまった。
「だ、だめですか……」
「だめだね……それじゃ意味が無くなるから」
クリスが我侭なのか、フォウがケチなのか。
心配だから戻ってきて欲しい、のどこが間違っているのだろう。
これ以上考えても正直なところ正しい答えだなんて自分一人で導き出せそうに無い。
そんなクリスの悩みに上から被せるように、彼は全然関係の無いことを呟く。
「俺は素直なクリスが好きだなぁ」
「ちょっと黙ってください。私は今、貴方が答えを教えてくれないせいで一生懸命悩んでいるところなんですから」
「クリスって毒舌もかなりの確率で本音だよね……」
素直なクリスが好きと言っておいて、クリスの素直な気持ちを受け止めながら半泣きになるフォウだった。
と、いうことは……と考えてクリスが出した結論は、
「嬉し泣きですか?」
「どうしてそうなるのかな!!」
相変わらず明後日の方向に向かっていた。
その後フォウは自分の食器だけ持って去って行き、彼が来る前と変わったことと言えば、完全に冷えてしまったスープくらい。
それでもきちんと食べ終えてから歯磨きをし直してクリスは今度こそ就寝した。
朝、目が覚めてもいつも通り。
エリオットがあんなことになっていても、フォウに何を言われても、ここでこうしている今のクリスの生活は何も変わりはしないのである。
そんな変わらない日常に違和感を覚えながらも朝食を食べにダイニングルームへ向かったが、今朝のその場所はいつもと違っていた。
「あれ、まだライトさんとフォウさん、寝てるんですか?」
「多分起きてきませんわ~」
テーブルの上に用意されているのも二人分の朝食だけ。
代わりに水と冷やされている梅雑炊が二つずつ、テーブルではなくプレートの上に別に用意されてレフトが持っている。
「これをお兄様の部屋に届けて貰っても良いでしょうか~」
「分かりました」
ダイニングルームに来られないからわざわざ届ける?
具合でも悪いのだろうか、不思議に思いながらもクリスはそれを届けにライトの部屋へ向かい、ドアをノックする。
「起きてますかー? 開けますよー」
返事はいつも通り無いので、気にせずにドアを開けるとそこには、
「うぶわっ」
酒の臭いが充満していた。
部屋にはいくつもの瓶が転がっている。
ライトの部屋とは思えないほどの物が散乱している床を掻き分けながら、彼の部屋のテーブルにプレートを置いて、クリスは部屋に入った時から気になっていた床に落ちている大きめのタオルの下の固まりを恐る恐る確認する。
タオルを捲って見るとまるで死体のようにライトが倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
ゆさゆさ揺すってみるとその動きで彼は呻くような反応を示すが、どうやら気分が悪いらしく、揺らしていたクリスの手をガッと掴んで、
「ゆ、ら、す……な」
「あ、ごめんなさい」
何故床に倒れているのだろうか、彼は。
そして、床にライトが居るのならば、ベッドの毛布の中身は何なのだろうか。
そちらもまるで人が入っているように少し膨らんでいる。
ライトをそっとまた床に寝かせて、クリスは疑問を解消すべくベッドの毛布も捲って見た。
半分くらいは予想通りだったのだが、こちらから顔を出したのはフォウ。
フォウは酒瓶を抱き抱えながら気持ち良さそうにライトのベッドを占領している。
ちなみに肩あたりまでしかクリスは見ていないが、どうも上半身は裸であるように見えた。
昨晩着ていたはずのストライプのパジャマが、無い。
とりあえずフォウに再度毛布を被せてライトに向き直ると、彼はどうにか体を半分だけ起こして眼鏡を掛け直し、テーブルの水を取ろうと手を伸ばしているところだった。
「その体勢で無理して取ったらこぼれますよ!」
慌ててクリスはライトに近寄って、代わりに水を取って渡してやる。
受け取られたコップの水はすぐに空となって、少しだけ目の焦点が合ってくるライト。
「随分はっちゃけたんですね……」
この状況を総合した結論を述べてみると、ライトはまだ辛そうな表情で頭を押さえながらそれでも答えた。
「俺は少し付き合うだけのつもりだったんだ……もう二度とソイツとは飲まん……」
彼の言い分が正しいならばフォウがこの惨状の原因なのだろう。
クリスは納得して、ライトがよろめきながら椅子に座ろうとするのを支えて手伝う。
彼はまだ雑炊には手をつけず、代わりに煙草を探そうとしているようで、シャツやズボンのポケットをもぞもぞしている。
