駆け落ち ~進むその先は闇~ Ⅱ
その後、朝から色々重なったこともあり、今日はライトとゲームをしていなかったクリスは、明日の洗濯当番を決めるべく風呂を上がってから彼の部屋でゲームを開始する。
ちなみに今日はボードゲームではなくカードゲーム。
あまりに手札が揃わなくて笑いがこみ上げてくるのは、負け続きの少女。
何か不運の星の元にでも生まれているのでは無いかと思うくらい、セットもランもぐだぐだで揃わず、カードを引いてはがっかりして捨てていた。
「さっきはすまなかったな」
カードを山札から引きながら謝るライト。
「えっ、いえ、いいんですよ」
「別に鳥人全てを嫌いなわけでは無いんだ。レイアの場合は昔からエリオットを間に挟んで喧嘩していたもので、どうしてもな」
そのあたりを詳しく聞いてみたいかも知れない、と続きを期待するような上目遣いでクリスがライトを見上げる。
するとライトは少し困りながらも口元だけをほんのり緩ませて言った。
「あの女はあの通り融通が利かないからな、エリオットのことを考えているようで考えていない、俺はそう感じるから好きでは無いんだ。レフトもそうだと思う」
「ふむふむ」
「エリオットの立場からすればやりたいことを全部やらせてやるわけにはいかないが、だからと言って全部縛り付けていてはどこかで綻びが生じてしまうだろう?」
レイアは王子としてのエリオットのことを考えて最善に進めようとしているけれど、ライトはそれとは違ってエリオット個人を尊重しているのが傍目に見ていても分かる。
それがあるからエリオットはいつもライトのところに寄りに来るのかも知れない……気が休まる場所に。
「いいなぁ、そんなことを想ってくれる友達が居て」
ふっと出た言葉。
クリスもそんな友達が欲しいと思った。
手札があまりに酷いので、もう笑いながらバァッと天井に向かって放り投げてやると、宙に舞い散るトランプ。
ひらひらと生き物のように動いて落ちてくるそれをライトは驚いて見つめていた。
「な、何をしているんだ」
「だって! 負けちゃいそうだったんで!」
あははと大きな口を開けて笑って誤魔化すと、呆れ顔で彼も手札をクリスと同じように高く放り投げる。
「お前が拾うんだぞ」
「はーい」
「それと洗濯はお前がするんだぞ」
「はーい」
毎度のことでやる前から結果も分かっていて、洗濯をしろと言われてもクリスには何の不満も湧いてこない。
ゲームなどで勝敗を決めずとも、洗濯はもう自分の仕事でいい気がするくらいに。
トランプを拾い集めてライトに手渡し、曲げていた腰を伸ばそうと大きく背伸びをした。
それを椅子に座ったまま傍観していた彼は、拾い終えたことを確認して呟く。
「お前にも居るだろう」
「え?」
クリスは一瞬分からずに問い返したが、少し間を置いて何のことだか把握した。
「あー、友達、ですか?」
「友達と呼べずとも、お前のことを想っている者は居るんじゃないのか?」
「……そうですね。気付いていなかっただけで、皆私のことを想ってくれていましたよね」
そう考えると失礼な発言をしてしまった。
自分に掛かった呪いのようなものを解こうとしてくれていたり、何かあれば心配してくれる人達がこんなにいる。
けれど何故だろう、どれも何か違うのだ、とクリスは感じていた。
そういう保護みたいなものではなくて、対等の想いが……欲しい、と。
「姉さん……」
「ん?」
そう、この少女の周囲は皆、保護者みたいなのだ。
ローズのように、クリスにはいつも何も言わず、気付くと彼女を護っている。
そしてそんな関係は、失った時が……とても恐ろしい。
「私はいつ、皆さんと対等に接することが出来るのでしょう?」
「どうしたいきなり。成人したとはいえまだ子供同然だからな。ずっと先じゃないか」
クリスが苦い思いで絞り出した言葉を、軽く流すライト。
自身が悩んでいることを往なされたこともあり、クリスは少しムッとして責め立てる。
「勝手ですよね! 成人したから縁談話が来たり、かと思えばまだ子供だと言われたり!」
「納得がいかないか」
「当たり前ですよ」
彼にあたることでは無い、そう分かっているのに言わずには居られなかった。
都合の良い時だけ大人扱いと子供扱いを切り替えられることは、結局どんなに年を重ねても、後に生まれてきた者は先に生まれてきた者の都合で世の中を回されるということの縮図だ。
自分達が「回す側」になるまではそれは仕方のないことだ、と思えるほど大人になりきれていないからこそ、クリスを筆頭とする若者は「まだ若い」と言われるのだろう。
これが意外にも、ローズのように達観していたりすると若くても驚くほど子供扱いされなかったりすることを、自分のことばかりのクリスは気付けない。
