奪還せよ ~囚われの王子様~ Ⅲ
「まだ何もしないさ。お前の準備が終わってないだろうからな」
「俺の準備……?」
そこでフィクサーは入ってきた時に持っていた書類のような物をエリオットにバサッと投げ捨てる。
その書類は王子の顔に当たり、とりあえず……彼は前が見えない。
「おっと悪い、手が不自由だったな」
「分かっていてやってるくせに、フィクサー様は本当に性根が腐っておいでですね」
「そういうこと言うのやめようか!?」
クラッサのボケに近い指摘に、叫ぶフィクサー。
どちらが上の立場なのか、エリオットには分からなくなってくる。
はぁ、と溜め息を吐き、フィクサーはそのボケを掘り下げるのをやめて彼女に指示をした。
「仕方ない、椅子にでも座らせてからテーブルに書類を置いて読ませてやってくれ」
「かしこまりました」
言われるがままにクラッサはエリオットを鞭で引くようにして起こさせると、落ちた書類を拾い上げ、傍のシンプルなテーブルと椅子に着席を促す。
クラッサが謎の書類のページをめくっていき、そのスピードに追いつくようエリオットは必死に黙読した。
そこに書かれていたのは、エリオットの魔力の、通常とは異なる質の差の説明と、具体的な単語は書かれていない何かとの適性値。
また、エリオットのことだけではなくエリオットの兄達のそれらのデータも同様に並べられており、適性値に関しては兄弟の中でエリオットだけが群を抜いて高かった。
先日の金髪の少年のビフレストが言っていたことと大体繋がる内容。
多分この適性値は、ビフレストとしての適性なのだろう。
だが、何故それが書類としてここにあるのか。
読み進めていくうちにだんだんと表情が強張ってくるエリオットに、フィクサーは静かに告げた。
「それは城の機密書室に保管されていて、先日ちょっと拝借させて貰った」
何故あそこから盗み出せた、などとエリオットは聞かない。
すぐに思い当たる節があったからだ。
思わずクラッサに振り返って彼女の眼を見た。
彼女はエリオットの視線に気付いてさらっと言う。
「王子のお時間を頂いている間に、こっそりと隣の部屋で仲間に探して貰っていたのです」
その口元に鞭を持っていない方の手の人差し指をそっと当てるクラッサ。
基本表情が硬いその顔を、ほんのりと笑顔に変えて。
フィクサーも笑いを噛み殺すようにしてクラッサに続いた。
「あの部屋ばかりは以前盗みに入った弊害か、セキュリティが厳重になっているからな。転移が出来ても、誰かが鍵を開けて入っている時でないと無事に侵入出来ない。馬鹿が簡単に誘いに乗ってくれて助かったよ」
「うんわぁぁぁ……」
死にたい。
去勢する勇気は無いからせめて殺してくれ。
馬鹿はこの時、心からそう思った。
確かにあの言葉に嘘偽り無く、クラッサはエリオットの「小一時間」が欲しかっただけなのだ。
恥ずかしさで頭を抱えたいが両手は後ろ手に縛られているので、ただその場で俯くことしか出来ないエリオット。
「どちらかと言えば王子はMかと思っていたのですが、意外とSっ気があってあの時は内心驚きました」
「何で今ここでそれを言うんだ!?」
彼女の言動による精神的被害が、今度はエリオットにまで伸びてきた。
頼むからそれは君の上司だけに留めておいてくれ、と彼は願う。
先程まで髪を掴まれたり腹を踏まれたりしていたことなんてどうでもいいくらいショックで頭が痛い。
そんな風にエリオットが身悶えているのを嬉しそうに眺めていたフィクサーが、それも飽きたのか話を進める。
「……それが城にある、ってことはそういうこと。お前の魔力は生まれつきかも知れないが、それは自然なものではなく予め仕組まれていたのさ」
ビフレストの少年が言っていたことが真実味を帯びてきた。
だがエリオットの受け取っていた考えと明らかに合わない点が浮上してきてもいる。
「国によって、仕組まれていたのか……」
てっきりあの少年が神の命令で王族の体をこっそりいじっていたとか、そういう風にエリオットは受け取っていた。
だがそうでは無く、少年以外にも城にいる誰かが繋がって動いていて、しかもそのデータをこうして機密書室に保管させられるような人物が居るということになる。
「首謀者は誰だ?」
「多分王妃だろうな」
出されたくなかった単語に、その息子は唇を噛んだ。
「そう恨んでやるなよ。自分の子供に神に匹敵する力を与えたいって気持ちも分からないでも無いだろ。特にそれが王家のことならば、名実共に大陸を支配出来るしな」
