恋と愛 ~それは常に不意打ちの形で~ Ⅲ
しばらくそんなことを続けていた二人だったが、ようやくエリオットが腐った死体になっていた顔を元の阿呆面に戻して落ち着いてくる。
彼はクリスにされるがままだった体を、再度椅子にきちんと腰掛け直し、少し乱れた軍服を整えて話し出した。
「とにかくそういうことだ。ライト達にあまり言いたくなかったのは元の理由がレイア絡みだったからってこともあるんだ」
今度は緑の長い髪を一旦ほどいて縛り直し始める彼。
「レイアさんが絡んでいると言いたくないんですか?」
「昔から仲が悪いんだ、あいつら」
「なるほど」
そういえば以前あまり仲が良くないようなことをレイアから聞いた記憶がクリスにもあった。
間に挟まれているエリオットからすれば大変面倒なのだろう。
クリスは目を閉じながらこくこく頷いて一人で納得する。
と、そこへエリオットが、
「まぁ座れよ」
と隣の椅子を指して着席を促してきた。
「え? もう話終わったから帰りますよ」
「俺からも話があるんだよ! 自分が聞くこと全部終わったからってさっさと去ろうとすんな!!」
縛り終えたポニーテールを早速揺らして、今にも喰って掛かりそうなほど怒る彼。
全く短気な人だとクリスは思うが、さっきみたいに怒らなかったら怒らなかったで違和感がするのでエリオットはこれでいいのだとも思った。
「すみませんね、自分勝手で」
短く答え、椅子を引いて座る。
膝に両手を置いてちょこんと座って待っていたが、彼は何だか口を開くのを躊躇っているようでなかなか話を切り出さない。
しばらくおいてから、エリオットは大きな深呼吸の後に言葉を紡いだ。
「俺の各地訪問の公務は、あと一年も無い」
「はぁ、そうですね。何だかんだで早いものですね」
やっと話し出したかと思えば雑談。
とりあえず普通に思ったままに相槌を打つ少女。
エリオットはと言うと、また少し言葉を詰まらせているようでその表情はやや翳っている。
「で……あれだ。とりあえず、今はいいよな?」
「もうちょっと要領を得た話をして欲しいのですが」
当たり前だがこれでは会話にならない。
この人は自分に何を伝えたいのだろう。
そんな疑問ばかりが浮かんでいるクリスの指摘にエリオットは更に困ったように渋い顔をして、ポニーテールの先をぐりぐりと手悪戯し始めた。
小腹が空いてきた食いしん嬢としては、彼のこの行動はかなりもどかしい。
今日は昼食がいつもより遅かった分ずれ込むと考えて、そろそろレフトがおやつを作るであろう時間だからだ。
いや、むしろもう帰ったら食べた後になっているかも知れない。
「私、そろそろ帰っておやつが食べたいんですけど」
「本当に酷い奴だなお前!? 菓子くらい用意させるから話聞けよ!!」
そう言って彼は席を立ち、部屋を少し出て直属のメイドを呼んで菓子を持ってくるよう命令した。
焼きたてでは無いようだったがすぐにクッキーやチョコレート、それに紅茶がクリスの目の前にメイドの手によって届けられる。
「これで満足か」
「レフトさんのおやつには負けそうですけど、我慢しましょう」
これも美味しそうではあるが、出来の良い作りたてには勝てないだろう。
軽い歯ざわりのクッキーを舌の上で滲ませるように味わいながら、飽きたところで紅茶を流し込む。
一心不乱に食べては飲んでいる少女を呆れ顔で見ているエリオット。
その視線が気になったので、クリスは一旦口の中を空にしてから言ってやった。
「そんな顔して見ないでください。話って結局何なんです?」
お菓子でやや流れた話を元に戻したにも関わらず、彼はどうも歯切れが悪い。
「何て言ったらいいのか……ほら、今はまだ公務続いてるよな」
「えぇ」
「その、それが終わった後、お前はどうしたいのかな、と……」
「あー、そろそろ将来考えろってことですか」
クリスの今後の身の振り方について。
それを何故か今このタイミングで彼は聞いてきたのだ。
いや、何故、でも無いか……とクリスは思う。
「あれですよね、エリオットさんが結婚しちゃうと私の面倒が見られないから、今回の件で改めて気になったんでしょう?」
クリスの想像は見当違いだが、
「あ、あぁ。まぁ色んな奴から突っ込まれててな」
それをエリオットが訂正するはずもなく。
表面上の言葉を鵜呑みにしたクリスは、周囲からそんなに気にかけられていたことに驚いた。
同時に、自分の年齢を考えれば普通の人なら気にするのかも知れない、と考えをまとめる。
十六歳、女、身寄り無し。
確かに少し心配してしまう気持ちも分からなくない。