そう、実はきちんと精神的に大人になっていれば、大人扱いはして貰える。
先程までゲームをするのに使っていたテーブルの端に拳をつけ、クリスは顔を歪める。
「お前が言う『対等』になりたいと思うのならば、気遣われるのではなく、気遣い合えるようにならなくてはいけないだろう。クリス、お前にはまだそれが出来るとは思えない」
涼しい顔でそう言われた。
「そっ、そんなの、エリオットさんだって……!」
「本当にそう思っているか?」
「だって……」
「気遣う相手とタイミングが限られているだけだろうアイツの場合は」
確かに、と反論する言葉を失い押し黙るクリス。
じゃあ自分はそんなに何も考えていなかったのか……言われてみるとそうかも知れない。
クリスは皆に想って貰っているほど、意識して皆を想っていたとは言い難かった。
勿論、目の前の事実に対してきちんと思いやることは出来ている。
だが、相手の『その裏』を読み取り見据えることが出来るほど意識しておらず、意識していなかったからこそ皆にそこまでして貰っていることにすぐに気付けず、後でその事実を知らされるたびに驚いていた。
ライトは無表情のまま、煙草を取り出しては火をつけるかつけないか悩んでいるようだった。
その手で弄ぶように火種の箱を開け閉めする。
「私……」
「もう少し相手が本当は何を考え、何を思っているのか気にしてみろ。それをしないことには気遣えるわけが無いし、お前が望んでいる意味での対等な友人など作れない」
決してライトは、クリスの言う意味だけが友人関係だとは思っていない。
対等である必要がある時もあれば、無い時もある。
けれど周囲の人間関係が保護者ばかりになっているクリスはそれを認められない。
故にこの少女と同じ視点に立った上で、少し強く言葉を発した。
保護者と対等になりたいと思うのならば、保護しあうしか無いのだから。
その突きつけられた事実に、本当に成長出来ていないことを自覚させられ、目から零れてくる滴。
声をあげて泣くわけではなく、悲しいわけでもなく、ただ悔しさという感情の溢れてくるままに涙が流れていた。
少女が目をごしごし擦っていると、小さな溜め息の後にライトの声が響く。
「泣くな」
「うぅ」
「お前がそうやって悩んでいるのならば、あとは自然と成長出来るものだ。別に無理する必要も無いと思うが」
「うううぅぅ」
「少し精霊の片割れから聞いたが、小さい頃の対人関係を鑑みればそう育ってしまうのも分からないでも無い。周囲が近寄りもしないのであれば、気遣うはずの相手自体が居ないのだからな」
確かにクリスは周囲から避けられ、そしてそれを怖がったり逆に媚びたりするのではなく、突っぱねることで自分を保ってきていた。
もしあの頃、それでも人と接しようと努力していればこんな風に言われてしまうほどの、変な方向での鈍感には育たなかったのかも知れない。
決してクリスは考えることが出来ないわけでは無いのだから。
一生懸命ライトが慰めてくれているのはクリスにも分かるが、悲しいのではなく悔しいからなので何を言われても無駄だった。
いつもそうだがライトはクリスが泣くと不機嫌になる。
それくらいは気づいているので必死に止めようとしているが、止まらない。
仕方無しに顔を腕で隠すようにし、
「ご、ごめんなさい、もう部屋を出ますね」
これ以上不愉快なものを見せるわけにはいかない、と手探りで場所把握をしつつ去ろうとするクリスだったが、後ろから肩を掴まれ少し引き寄せられた。
何事か、と視界を覆っていた腕を下ろし、少し腫れているであろう瞼を開いてライトを見ると、
「あれ、眼鏡……」
どうして外したんですか、と思わず突っ込みたくなるくらい、眼鏡を外した彼を見るのは滅多に無いことで。
しかしそれを突っ込み終える前にクリスの口は彼の唇によって塞がれて、あんなに止めようとしても止まらなかった涙がピタリと止まる。
全く別の思考を上塗りされ、悔しさなんて一気にどこかへ行ってしまった。
とりあえず抵抗しようとするがうまく抱き抱えられてそれも適わない。
どうにか顔だけ捩って背けて息を吸い、何故こんなことを、とライトに向き直すと彼の表情は、クリスが想像していたもののどれとも違うもの。
怒っているわけでも無表情なわけでも無くて、クリスは驚いて目を奪われてしまう。
「泣き止んだな」
「あ……」
あまりに泣き続けるところをショック療法で泣き止ませたのか。
……と思ったがその次の瞬間、また重ねられる口と口。
今度は先程よりも深いものだった。
初めての感覚に頭がふらふらして力が抜けてくるクリスの体を、彼は優しく支えていた。
