離別 ~相容れぬ二人~ Ⅲ
それはつまり、セオリー達の仲間になれ、と。
しかもそこに『俺』が入っていたので間違いなくエリオットも既に彼らの仲間だ、と。
クリスは気が遠くなるのを感じた。
レクチェにあんなことをしていた連中の仲間に、彼は成り下がっているということになる。
とてもではないが、クリスにはそんな誘いに応じることなど出来ない。
そもそも、仲間になっているというならばエリオットはレクチェと違って実験体として居るわけでは無いのか。
彼のその発言はクリスの頭に疑問をぽこぽこ置いてくれた。
「な、仲間って……何をする気なんですか?」
そう、まずは人に素直に従うとは思えないエリオットが彼らに寝返った理由を聞かねばならない。
「簡単に言えば、俺をオモチャにしてくれた奴への復讐、だな」
「復讐? オモチャってのがよく分かりませんけれど、そんなものは何も生みませんよ」
クリスだって復讐したい相手がいないわけではないが、それをしたところで何も……姉は戻ってこないのだ。
復讐ほど無意味な行動は無い、とクリスは思う。
だがエリオットは続けた。
「復讐じゃちょっと違うか。そうだな……それが現在進行形で行われているとしたら?」
「今も……ですか?」
端的な情報しか与えられていないクリスにはいまいち飲み込めないが、言いたいことは何となく分かった。
ガイアも心配だが、エリオットを連れ帰るという目的を遂行するならまず彼の訴えを聞かなければいけない。
クリスは剣を下ろし鞘へ収め、エリオットの話をしっかりと聞く。
真剣な態度で向き直る少女に、王子は少しほっとし、和らいだ目を向けた。
「あぁ、今もだ。……ところでずっと突っ込みたかったんだが先にそっちを言っていいか?」
「え?」
この状況で何か話を逸らすような事柄があっただろうか。
クリスが首を傾げて上目遣いに彼を見ると、スタスタと近寄ってきた彼の手は彼女の頭に伸びてヘアバンドを外す。
「お前何で猫耳つけてるんだ?」
「うぐはっ」
そう言えばこの少女にはそんな物もついていた。
クリスは急に恥ずかしくなってきて顔をエリオットから背け、事情を説明した。
「私、東では若干有名だから、と変装させられたんです」
「聖職者風の猫耳少年が実はつるぺた天使の少女です、とか萌え要素が詰まりすぎてて逆に萌えねーよ」
「ええっ? そりゃ燃えませんよ」
「……伝わらない気がするからこれ以上は言わん」
とりあえず少年という単語は把握出来たので、また馬鹿にされたとクリスは思う。
クリスがじと目で睨んでやると、見つめあう状況に顔が熱くなってしまったエリオットは、手に持った猫耳のヘアバンドをもてあそびながら話を元に戻した。
「勿論セオリーは殺したいほど憎い。何であんな連中の仲間にって思うかも知れないけれど、その前に高みの見物をしている存在が居るんだ。まずはそっちを叩こうと思ってな」
「高みの見物……」
誰のことだろうか。
エリオットをそのように扱う存在などクリスには心当たりが無い。
少し俯いて悩みつつ、その先を言ってもらえるのかと待っていると、彼の右手がぽんと頭に置かれた。
「俺に……レクチェみたいな嫌悪感は感じるか?」
「ほぇ? いや、大丈夫ですけど……」
「良かった」
そう言って彼は手を下ろす。
「あっ」
そこでクリスもようやく気付く。
先程の魔力の光の使い方といい、エリオットのこの言動といい、やはり彼はビフレストになっているに違いない、と。
けれどレクチェと違って不快感がしないということは、同じようでどこかが違うものなのかも知れない。
そしてクリスはルフィーナから聞いた言葉を思い出す。
セオリーとその仲間がどうやって人為らざる存在になってしまったか、を。
想像出来たエリオットの当面の敵を、クリスは恐る恐る口にした。
「まさか神様に、楯突こう……と?」
「神と呼ぶ気は無いが、正解だ。あとうちの親にもだな」
「お、親ぁ?」
だからあのような手紙を残してセオリー達に手を貸すことにしたのか。
更に、わざわざ手を組むということは、セオリー達は神に楯突こうとしているのか。
ルフィーナに聞いた時は微妙に違った気がするのだが、随分昔のことのためクリスは正確に思い出せない。
しかも頑なにその存在を信じようとしていなかった彼が、それを信じて牙を剥こうだなんて一体何があったのか。
「エリオットさん、ちょっとついていけなくなってきました……」
「む、すまん。お前の頭じゃ分かりにくかったか」
「どう考えても貴方の言っていることが突拍子も無さ過ぎるだけでしょう! 失礼ですね!」
ガーッと捲くし立てるようにクリスが叫ぶと、エリオットは話の内容など関係無しにとても嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ているとこの人は事態を本当に分かっているのか、と少女は心配になってくる。