エリオットの表情から察して言葉を紡ぐフィクサーだったが、それに引っかかりを覚えたエリオットは不安を押し隠しながら追求する。
「……この書類にこの力がどういう意味を持つ物なのかまでは書いていなかった。そういう言い方をするということは……」
この男は、少なくともビフレストと接触したことがあるはずだ。
しかも最初の時点で一つ気になっていたことも加えればもはや間違い無い。
エリオットの考えていることに気付いたのだろう、フィクサーは少し渋い顔になって唇を強く結ぶ。
「セオリーは、どこだ……」
そう、精霊武器がここにある時点で、これらを回収したはずのセオリーが彼らの仲間の一人である可能性がかなり大きいとエリオットは考えていた。
敢えてその存在を断言するような呟きに、彼らは答えない。
「クラッサ」
代わりにフィクサーが、何かを促すように部下の名前を呼んだ。
彼女はその言葉に静かに首を振って言う。
「私がこの鞭を離したらコレに縛られている王子が死にますよ。フィクサー様が行って来てください」
「わ、わかった……」
命令を逆に返されて、どもる上司。
様付けしているくらいだからクラッサの方が下のはずなのに、どうしてか上位に立ち切れていない彼を哀れまずにはいられない。
フィクサーは肩を落として部屋を出て行き、エリオットはクラッサと二人っきりになる。
彼女は特に何を話すわけでもなくただ無言で王子を拘束し続けていた。
「君は何故こんなことを……?」
ただ聞きたいだけの意味の無い問いかけ。
答えて貰えるとも思っていなかったエリオットだが、彼女はどうも比較的お喋りなようでさらりと答えてくれる。
「時代がどう動くのか、傍で見届けたいのです」
「そうか」
考古学がとても好きだと言っていた。
きっとあの言葉も嘘ではない。
セオリーがこの一味に居るのだとしたら、この場所はきっと彼女にとって居心地が良いだろう。
何故なら歴史の裏にあったであろう神とやらの存在に近く、そして自分達でまた歴史を紡いでいこうとしている連中なのだから。
何がどう転んでもきっと彼女からすれば興味深いに違いない。
「それと何故君は精霊武器を持てるんだ?」
ついでにもう一つの疑問をぶつけるエリオットに、クラッサはそっとシャツを肌蹴させて胸元を見せる。
不覚にも少しドキリとしてしまう馬鹿男だが、次に目に入ったのはその肌の上に飾られている琥珀のネックレスだった。
「それは……」
どこかで見覚えがある、が思い出せない。
一般人にはとても大きい琥珀とはいえ、エリオットのような身分ではそのような装飾品は腐るほど見ているから区別がつかなかった。
「ブリーシンガの首飾りです。これは女性が身につけることによってその力を発する、精霊を従えさせる為の女神の遺産なのですよ」
ブリーシンガの首飾り。
その単語は先日城で聞いたもの。
クリスのチェンジリングを解除する為の道具の一つで、彼女が「無くても平気だ」と押し通していたアイテムだ。
無くても平気、ではなく……あるから平気、だったのだ。
「精霊はムラのある性格ばかりのようですので、きっと女神も困り果ててこんな物を創ったのでしょうね」
「……そうかも知れないな」
力が抜けた体を椅子の背もたれに預けて、エリオットは放心する。
しばらくして部屋のドアが開き、入ってきたのはエリオットのよく見知った顔の男と、フィクサーだった。
「見たくない顔でしょうと思って見せずに居たのに、呼ばれるとは思いませんでしたよ」
にんまりと笑いながら喋る、長身の男。
ローズを殺した……張本人。
憎くて仕方ないはずなのに、エリオットはそれ以上に自分が憎い。
血が出るくらい歯を食いしばり、王子はその鉄の味を感じていた。
フィクサーは困った顔をしながら頭を掻いて、セオリーにぼやく。
「これから話すことで素直に仲間に迎えられると思ってたんだけど、何故か自分の力の意味を知ってたみたいで先にお前のことがバレちまった」
「仕方ありませんね」
普通過ぎる会話。
クラッサと違って二人の上下関係は、エリオットにはまだ判断出来ない。
それよりも、これからの話で王子が素直に仲間になる、と彼らは言う。
まだ何かあるのか、とエリオットが二人を黙って見据えていると、まず口を開いたのはフィクサー。
「俺達の目的は至って明快、神殺しだ」
それはエリオットがリャーマで少年から話を聞いて以来、一人で決意していた目標とほぼ重なっていた。
息を飲み、その言葉の続きを待つ。
が、
「いや、達と言わないで頂けますか? 私はそんなことどうでもいいので」