――が、そのような状況は長く続かない。
「とりあえずそこへ直りなさい」
「はい」
ようやく解放されてしばらくライトの腕の中で茫然としながらも、何とか状況把握が完了し正気に戻ったクリスは、まず彼を椅子から引き摺り下ろすように床へ叩きつけ、そのまま見下ろせるように床に正座させる。
強張った顔で命令に従うライトの顔はなかなか見られるものでは無い、と言うか過去一度たりともクリスは見たことが無いし、彼が『はい』と返事をすることすらも聞いたことが無い。
それくらい珍しい光景が出来上がっていた。
「自分が何をしたか分かっていますね?」
「はい」
クリスは腰に手をあてた状態でライトをじっと見下ろし、そしてそんな風に見下ろされているライトは俯いて斜め下を見るばかり。
怒られているのでそうなってしまうのも無理は無いのだが。
「ああいうことは、愛し合う男女が結婚式の時に神様の前で誓ってすることなんですよ」
「はい」
クリスの極端な価値観に対し、ひたすら素直に返事を続けるライト。
その姿勢は崩れることは無く、両手を握って膝に置くという、顔さえ上げていたなら完璧な正座であった。
怒られても不貞腐れてばかりのエリオットと違って反省の色は十分見えるのだが、それでもまだ言い足りない被害者は続ける。
「確かに驚くほどすぐに泣きやませて貰いましたが、それなら二度目は必要無いですよね」
「はい」
若干ぷるぷると震え始める彼の肩。
大きく息を吸って仕切り直し、クリスは更に問い質した。
「で、何であんなとんでもないことをしたのか理由を聞かせて貰っていいですか?」
「…………」
今度の返事は無かった。
あんなにリズムよくはいはい言っていたと言うのに、急に黙するライト。
その態度に苛々したクリスは靴底でダンッと床を叩きつけ、返事を催促する。
それにビクリと体を反応させて、彼は怖々としながらも口を開いた。
「つ、つい……」
「それじゃあエリオットさんと同類でしょうがあぁぁぁぁ!!」
夜だと言うのに大音量の怒声が部屋中に響き渡る。
「すすすすすすまない!」
「謝り方が違いますよ!!」
「大変申し訳ございませんッ!!」
背筋をビシッと伸ばして顔を上げ、今度こそ完璧な正座と姿勢で悲鳴を上げるように謝罪する白髪の獣人。
その表情はもう戦々恐々としている。
それを見て少しだけすっきりしたクリスは、ようやく氷のようになっていたと思われる顔を少し緩ませた。
「……まぁ、許してあげましょう」
両腕を前で組んで仁王立ちして見下げながら、とてつもなく偉そうにそう述べる。
ほぅ、と安堵の息を吐くライトを見て、僅かながらクリスの気も緩む。
先の件はこの少女にとって相当のショックであったことに違いはないが、最中はともかくとして、過ぎて、落ち着いてしまえば意外と気持ちは切り替えられるものだった。
クリスは元々、物事を引きずる性格では無い。
と、彼がそこで怯えていた表情を真剣な目つきに変えてクリスを見上げた。
「クリス」
「何ですか?」
名前を呼ばれて返事をすると、彼はそのまま自然な流れで言う。
「好きだ」
クリスは腕を組んで仁王立ち、と言うポーズのまま固まった。
多分漫画で表現するならば全身真っ白になっているのでは無いだろうか。
それくらい大きな意味を持つ言葉が耳に入ってきたのだから。
そして、台詞と構図が全くと言っていいほど、噛み合わない。
仁王立ちの少女の足元で、正座をした男が告白をしたのだ。
これはひどい。
最悪のシチュエーションだ。
クリスが固まっているにも関わらず、ライトはそのまま言葉を続ける。
「だから誰彼構わず好みだと言うだけで手を出すアレと一緒にしないで欲しい」
「そ、それは失礼しました……」
確かにライトはそういう軽薄な人物では無かったはずだ。
本当に好きだからこそ体が動いてしまったとか、そういうこともあるのかも知れない。
クリスにはよく分からないけれど。
いや、つまり、それは。
「う、あぁ」
言葉の意味を完全に把握したクリスは、彼から一歩距離を取って後ろに下がり、組んでいた腕を解き片手だけ胸に当てた。
心臓が破裂しそう、とは今の彼女の状況を言うのだろう。
あまりに自然に且つストレートに告白されたので、少し遅れてクリスの動悸が激しくなってくる。
しかし彼は彼女のそんな反応に動じる様子も無く、先程まで正面の少女に触れていたその唇を静かに開いた。
「大丈夫だ、お前が答えられないことも分かっている。だからさっきのは俺の身勝手な行動に過ぎない。それについてはどんなに謝っても足りないだろう」
淡々と言葉が紡がれる。
もうライトの顔は普段通りの無表情に戻っていて、彼がどんな想いでそう言ったのか何を考えているのか、恋愛に疎いクリスには分からなくなっていた。
