駆け落ち ~進むその先は闇~ Ⅲ
◇◇◇ ◇◇◇
「解放してあげますよ」
某所に軟禁されていたルフィーナとフォウの元へと急にやってきたセオリーは、彼女達が予想していなかった言葉を発する。
驚いた後、まず最初に浮かんだ疑問をフォウが紡いだ。
「それは……必要が無くなったから、だよね?」
そう、二人は知ってはいけないことを知っていて、それを隠す為に軟禁と言う普通なら殺して口封じも有り得るというのにとてもお優しい配慮によってここに閉じ込められている。
それを解放するということはつまり、二人が知っていた事実が洩れたか、でなければ隠す必要が無いくらい事が進んでしまったか、だ。
怪訝な表情を浮かべて問う三つ目の青年に、白緑の髪の男は丸眼鏡の下の赤い瞳をスッと細めて笑って言う。
「えぇ。貴方だけですが、ね」
その視線の先は、フォウ。
「俺だけ……」
「ルフィーナ嬢から情報が洩れてない限り、貴方の持っていた不都合な情報はこうして留めておく必要が無くなりました。ちなみにもしここでルフィーナ嬢から何かを聞いていたとして、それを誰かに話したら……」
「あたし何も言ってないから大丈夫よ」
念の為脅しをかけるセオリーだったが、ルフィーナが途中でそれを切った。
言葉を途中で切られた事に彼は不快になる様子も見せず、
「賢明ですね」
とむしろその内容に好感をもったようである。
感情の起伏は無い、ただ作られているだけの冷たい笑顔で彼は一言言って、フォウに向かった宙に手で円形の陣を描いた。
最後に彼がその描いた円の中央を握り潰すような仕草をすると部屋一面が光に包まれ、青褐の髪の青年の姿は消え去る。
部屋に残ったのは腹違いの兄と妹。
「一応まだ巷にはあの女神の末裔が居ますからお嬢の情報は洩らしたくないのですが、以前も言ったように、喋らないと言うのであればいつでも出て行って構いませんが?」
「ここ居心地いいのよね、養って頂戴」
確かにこの部屋は軟禁するような待遇の部屋では無い。
それはこの部屋を与えた某人が、彼女に気があるからとかそういうわけ……だろう、間違いなく。
だがその居心地の良さでルフィーナはここに居るわけでは無かった。
少なくとも外に居るよりはセオリー達の情報が入ってくるこの場所で、彼女は彼らが何をしているのか確認せずには居られなかったのだ。
近くで見ていないと不安で仕方が無い、と言う方が正しいかも知れない。
その不安はなるべく表に出さないようにし、彼女はあくまで飄々と呟いた。
するとセオリーは何を思ったか、先程までフォウが座っていた椅子を引いて腰掛ける。
「まぁいいでしょう」
ルフィーナはまさか彼がこのまま滞在するとは思っておらず、その行動に眉を顰めた。
「何で座るのよ」
「しばらく私も外に出られないのですよ」
「何よそれ」
「姿を見られては困る、と言ったところでしょうか」
誰に?
ルフィーナは言わずに顔でその疑問を示しセオリーに向ける。
異母兄はその視線を心地良さそうに受けながら、口端を歪めて答えた。
「増えた仲間に、ですかね。私が居ては必要以上に警戒されて手を貸してくださらない恐れがありますので」
「……まさか」
フォウの持っていた情報を聞いていたルフィーナは、彼らがやろうとしていることを多少だが把握して顔を強張らせる。
「本当にあの子が『橋』になれると思っているの?」
神への橋渡しとなる存在、そういう意味を込めて彼らはレクチェをビフレストと呼んだ。
しかし神との唯一の繋がりであるレクチェで出来なかったことを他で代用しようとしても、それではあの子が彼女の二の舞になってしまうだけでは無いか。
そう思うと流石に胸が苦しく感じ、ルフィーナは目の前の男を睨まずには居られない。
けれど彼はルフィーナの言葉にかぶりを振る。
「思っていませんよ」
「じゃあ……」
「お嬢の居ない間に、若干ですが方法をシフトしているのです」
ルフィーナがこの研究に携わらなかった期間は、エルフからすれば短くとも、ヒトからすればとても長い。
その間にやり方を変えたと彼は言う。
「要は、無理にでも引き摺り下ろせばいいのですよ」
目を見開くルフィーナを、セオリーはとても愉快そうに眺めていた。
さて、いきなり飛ばされたルドラの青年は、星屑の砂にまみれながら、強い日差しに目眩を感じていた。