「す、すまん、悪かった」
即否定するセオリーにフィクサーが戸惑いながらも謝った。
となるとこの件の中心人物はセオリーでは無くフィクサーであることをエリオットは把握する。
クリスはセオリーの他に首謀者が居ることを知っているが、あの少女はそれをエリオットに伝えていない為、ここでようやく知り得たことだった。
「俺はな、お前とは違った流れで人間じゃなくなった。ちなみにビフレストでも無い」
「そうか……」
エリオットはあの少年から話を聞いた時、セオリーの存在しか知らなかったからセオリーだけをイメージして聞いていた。
だがそれが一人では無かったということ。
「大体の流れは、小さな子供のビフレストから聞いている」
「!」
説明を省いてやろうとエリオットは、確かに仲間に成り得るかも知れない……自分と似た境遇の男に自身の情報を少し話す。
だが彼はそれに随分驚いたようで、その黒い瞳を見開いた。
「アイツ、何を考えている……!」
焦りの色を隠せていないフィクサーは、机に手を付きそこに少し体重を掛けて俯く。
そこへセオリーが、
「未熟な力しか無いとはいえ、あまり放っておかない方がいいかも知れませんね」
と言って軽鎧の下から靡くマントを翻し、部屋のドアへ向かった。
そして部屋から静かに去っていくセオリー。
どういうことだろうか。
確かにビフレストは神の使いかも知れないが、エリオットはこのような反応をされるとは思っていなかった。
エリオットがフィクサーと視線を合わせると、敵意が少し減ったと感じられる目で見ながら彼は話し始める。
「アレはお前がレクチェと呼んでいたビフレストよりもずっと……狡い。どこまでをどう話されたかは知らないがそれだけは知っておけ」
「分かった」
「それと……どこまでこの世の歴史は見終わった?」
「なっ」
何故それを知っている?
一瞬そうも思ったがこの毎晩の夢が何か理由があって誰かに見せられているものだとすれば、この男が知っていてもおかしくない。
問い質すことはせずにエリオットは素直に答えた。
「昨晩見たのは、ソールとマーニ……太陽と月がいつまでも狼から逃げ惑う様子、だな。正直なところ最近は意味が分からないものが多い」
「まだそのあたりか……」
それはまるで夢の内容を全て先に知っているかのような口ぶり。
「っ、この夢は何なんだ!?」
散々悩まされてきた悪夢の正体を、フィクサーは知っている。
そんな気がして思わず勢いよく席を立つ王子。
彼は相手の気迫に負けること無く、堂々と正面から王子を見据え……言った。
「いつから見始めたか考えてみろよ」
「……いつから?」
それは、スプリガンの直後だ。
エリオットはレクチェが死んだせいで彼女の代わりになるべくこんな夢を見続けさせられているのだと思っていたが……
先程までの会話の内容を思い出すと、もう一つ心当たりが浮かんでくる。
「その夢は俺の場合、体を創り変えられた時に一瞬で脳に詰め込まれている。気が狂いそうだったし、実際死ぬようなことは無くとも体は一部異常を来した。お前の兄で一人それによって失敗作となった奴も居たはずだ。大きな異常が無くとも精神が歪んだ奴も居るんじゃなかったか? 今お前が受けているそれを幼い頃に一気にされればきっとそうもなるだろうな」
「兄上達が……」
王族切っての出来損ない二人、と言うとアレだがそのような評判の悪さでエリオットに期待が降り掛かっていた幼い頃。
そしてその扱いの差に嫉妬されてか、エリオットは兄達に酷い目に遭わされてきた記憶しか無い。
しかしそれも実はこれらの弊害によるものなら、エリオットは言葉も出ない。
兄達の心と体が正常であれば、そもそもエリオットに王位が回ってくる話も無かったのだから。
「お前の場合はそんな前例を受けて、なるべく育ってからその改変を受けさせられているはずだ」
「家出をして……城に戻ってきた後、だ」
「実際それをやったのは子供のビフレストだろう。指示したのは王妃と考えるのが自然だ……さぁお前の敵は、誰だ? 俺か?」
敵だと思っていた連中は敵では無かった。
ローズの仇である連中が、皮肉なことに同じ志を持つ者だった。
本当ならば憎いはずなのにその憎しみの対象が別に向いてしまって彼らを憎めない。
「俺もお前は嫌いだけど、しばらく我慢してやるよ」
言葉を失っていたエリオットの体から、クラッサの鞭による拘束は気付けば解けていた。
◇◇◇ ◇◇◇
【第二部第十章 奪還せよ ~囚われの王子様~ 完】