「エリオット次第では絶対に言わないでおこうと決めていたんだが、アイツはあの通り……別の道を選んでしまったからな。気が緩んでしまったのかも知れない」
「エリオットさん次第、ですか?」
そこで何故彼の名前が出てくるのかいまいちクリスには理解し難い。
その疑問は顕著に表情に表れている。
ライトはクリスのそんな顔を見て重々しく息を吐いた。
「分からないならいい」
首を軽く横に振って、彼はそこを掘り下げるのをさり気なく拒否する。
正座していた膝をゆっくりと立ち上げ伸ばし、少し顔を顰めながら立った彼は、エリオットより少し低い身長だがクリスが首を上げるくらいはあるため、立たれると先程までのクリスの優位感が無くなってしまった。
「正直な話、俺はそこまで恋愛に興味が無い」
「うぶっ」
何を言い出すのだ、さっきあんなことを言って、しておいて。
「お前のことを好きなのは確かだが、執拗に構いたいだとかそういう感情は無いんだ。だから……付き合ったら逆に嫌われる自信がある」
「なっ、何ですかそれっ」
「一般的な恋愛の価値観とズレていると言うことだ」
エリオットを始めとする周囲の誰もが、ライトの浮いた話を聞いたことが無いようだが、過去に失敗でもしたのだろうか。
随分と自己評価が低い気がしないでも無い。
でもクリス自身、一般的な恋愛と言うものが分からないのでそんなことを言われてもライトがズレているのかどうか判断出来なかった。
まるで他人事のように話し続ける彼を見ていると、先程のことは実は夢だったのではないかとクリスは思ってしまう。
どう答えたらいいか分からずに困っていると、更に彼は続けた。
「もっと簡単に言うと、単純にお前が居る間の生活が好きなんだ。こんなことをしておいて今まで通りに接してくれとは言わないが、嫌じゃなければこれからも公務の合間はここに居るといい。居心地が悪いなら黙って出て行っても文句など無い」
「ぬあぁ……」
どれだけ直球なのか。
エリオットも女性に対してフルオープンでぶつかっていく節があるものの、それとは方向性が全く違う、誠実な直球。
自分に向けられている言葉なのかと思うと恥ずかしくてクリスの口からは変な声が漏れてしまった。
しかしそんな変な態度を取っている場合では無い。
クリスはこれだけ言ってくれている彼に、まだきちんと答えていない。
呼吸を整えて、クリスは根性でライトの金の瞳をしっかりと見た。
「わ、私、異性として好きって感情がまだよく分からないんです」
「見ていれば分かる」
いきなり出鼻を挫かれて、ここから何を話せばいいのか一気に分からなくなって、たじたじする。
それでも何か言わなくては、と、もう出るがままの言葉を発した。
「で、ですね! ライトさんのことは好きなんですけど、レフトさんもエリオットさんも好きなんですよ! だから今はこ、答えられないと言いますか」
「だからさっきそれも分かっていると言っただろう」
「うわぁん!」
思うことをほぼ全部分かっている、と言われてしまうとは、どれだけ自分は分かりやすい人間なのだ。
もう喋る必要など無いのではないか?
クリスが泣き言のように情けなく叫ぶと、告白後から無表情だった顔にふっと笑みを灯すライト。
「お前は大人になりたいのかも知れないが、俺はお前のそういう幼いところが好きだ」
「えっ」
今の自分はどこか子供みたいなところがあったのだろうか、とクリスは一瞬考える。
だがすぐに、彼の言っている意味を別方面でも捉えて、頬を引きつらせた。
クリスは先日も少し思ったことを恐る恐る口にする。
「あの……ライトさんって、若干ロリコンの気がありませんか?」
エリオットには本来は無い、その属性。
そう指摘すると彼はクリスの目を真っ直ぐ見て、堂々と言い放った。
「大方肯定する」
「おわぁ……」
そんな顔で言うことでは無いと思われる。
だからエリオットと違って自分が恋愛対象としての許容範囲なのか、と凄く納得してしまったと同時に、何だか無駄にこの人の言動に照れていたことが情けなくなってくるクリス。
「私だっていつまでもこんなじゃないんですよ。そのうち立派な大人の女性になるんですから、そんな趣味の人はお断りです」
「これは手厳しい」
全然痛くも痒くも無さそうな顔で、ライトはそう呟いた。
◇◇◇ ◇◇◇
活動報告にて、ライトがクリスに向けていることを想定した
『口説き台詞バトン』の回答が置いてあります。
とにかく真っ直ぐに臭い台詞を吐けてしまう彼を
良かったらそちらでもご覧ください(笑)
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