暑さで頭がくらくらし、周囲は見渡す限りが砂。
「……ここ、どこだよおおおおお!!」
あまりの理不尽さに絶叫するフォウ。
砂漠なのは分かる、方角も分かる、だが途方も無く先が見えない。
この後彼は通りすがりの商人に助けて貰うまでこの砂漠を彷徨い続けることになる。
◇◇◇ ◇◇◇
そして、あの件以来……クリスとライトとの関係は全く以前と同じ、と言うわけにはいかなかった。
ライトは少なくとも表面上は今まで通り変わらずにクリスに接しているのだが、流石にクリスにそれは無理というもの。
勿論彼女もなるべく平静を装うようにしているが、結局彼の一挙一動に反応してしまってはぎくしゃくしていた。
クリスはあからさまに避けるといったことはしていないし、それはしたくないとも思っている。
ただ二人きりになると緊張することだけはどうしようもなく、ニールを掴まえて肩に乗せることで二人と一匹な空間を無理に作ったり、たまにそれがニールではなく間違えてダインを肩に乗せてしまっていて喧嘩に発展したり、とそんな日々が続いていた。
特にクリスが一番大好きだったゲームの時間がやや緊張する時間に変わってしまっていて、今がまさにそれ。
ライトのこと自体は人として好きであるため断るほどでも無いのだが、以前のように穏やかな心中では居られない。
せめて何か話題を、とクリスはライトに話を振った。
「そういえば次の公務の連絡が来ませんね」
リャーマから王都に戻ってきてもう半月が経過している。
クリスは石の白い側を上に向けて盤に置き、その周囲の石を白くひっくり返していった。
「確かに今回は遅いな。婚約のこともあって遅れているのかも知れん」
今度はライトが石の黒い側を上に向けて置き、一気に盤面の石が大量に黒くひっくり返った。
「あああああ」
ボードゲームの形勢が逆転する。
クリスが叫ぶと肩に居たニールが驚いて飛び跳ねた。
彼のサイズだと近くで叫ばれるととても耳が痛いらしく、クリスはよく後で文句を言われれるのだが、叫んでしまうのだから仕方ない。
叫ばせるライトが悪い、彼女はそういうことにしている。
「取らせたい場所に面白いくらい置いていってくれるな」
「誘導だなんて卑怯です……」
クリスは駆け引きや読み合いは苦手だ。
ゲームも……そして心も。
「そんなことでは手強い相手との戦闘で足元をすくわれるぞ」
「むぅ」
指摘されたことにぷくっと頬を膨らませつつ口を尖らせる。
確かにそうかも知れない。
けれどクリスは戦闘では滅多に負けたことが無いので実感が湧かず、言われている意味は分かっていても聞き流してしまう。
結局ライトに負け、そろそろ昼食か、とダイニングルームに向かおうとした時、正面玄関を大きく叩く音が聞こえた。
「患者さんですかね」
「城の使いと言う線もある」
二人で駆け足気味に正面玄関まで歩いていき、ドアの鍵を開けて開くとそこには、
「フォウさん!?」
自称四つ目、パッと見は三つ目の彼が居た。
「久しぶり……」
随分と疲れた様子の彼はぼそぼそと挨拶する。
「心配していたんですよ! どこに行ってたんで……」
とそこまで言ったところでクリスは彼がどこに行っていたか何となく予想がついてしまったので、半眼で見上げながら言ってやった。
「どれだけバカンスを堪能したらそんなに焼けるんですか」
そう、どう見ても南のオアシスにでも行って毎日楽しく遊んで暮らしたのではないかと思われるくらい、彼の肌はこんがり小麦色に焼けている。
ここまで焼けるくらい遊べば、疲れも取れないだろうとクリスは思う。
しかしフォウはそこで大きく反論してきた。
「バカンス!? 何も言わずに一人で!? 俺そんな寂しい奴だと思われてるの!?」
「違うんですか?」
「違うよおおおお!!」
両の拳を握って、力いっぱい否定するフォウ。
そこへライトが呆れ顔でクリスに言った。
「よく見ろクリス、焼けているのは顔だけだ。リゾートを満喫していたなら全身が焼けているのではないか?」
確かに焼けているのは顔と手くらいで、今彼が捲くっている袖の下の腕は白い。
が、どちらにしても南にでも行かない限りこの日焼けは有り得ない。
バカンスに行っていたので無いならば、この日焼けは何で出来たのだろうか。
クリスが首を傾げてフォウを見上げると、彼はがっくりと肩を落としつつ言った。