けれど、
「心配されなくても一人でやっていけますよ。野宿は得意なんですから」
少し自慢げに胸を張ってそれを伝えると、エリオットは顔を引きつらせて呟く。
「の、野宿……?」
「だってエリオットさんの公務が終わったら、ライトさんのところで毎度待機する理由も無くなっちゃいますから」
そう、ライトのところには云わば『定例報告をしている間、エリオットがクリスを預けている』状態なのだ。
クリスにとって過ごしていて楽しい時間の一つだが、決してあの家がクリスの新しい家では無い。
エリオットは目を細めて宙の一点を見つめながら何やら考え込んでいるようだった。
自分の将来について何だかんだ言いつつも心配してくれている様子にクリスは少し嬉しくなる。
「本当は軍に入ろうかと思ったんですけどね、人の命令で武器を振るえるのか自信が無くて……だからフォウさんみたいに今度は目的無く旅をするのもいいかなと思ってますよ」
心配させまいと明るく言ったのだが、そこで驚くエリオット。
「フォウと旅するのか!?」
「そんなこと言ってませんから」
でも一人よりは二人のほうが寂しくなくていいのは確かだ。
いざ一人で王都を離れる時、結局寂しくて足が止まってしまいそうだから。
どこに行ってしまったか分からない、もしかするともうさっさと一人で旅の続きを始めてしまったかも知れないフォウだが、もし彼が良いと言ってくれればそれもアリだろうか、とクリスは考えた。
そう考えてふっと笑った少女は、エリオットに睨まれていることに気がついて動揺する。
「な、何ですか?」
「何だよそのにこやか過ぎる顔は……」
そんな苛立った目つきをするほど、自分が笑うのも気に喰わないのかこの人は、と誤解するクリス。
勿論エリオットは、クリスが笑っていること自体が気に食わないのではなく、クリスの笑顔の意味を考えて嫉妬し、不機嫌になったのだ。
とても面倒な男だ。
「いえ、フォウさんと旅するのも楽しそうだなと。彼ね、女の子みたいで可愛いんですよ」
「はい? あ、あぁ。女の子、か……? あれが?」
結果として、予想とは違ったクリスの言葉に面食らったエリオットは、クリスの言うことの根拠が気になるようで問いかけた。
「笑顔も女の人みたいに優しいし、あと相変わらず凄く恥ずかしがりやさんなんですよ。もう笑っちゃうくらいに」
思い出すとクリスには笑えて仕方ない、彼の乙女ぶり。
がさつな男性が周囲に多いクリスにとっては彼のような存在はかなり珍しい。
「同世代の女の子の友達って居ないんですけど、居たらフォウさんみたいな感じなのかなって思います」
「き、気の毒になってきた……」
「え?」
「いや何でもない」
少し冷めてきた頃であろう、優しいデザインのティーカップにちびりと一口つけて一旦間を置くエリオット。
それを見ながらクリスは再度続けた。
「だから心配せずとも平気ですよ。元々一人だったんですから、元に戻るだけ……」
と、これからの自分の道を改めて口にしたところで何だか凄く重たくなってくる気持ちに気付き、自分の心に素直になってそのまま喋ってみる。
「でも、やっぱりそれは寂しいかも知れません。出来たら誰かと楽しく話しながら過ごしたいものですね」
気持ちを正直に言ってクリスはすっきりした。
自分の気持ちをきちんと再確認することが出来る、とでも言えばいいのか。
言葉に出す、と言うのは時によってとても大事なことだった。
言うだけ言って今度は口寂しくなったクリスは、皿に置かれているチョコレートを一つ摘んで食べる。
「誰でもいいのか?」
そこへ、黙って聞いていたエリオットが急に問いかけた。
少し驚いて彼の目をクリスは見つめ直すが、その目はじっと睨んでいる。
「そんなことありませんよ! 私だって相手くらい選びます!」
大体において楽しく過ごせるような相手なんてクリスには数人しかいないのだから、その人達以外というのがもう考えられない。
それを差し引いても誰でもいいだなんてあるわけがないのに、何を言い出すのだ彼は、と少女は憤慨する。
無論、エリオットは完全に嫉妬の延長線上で発言しているため、それに気付いていないクリスは凄く失礼なことを言われたような気がしたのだ。
そのクリスの反応を受けて、エリオットは恐る恐るその先を問いかけてきた。
「じゃあ……ちょっと誰と居たいのか順位つけて挙げてみろって」
「へ? どうしてですか?」
「いいから! 言ってみろよ! ほら、クッキー食ってよく考えろ!」
そして口に無理やりクッキーを突っ込む。