彼のその表情は決して不愉快なものでは無いはずなのに、流れて行ってしまったガイアのこともあって若干の焦りを覚え始めていた。
「と、とりあえず神様を倒そうとしているのは分かりましたけど、ガイアさんも心配ですし、お城も駆け落ち疑惑のせいで大変なことになってるんですから一旦戻りましょうよ!」
クリスは彼の手を取って帰還を促す。
が、エリオットはそこから動こうとしないし引っ張っても動かせない。
「無理だ、それは出来ない」
先程までの笑顔を少し悲しそうなものにして、静かに告げる彼。
「どうしてですか? 別にセオリー達と組むにしても一緒にずっと居る必要は無いでしょう。王様達にも不満があるみたいですけど、別にそれだってお城に戻って直接言えばいいじゃないですか」
「……これでも俺は脅されてここに来ているんだ。一応組んではいるが不本意な要求もされていて、それに従う為には帰れない」
「!!」
やはりエリオットは好きでここに居るわけでは無いのだ。
クリスは落ち込みを吹き飛ばすその言葉に、握っていた手の力を強めて言う。
「何て脅されたんです!? それさえ無ければ帰ることが出来るなら、私が何とかしますから!!」
「そっ、それは……」
何故そこで言葉を濁すのか分からない。
じれったい彼の態度にもう面倒臭くなってきて再度ぐぐぐぐっと彼の手を引っ張る。
しかしエリオットもそれに負けじと引っ張って、埒が明かなかった。
今のクリスの腕力では、男性には力負けしてしまう。
「早く言ってくださいいいいい!!」
「言えるかああああ!!」
何でそんな頑なに口を閉ざすのだろうこの人は。
言うに言えないほど恥ずかしい何かがあるとでもいうのか。
「……あっ分かりました!」
「え?」
「裸の写真を撮られてしまったんですね!?」
そう、あの時クラッサがエリオットをとんでもないことに誘ったのは、この為だったのだ!!
と、明々後日の方向に向かうクリスの思考と想像。
「俺がそんなの恥ずかしがるかよ!!」
勿論、エリオットは握っていた手をべしぃっ! と振り払って全力で反論した。
一般的な女性やフォウならまだしも、下品を地でいく彼がそんな脅しに屈するわけが無い。
自分で言っておいて何だが、これは浅はかな考えだったと思うクリス。
では、何が?
いやもうそんなことどうでもいい。
クリスは振り払われた手をさすりながら、しっかりとエリオットに向き直って出来る限り優しい顔で言った。
「大丈夫です、どんな恥ずかしいエリオットさんでも今更ですから気にしませんよ?」
婚前に性交渉を行っていたなどというとんでもなく恥知らずなことをしている彼に、それ以上の恥などあるとは思えない。
それならば、全てを受け止め切れる自信が自分にはある。
そう思って言ったクリスだが、
「お前なぁ、別に俺は自分が恥ずかしくて言わないわけじゃ無いんだぜ……」
当たり前のことながら、彼の返答はクリスの想像とは違うものだった。
「ち、違うんですか?」
「あぁ、聞いたら気に病むと思ったから言わなかっただけだ」
どこまで鈍感なのだろう、と自分に少し落ち込みつつもクリスはエリオットに目をやる。
すると彼はその表情を疲れたようにだらしなく歪めて口を開いた。
「そこまで言うならもう言うっつの……お前にまたチェンジリングをかける、と言われたんだ。チェンジリングを解除するアイテムはあの時ほとんど壊れているから、次かけられたらもう解けないだろう」
「な、なるほど……でもそれなら私が捕まらなければいいだけじゃありませんか?」
気に病むまでも無い、すぐ解決出来そうな問題なのだから。
少女はさらっとそう答えたが、それでも彼は渋い顔をして首を横に振る。
「今ならお前もクラッサを警戒しているから簡単に捕まらないとは思うけどよ。セオリーくらいの手強い奴がもう一人いる、って言ったらどうする?」
アレがもう一人。
言葉の意味が頭に入ってくると同時に目眩を感じ、ただ呆然とした。
「さっきの戦闘を見ていると二対一ならいけそうだったが、二対二じゃ無理に見えたぜ。そこに更に増えられたらどうするんだお前」
「って、こと、は……」
今エリオットの足枷になっているのはクリスで、だから彼は逃げられないと。
それでは今城が大変なことになっていて、レイアが責任追及されたりていて、そんな非常事態の原因も元をただせばクリスということになり……
「だから言いたくなかったんだよっ」
青褪めているクリスの顔色を見て、彼は呆れているような怒っているような、どちらとも言い難い剣幕で叫んだ。
クリスは困惑しつつも急いで思考を切り替えようとする。