「とりあえず……何か食べさせて貰えませんか……時間が惜しくて食べてきてないんだ」
「分かった」
お腹を押さえながら酷く困憊した様子の彼。
見ていたらクリスもお腹が空いてきたので一緒になってお腹を押さえてダイニングルームへ向かっていると、それを見たライトが指摘する。
「……二人して三日間飲まず食わずみたいな顔をするな」
クリスはきちんと朝食をとったけれど、確かにフォウはそのような顔だった。
丁度レフトが昼食を作り終えていたので、クリス達と一緒にそれを馳走になるフォウ。
本当に随分食べていなかったかのような彼の食べっぷりに、一同は目が丸くなる。
何故かそれを見ていて対抗心を燃やしたクリスは、彼に負けるものかともぐもぐピザを頬張っていった。
クリスが半ば無理やり口に押し込んでいるとそこへ、
「ソースがついてるぞ」
ライトがそう言って、少女の顎から口元にかけてなぞるように指で拭き取った。
「うぶっ」
その所作に、ピザを口に突っ込んでいるというのに吹き出しそうになる。
これをぶちまけるわけにはいかない、と必死に堪えて涙目で飲み込んだクリス。
彼女は以前まではこれらの行動を全く気にしていなかったが、今の心境でライトにそれをされてしまうと動揺するらしい。
レフトにはあの次の日の時点ですぐにクリスの微妙な心境がバレていたが、これではフォウにまで気付かれることだろう。
クリスは熱くなった顔を下げつつ、ちらりとフォウに視線をやると、
「…………」
ピザを食べる手が止まっている彼が居た。
口を開いたままでクリスを凝視している。
彼の視線に耐え切れずに少女が目を逸らすと、フォウが若干失礼なことを言った。
「クリスがそんなことくらいで恥ずかしがるだなんて一体どんな心境の変化があったの!?」
確かに、恋人でもない男の前で全裸になれる少女が恥ずかしがることでは無かった。
問いかけられることで思わず、クリスはその原因であるライトを見てしまう。
当のライトは特に気にした素振りを見せずにピザをゆっくりと食べていた。
フォウはクリスの視線の先を見やり、その顔色をどんどん青褪めさせていく。
「な、何この二人の間の空気……レフトさんどういうこと!?」
「うふふふふ~」
レフトは笑うばかりで答えない。
すると手に持っていた一枚を切り良く食べ終えたところでライトが無表情のまま一言。
「俺がフラれただけだ。気にするな」
「告白しちゃったの!? 玉砕目に見えてるのに!? 先生ちょっと勇者過ぎない!?!?」
何でそんなに大したことではないようにさらりと言ってしまうんだこの人は、とクリスは頭を抱えた。
しかし、フォウはライトが告白したと言う事実には驚いているようだが、彼がクリスを好いているという点に驚いているようには見えない。
この青年のことだから好意や悪意は見えているはずであり、そこは驚く点では無いのだろう。
空腹はどこへやら、さっきから驚愕しているフォウはもう食事どころでは無いようだった。
「エリオットがほぼ婚約確定したからな、魔が差した」
「マジで婚約に踏み切ったのあの人!? 俺何かもう全く世の中についていけてないんだけど!!」
「……どこに居たんですか、本当に」
自分達のことはともかく、エリオットのことも把握出来ない環境に居たと言うことがクリスには想像がつかず、食事前の話題をここで蒸し返す。
フォウは叫び疲れたのか精神的に疲れたのか定かでないが、とにかく完全に食事を放棄してだらりと天井を見上げている。
「王子様、今日もお城に居るのかな」
「え? そりゃまぁ居るでしょうね」
「そっか。もう俺の情報は彼に必要無いんだろうけど、一応後で伝えに行かないと……」
クリス達は全員、口と手を動かすのを止めて、フォウを見つめていた。
もとい、二匹だけはピザを食べ続けているが。
その視線を受けて彼は姿勢を整えて、重々しくも口を開く。
「俺が何も言わずに居なくなった日があると思うけど……その日俺は城にあの黒髪の女性を訪ねに行ったんだよ」
「黒髪の……」
「クラッサ、だったかな?」
フォウの言う特徴と名前で、クリスはチェンジリングを解除してくれた……そしてレイアを泣かせるきっかけとなったあの女性を思い出した。