「…………」
「無いんですね、煙草?」
きっとこの部屋のどこかにあるのだろうが、何をどうしたのか分からないが部屋の荷物は投げ散らかしたかのように散乱していて探すのも一苦労と思われた。
仕方が無いのでクリスが床をもそもそと探してあげていると、煙草ではなく別の物が見つかって少女は眉を寄せる。
チェック柄の薄い布で出来たソレは多分、
「そこで寝てる馬鹿の頭にでも被せておけ」
「パンツを頭に、ですか?」
どうやらフォウは全裸でベッドに潜っていたらしい。
一体どれだけ酒癖が悪いのだ、とげんなりしながらクリスはライトの言う通りに頭に被せる。
それでも起きないフォウは、とてもそんなことをしていたとは思えない無邪気な寝顔だった。
「……明け方までずっと愚痴を聞かされていたんだ」
「愚痴?」
「とにかくソイツも最近はストレスが溜まっていたってことだ。発散する先に俺を選ぶとはいい度胸をしている」
ようやく見つけた煙草とマッチをクリスが手渡すと、すぐに火をつけて吹かし始めたライト。
明らかに二日酔いに見受けられる彼は、普段から目つきが悪いというのにそれが更に悪くなっていた。
「ストレス……」
自分がいっぱい迷惑を掛けてしまったからなのか、それとも他に何かあるのか。
クリスにはよく分からないけれどつい先日までこちらの件に巻き込まれて監禁されていたくらいなのだ、心労があったのかも知れない。
そんな彼に追い討ちをかけるように昨晩は暴言を吐いてしまっていたな、と何となく後ろめたさを感じてクリスは彼に視線をやった。
すやすやと寝ている彼を申し訳なく見ていると、ふとその肩から背中にかけてあるものに気がついた。
「あ、これって」
「フォウの天然の紋様だな」
少し肌蹴た毛布の隙間から見えたのは、その背にある見たことの無い形の魔術紋様。
確かにデザインは目を表しているように見えなくもない。
「……これで彼は色んなものを視ているんですね」
少し不気味で吸い込まれてしまいそうな楕円と、その周囲に広がる不規則な線。
彫られた紋様ではなく、まるで痣のように体に浮き出ている……これが天然のものなのか、と思わず息を飲んだ。
「その力が欲しいか? だがその紋様を俺やお前に彫ったところで何の効力も生み出さない。いくつかの説はあるが……天然の魔術紋様は、持ち主の体自体が紋様の一部となっているから、その見えている紋様だけを写したところで意味を成さないと言う説が一番有力だ」
「体も紋様の一部……」
何故か凄くクリスの心に残る言葉だった。
紋様の形にも意味があり、そしてそれを持つ体にも意味がある。
クリスにこの世界と神やその使いを滅ぼすと言う存在理由があるように、彼にも意味が、存在理由があるように少女には聞こえたのだ。
「ちなみに俺の場合は右腕にある。勿論、形も全然違う」
「そうなんですか……」
この気持ちは何なのだろう、とクリスは思う。
嬉しいに近いけれど少し違う。
自分が特異な存在であると同様に、彼のその特異な部分を見て仲間意識のようなものを感じたのかも知れない。
不思議と胸に残る何かが、クリスの手をそのまま彼の魔術紋様へと伸ばさせた。
「ッ!?」
クリスが魔術紋様に触れた途端にフォウは突然ガバッと起き上がる。
そして勢い良く振り返ってはクリスとパッチリ目が合うが、その顔は随分驚いているようでしかも彼の体には一気に鳥肌が立っていた。
多分触られたのが気持ち悪くて起きたのだろう。
クリスは起こす手間が省けた、とプラスに考えることにする。
「おはようございます、雑炊があるんで早く食べちゃってください」
思考が追いついていないと思われるフォウは、三つの目を丸くしたまま違和感がしているはずの頭に手をやり、その違和感の元である布を掴んで取った。
そして違和感の正体をその目で把握するなり、
「おぁぁぁ……」
口から声を洩らし始め、みるみるうちに顔を赤くさせていく。
一瞬にして茹蛸が出来上がったところで、彼は毛布を被って以前のように団子虫になってしまった。
「ちょ、ちょっと……」
「要するに恥ずかしがってるだけだから、部屋を出てってやれ」
「なるほど、了解です」
フォウの照れ屋っぷりは先日把握したこともあってすぐに状況が飲み込めたクリスは、ライトの言うことに素直に従って部屋を出る。
そしてダイニングルームに戻って自身の朝食を食べたのだが、こちらも流石にもう冷めていたのだった。
【第二部第十三章 マドリガーレ ~交錯する思い~ 完】