もごもごと食べながらクリスは仕方無しに彼の問いに答えるべく考えた。
「んんん、やっぱりライトさんかレフトさんで悩みますねぇ。ライトさんはいつも遊んでくれるし、レフトさんはあったかいです」
「お、おぉ……」
呻くように相槌を打つエリオットをスルーして、更にその先に思考を巡らせる。
クッキーを全て飲み込んだところで、またエリオットがペットに餌を与えるように口元にクッキーを寄せてくるので、それをぱくりと銜えて咀嚼した。
「ん、ん、あとは地味にガウェインが一緒に居て楽しそうです。フォウさんはどちらかと言えば見てて楽しい感じですから順位付けするとなると難しいかも知れません」
「そうか……」
あと他にも何人か居るけれど、この話題で挙げるほどでも無い気がしたのでこれでおしまいだろう、と判断する少女。
「こんなところですね」
やはり一番身近なライトとレフトは外せない。
本音を言ってしまえば、自分をあの家の養子にして貰えないだろうか、と一瞬思ってしまうくらいだ。
が、折角わざわざクリスが答えたと言うのに随分と不貞腐れた表情をしている目の前の王子。
その理由くらいは流石のクリスにも予想がついているので、彼が言わんとしているであろうことを最後に付け加えてやる。
「エリオットさんは最下位ですよ」
「頭から紅茶ぶっかけるぞコラ!」
ポットから注がねば紅茶をぶっかけることが不可能な、既に空になっているクリス側のティーカップを振り上げるエリオット。
クリスは笑いながら身を守る仕草をして肩を竦めた。
「ふふ、嘘ですよ、分かってるでしょう?」
お約束の反応を示してくれたので大変満足しているクリスは、自然とこぼれるがままに笑みを浮かべる。
「エリオットさんと公務とか関係無しにのんびり旅をしたら、きっと毎日苛々して堪らないでしょうね!」
そしてきっと、飽きないのだろうともクリスは思う。
お互いにとんでもないことを言い合いながら怒ったり笑ったり、そんな旅。
楽しそうだと思うけれど、それは今一番実現が困難であろうことも分かっているのでこうやって笑って済ませた。
こみ上げてくる虚しさの理由は知っている。
恋愛のことはよく分からないクリスだったが、少なくとも一番一緒に居て楽しいのは彼だときちんと気付いていた。
だから、その人がどんどん離れて行ってしまうとなればそういう気分になってしまうものだ。
ましてやよく知らない人と結婚してしまうだなんて尚更。
折角クリスが笑って話しているのにエリオットは黙って俯いていてその表情は確認出来ない。
しばらく彼の頭の天辺を少女がじっと見つめていると、バッとその頭が上がって二人の目が合った。
「お前、王都にずっと住む気は無いのか?」
急に何を言うかと思えば、それは旅以外の案。
「ええ? と言うかどこで住むにしても無理ですよ。金銭的な意味で」
家を建てるのにどれだけお金がかかると思っているのだ。
ましてや王都に建てようと思ったら地方の倍では済まない。
クリスは以前諸事情で大金を手にしたこともあるが、額が額で結局返金してしまっていた。
一応エリオットの護衛でそれなりの給料は稼いでいるが、生活費としてライトに渡した残りのお金は大量のおやつ代に消えている。
なので少し目を細めて反論したが、その視線に気付く様子もなく彼はまた喋り出た。
「ライトのところがいいなら打診してやってもいいし、もしそれが無理でも別にタダで城に住まわせることだって……」
「嫌です」
きっぱりと断ると、ようやくクリスの怒り気味の視線に気がついたらしく、少し焦りの色を浮かべていた顔を固まらせたエリオット。
「そんな甘えみたいな生活を続けていたら私、本当に一人で立てなくなっちゃいますよ」
「別に一人で立てなくてもいいじゃないか……」
「そりゃあそうですけど、そういう風に寄りかかる相手を間違えるわけにはいきません」
絞り出すような声で言う彼に、もう一度打ち消す言葉を投げかける。
「もう子供じゃありませんからね! 婚約を控えている王子様におんぶに抱っこ、ってわけにもいかないんですよ、世間的にも」
鈍いクリスにも、エリオットの、近くに居て欲しいと言う気持ちがひしひしと伝わってきた。
けれどそれは少女にとって少し難しい相談だ。
少なくともまだこの王都にクリスの本当の居場所は……無いのだから。
「もしお金が貯まったらせめて部屋くらい借りて住んでみたいですねぇ」
憧れの一人暮らし。
「ぜってー無理だろお前じゃ」
クリスもそう思った。
【第二部第八章 恋と愛 ~それは常に不意打ちの形で~ 完】