そして、後でフォウが誰に会いに城へ行っていたのか調べて教えるとか言っていたエリオットから、あれから何日も経ったのに全く音沙汰が無いことも同じように思い出す。
「それで?」
ライトが続きを促すと、フォウは頷きながら真剣な面持ちでまた言葉を紡ぐ。
「あの女の人ね、前にクリスが持っていた琥珀のネックレスを持っていたんだよ。だから会いに行って確かめようとしたんだ」
「琥珀……って、まさか」
そのネックレスはクリスがルフィーナに渡した物だ。
それをどうして彼女が持っているのか。
いや、だからこそそれを確認するべくフォウが彼女に会いに行っただろう。
クリスは食い入るように彼を見た。
「そう。でも、逆に捕まっちゃったんだな、コレが」
頭をぽりぽりと掻いて恥ずかしそうに視線を逸らすフォウ。
ライトとレフトは少しまだ話が飲み込めていないようで腑に落ちない顔をしていたが、それでもライトが話のピースを繋いでいくように質問した。
「琥珀のネックレスは昔俺が渡した物か?」
「えぇそうです。それを私はちょっと事情があってルフィーナさんにプレゼントしたのですが……それをクラッサさんが持っているって……」
「クラッサと言うのは?」
「レイアさんの部下です」
その返答に一瞬苦い顔をする獣人二人。
だがそれは表情だけで押し留まり、そこから文句や愚痴を言うことは無かった。
フォウは瞳と同じ色の青褐の髪を少し掻き揚げて溜め息交じりに続ける。
「結論から言うと、捕まった先には同じようにルフィーナさんが居たよ。彼女はまだその場所に残ってる。俺はもう黙らせておく必要が無いからいいって解放されたんだ」
「そんな……」
あの黒髪の女性がそのような危険人物だったことに、クリスの言葉が詰まった。
仮にも准将であるレイアの側近であり、軍に入りたて、と言うわけでは無いはずだ。
エルヴァンは実力主義ではあるが、流石に数年は居ないと実績自体を上げられない。
と言うか、随分とエリオットはあの女性に気を許していなかっただろうか。
そう思ったらどんどんクリスの中に不安が渦巻いていく。
「く、クラッサさん、エリオットさんと随分仲が良さそうだったんですよ……」
「だね、やることやってる仲みたいだったし」
フォウが顔を隠しながらぼそっと呟く。
指の隙間から見える青褐の目は、あの日のことを思い出してか少し呆れたように瞼を薄く閉じていた。
それを受けて二人の獣人も大きく溜め息。
レフトは額に手をあてながら首を横に振り、ライトも顎に手をあてて肘をテーブルにつき萎えている。
「と言うことはエリオットのすぐ傍に、エリオットの師匠とフォウを監禁していた女が居るってことか。それはかなりまずくないか?」
「そう思って伝えないとって来たんだけど、俺一人じゃ王子様に面会は難しいし……それにあの男が、もう俺の持っている情報は隠す必要が無いって言ってたんだ。だから今行っても王子様はもう彼女のことに気付いているか、でなければ彼女自体がもう城に居ない可能性が高い」
「あの男?」
クラッサでは無いであろう人物が会話に出てきて、引っかかったクリスはそれを問い返す。
するとフォウは思い出したようにテーブルを叩いて椅子から立ち上がり叫んだ。
「そうだよ! クラッサって女の人の仲間、あの背の高い赤目の男だったんだ!」
「背が高くて赤目……」
「ほら! 昔ツィバルドで突然現れた、人間じゃない奴!!」
息が詰まり、一気にクリスの全身を駆け巡る悪寒。
どうして今ここでその存在が浮上してくるのか。
呼吸が戻ると同時に、動悸が激しくなり体が酸素を必要として息を荒げていく。
「な、何で……」
と、そこで本日二度目の来客。
またドンドンと強く正面玄関の戸を叩く音に、クリス達はハッと顔を上げた。
「こんな時に誰でしょうね~」
少し焦りの色を浮かべているレフトがぱたぱたと玄関へ向かい、その接客の会話に皆で聞き耳を立てる。
「クリスに会わせてくれ!」
それはレイアの声だった。
切羽詰まった様子で叫ぶ声と、戸惑いながら入居を抵抗するレフトに怒鳴りながら進んでくる足音。
そして無理やりクリスの元まで来たレイアは、息を切らしながらこう言った。
「クリス! 王子が、王子が……駆け落ちしたんだ……っ!」
それを聞くなり全員が息を飲む。
そして。
『はぁ!?』
叫んだ。
【第二部第九章 駆け落ち ~進むその先は闇~ 完】