彼の言う通りならば自分が彼の重荷になり、それが自分の心の重石になっている状態だ。
だったら、ある意味話は早いのではないか。
「私のことは気にしないでください……またあの体に戻るだけなんですから……」
あの体は人には嫌われるけれど、独りで居る分には都合が良い体だったと少女は思う。
力も強いし、まるで鋼のように頑丈だった。
悪いことばかりではなかった。
慣れているあの体に戻るだけならば別にいいではないか。
それよりもエリオットが今この時期に城から居なくなることのほうがずっと大変なことだ。
クリスの体はクリス一人のものだが、エリオットの体は彼一人のものではない。
重荷も、重石も、この選択肢を取るだけですぐ下ろせる。
なのに彼はそれを否定した。
「簡単に言うけどな、あの先どうなるか分からなかっただろう? だんだん力が制御出来なくなる、とかまるでそのうちお前の体が精霊に乗っ取られちまいそうな流れじゃねーか」
「その時はその時ですよ、別にいいです……とにかくエリオットさんはすぐにお城に戻らなきゃダメですっ」
彼の黒い上着を掴み揺すって、クリスは訴えかける。
その上着はさっきからずっと霧のような雨を受けてしっとりと湿っていた。
エリオットはクリスの肩に手を置こうとしたものの、照れ臭くなって結局挙動不審気味に引っ込めて少しの間黙る。
が、ふっと顔を上げながら小さく呟いた。
「お前なら、それを出来るのか?」
「私、なら?」
「あぁ」
それは逆の立場で、ということだろうか。
クリスは俯いてゆっくり考えてみようとした、がそんなの考えるまでもなく決まっている。
自分はともかく城のこと、国に降り掛かっている多大な迷惑を考えたら、エリオットにはチェンジリングに掛かって貰うしか無い。
「そんなの……」
決まってるじゃないですか、とクリスは言いたかった。
なのに何で言葉が詰まるのか。
よく分からなくなって、答えを求めるようにクリスは顔を上げる。
その先にあるエリオットの顔は、気付けばクリスを向いていた。
翡翠の瞳には、澄んだ水縹が映っている。
あぁ、思い出せクリス。
お前は昔……大好きだった姉とこの男を天秤にかけた時、どうしたのだ。
たかが出会って数週間の男が死に掛けたくらいで、その時を逃せば無事に救い出せる確証すらなかった、たった一人の大切な肉親を……追わなかったではないか。
今回問いかけられた例よりもあの時のほうが余程自分にとって大事なものだったにもかかわらず、クリスは彼を選んでいる。
言葉が出ない?
出るはずがない。
そんな思ってもいないこと、言えるわけがない。
エリオットの瞳の中に映るクリスは、もう泣き出しそうな顔をしていた。
だんだんそれも見えなくなるくらい、クリスの視界は歪み始めている。
「もう答えなくていい」
エリオットがそう言ってクリスの目元に人差し指を置いて、溜まっていた涙を零させた。
少女はそれに甘えるように目を閉じる。
が、そこで彼は急に彼女を突き放し、
「その反応だけ見られれば充分だ」
即座に銃を抜いたかと思うとクリスの翼を両方一発ずつ撃ち抜いたのだった。
「ッ!?」
痛みに顔を顰めたが彼の不意打ち過ぎる攻撃はそれだけでは終わらず、更にクリスの腹に大きく蹴りを入れて吹っ飛ばす。
そう、川へ。
「当分田舎に引っ込んでろ!」
赤い濁流に体が一瞬飲まれたが、翼のおかげですぐに体は水に浮いた。
けれど撃たれた翼は今まで受けたものとは比べ物にならないくらいクリスの神経をそこへ集中させ、痛みに悶えさせる。
蹴られた腹部も凄く痛い。
これが生身で受ける傷、というもの。
頑丈だった今までのクリスには、無かったもの。
薄れそうになる意識の中で、エリオットの呪文のような言葉がクリスの耳に届いた。
「ハーギュール、アカム……オシュト」
何の言葉だろうか、祈りとも呪いとも取れる聞き慣れない発音。
だがクリスはそう言った彼の顔を見ることが出来ないまま流されていく。
「うぶっ」
浮いてはいるものの口に水が入り戸惑った。
というのもクリスは実は……泳いだことが無い。
出身地に大きな水源地が無いので泳ぐ機会が無かったのである。
濡れた上に撃たれた翼では飛ぶことも出来ず、どうしたらいいのか分からなくてただ岸に着こうとがむしゃらに水を掻いた。
翼も腹も勿論だが、流されながら石に何度も接触して体中が痛い。
でもそれ以上に……酷く、胸の奥が痛かった。
そしてクリスは流されながらフォウの言葉を思い出す。
自分はエリオットの説得に失敗したのだ。
説得出来ない流れでは無かったはずなのに、慎重に進める部分を勘違いしていたことにただ腹が立つ。
どう言えば彼は戻ってきてくれたのだろう?
考えてもクリスには分からなかった。
【第二部第十一章 離別 ~相容れぬ二人~ 完】